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九歩目

 地獄のゴミ拾いからおよそ一か月。

 その後【門】は開くことはなく、ライチはひたすらに体を痛めつけていた。

 試合のない練習は辛い。それと同様に、実戦の気配のない中での鍛錬は非常に辛い。ライチもある程度想定はしていたが、やはり辛いものは辛かった。とくに、【剛体】の鍛錬は最悪で、その性質上絶対に痛みが伴う鍛錬というものにライチは耐性がなかった。

 ソファに座ってチョコ菓子を齧る雛菊は、深々とため息を吐いた。

「どうやら完全にササハナも収まっちゃったみたいですね。あー、いつもならやっと肩の荷が下りたー、ってなるんですけど」

「今回ばかりは不都合ですね。どう話を盛ったとしても、最初の石の蛮族のところがピーク、ですっ」

「じっ……!」

 金属バットのフルスイングを腹に食らったライチが噛み締めた歯の隙間から唾を飛ばす。しかし、頭の後ろで組んだ手は離さず、中腰の姿勢を崩すこともない。

「命を救ってもらった、って盛大に脚色したらなんとかなんないかなぁ。事実だし」

「あんまり話を盛りすぎると、逆に俺たちの実力不足を指摘されかねませんからね、ちょうどいい塩梅がどの程度なの、かっ」

「んぐっ……!」

 腹部に食い込むバットの感触にライチは白目を剥く。腹が引きつり、呼吸が止まる。苦しい、痛い、苦しい、痛い。ライチの脳内はそれで一杯になり、腹を抱えて地面を転げ回りたい本能に包まれるが、それでもライチは歯を食いしばって立ち続ける。

「でも、いい加減居留守も限界なのよね。今日あたり、最後通牒が来てもおかしくない雰囲気を感じる」

「そうなったらやるしかないでしょう。まあ少しずつの成長ですが、最低限は戦えるようになってきているので、三割くらいは勝算があります、ラストっ!」

「おごぉ……!」

 ライチはその一撃を受けても気合で三秒立ち続け、その後腹を抱えて地面を転がった。

「かひゅっ……っえ……ひっ……」

「吐くならこちらに」

「おえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!」

 差し出された金属製のバケツに顔を突っ込み、ライチは胃の内容物を盛大に吐き出す。もちろん、事前に食事をするなどという愚行は初日以外犯していないため、吐き出されるのは胃液だけだ。

 雛菊はライチの背中を撫でながら、しかし平然と竜司と会話を続ける。初日こそ顔色を悪くしてずっとライチの心配をしていたが、最近はさすがに慣れてきたらしく、必要以上にライチを気遣うことはしていない。

「【剛体】の修行、進まないですね」

「まあこればっかりは数こなすしかないですから。とくに、殴られると痛い、という経験則は強力ですからね、上書きに時間がかかるのは仕方ないことです。幼少期に真っ先に【剛体】を仕込まれる理由の一つです」

「ううう、ライチさん、頑張ってください。みんなが通った道です」

 ライチはえずきながら右手だけ上げ、親指を立てる。

「俺も小学生のときに四年間くらい殴られ続けました。頑張ってください」

 ライチの親指から情けなく力が抜けた。先のことを考えて絶望的な気分になったらしかった。

 ストロー付きペットボトルに水を汲み、ライチの世話をする雛菊だったが、部屋の入口を見て動きを止めた。そこには一匹の烏が入り込んできていた。

「とりたろう」

「本家からですか?」

「どうでしょう……あっ」

 寝転がったままちゅうちゅうと水を吸うライチを尻目に、二人は顔を見合わせた。どうやら、来るべき時が来てしまったらしかった。

 雛菊はそっとライチをお姫様抱っこし、ソファに寝かせる。そして、向かい合う形で椅子に座り、竜司も横に座らせた。ライチは口の端の胃液も拭かずにされるがまま、柔らかいソファの感触を楽しむ。そんなライチを見る二人の視線はやや険しい。

「ライチさん」

「あい」

「ついに来てしまいました」

「呼び出し?」

「はい。烏経由で会合の日時を指定されました。明日の正午、本家の三番邸宅。これを無視するとさすがに怒られます」

「そうですか」

「なので、今日の修行はここまでにして、対策を練ろうと思います」

「対策?」

「竜司!」

「……はい。なんでしょうか」

「これ!」

 雛菊が自信満々に取り出したのは、一冊のノートだった。

「暗記してきましたね?」

「本気ですか」

「もちろん! 私はちゃんと下調べをしてきたんです。本家の小梅叔母様がどうやって結婚したか知ってますか?」

「あー、なんか昔酒の席で聞いたような」

「そう! 土御門の術師とのドラマチックな恋愛結婚です!」

「えっ、何それ面白そう。聞かせて聞かせて」

「ふふふ、ライチさん、この話は笑いあり涙ありの極上恋物語です。しかし、全部楽しむには二人の馴れ初めより前、叔母様の先代の生い立ちからの説明が必要ですが、それらをしていると丸一日はかかります。なので、またお時間があるときに。とかく! そんな叔母さんを説得するのに手っ取り早い方法はわかりますよね!」

「……流石にそこまで短絡的なのは」

「正解! 情熱的な恋バナです!」

 竜司は眉の皺をより深くし、ライチは目を輝かせた。

 しかし、その直後にライチは話の流れを理解した。要するに、ライチと竜司の婚約に関して、情熱的なストーリーをでっちあげようと雛菊は言っているのだと。同時に、それはちょっと難しいのではないかと渋い顔になる。

 そんなライチが視界に入っていないのか、雛菊は興奮しながら手に持ったノートを叩く。

「シナリオは私が書いてきました。お二人にはこれを暗記してもらいます」

「お嬢」

「はい、なんですか竜司君!」

「嫌です」

「却下でーす」

「雛菊、私もちょっとそういうのは苦手かも。暗記ってのも、嘘つくのも」

「えー……そうですか……」

 雛菊は見るからにしょげかえった。ライチに反対されることは想定外だったらしい。ライチが挙げた理由が反応し難いものだったのも、それに拍車をかけている。

「でも、婚約者ってのは納得してくれたんですよね」

「まあね」

「好きじゃないのに婚約者ってのも、裏がありそうで怪しまれると思うんです」

 それは苦し紛れではあったが、竜司もライチも咄嗟に反論はできなかった。

「ダーリン、金持ちだったりしない?」

「まったく。たとえ俺が富豪だったとしても、金目当てってのは心象悪いと思いますが」

「えーじゃあどうするの? ダーリンになんか魅力ある?」

「それ本人に言いますか。俺がわかるわけないでしょう。貴女だってそう言われると困るでしょう」

「私の魅力? 明るい。笑顔がチャーミング。スタイルが良い。豪快。男らしい。頼りになる」

「うわっ、自分で言ってて恥ずかしくならないんですか?」

「人に言われたことだから平気」

「うわー……」

 汚物を見る目で竜司はライチを見た。本心からその感性を理解できないようだった。

 雛菊が元気よく挙手する。

「私、ライチさんの良いところたくさん挙げられますよ! 綺麗で、優しくて、しゅっと背が高くて、頼りになって、努力家で」

「私も雛菊の良いところならたくさん挙げられる。素直で礼儀正しくて可愛くて気遣いができて可愛くて頑張り屋で」

 ライチはがばっとソファから起き上がり、両腕を広げる。雛菊はそこに飛び込み、ひしっと抱き着く。

「私もう雛菊と結婚するー」

「ライチさん、嬉しいですけど女の子同士は結婚できないんです……」

「遊んでる暇はないんじゃなかったんですか」

 本気で頭痛がしてきた竜司は、こめかみを指で押しながら低い声で言った。雛菊とライチが仲が良いのは悪いことではないが、いかんせん仲が良すぎてすぐにふざけ始めてしまう。時間がないときや危険な場所では控えてほしかった。

 雛菊はライチの膝の上から椅子の上に戻ると、咳払いを一つして真剣な表情に戻った。

「ともあれ、叔母さんからは絶対にこの質問が来ます。で、あなた方は愛し合ってますか?」

 雛菊は二人を交互に見た。内心は異なるだろうが、表情は真剣そのものだ。

 竜司は深々とため息を吐くと、ライチを一瞥し、雛菊の方に向き直った。

「もちろん、愛してます」

「ひゅっ」

 呆れた顔をして竜司はライチを睨んだ。その視線で演技だということを察したライチは、真に受けたことを恥じて頬を歪めた。

 しかし、続けて雛菊が自分を見つけてきていることに気づき、さらなる奇声を上げた。

「んにぃ? えっあっ私も?」

「もちろんです。はい、どうぞ。愛してますか?」

「あっ、あい? あ、あ、あいっ」

 雛菊も竜司も真剣な表情をして微動だにしない。ライチの言葉を待っている。ぐるぐると混乱する頭と連動してか、口から出てくる言葉は要領を得ない。

 ライチは顔を真っ赤にしながら叫んだ。

「あいし……ってこんなこっぱずかしいこと真顔で言えるかっ!」

 ライチはソファのクッションを地面に叩きつけた。

 雛菊は驚いたように両手で口元を覆い、呟く。

「ライチさん……照れてて可愛い」

「違う! 照れてるとかじゃなくて! そうじゃなくてさ……とにかく、こういうこと真顔で言える奴の神経が信じられない」

「別に大したことじゃないでしょう。本心でもあるまいし」

「かーっ、イケメンは言うこと違うね。女コマすためにこんなこと言いなれてますってかぁー?」

「下品ですよ。無駄に俺の印象悪くするのやめてください。いったいどこでそんな言葉遣い覚えてくるんですか。一応華女ってお嬢様学校なんですよね」

 ライチは腕を組んでそっぽ向いた。まずは顔の熱を冷ますのが先決だった。

 怒らせたと勘違いした雛菊がしばらく慌てていたが、続く竜司の嘆息にピタッと動きを止めた。

「しかし困りましたね。こんなことすらまともに言えないんじゃ、絶対怪しまれますよ」

「……いや! 逆にこれはいける気がしてきました!」

「正気ですか?」

「大丈夫です。恋愛に関していえば私は竜司より経験豊富なんですよ? 先輩の言うことは聞くべきです」

「まあ、お嬢がそういうなら別にいいですけど。どんな策を?」

「このまま行きます! 何もしません!」

 竜司は怪訝そうに雛菊を見たが、それ以上問い詰めることはしなかった。異を唱えることすら面倒になってきたからだ。

 雛菊はすくっと立ち上げると、両こぶしをぐっと天井に向かって突き上げた。

「ライチさん、礼服ありますか?」

「礼服? 一応、入学時に作ったような」

「制服でも大丈夫です。じゃあ明日の午前九時半にここ集合でお願いします」

「制服でいいなら、わかった」

 雛菊の自信満々な態度は不思議だったが、かといって他に名案が浮かぶわけでもない。釈然としないながらも、ライチと竜司は頷いた。

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