02-04. 友人のようなもの
──少年とのお友だち会はこうしてはじまった。しかし意外にも、日常に取りたてて変化はなかった。
私は相変わらずクラスでは浮いた存在だった。
ただ、変なアダ名だけは、いつの間にか増えていた。「地味メガネ」とか、「動く本棚」とか、「ローエングリムの機械人形」とか。
脇目もふらず勉強ばかりしてるから、何となく無機質な印象を与えてしまうのだろう。「機械人形」はちょっと面白い。
ド地味な優等生作戦は、今のところ順調に進んでいる。
目立たず騒がず。ひたすら学業に励む。王太子とは遭遇さえしていない。成績もトップを維持している。
一つ誤算があるとすれば、屋上庭園で月二回会う事になった、あの少年だ。
あんなキラキラしい美形とか、できれば一生関わりたくなかった……
でも、より大きなトラブルを避けるために、仕方なかったと思う。
幸い、私たちの関係は誰にも知られていない。月二回程度なら、勉強の邪魔にもならない。
そのため、不本意ではあったが約束は受け入れていた。
────そして、何回目かのお友だち会の日が来た。
◇◇◇
「…………僕の母上は元騎士で、鬼みたいに強いんだ。猪を素手でぶん殴って倒すような猛者で、領地では誰も敵わない」
「そうですかー」
「逆に、父上はさっぱり荒事に向いてなくて、生粋の文官気質。何がどうなってあの二人がくっついたのか、僕ら兄弟の間でも未だに謎なんだ。
でも、あの二人はすごく仲いいんだよね」
少年はベンチの背もたれに体を預けて、とりとめのない話をしている。
猪……素手……
すごい……とは思うけど、彼の話は大抵どうでもいい事ばかりだった。教科書を読みながら、いつものように、ふんふんと適当に相槌を打つ。
「…………君、真面目に聞いてる?」
「もちろん聞いてますよ」
「嘘」
彼は手を伸ばして、私の鼻をぎゅっとつまんだ。少しふてくされた顔をする彼は、冷やかで大人びた外見に反して、中身はかなり子供っぽい。
五人兄弟の末っ子だからだろうか。一人娘の私には未知の領域である。
彼によると、兄四人は父親似で、彼だけ母親に似たらしい。
長男は跡継ぎとして領地で父親を補佐しており、次男は砦の管理監補佐。
三男は地方官吏で、すぐ上の四男は他所の貴族に婿入りしたそうだ。
末っ子五男の彼は、元騎士の母と、領地所属の騎士たちにしごかれながら、騎士の道を志したという。
ちなみにこの人の学年は、二つ上。レグルス王子と同学年だ。
王子は教養科だから、クラスは別だけど。
家族について語る彼の口調は、とても穏やかで温かい。遠くにいる彼らを大切に想ってるのが伝わってくる。
……まあ、気持ちは分かるわよ。
私の目標も、両親に長生きしてもらう事だしね。
お父様、お母様には、百歳まで生きてもらう所存だ。
とはいえ。
共感したからといって真面目に話を聞く義理はない。
きゅっと鼻をつままれた私は、鼻声で少年に抗議した。
「いたいです。手を離してください」
「ちゃんと聞けば離すけど」
「えー」
「もっと痛くしていい?」
「嘘ですちゃんと聞きます」
そう言うと、彼はやっと鼻から手を離してくれた。結構いたい。
「……別に私じゃなくても、騎士科でお友だち作って、話を聞いてもらえば良いではないですか」
じんじんする鼻をおさえて不満を口にすると、彼はため息をつき、首を振った。
「そうしたいのは山々だけど、最初で失敗するとなかなか難しいんだよ」
「モテるから僻まれてるとか?」
「そういうのともちょっと違うかな……この顔のせいで、近寄りがたいと思われてるんだ。
入学したての頃、緊張してろくに話せなかったから、クールで無口なヤツだと勘違いされたらしくて」
「それなら、イメージをぶち壊すようなひょうきんな事をしてみたらいかがですか? 鼻から牛乳を噴射するとか」
「出来なくはないけど、今さら無理」
出来るんだ。鼻から牛乳。その顔で。
私は自分で言い出しておきながら、非常に微妙な気持ちになった。
「──でしたら、あなたに夢中な女の子たちを侍らせたらいいのでは。彼女たちなら、喜んであなたの話を聞いてくれるでしょうに」
「僕はちやほやされたいわけでも、崇められたいわけでもないからね。普通にしてほしいだけ」
なんだコイツ。すっごいワガママ!
同時に、元"悪女"としては理解できない感覚だと思った。
私のようなトラウマ持ちならともかく、美形って顔で釣ってなんぼじゃないの……?
元の性格の違いなんだろうか。軽く衝撃だ。
「それなら、お嬢さま方の理想をバキバキに折ってみてはいかがでしょう。その鍛えられたケツに小枝を五本くらい挟んで折ってみるとか……」
「それも出来なくはないけど、僕の尊厳も木っ端微塵になるヤツだよね……」
こっちも出来なくはないのか。色々すごい。
「ところで君、どこでそんな下品な発想仕入れてきたの? かなり気になるんだけど」
「見聞を広めようと思って読んだ本に、丁度そういうシーンがありまして……」
「君の本選びは、かなり問題がありそうだね」
少年は呆れ顔になった。失礼な。
私の場合、ギロチン回避のために世間知らずじゃまずいと思って、ありとあらゆる知識を吸収しているだけだ。
今の提案を実行できる人間に、ヘンタイのように言われる筋合いはない。
「もうその話はおしまい。そういえば、君のご両親はどんな感じなの?」
強引に話を変えられた。
プライベートに触れるなんてなれなれしい……と思いながらも、聞かれた事には正直に答えた。
「私の両親も仲が良いですね。それと、どちらもすっごい美形です」
「…………え」
「嘘はついてないですよ」
「あぁ……うん」
彼は目を泳がせたあと、ごにょごにょと口ごもった。そりゃ、このダサい外見で親が美形とか、信じられないでしょうけど!
ジト目で睨むと、彼はふいっと目を逸らして、「それにしてもいい天気だなぁ」とわざとらしく誤魔化した。
──それにしてもこの人、ほんとに私の身分とか知らないんだろうなぁ。
さっきつままれて赤くなった鼻をさすりながら、そんな事を考える。
学院内では、親の身分はさほど重要ではない。とはいえ、私の家名を知っていたら、さすがにこんな気安い真似は出来ないはずだ。私の両親は国内でも指折りの有力貴族なのだ。
お父様に頼めば、こいつの実家に圧力をかけて、距離を置かせる事だって簡単だろう。
……でも、その方法はあまりやりたくない。
お父様を動かして、この少年に圧力をかけたら、たちまち学院で噂になってしまうかもしれない。
私は、目立つ行動を極力避けたかった。
かつてはさんざんやった権力をふりかざすやり方も、今回の人生では躊躇われた。
一度それをしてしまえば、坂道を転げ落ちるようにバッドエンドになりそうで怖い。
「……そろそろ昼休みが終わります」
「わかった。またね」
ふっと笑って立ち上がると、彼は満足そうな顔でスタスタ行ってしまった。
あの人は本当に、他愛ない話をする相手がほしかっただけなのだろう。
それ以上要求してこないし、深く詮索もしない。互いの名前すら知らない。ある意味、非常に気楽な関係だった。
そうして暫く経った頃、私は彼に、ほんの少しだけ、気を許すようになっていた。