3. 約束
「やぁ、おはよう」
「…………ひぃっ」
翌朝。
いつも通り気配を消し、空気と同化して学院の車寄せに降り立つ。
爽やかな朝。今日も頑張るぞ、と気合いを入れて校舎を見上げた。
ところが、である。
私の登校を待ち構えていたのか、あの押しの強い美少年が、いつの間にかそばに立っていた。
私は泡を吹いて倒れそうになった。
「ん? どうしたの」
周囲のどよめきを一切無視して、彼はニコニコしている。さらに、「クラスはどこ? そこまで一緒に行こう」などと親しげに話しかけてきた。
こわい。なんなのこのサイコパス。
周囲で幾つもの悲鳴が上がる。
私の背中に滝のような汗が流れていく。
そりゃそうだ。だって、とんでもない美形の騎士候補が、ド地味なビン底眼鏡のダサ女子と仲良くしてるなんてありえないから。そんな構図、一体誰が望むというのか。
登校してきた生徒たちが驚愕を浮かべて注目している。そんな中、彼の誘いを必死で固辞した。
「私、一人で教室に行きますので……さようならっ!」
そして身を翻し、走り出した。
……だが悲しいかな、私は破壊的な運動オンチだった。引き離すどころか、
「君は教養科なんだ。賢いんだね」
彼は微笑みながら余裕でついてくる。ダメだ、全然振りきれない。
ぜえぜえ息を荒げながら教室に辿り着くと、少年は「じゃあまた」と微笑んで去っていった。
それを目撃した教室のクラスメイト達も、目を丸くして唖然としていた。
だから関わりたくなかったんだって……!
彼らの視線から逃れるように、私はそっと自分の席に着いた。泣きそう。
それからというもの。
「あぁ、君か」
「今帰り?」
「おはよう、調子はどう?」
例の少年は、私を見かけるたびに声をかけてくるようになった。拒否してるのにお構いなし。そして私まで注目を浴びてしまう。
私は極力目立ちたくない。家族以外の美形なんて関わりたくもない。
これで計画が狂って、ギロチン回避に失敗したら……と思うと、恐怖でどうにかなりそうだった。
そして、屋上庭園の再会から四日目。
「やぁ、元気?」
登校した私に、またしても少年は声をかけてきた。
──元気じゃねえよこんちくしょう。
令嬢らしからぬ悪態だが、もはや平常心ではない。心の声も荒くなるというものだ。
遠くから私を目ざとく見つけ、長い足で追いついた少年の腕をガシッと掴み、校舎裏にぐいぐい引っ張っていく。
「……こちらへ。お話があります」
「うん。何?」
なんで嬉しそうなんだ。死ね。
内心悪態をつきながら、私は彼を引きずっていった。
「…………お願いです、私に付きまとうのは止めていただけませんか!?」
「どうして? 僕は君と友達になりたいだけだよ」
彼はコテンと首をかしげた。大人びた雰囲気の彼がやると、かわいらしさ倍増だ。
このギャップに一般女子はクラクラするのだろうが、元"悪女"には効かぬ。むしろ全力で殴りたい。
「あなたに話しかけられると、すっっごく悪目立ちするんですよ! 私は目立ちたくないんですッ!!」
「そっか、じゃあ目立たない場所ならいいんだね」
どうしてそうなる?
ポカンとした私とは反対に、何か思いついた少年は、「なら、こうしよう」とぽんと手を打った。
「あの屋上庭園で週三回会ってくれるなら、人前では話しかけない」
「週三回!?」
「じゃあ週一回」
「無理です、私忙しいんで!!」
「何回だったら構わないの?」
「つ、月二回……とか?」
「よし月二回にしよう」
はっと気がついた時には遅かった。完全に相手のペースに飲まれていた。
約束を取り付けた少年は、嬉しそうな笑みを浮かべている。腹が立つ。やはり全力で殴るべきだろうか。
「毎月一日と十五日の昼休みにしよう。週末や公休日に当たったらその翌日。約束だよ」
「ちょっ…………!」
一方的に言うと、こちらに反論する暇を一切与えず、彼はさっさと踵を返していなくなった。
その後ろ姿を見送って、私は呆然と立ち尽くしていた。
──宣言通り、彼は翌日からピタッと声をかけてこなくなった。
他の生徒達も、「彼の気まぐれだったんだろう」と納得したようで、こちらを見ながらひそひそ話をされる事もなくなった。平和だ。
それは、まあ良かったんだけど。
今後、あの美少年と月二回も会わなきゃいけない……と思うと胃が痛い。
約束なんて、全力でなかった事にしたい。
しかし約束を守らなかったら、またみんなの前で話しかけてくるのだろうか……
あれはもう勘弁してほしい。今の平穏な日常と、あのとんでもない悪目立ちを天秤にかけたら、圧倒的に前者が良い。
私は悩みに悩んで、結局、約束を果たす方を選んだ。
◇◇◇
というわけで、約束の日が来た。
忘れてるといいなぁ……と淡い期待を抱きながら、屋上庭園のベンチで待っていると、ふいに横の茂みがガサガサと揺れて、あの少年がひょいと顔を出した。
「ほんとにいた……!」
「ちゃんといますよ……珍獣を発見したみたいに言わないでください」
「あぁ、気を悪くしたらごめんね。君、ものすごく嫌そうだったから、来ないかもって思ってた」
少年は苦笑して、隣に腰を下ろす。私は顔をしかめて、ツンと顔をそらした。
「なら、どうして強引に誘ったんですか。婦女子の嫌がる事をするなんて、騎士の風上にも置けませんね」
「そう、それ!」
「それってなんですか」
「僕は、そういう普通の会話に飢えてて、気が狂いそうだったんだ」
彼がまた嬉しそうに笑う。するとキラキラした光の幻覚が飛び散った。
なるほど、と私は一応納得した。
彼はたしかにとんでもないレベルの美形だが、元"悪女"で美形ぞろいの家族に囲まれた私には、強力な美形耐性がある。
彼がごく普通の交流を切望していたのであれば、私に目をつけたのは正解だ。こっちはものすごい迷惑だけどね……!
彼はきっちり締めていたネクタイを緩め、ベンチの背もたれに体を預けた。
「ここ、いい場所だよね、すごく落ち着く」
「……会うのは、月二回の約束です」
「わかってる。その日以外は来ないから安心して。約束を破って、せっかく出来た友だちを失くすつもりはないしね」
彼はくすりと笑うと、「食事はした?」と聞いてきた。
「まだです」
「僕は食べてきたから、遠慮せずに食べて」
彼は、私の膝に置かれたランチボックスを指差した。私が先にこのベンチを見つけたんだ。指図するな、偉そうに、と思う。
……でも、言われてみればたしかにお腹は減っていた。さっきまで空腹を感じなかったのは、緊張していたからだろう。
「……では、お言葉に甘えて。いただきます」
私はランチボックスの蓋をパカッと開ける。そして彼のとりとめのない話に適当な相づちを打ちながら、昼食をとりはじめた。




