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ペット  作者: 平野 滾
2/2

前回の続きです。


 昨日も今日もそして明日も、僕のすることは変わらない。ただベンチの上に居続けるだけだ。通学ラッシュの中で、一人の女子高生が歩いて行ったが、僕はきっと彼女よりも賢い。彼女は毎日、この駅前をスマホと向き合って通る。何が楽しいのかは分からないが、周囲の非難する目に気づくようすもない。だからそのことに気が付いている分、僕の方が彼女よりも賢い。

 スマホを片手に持った高校生たちは、僕を指さしはするけれど、決して拾おうとはしてくれない。指さして、僕のことを一言か二言、とりあえず口にして笑ってそれで終わり。僕は一時だけの話の種にされる。しかし、次の会話の途中に僕はきっと忘れられて、彼らは思いだすこともしない。僕の気も知らない癖に。

 昨日と同じようにまた今日も陽が傾き、家に帰ろうとする人たちで目の前のスクランブル交差点がにぎわい始めた時、誰かがとなりに座った。

 学生かと最初は思ったが、服装が違った。折れ目のしっかりと入ったスーツに身を包んでいる。会社勤めの社会人だ。社会人は何も言わず、交差点の奥に続く中央商店街を眺めている。

 僕は横からのちょっとした風にあおられて、ベンチの上に横になった。ボーっとしていた社会人は驚いたような顔で僕のことを見つめたが、声をかけてくることはなく、また商店街を見る。

 風が少し強くなってきたみたいだ。後ろから、カラカラと淡く響くような音がしたので、ベンチの木材の隙間から見てみると、棚に刺さったたくさんのカギが風に吹かれて揺れていた。あの棚を僕は知っている。通行人が、お金を払って品物を置いていく、不思議な棚だ。普通はお金を払った人が商品を持っていくものだと思うけれど。

やはり不思議な棚だ。

 はあ、と深く、隣に座った社会人がため息を漏らした。何か困りごとがあるらしい。

「今日も、飲み会かあ」

『のみかい』という言葉を僕はこの時初めて聞いた。学生の口からは聞いたことのない言葉だった。その『のみかい』とやらはいやなもののようで、憂鬱そうに社会人は話す。

「こんなに毎日飲み会をしなくたっていいと思うんだけどなあ。職場を去る先輩がいるって言われても、今生の別れというわけでもないし、今は連絡だって簡単に取れるのになあ。しょうがない。きっと飲み会の口実が欲しいだけなんだよな」

 しょうがない、しょうがない、と社会人は何度も口にしながら、よし、と心を決めたように勢いよく立ちあがって、スクランブルの人ゴミの中に消えていった。

 風が強くなる。一度風が吹く度に、僕の体は揺れた。カギが音を立てている。僕の風上に座って、僕に吹きつける強風を防いでくれたのは、学生だった。僕は彼が来るのを心待ちにしていた。眼鏡の奥の目で、今日もスクランブル交差点を眺めながら、学生は寒そうに体を震わせる。

「まったく、天気っていうやつはどうにもならない。天気予報が当たらないのは、すべての条件を考慮に入れられないからだ。気象予報士の見逃しが多いから、間違った予報に全国民が振り回されるんだ。もしデータをそろえて、すべての条件を考慮に入れたのなら天気予報が間違える、なんてことはない。映画の中では三十年後の未来には今の理想が実現していて、あり得ないあんなことやこんなこともできるようになっている、なんてのがよくあるけれど、あくまでフィクションの話だ。三十年後なんてすぐそこにあるんだ。きっと三十年後にだって、天気予報ははずれるだろうし、車が空を飛ぶこともない。環境汚染だって、おさまりはしないだろう。ゴミの不法投棄の問題だって解決されない。結局は、未来に物事を大小関係なく先送りにして、解決に近づいた気分になっているだけだ。明日は永遠に来ることはなく、今日は今日でしかない。人生は後ろ向きにしか振り返ることができないが、前向きにしか生きることができない、という言葉は名言だ。できれば、生きることさえままならないのが人間である、と付け加えてほしいけれど」

 学生服と『ぶれざー』に差はない。片方はスマホ、スマホ、スマホ。もう片方は進路、進路、進路だ。駅前のここで会話をする高校生たちを見ていればよくわかる。しかし、この学生は違うと思った。学生はスマホとも進路とも言わない。周りの高校生たちとはどこか違う。何より、僕はこの学生から他の誰からよりもきっと多くのことを学ぶ。これからも、きっと。いや、学生の言葉に従って、これから先の『きょう』もきっと。

 学生は立ち上がって、駅の改札の中に消えていった。


 この春一番でしょう、と報道された強風が捨てられた空のペットボトルを巻き上げて、駅の屋根を飛び越えさせた。


ありがとうございました。

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