代償
母は魔人の胸に手を置き、薄青いオーラをその身に纏う。そして、自身の背後へ、もう片方の手を廻した。すると、その手の指先に小さな魔力球が現れる。
長いような短いような、時間の間隔がよく分からなくなるような空気の中、母の頬をツウッと汗が流れ、滴り落ちる。
やがて、魔人の胸に置いた手から、黒に近い焦げ茶色の魔力が、吸い出されるようにして少しずつ母の薄青いオーラの上を伝っていく。
母の背後に出した、手の先の半透明な小さな魔力球へ、焦げ茶色の魔力が混ざり始めた。それは徐々に大きくなり、ある程度、大きくなったところで母は魔人の胸から手を離す。
すると、もがいていた魔人は大人しくなった。母は胸に置いていた手を移動させ、魔人の目の前で指を一本立てる。
「指が何本立っているか分かる?」
「アガ、ウゴゴゴ……」
「そう、魔獣化が進んでしまって、うまく喋れないのね?」
「ウガ……」
母は、俺が魔人の頭を押さえている腕をポンポンと軽く叩いた。俺は魔人の頭から手を離す。
「今から、幾つか質問するわ。肯定なら首肯で、否定なら首を振りなさい。答えたくない問いには反応しなくてもいいわよ? その前に、貴方の状況を説明しておきましょうか?」
母の問いに、魔人は頷いた。
「貴方の身体に流れていた、異質の魔力。恐らく、魔獣化するためであろう魔力を、ある程度、取り除いたわ。今、貴方の身体は、昔の人だった頃の魔力が少しだけ、魔獣化を促す魔力を上回っている状態よ。ただし、その魔力も、やがては魔獣化する為の要因に取り込まれる。貴方は人だった頃の記憶も無くし、本当の魔獣として、暴れ回るだけの存在となり果てるでしょう」
魔人は真っ黒になった目を大きく見開いた後、静かに頷いた。それから、母が改めて質問を始める。
幾つかの質問で分かったのは、やはり、この魔人は魔物調査の部隊に加わっていた。人に戻る為の薬品は、その部隊にいた誰かが部隊を単独で離れ、何処かから調達してきていたらしい。
流石に名前は分からなかったし、この魔人は部隊が魔物に襲われた時、逃げ出したのでソイツの生死を知らなかった。
確か、あの時、俺達の見つけた魔人の死体は全部で八体。魔物を調査していた部隊は、全員で十二人いたそうだ。
なので、もしかすると、あと数人は生き残っているのかもしれない。俺達が死体を見逃した可能性もあるが、あの勘の鋭い祖父が指示を出していたのだ。生き残っていると考えておいた方がいいだろう。
コイツは元々、王都で犯罪組織に所属していたそうだ。そして、灰色のローブを着た人物が組織に接触してきて、その犯罪組織はソイツから魔獣化する能力を手に入れた。
俺が聞いた通り、あの薬は魔獣化から元の姿に戻るためのもので、魔獣化する為には別の何かが必要らしい。
「それって、一口で飲み込める様なすごく小さなものか?」
俺の問いに魔人は頷く。
初めて魔人と対峙した時、あの元騎士だとかいう男はポケットから何かを取り出し、そのまま飲み込んだ。あれが、魔獣化を促す物だったのかもしれない。
どんな形状だったのかは、手で隠れていたので分からない。一口で飲み込めるほど小さく、隠し持つには、こっそり人から人へ渡すのには、うってつけなのだろう。
王城の“断罪の間”で偽ヘンドリックは、拘束された状態で魔獣化していた。奴等はその気になれば、いつでも魔獣化できるのだ……
生け捕りなんて考えるのは、無謀なのかもしれない。
それからも、俺達は質問をしようとするが、魔人は意識を失ってしまった。俺達との戦闘や、魔獣化に抵抗するため疲労を抱え込んでいただろうし、効率の悪い、肯定と否定でしか情報を得られず、時間が掛かったせいでもあるだろう。
それ以上の有効な情報は得られなかった。
母は立ち上がると、焦げ茶色になった魔力球を霧散させる。
「エリー、レオ、ここは私に任せて、貴方たちは邸へ帰りなさい」
「え? お母様、一人で大丈夫ですか?」
「エリーに気遣われる程、年老いたつもりはないわよ?」
母が眉をしかめ、姉を睨む。
「いえ、お母様が、この程度の魔人如きに手こずるとは思っていませんよ。食事とか着替えの手間はどうします?」
「ああ、そういう……そうねぇ、ディートを起こして、ここへ来るよう伝えてくれる? それと、手が空いている魔獣討伐隊の一部を寄越すよう、ベルノルトに……」
「魔獣討伐隊へは、私が警備隊を使って連絡させておきます。他に何か入用の物は?」
「特にないわ。こんな時、お父様がいないのは、ある意味幸運だったわね。お父様なら、情報を得る前に殺めてしまいそうだもの」
そういって、母は少しだけ笑った。
俺と姉が地下牢を出ると、ネーポムク達が待ち構えていた。
「エリー様、レオン様、フロレンティア様はなんと?」
「取り敢えずは、お母様に任せておけばいいわ。ネーポムク、誰か人をやって、魔獣討伐隊の一部隊をここへ呼び出しなさい。私とレオはお父様を呼んでくるわ」
「はい、では、誰か供の者を……」
「結構よ、私たちに人を割くより、ここの警戒を強めなさい。魔人があの一人だとは思わないことよ」
「なっ!? ま、まだ、魔獣化する者がどこかに潜んでいると……!?」
もしかすると、生き残った魔人が、領都の何処かに潜んでいるのかもしれないが……
姉は気を緩めない様に、と注意を促しただけで、恐らく、もう魔人はいないだろう。アイツは組織を抜けたと言っていたし、連絡を取り合うような仲間がいるのなら、俺達と魔人の交戦中に手を出してきた筈だ。
ネーポムクが一人の警備隊員に指示を出すと、彼はどこかへ駆けて行った。それを見送った後、ネーポムクに話しかける。
「ネーポムク、あの長い髪の子供は?」
「今は、医務室で寝かせています」
「なら、今のうちに拘束しておいて。そういう魔導具があるんでしょ?」
「え、ええ、しかし、ただの子供の様ですが……? 医務室にも隊員は付き添わせておりますし、拘束具を使うまでもないかと……」
「あの子を甘く見てると、痛い目に遭うかもしれないよ? 今回の事件、あの子が主犯であり、実行犯なんだから」
「ま、まさか、あんな子供がですか?」
「うん、どういう魔術か分からないけど、店の正面玄関から鍵を開けて、店内に入り込んでいたから……」
俺がネーポムクとやり取りしていると、姉が割って入ってくる。
「あぁ、ネーポムク、魔導具じゃなくて、丈夫な縄とか、革製の頑丈なベルトとかで縛っておきなさい。あの子、金属を変形させる、魔術の出来損ないみたいなのを使うわよ? 下手すると、拘束具から抜けられてしまうかもしれないわ」
「へ?」
「そ、そうなのですか? わ、分かりました、取り急ぎ準備します」
ネーポムクは周りの部下達に指示を出し始めた。慌ただしく、動き始めた警備隊を残し、俺と姉は詰所を出る。
すると、丁度そこに、あの小太りの捜査課長が馬車から降りてくるところだった。寝起きで急いでいたのか、金髪はボサボサで、服装も少し乱れている。
彼は俺達に気付くと、歩み寄ってきて敬礼してきた。
「こ、この度は魔獣化する者を取り押さえたそうで、御助力感謝いたします。この後、私がお二人に協力できることはあるでしょうか?」
「いいえ、特にないわ。課長も大変ね? こんな時間に叩き起こされたのでしょう? ま、貴方のおかげで、私たちは犯人を捕まえることが出来たのよ」
「ハッ、……えと、どういうことでしょうか?」
「貴方が犯行予測した場所に、警備隊を集めていたでしょう? 私とレオは、その穴埋めをするような位置で待機していたのよ。捕まえたのは私たちだけど、課長は見事、犯人を誘導していたともいえるわ。だから、誇ってもいいわよ?」
「い、いえ、自分たちで捕らえられなかったのは、汚点でしょう。これからも、より一層の精進をしなければなりません」
この人、意外と真面目なんだな。あの補佐の女性の方が優秀なのに、年功序列で課長になったのかと思っていたけど、それだけではないようだ。
「そう? これからがもっと大変でしょうけど、頑張ってね」
姉は課長へ労いの言葉を掛けると、彼の出たお腹をポンと軽く叩いた。
「はぁ……?」
課長は姉の言葉の意味が、よく分からなかったようだ。当然か……彼は俺達が壊した領都の様子をまだ知らない。
朝になれば、領民からの問い合わせが殺到するだろう。課長はその対応に追われる筈だ。
俺達は警備隊員から送りましょう、と馬車へ案内されたのを断り、歩いて邸へ向かう。彼にも警備隊に詰めておくようにと告げ、別れたのだった。
人の姿がチラホラ見え始めた領都を歩きながら、俺は姉に問い掛ける。
「姉さん、あの黄金の鳥で飛んで帰れば、早いんじゃないの?」
「バカ言わないで。あれ、すっごく疲れるのよ。マグダレーネの言ってた、“理力”を大量に消耗するから。そういうのなら、レオがバイクを用意しなさいよ」
「あれ、母さんを乗せる前に怒られたんだ。具現化魔術はとっておきの手段にしなさいって。バイクくらい見られても大丈夫かな? ってちょっと思ったんだけどね」
「ふぅん、ま、何とも言えないわね。そのバイクがなければ、馬や馬車を用意する手間がかかったでしょうし、お母様が全力の身体強化で詰所にまで向かえば、疲労を抱えたまま魔人に臨むことになるでしょうし……レオも見たでしょ? お母様が魔人から魔力を吸い出すところ。あれって相当の集中力が要る筈よ」
「うん、あれって姉さんでも、まだ出来ないの?」
「ええ、あんなの初めて見たわ。恐らく、本来は開発中の魔導具辺りに利用するものじゃないのかしら? 魔力を抜いたり補填したりして、魔紋を調整するのだと思うわ。あれこそは、魔力操作の一つの頂点なのでしょうね」
「へぇ……どう? 姉さんなら出来そう?」
「どうかしらね? お母様は魔人の中にある、魔獣へと変化を促す魔力だけを抜き取ったでしょう? そもそも、魔力の扱いを知らない、洗礼前の子供ならいざ知らず、魔人から魔力を抜き取ったのよ? レオが、洗礼式の魔力水晶を誤魔化すために抵抗してみせたように、魔力を吸い出そうとする力には抵抗があったはず。更に魔力の繊細な扱いはもちろん、それ以前に、微細な魔力のより分けっていうのかしら? 混ざっていた人と魔獣の魔力を、より分けたのよ? 何をどうすれば、そんな魔力感知、魔力制御ができるのか、想像もつかないわ……」
「でも、母さんの元で修業していれば、いずれ出来るようになるんじゃない?」
「そうかしらね? 今までは、如何に疲れずに威力のある魔術を使うかって考えていたけれど、まだまだ奥が深いわ……」
祖父の言っていた、母が魔術の扱いに長けているというのは、さっきのでよく分かった。敵を打ち倒すための魔術だけではなく、色々な利用方法があるのだなぁ。
母が俺には出来ないかもしれない、と言っていたのは、正しい魔術訓練が関係してくるのだろう。
「しかし、ギフテッドって連中はよく考えたわね」
「え?」
「人の心の弱いところを上手く突いているわ。魔獣としての能力を安易に持たせ、いざとなれば、人に戻るための薬をチラつかせて、言うことを聞かせるのよ? 逆らえば、あの魔人の様になってしまうってことでしょ? ロクなものじゃないわ」
姉の言葉に、王都の劇場でこっそり聞いた、魔人が人をかどわかしていたのを思い出す。薬を飲んでいた様子は無かったが、俺が着く前に飲んだのか、使い捨てのつもりだったのかは分からない。
「王都の犯罪組織ばかり魔獣化させるのは、やっぱり、魔獣をよく知らないからなのかな?」
「それもあるでしょうし、騎士団に対抗するために魔獣化は便利なんでしょう。代償も払わず、強力な能力を手に入れたと思っていたら、それが罠になっているのだからね。用意周到というか、狡猾というか……アイツ等が、私や才覚者を攫おうとしていたのも、あの薬を利用して、言うことを聞かせる手段があったからなのでしょうね」
「成る程……そういえば、魔獣化じゃ無いけどさ、俺も姉さんも大した代償なしに、特異能力をもらったけど、使っていて大丈夫なのかな?」
「え? アンタ、不思議な存在と契約したんじゃないの?」
「契約?」
「ええ、私は神と名乗る者から契約を持ち掛けられて、了承したのだけれど?」
「……どんな契約だったの?」
「契約内容を詳しく話すつもりは無いわ。マグダレーネもそうだったでしょ? 私は膨大な魔力をもらう代わりに――って契約よ。アンタは?」
「それって、この世界に転生する代わりにって条件だけじゃなく?」
「そうだけど?」
「う~ん……」
そんな条件あっただろうか? もう何年も前の事なので、よく思い出せないな……確か、転生する代わりに前世の家族への加護と、具現化魔術を使うためのスマホを貰ったんだよな……
「どうせ、レオのことだから、変身ヒーローになれるって聞いて、浮かれていたんでしょ? それで話をよく聞いてなかったのに違いないわ」
「うっ……そうかもしれない」
「ったく、レオは典型的な詐欺に遭うタイプね。大きな買い物をするときは、私やお母様に相談すること。いいわね?」
「へーい……」
大きな買い物なんて、そうそうする事はないだろうが、一応、姉の言葉に頷いておいた。
そうして、領都から出て、明るくなり始めた、邸へと続く道を姉と二人で歩く。
この数日間、通い慣れた道だが、時間帯が違うからだろうか? 不思議と移動する人や馬の姿が見当たらない。
「今朝はなんだか、この世界に、二人だけ取り残されたみたいだね」
「フフ、そういえば、前世でそんな歌があったわね」
姉が俺の知らない、その前世の歌とやらを口ずさみながら、朝焼けの中を邸へと帰っていくのだった。




