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10-03:加護と祝福

 



 そんなわけで、連日の水晶宮だ。


 金緑宮よりも大きい宮殿は、彫刻が少ないせいか、やや質素な印象を受ける。白い外壁に、時々見える水色の柱。夏目前の今は、それがとても涼やかだ。


 出迎えてくれた第一皇子のシルキリークは、マリスタの顔色を見て満足そうに頷いた。


「ちゃんと、食べて来たみたいだな。昨日より顔色がいい。こっちだ」


 しかし、言うだけ言って背中を向け、歩き出してしまう。思わず、オルヴェールと顔を見合わせた。


「行こうか。兄上は、堅苦しいのを好まない」

「は、はい」


 手は、彼の腕に掛けられた。抜けないように、逆の手でも掴まれて、ふと横顔を見上げる。歳も身長だって差があるのに、こうしていると、少し恋人同士に見えるのだろうか。


 そう思ったマリスタは、一人照れてしまった。


 俯く花嫁に、オルヴェールは微笑んでいる。水晶宮は外野も多い。いくらでも出し惜しんでくれて、構わなかった。


 大階段を二階に上がり、突き当りの部屋に通される。


 大きな室内は明るくて、昼ランプまで点けられていた。カリカリとペンの動く音がする。並んだ机はどれも大きく、紙束や本、巻物などに埋もれて、人の姿が見えた。


「丁度いい所で、作業中止!」


 シルキリークの声に、数人が顔を上げた。しばらくして、ペンの音が全て止まる。


「そのままでいい。弟とその花嫁が見学に来た」

「少し邪魔をするよ」


 そう言って差し出される片手に、マリスタは夜会用の礼をした。何故か拍手が聞こえるので、平民出身者が居るのだろう。


「彼女は、マリスティア・レンド・ディアバーグ。ここに来る事も多くなるから、どうか仲良くして欲しい」


 顔を上げると、数人には手を組み祈られていた。コクコクと頷くばかりの人に、軍人のする敬礼をしている人もいた。不思議な集まりだ。学級との違いは明白で、その事に少しだけ、ほっとした。


「挨拶はこんなもんか? アジェンタ、進捗はどうだ?」

「次に入るところっす!」


 奥から元気な声がする。豊かな赤髪の女性は、大きく手を振っていた。彼女の机には、同じ人に向けて描いたであろう祝福絵画が、二枚乗せられている。


「マリスタちゃん、見てごらん」

「…………えっと、一人に対して、二枚…………二人で描くのですか?」

「良く分かったな。今はそうしてる。より良いとは、選別するから分かるんだ」


 動く加護は、どちらも大して変わらない。でも、片方は華やかなだけで、もう一枚は、加護の制御に補助が入れられている。どちらを選ぶのだろう?


「これは、内貴族の次男坊か。二枚目だな」


 シルキリークの言葉に、女性は笑顔で「うっす」と言った。選ばれない方は、引き出しに仕舞われる。


「マリスタちゃん、質問は?」

「そ、その、もう一つは、どうなるのですか?」

「破棄」


 破棄の言葉が、頭の中にこだました。高価な加護紙。その一枚は、破棄だと言う。綺麗なのに捨てるらしい。


「半年後に祝福絵画を必要とする国民が、何万居ると思うんだ? いちいち悩んでいたら、仕事か終わらん。それにここでは、本人を見られるワケじゃないし、話しも聞けないからな。送付された髪と血、誓願書から、祝福絵画を描くんだ」


 加護の儀式の一年前には「誓願書」と髪、血判を押した書類を、国に提出しなければならない。


 過去に一度だけした、九歳の頃の感動と不安が、胸に蘇ってきた。帝国中のそうした思いが、この場所には集まるのだ。


「とは言っても、当たり障りのないものになるのは、致し方ない。けれど、やれるだけは、やろうと思う。俺達の責任だからな」


 国一番の祝福装飾師。第一皇子殿下にそう言われ、ふと胸が熱くなった。失望した夢、諦めたそれに、やっと光が当たったような。十歳まで必死に学んだ祝福絵画。遠く及ばなかった、祝福装飾師の存在…………


「ありがとう、ございます」

「ん? これが仕事だ。当然の事だぞ…………な、なんか照れるな。そこ、アジェンタの前が空いているから、少しやってみるか?」

「えっ」


 薄紫の瞳に見られて、固まった。第一皇子殿下の色は、本当によく知る人と、同じ色をしている。


「やってみたら?」


 同じ薄紫の瞳。オルヴェールさまの色は、何故か頬を熱くする。椅子まで引かれ、それでも迷う。


「で、でも、わ、わたし…………」

「本採用には出来ないけどな。仕事としてやってみると、また違うかもしれないぞ? 才能は、オルヴェールが保証している。気にしなくていい」


 皇子達の視線に耐えきれず、マリスタは椅子に座った。第一皇子からは、才能とは資格よりも尊ばれるものだ、との追撃まできて、渡された加護紙を渋々広げる。


 前の席から、赤髪の女性が誓願書を渡してくれた。


 添付の髪からは日の気配。血は泥みたいな、でも尖ってなくて、多分優しく穏やかな人だ。誓願書を見ると農夫らしい。農業が好きで、穏やかで明るい人のように思った。


 ただ、どこに伸びたいのかが、分からない。


 誓願に、それ程の強さを感じなかったのだ。九歳にしては大人、というよりも、大人しい子供なのだろう。


「出来たか?」

「あっ、いいえ、ま、まだです」

「何処で、つまづいた?」

「その、この方は、何を目指しているのかと」


 後ろから、シルキリークが覗き込む。半身を横に避けて上向くと、オルヴェールさまが微笑んでいた。なんだか、この場所はやりにくい。見られて描くのは平気だと思っていたのに、手が震えそうだ。


「んー? コイツは現状維持が良いんだろう? 世の中には、変わりたくないヤツだっているんだよ。このままにしておけばいい」

「こ、このまま」

「どう? 描けそうか?」


 なんだろう。分かったのに、納得出来ない。変わりたくない人って、そんなに素敵な人生を送ってきたのだろうか。農業は自然と付き合いで、大変なんだと聞いている。


「ほら、悩んでると、仕事が終わらん。やってごらん。制限時間は五分だ」

「えっ!」


 マリスタは慌てて、ベンをインク壺から引き抜いた。


 維持であれば、基礎は一重の円が良いだろう。二重にして、強固にする必要もないと思う。田畑と、なだらかな丘を遠くまで重ね連ねて、日差しを濃淡のみで描いていく。


 光は、直線によって現すこともあるけれど、穏やかな彼に、強い線は似合わない。日差しが強すぎないよう、少しの雲と、豊穣を込めて草花を手前に描き足した。


 マリスタの描いた祝福絵画は、花々の向こうに、遠く彼方まで広がる田園がある。雲間から射す光は、どこまでも穏やかで壮大だった。


「なるほど。維持だが、成長の余白は残したワケか」

「…………はい。そ、その、すみません、でした」

「謝る事はない、正解は無いようなものなんだ。見てごらん。これがアジェンタの描いたヤツ」


 見せられたのは、二重の円が守る穏やかな世界だ。日差しに光る花畑となだらかな丘。幸福を願う古語がある。


 春の世界だった。最高の人生を祝う、そんな祝福絵画だ。


「すごい」

「伸びしろは無い。でも望みだけを詰め込んた絵画は、彼の足元を彩るだろう」


 忘れていた。祝福装飾師に彩られた、十歳の頃を。それだけで幸せな人生を思い描けた、あの頃を。


「本職より優れてたら、学府なんて必要ない。筋は良いし、手も早いから、即戦力にもなりそうだ。だが、圧倒的に経験不足だな。あと、庶民じゃなくて貴族向きだが…………どうするか」

「…………」

「落ち込むなって。褒めてるからな? 地に足のついたアジェンタと、遠くを見据えたマリスタちゃん。どちらが正しいってことはない。ただ、それを得た時、どちらが喜ばれるか、祝福に足るかで最終的に選ばれる」


 よく分かった、本当にその通りだ。祝福は、加護を人の為に飾るもの。成長して心が変わっても、呼び戻す為の清さでもある。


 子供達に渡される、一生ものの花かんむりだ。


「マリスタちゃんは、三ヶ月市井で生活してただろう? 彼らの祝福は、どう見えた?」

「…………分かりやすくて、大胆だなって」

「どうしてか分かる?」


 首を横に振った。本当に酷い人も居たけれど、その多くは、単純ながら、のびのびとしていた。線の一本一本が、祝福よりも先に延びるように。とても自由だった。


「貴族と彼らは、受ける教育も暮らしも違う。より良くと、切磋琢磨を強制されたりもしないんだ。もちろん、生活が良くなるのは喜ぶぞ? だが平民の多くは、生活の変化すら好まない。つまり、良かれと思った未来の余白を、余白のまま終わらせてしまう事が、多くなる」

「か、変わりたく、ない?」

「驚いてるか?」

「す、少し…………いえ、か、かなり」

「正直で宜しい。だから貴族向きだと言った。貴族は、伸び続けるしかない。同じでいる事は罪に感じる。マリスタちゃんは、こちら側って事だな」

「こちら?」

「明日は、父上のところを見ておいで。手配しておく」

「え、で、でも」

「祝福装飾師は、才能を前提とする職業だ。学び舎はあまり選べないが、職場は選べるぞ。それに、君みたいにこぼれてしまう子に、手を貸すのは珍しい事でもない。先輩を頼って欲しい」


 頼って良いと言われた。お世辞だろうか。それでも嬉しい。本物の、国一番の祝福装飾師が、先輩だと。マリスタに言ってくれたのだ。


「マリスタちゃんは、オルヴェールの特別な子だけど、そうじゃなくても、才能ある貴重な装飾師の若鳥だ。だから気負うな。これから、根も葉も好きに伸ばして、刈り取られない場所を探せばいい。そこが居心地の良い場所になる。分かるか?」

「は、はい」


 感動したまま見上げていると、第一皇子はマリスタの顔を見て数秒固まり、自由に見ていけ、と言い残し部屋から逃げるように去ってしまった。


「?」

「マリスタの瞳が綺麗で、びっくりしたんだよ。その内、帰ってくる」


 オルヴェールは苦笑して、兄の不躾をマリスタに詫びた。竜騎士を目指すも、繊細すぎて竜に乗れなかった人である。氷竜の瞳に見上げられ、色々思うところがあったのだろう。


「隠せば、良かった…………」

「マリスタ。兄上は、喜んだんだよ?」


 あれで、とは聞けない。オルヴェールさまがそう言うなら、そうなのだろう。少し落ち込んでいると、前の席で、誰かが手を振っている。


「祝福装飾師アジェンタ、好きに話して構わない」

「あっざーす、殿下! そんな綺麗なオメメで見られたら、竜好きは一撃ドッカン、ピョローンですよ!」

「…………?」


 何を言われたのか、分からない。ぽかんと見ているマリスタに、赤髪の装飾師は不思議な単語をいくつも並べ「これでスッキリ」と言って、ストンと席につき、再び見えなくなった。


 思わず立ち上がって、覗き込む。


 カリカリと祝福絵画を描き出す顔は、もはや別の人だ。赤髪が燃えるように逆だっていて、気迫と緊張感が目に見える。とても声など掛けられなかった――――まさか、これが本当の、変な人…………


 マリスタは、よろりと机から離れた。


 変な人。学びになる人。口を押さえる。声を出したら邪魔になるのに、何かを叫びたくて仕方ない。


 アジェンタと呼ばれた赤髪の装飾師は、もう、おしゃべりをしないだろう。それなのに、謎の言葉が頭の中を跳ね回る。


 どっかん、ぴょろーん。キラキラ、どんどこ、ぴきーん、むらむら…………キラキラしか分からない。


「大丈夫? マリスタ?」

「オ、オルヴェール、さま」

「びっくりしたね」


 普通の言葉が、こんなに心地いいなんて。オルヴェールさまは、さっきのあれが、分かるのだろうか。そろりと彼の胸に頭を寄せると、不思議とほっとした。


 背中に腕が回される。怖い人では無かった。それなのに、怖いと自分の声がする。ひどい事は、言われていない。たぶん。どうにか心を落ち着かせ、そっと後ろを振り向いてみる。


 荷物に埋もれた、赤い髪。意味のわからない、知らない言葉。何を言いたかったのだろう。彼女の絵画は、華やかで美しく、心を彩る光があった。


 それなのに、彼女の心は分からない。


 マリスタの頭を撫でて、オルヴェールは苦笑する。


 ここは、選ばれた天才と秀才の集まりだ。悪く言えば、奇人変人の巣窟とも言う。


 あの、中々に激しい老婆を気に入ったマリスタなら、多分慣れてしまうのだろう。これくらい賑やかな方が、きっといい。そうは思うのだが…………殺伐としている方がマシだな、と内心で苦笑した。


 自分からオルヴェールにすり寄ってしまうほど、マリスタには刺激が強かったのだろう。緩衝材の兄も、戻らないままだ。


「少し休もうか?」


 緩慢に頷く、灰色の頭を見て、オルヴェールは談話室まで連れて行くことにした。


「楽しく無かった?」

「と、とても、勉強になりました」

「勉強?」


 加護紙に描かれる、本物の祝福絵画。その美しさを、ずっと忘れていた。大人の求める祝福は、もっと実用的で、使い勝手の良いものだ。それはマリスタだって同じこと。


「比べられたのは、嫌だった?」

「…………描かせてもらえて、良かったです」


 久しぶりに、絵を描いた。描かない時間など無いほどに、ずっと描いていた絵を、手放していた。


 それでも幸せだった。


 オルヴェールさまが望むから。マリスタなんかを、ただ一人にと。そんな彼に、応えたかった。


 華やかな春の景色、祝福絵画が頭をよぎる。


 自分より良いものなんて、学院では一度もなかった。上辺だけで褒められて、粗を探しては叱られる。見る目のない人達ばかりで、得るものなんて知識くらいで。


 逆に、街では誰もが、マリスタの絵画を称賛してくれた。


 絵すら描けないという人々は、何を描いても喜んで、惜しみなく褒めてくれる。無資格でも、本物のように思っていた。思ってしまったのだ。


 なんて傲慢だったのだろう。


 本来の祝福装飾師の在り方すら、見えなくなっていたのに。


「マリスタの広大な農地は、のびのびしていて、僕は好きだよ」


 この皇子様は、いつだってマリスタに優しい。その優しさが、今は辛かった。


「君はいつだって、遠い未来を見据えてる。見えない時間を描く力は、マリスタの才能だ」

「オルヴェールさま、でも…………」

「嫌わないでやって。マリスタにしか描けない祝福がある事。それは素晴らしいことだよ」

「でも、必要とされなかったら」

「見る目の無いヤツに、君は勿体無いという事だ。凡人に天才は、評価出来ない」


 励まされている。そのことは、ちゃんと分かるのに、贅沢にも違うと心の声が泣いていた。絵を描きたい。もっと上手に、誰かを笑顔に出来るなら。


 オルヴェールさまを、手放す勇気もないくせに。


 役に立ちたい。誰かの助けになりたいと、願う自分を知っている。


「マリスタを活かせる場所を、早く見つけないとね」

「い、いかせる?」


 透けるような紫色は、優しいままで変わらない。彼の気持ちを知っているのに、他もと言う勇気は、出なかった。


「皇族の仕事は、適材適所に人材を配置する事でもある。マリスタを活かせる場所を、僕は妥協なく探すつもりだ。もちろん、ずっと宮殿に引きこもっていても、嬉しいけれど」

「…………」

「マリスタ。僕に選ばれて、未来は選べないって、思っているね?」

「…………」

「言いたくないの?」

「オルヴェールさまは、わたしが、祝福装飾師に…………絵を描いても、イヤじゃない?」

「僕は、マリスタの絵が好きだよ。絵を描く君もね…………やりたいなら、目指せばいい。金緑宮に来て、一度も描いていないだろう? 嫌いになった?」

「描き、たいです。でも、一緒の時間が、なくなる、から」

「ふふ、それじゃあ、邪魔しに行くよ」

「えっ」

「放っておくと、マリスタは食事を忘れるからね」

「で、でも」

「適度って言葉を学ぼうか? それとも、口まで運んで欲しい?」

「…………」

「そこ、悩むんだ?」


 描いている途中で、止めろだなんて。オルヴェールさまに邪魔をされたら、中断するに決まってる。その線がどこまで伸びて、どんな濃淡になり、何を表すか。描く時間が止まったら、息まで止まりそうだ。


「絵を描いてもいいんだよ。でも、加護を付けないように気を付けて」

「…………そ、そんな」

「マリスタも少し、大人にならないと」

「お、おとな…………」

「祝福加工品は、それだけで高価だ。量産したら、兄上の公務が増えて叱られる。マリスタは一枚のつもりでも、誰が描き、どこに保管し、誰が所有するのかって、少なくとも三枚の書類仕事になるわけだから、大変なのは分かるね?」

「…………わたしの絵が、他の人の、お仕事に、なる」

「うん。仕事というのは、少なくても文句を言われ、多くても苦情が来るものだ」


 古書店では、働いているつもりだった。おしゃべりに人は来ても、お客様は滅多に来ない。たくさん来たら、それこそ困って居ただろう。


 仕事が増えて困る気持ちは、なんとなく理解できた。


 けれど加護は、付けたくてつけている訳ではない。普段は地面にばかり描いていたから、知らなかっただけなのだ。


「わ、わたし…………」

「それなら、ここで描いてみる?」

「ここ?」

「兄上はマリスタを、第二の見習いに欲しいらしいよ?」

「第二の? わたし、なんか」

「兄上が良いって言うんだ。責任は上に、取らせればいい」

「え…………」


 つまり、ここで描くと第一皇子殿下の仕事を増やし、金緑宮で描けば、オルヴェールさまの仕事を増やした上に、第一皇子殿下にまで叱られる。そういう事になってしまう。


「カーラに相談するかい?」

「おばさん、手伝いは、要らないって」

「やってみれば、違うかもしれないよ?」

「…………やらせて、くれない、かも」

「マリスタには、まだ資格が無いからね。あと二年…………君が大人になれば、国家試験を受けられる。首席で合格したら面白いよね? カーラも断れない」


 二年後には大人になる。もしも資格が取れたなら、また一緒に仕事が出来るだろうか。おばさんの家に置いて貰えた事、勝手に出ていった事、それでも受け入れてくれた事。どこから感謝を返せは良いのか、分からないのに。


「わたし、資格が、欲しいです」

「分かった。それなら、第二の見習いが一番だ。兄上のこと、怖くはないね?」

「…………はい」




 金緑宮に戻ったマリスタは、早速、祝福装飾省の制服の為に採寸をされ、必要な道具の確認や、官吏としての決まり事などを教えられた。


「そろそろ寝ようか?」


 ただ、夕食後も机へ向かっていると、その一言で寝支度をされてしまう。


 加護を潰さなくても、起きていられる時間だ。眠れるはずもなく、ずいぶん我慢してから、寝室の扉を開けてみた。


 夜守の女官は、明るく茶色い髪をした、あまり見かけない人物だ。


「え、姫様? ど、どうなさいました!?」

「あ、あの、眠れ、なくて」

「まぁ、どうぞお座りくださいませ。ハーブティーはいかがです?」

「…………は、はい」


 あまり慣れない女官らしい。慌てた様子で敬礼すると、私室から音もなく出て行った。敬礼…………兵士か騎士の経験でもあるのだろうか?


 一つだけ灯ったランプの光は、時々揺らめき、不思議と心をほぐしてくれる。昼神の加護を持つ――――第一皇子殿下は、迷惑を掛けても、怒らないだろうか。


 どんな風にしたら、嫌われない?


 すぐに冷たくされるのだ。マリスタの何かが、人を不快にしてしまう。それがきっと、本来の自分であり、悲しくても直す場所さえ分からないもの。


 おばさんは、元気でいろと言っていた。


 飾らず偽らない、そんなマリスタを受け入れてくれた、特別な人。オルヴェールさまに愛される。それはとても幸せで、でもマリスタの本来とは、どこか違うと教えてくれた。


 本当のわたしは、どんな人なのだろう。


 どうして、嫌われてしまうのか。


 新しい場所はやっぱり怖い。居心地が悪くても、二年はきっと我慢する。それを、毎日会える事になった皇子様は、見逃してくれるだろうか。


 嫌われてしまったら、最高峰の祝福装飾師、彼らの人生はマリスタのせいで、ぐしゃぐしゃになる。


「…………どうしたら」


 顔を覆った。嫌われる自分が、本当は嫌いだ。そんな自分なんて、居なくなって欲しかった。それなのに、変な髪色は染めてもダメで、まだらな瞳は気味が悪いと噂され…………こういうところが嫌いだと、教えてくれる人もいない。


「マリスタ?」

「っ!」


 オルヴェールの声がした。扉の向こうまで、加護の気配を読んで、私室に居ないと確認までしたのに。


「お茶を持ってきたよ」

「ど、どうして…………」

「眠れないお姫様を寝かし付けるのは、皇子の仕事らしいから」

「そ、そんな…………」

「第二に行くのが、不安になった?」


 ズバリと言われて、黙り込む。ソファーの隣に座り、注かれるお茶からは、甘い香りが漂ってきた。


「どうぞ」

「ありがとう、ございます」


 香りほどは甘くなく、僅かな渋さとほろ苦さ。一体何が入っているのだろう。


「変わった味がするね」

「はい」


 黙っていると、ストールを膝に掛けられる。


「何を悩んでいたの?」

「…………そ、その」

「うん」


 言うまできっと、帰らない。彼なら、ひどい言葉を使わずに、優しく教えてくれるだろう。でもそれは、何だかズルをしているようだ。


「当てようか?」

「だ、だめです」

「どうしたら、嫌われないか?」

「い、言わないで…………わ、わたし、どんな人か、知りたくて」

「どんな人? 自分の事が知りたいの?」


 不思議そうな顔をされ、少し戸惑う。世の中の人は、自分がこうだと、知っているのだろうか。まさか、知らないから、嫌われる?


「難しい質問だね」

「オルヴェールさま、にも?」

「本当とは、何を持って言うのか…………そこを決めるのが、一番、難しいと思うよ」

「…………?」

「例えば、うーん、リンゴにしようか。皮を剥くか、そのまま食べるか、どちらが本当なのだろう?」


 マリスタは首を傾げた。


「リンゴの、皮?」

「マリスタは、どう思う?」

「あったら綺麗です。でも、ない方が、好き」

「じゃあマリスタにとって、リンゴの本当は、皮のない時だ。自分というのも結局のところ、好みなんだと僕は思う」

「好み…………」


 皮のないリンゴが、自分にとってのリンゴだと…………少し、納得できない。


「難しく考える事はないよ。好きな自分が、本物でいいんだ」

「好きな、わたし…………」

「そんなの無いって、思ってる?」

「…………」

「それじゃあ、これから探さないとね」

「探すの? わたしなのに?」

「人生の課題みたいなものだよ。好きな自分も嫌な自分も、皆が皆、内に抱えているものだ。加護があって、祝福に守られていても、嫌いな自分を抑えきれずに、道を踏み外す者もいる。理想の自分を目指すのも、妥協するのも、その人の自由だからね」

「…………オルヴェールさまは?」


 彼はカップを置くと、マリスタの髪に指先を絡めた。


「僕? どうかな、こんなものだろうって思っているよ。もちろんマリスタには、優しくしたいんだけど。君が可愛くて、嫌な自分に流される」

「…………」

「どうして黙るの」

「オルヴェールさまは、優しいです」

「本当に?」

「…………時々、厳しいです」

「ふふ」

「ほ、本当に、厳しいです!」

「もう少し甘やかそうか?」

「そ、そうじゃなくてっ」

「マリスタは、甘えるのも下手だから」

「そ、そんなの」

「上手になって、欲しいよね?」


 カップを手から取り上げられる。行方を見ていたマリスタは、その手で彼に引き寄せられた。


「ち、近いです」

「すぐ赤くなって、ふふ、かわいい」

「オルヴェールさま!」

「甘えるのは、恥ずかしい事じゃないよ?」

「でも」


 顎が捕まり、口づけに息が止まった。頭にあった色々な事が、一瞬にして逃げ出して、一人だけ取り残される。オルヴェールさまで、いっぱいになる…………


「息、止めないで。そんなに緊張すること、ないのにね」


 ただ抱きしめられれば、ほっとした。でも、キスは苦しくて、頭が変になりそうで…………オルヴェールさまがいない時間を、余計に淋しくしてしまう。唇が触れ合うだけなのに、自分の中がいっぱいになる。


「マリスタ…………怖がらないで。何よりも大切にするから」


 違うのに。そうじゃなくて…………一緒にいてくれたら、それでいいのに。もう充分貰っている。返せないほど、たくさんを。


「オルヴェールさま…………」


 近くに居てくれる。それだけで安心できて、怖いことは無いのだと。やっぱり、わたしの好きは、違うんだ。


「ん…………」


 顔も口も熱くなる。いつか、溶けてしまいそう。それが少し怖い。どうしてこんな事を、好きな人にするんだろう。


「マリスタ、僕にも抱きついて?」


 何も言えないまま、両手を首へと導かれ、そのまま頬を寄せた。頑張って、腕に力を入れていたけれど、疲れてきて、力が抜けてしまう。


 黒髪の頭は、マリスタの肩に乗っている。その髪にそっと、手を伸ばし――――やっと触れた。嬉しくてつい微笑んでしまった。


 触れたいと、思う自分が何だか怖い。


 いけない事だと思うのに、手を伸ばせば届いてしまう。触れたい理由が分からない。邪なもの…………好きだという気持ちを、あまり見たくなかった。


 黒い髪は短くて、すぐに指から抜けていく。


 婚約書、花嫁だという選定の言葉。それだけあるのに、不安が募る。行かないでと、叫びたくなる。分からない。好きなのに、そこからどうすれば、このままで居てくれるのか。


「マリスタ」


 耳元で囁く声が、いつもより低くて肩が震えた。怖いなにかと、好きな気持が、頭の中で痺れたように動かない。


 彼になら、ひどいことをされても、許すのだろう。そんな気がする。


 この皇子様は優しい先生になんて、なる気はなくて、いつも吐息を長く奪うのだ。苦しくて睨むと、見据える紫は妖しく揺れる。怖いのに、拒めない。それを彼は、きっと知っているのだ。


「ごめん、もう少し」


 あまりに苦しくて、どうにか空気を鼻から吸えた。けれど今度は、吐けなくなった。


「んんっ」


 精一杯押し返す。口から荒く息をして、顎が捕まり、まだ終わらないのだと涙目になる。唇を重ねるだけが、こんなに大変だなんて。


 いつか、ソファーの上で溺れるかもしれない。


 オルヴェールさまが、好きということ。


 それしか自分が残らなかったら、一体どうすれば良いのだろう…………だって、何もなかった。みんな捨ててしまったのに。


 生きているのが辛くて。全部どうでも良かった。彼が居なければ、もっと早くに学校だって辞めていて、おばさんにも会えなくて、彷徨(さまよ)うだけだった。


 貰ってばかりだ。


 本当なんて、思い出せない。思い出したくもない。


 それが、わたしの姿。隙間なく描き込んだ祝福に、縛られてしか生きられない。




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