表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/45

Case4-9



「結局のところ、私はずっと逃げていたのです。彼女の死を受け止めることが出来ずに……。でもあなたが、私の背中を押してくれた」

「あたしが、ですか?」

「他ならぬあなたが、この『悲恋』を変えろと言ってくれた。あの瞬間私は……これこそが彼女の最後の望みなのだと確信しました」

「そんな……あたしはただ、このままじゃいけないって思った、だけで……」


 理沙は俯き、膝に置いていた両手を強く握りしめた。

 するとレイヴンは先ほど持っていた紙袋から、一抱えはある白い箱を取り出し、テーブルの上に置いた。

 箱の中央には、フランスで一流の化粧品ブランドのロゴが印刷されている。理沙が視線を上げると、レイヴンが開けるように促した。


「……?」


 有無を言わさぬレイヴンの迫力に、理沙はそうっと箱を持ち上げる。その中には黒一色に統一された化粧品の一式が、隙間なくずらりと並んでいた。

 下地、ファンデーション、コンシーラー。

 アイメイクのパレットは三十色をゆうに越えており、マスカラやアイブロウも様々な色合いが用意されている。

 口紅は色の見えるパッケージになっており、深紅からオレンジ、ピンク、紫と見事なグラデーションを描いていた。


 理沙が使っている化粧品もそこそこの値段だが、今目の前にあるものとは比べものにならない。おそらくグロス一つとっても、数倍の価格はくだらないだろう。

 ちかちかと目がくらむような高級品を前に、理沙は少しだけ胸をときめかせる。やがてその化粧品のどれもに『Toi et Moi』の刻印があることに気がついた。

 やがてレイヴンが、さらりと口にする。


「あなたに差し上げます」

「へ?」

「私からのお礼ということで」


 突然のことに理沙は一瞬理解が出来なかった。

 だがようやくかみ砕いたところで、洗われた直後の犬のように激しく首を振る。


「む、無理です!」

「無理?」

「こ、ここ、こんな立派なもの、いただけないです……」


 するとレイヴンはわずかに微苦笑を滲ませた後、では、と続ける。


「こうしましょう。あなたを――『Toi et Moi』の正式な従業員として雇い入れる。その契約金代わりとして、これをお渡しする。それならよろしいですか?」

「契約……え、あの、雇い入れるって、いったい……」

「言葉通り、あなたを長期的に雇用したいのです」


 当初の予定では、理沙の雇用契約は「新しい化粧品が揃うまで」だったはずだ。その化粧品は今まさに目の前で完成を披露しているわけで――と理沙はさらに惑乱する。

 状況に追い付いていない理沙を気遣ってか、レイヴンは笑顔で口を開いた。


「今回のことで気づいたのですが、一人では着られない衣装の場合、女性アシスタントの存在があった方がいいと思いまして」

「……ア、アシスタント?」

「男の私に、肌を見られたくないという女性もいるでしょう。今まではあまりそうしたケースには巡り合いませんでしたが、今後同じようなことがないとも限らない」

「は、はあ」

「それにあなたが化粧を施している時間を使って、私は衣装を仕立てることが出来る。俗にいう『効率化』というやつです」

「こうりつか」


 生まれたての雛鳥のように同じ言葉を繰り返す理沙に、レイヴンはふふと笑みを零した。その笑い方はいつものレイヴンのもので――理沙は少しだけ安堵を滲ませる。


「ただし、しばらくは『裏稼業』でのみです。店でのメイクは変わらず私がいたします。あなたに任せるのは、今通っている学校を卒業してからということで」

「は、はい!」


 勢いにまかせて返事をしたものの、理沙はあれと瞬いた。学校を卒業したら店でのメイクも担当させてもらえる。

 ということはつまり――学校を出た後もこの店で働いていい、ということだろうか。

 でも、と理沙はこわごわとレイヴンに尋ねる。


「あの、本当に良いんですか? レイヴンの言う通り、私はまだプロではなくて……」

「たしかに資格や経歴上の話をすれば、あなたはまだプロとは言えません。ですが女性たちのことをしっかりと受け止め、彼女たちが必要としているメイクを施した。私はそれをずっと傍で見てきた。そのうえであなたの技術が必要だと判断します」

「……っ」


 レイヴンのその言葉に、理沙は思わず顔を伏せた。耳の端まで赤くなっていくような感覚に、たまらず唇を噛みしめる。


(ど、どうしよう、ずっと見ていてくれた、なんて)


 嬉しい。たまらなく嬉しい。

 仕事を認めてもらえたことも。レイヴンが理沙を気にしてくれていたことも。


 理沙は目の端に、うっすら涙が溜まってきたことに気づき、慌てて何度も瞬いた。そんな理沙の感激を知ってか知らずか、レイヴンは穏やかに問い返す。


「それで、お話は受けていただけるのですか?」

「あ、あの、えっと」


 理沙はたまらず、ソファから立ち上がった。正面のレイヴンに向けて、深く頭を下げる。


「あの、――よ、よろしくお願いします!」


 腰をしっかりと折り曲げたまま、理沙はぎゅうっと目を閉じた。しばらくその体勢のまま硬直していると、ぎしりというソファの軋みの後、ぽんと理沙の頭にレイヴンの手が乗せられる。そのまま何度かよしよしと理沙の頭を撫でた後、さっさと離れていくレイヴンの足音が耳に入った。


「……?」


 恐る恐る顔を上げた理沙は、現実かを確かめるように自身の頭に手を乗せる。そのまましばしきょとんとしていると、呆れたような声でレイヴンが顔を覗かせた。


「何をぼさっとしているんですか。明日には店を開けますから――」

「はい! 掃除ですね!」


 食い気味に返ってきた理沙の言葉に、レイヴンは苦笑する。理沙は得意げに腕まくりすると、表の掃き掃除をするべく、嬉しそうに店外へと飛び出していった。




 そして迎えたクリスマスイブ。

 理沙の通う美容学校は明日から冬季休校に入るため、クラスメイトたちに会うのはしばらく時間が空いてからとなる。

 休暇中の課題や始業時の注意事項などの説明を受けた後、ようやく講師が退席した。すると前の席に座っていたクロエが、勢いよく振り返る。


「リサ! Présent!」

「わあっ、あ、ありがとう!」


 突然差し出されたプレゼントを受け取ると、理沙はわくわくと紐解いた。中には蛍光色の生地をつぎはぎしたような、ファンキーなテディベアが入っており、クロエらしいと理沙は改めてお礼を言う。

 実は、と理沙もまたリュックから包みを取り出した。


『Moi aussi.(あたしからも)』

『Je suis ravi!(わーい! 嬉しー!)』


 満面の笑みを浮かべるクロエになごみつつ、理沙はリュックからもう一つプレゼントを取り出した。

 隣の席で寝息を立てている王子様の肩を、とんとんと叩く。


『Gérald, Tiens.(ジェラルド、これ)』

『……quoi?(何?)』

「ええっと、『la dernière fois,(この前の)merci.(お礼)』……」


 何とか組み合わせた理沙のフランス語に、ジェラルドは眉を寄せていた。だが理沙が差し出した包みをさっと受け取ると、短く『merci.』とだけ返す。受け取ってもらえた、と理沙はほっと胸を撫で下ろした。

 さっそく理沙のプレゼントを開け、中に入っていた原色のキャンディを頬張っていたクロエが、それを見て「アレ?」と首を傾げる。


『la dernière fois?(こないだのは?)』

「あ、ええと、その、……『J'hésite à y aller.(行くべきか迷っていて)』……」


 途端に口ごもる理沙を前に、クロエはにやりと口角を上げた。


「アキラメタラ、ソコデシアイシュウリョウデスヨ!」

「へ⁉ な、なんでそれを」

『Bon courage!(がんばって!)』


 高らかに拳を握り上げたクロエは、ひらひらと手のひらを理沙の方に示した。つられて理沙が手をあげると、バシン、と力いっぱい手のひら同士を叩き合わせる。あまりに強さにじんじんとした痛みが伝わり、理沙は目を見開いた。

 満足げに教室を後にするクロエを見送った後、理沙はやや赤くなった手のひらを見つめ、そのままぎゅっと握りしめた。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よければこちらの作品もお願いします!

ゴリラの神から加護されたお嬢様の気持ち考えたことある??【完結済】

さまざまな動物神の加護を得られる世界で、戦闘系最強SSR「ゴリラの神」を引き当ててしまった⁉
戦いが嫌いな女の子が、何故か所属することとなってしまった騎士団で、力業でなんとかする物語。


― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ