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Case4-11




(いつか、わたしも――)


 シャルロッテと同じにはなれない。

 それでもいつか彼女のように――レイヴンの隣に立っても、堂々としていられる女性になれたなら。

 理沙はフェリクスの手をそろそろと離すと、強張りつつも笑みを浮かべた。


「が、頑張ります!」

「うん、その意気だ。それじゃ早速、これから俺とデートを――」


 だが次の瞬間、理沙の視界からフェリクスの姿が消えた。えっ、と理沙が目を剥いていると、いつの間にかソファから立ち上がっていたレイヴンが、カップを片手に高々と靴裏を掲げている。

 そろそろと視線を落とすと、地面に突っ伏した状態でフェリクスが倒れていた。


「リサ、おかわりをいただけますか? その靴を脱いでからで構いません」

「あ、は、はい!」

「あっ! リサちゃんのカフェ? 俺もほしい!」

「泥水でもすすってろ、スカシ野郎が」

「レイヴン、お前悪口のバリエーションだけはやたらと多いよな⁉」


 すぐさま起き上がったフェリクスが、ぎりりとレイヴンの胸倉をつかんだ。一方のレイヴンはしれっとした表情でカップに口をつけている。

 その光景を見ていた理沙は、慌ただしく靴を履き替えると、元気よく立ち上がった。


「まだあるから大丈夫ですよ! すぐに淹れてきますね」

「リサちゃん……本当に健気だなあ」

「わざわざ抽出してやる必要はありません。粉のまま出しなさい」

「レイヴンお前……俺がプレゼント先制したからって、あまりに大人げなくないか? いま一体何歳だと――Aie!(痛ッ!)」


 理沙が台所に戻ろうとしていると、背後でフェリクスの短い悲鳴が聞こえる。


 徐々に戻りつつある日常。

 そして――ふとした時に甦る悲しみ。

 その二つを胸に宿し続けたまま、理沙はすぐにマキネッタをセットした。






 結局フェリクスは、しっかり三杯ほどおかわりした上で、レイヴンから追い払われるように店を後にした。

 帰り際『今度はその靴に似合うドレスを贈るよ』と謳うフェリクスに、理沙が苦笑を浮かべていると、どこかから殺気立った視線を感じた。気のせいだろうか。

 再び二人だけになった店内で、レイヴンがぼやく。


「まったく……とんだ邪魔が入りました」

「でも、美味しいって喜んでもらえてよかったです!」


 すると隣に立っていたレイヴンが、んん、と変な咳ばらいをした。風邪ですか? と理沙が振り向くと、ごほん、と改めてかしこまった様子で口元に手を当てている。


「リサ、これから少し時間がありますか?」





 外出用のコートを着込んで、二人が『トワ・エ・モア』を出た時には、空には星が輝いていた。

 大通り沿いの建物にはきらびやかな電飾が連なっており、まるで光の洪水のような道を、白い息を零しながら並んで歩く。


「こちらです」


 レイヴンに連れてこられたのは小さな教会だった。

 フランスの街中には、観光客であふれかえる大聖堂と呼ばれる建物も多かったが、ここにはそうした華美な意匠は見当たらない。どうやら地元の人が使っている場所らしく、クリスマスイブの今夜は、ミサのために訪れているようだ。

 中に入ると、キリストや聖母マリア像の下に聖櫃が置かれており、壁際には五つの燭台が並んでいた。

 身廊の最前列では、可愛らしく着飾った子どもたちによる聖歌が奏でられており、頭上にある青いステンドグラスに、荘厳な音色が吸い込まれて行く。


「これを」


 隣にいたレイヴンから、丸っこいガラスのケースに入った蝋燭を渡された。理沙が両手で包み込むようにして持っていると、列の端の方から小さな灯が移動してくる。

 隣の人から火をもらい、それを反対側の人に。やがてレイヴンの元まで灯が届くと、レイヴンは理沙の持つキャンドルに、そっと芯の部分をくっつけてくれた。

 二人の間に、ほわりとした暖かい光が宿る。


「キャンドルサービスです。これを隣の方に」


 言われるまま隣の老婦人に差し出す。なかなか火が移らずに四苦八苦していたが、なんとか小さな種火を生み出すことが出来、理沙は老婦人と二人でふふと微笑み合った。

 やがて一人ひとりの持つ幻想的な灯りの中で、神を称える讃美歌が流れる。どこか現実感のない美しい光景の中、レイヴンがぽつりとつぶやいた。


「……今まで、クリスマスのミサに来たことはありませんでした」

「え、そうなんですか?」

「はい。……私にとって、神は憎しみの対象でしかなかったので」


 理沙の胸の奥が、ぎゅっと痛む。だが滔々と語るレイヴンの表情はどこか晴れやかで――理沙はおそるおそる、レイヴンに続きを尋ねてみた。


「どうして、今年は来ようと思ったんですか?」

「……なんとなく、です。ただ、彼女が……シャルロッテが愛した『神』というものを、確かめたかったのかも、しれない……」



――Bergers, pour qui cette fête?

(羊飼いよ、汝らの喜びは誰が為か?)


――Quel est l’objet de tous ces chants?

(かの甘美なる歌は何のためか?)



「……どう、ですか。『神様』は」

「そうですね……思っていたより、怒りはないです。悲しみも、恨みも。……きっと全部あの場所に……置いて来てしまったんでしょうね」



――Quel vainqueur, quelle conquête

(いかなる者が、勝利と征服で)


――Mérite ces cris triomphants.

(かの凱歌に満ちた声に相応しいのか)



 でも、とレイヴンが微笑む。


「それ以上に――『綺麗だ』と思いました。私の矮小な感情など取るに足らないくらい、この世界には儚く、多くの光が満ちているのだと」

「レイヴン……」


 そう言ってレイヴンは理沙を振り返った。

 すると彼の片眼から突然――ぽたり、と雫が流れ落ちる。


 どうやらレイヴン自身は気づいていないらしく、驚きに目を剥く理沙にきょとんとした表情を向けていた。

 その瞬間――理沙は頭の中が真っ白になり、思わずレイヴンの顔に手を伸ばした。軽く丸めた手の、曲げた人差し指で彼の涙を拭う。


「……!」


 その時になってようやく、レイヴンは自分が泣いていたことを自覚したようで、困惑を隠すようにわずかに唇を開いた。

 だが理沙の手を振り払うことはせず、まるで子どものようにおとなしく顔を委ねている。あまりに珍しいレイヴンの姿を前に、理沙はこくりと息を吞んだ。


「レイヴン」

「……」

「あたしはシャルロッテさんじゃないし、彼女みたいに綺麗でも、勇敢でもないけれど……これからも傍にいます」

「……はい」

「で、出来ることはあんまりないですけど……買い物も掃除も何でもするし、愚痴があれば聞きます。悲しかったら泣いてもいいし、コーヒーだって、いくらだって淹れます……と、とにかく、レイヴンの隣にいつだって、いますから」


 好きです、とは言えなかった。

 でも今のレイヴンには、ふっと消えてしまいそうな脆さがあって、理沙はそれがたまらなく怖かった。

 それから、それから……と徐々に涙目になっていく理沙を見つめながら、レイヴンはゆっくりと目を細める。


「――ありがとう、ございます」


 その笑顔は、理沙が初めて見る切ないものだった。



――Fassent retenir les airs. Gloria in excelsis Deo.

(天の歌が終わることなく続くように いと高き処、神に栄光あれ)




 

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