29/枯木の王と旅路の行方
ドラグノート防衛戦から数日後。
ドラグノート議会は今回の一連の事件を「ドラグノート大規模襲撃事件」と命名し、特別調査委員会を発足させた。
しかし、議会によって選抜された調査委員たちがレクセン島に上陸したとき、そこに広がっていたあまりにも凄惨な光景に耐えきれず、調査委員を辞する者が後を絶たなかった。
ドラグノート議会は女王ティアリス・ヴァナディースの助言を受け、“枯木の王”コノハ・ガーデナーへ調査委員会への特別顧問としての参加と、レクセン島の調査任務を正式に依頼。
彼は議会からの依頼を快く引き受け、仲間たちと共に数名の調査委員を護衛する形でレクセン島へ上陸し、調査を開始した。
後日、特別調査委員会から提出された調査報告書によると、今回の事件における要点は以下の通りであった。
――一つ、今回の事件は何者かによる死霊魔術によって蘇生させられた古竜族が、判断能力を奪われた状態で、意図的にドラグノートへと差し向けられた可能性が極めて高いこと。
――二つ、レクセン島に残された魔力の残滓から、古竜族の蘇生を行った術者は単独であったと推測される。しかし、術者の背後に組織や敵対勢力が存在している可能性は否定できない。
――三つ、襲撃に使用された古竜族は判断力を奪われ、統率された軍事行動を取っていた形跡も認められない。このことから、今回の襲撃は都市の占領や軍事拠点の制圧などを目的としたものではなく、ドラグノートの住民と社会に混乱を引き起こすことを主眼とした犯行であった可能性が高いこと。
――四つ、今回のような大規模な死霊魔術の行使は、魔族の歴史を遡っても類を見ない。そのため、既存の知識や防衛体制をもって、事前に襲撃を予測し、防ぐことは極めて困難であったと考えられること。
しかし、これら以上に議会を戦慄させたのは、調査報告書の最後の一文であった。
『――なお、今回のレクセン島における調査任務において、生存者の存在は一切確認されなかった』
◆
「――あの竜族の種子はレクセン島の海岸線にある、ドラグノートを眺められる丘に撒いてきたよ」
「……そうか。手間をかけたな」
コノハとティアリスが酒杯を合わせる。
ドラグノート議会での調査報告を終えた日の夜、コノハとシルヴァリエルはティアリスに誘われて、彼女が住む後宮のテラスで酒を酌み交わしていた。
「今回の件は“死界樹の種子”絡みではなかったか」
「ああ、レクセン島に残ってたのは死霊魔術特有の昏い魔力の残滓だけだった。俺が知ってる“死界樹の種子”の反応はなかったよ」
酒杯を傾けてコノハはシルヴァリエルの質問に答えた。
「ですがあれだけの規模の死霊魔術です。なんらかの魔術的な支援があったのではないでしょうか?」
シルヴァリエルはコノハの酒杯に中身を注ぎ足しながら言った。
「その可能性は否定できない。だけど儀式魔術が行われた痕跡がなかったんだよなあ……。あれだけの数を操るのは、通常の死霊魔術じゃ不可能なはずなんだけど」
「おぬしにも予想がつかん相手か……。厄介だな」
ティアリスが酒杯をあおると、すぐさまシルヴァリエルが空いた酒杯に中身を注いだ。
「これ、シルヴァリエルよ。なに注ぎ回っとるんだ。おぬしも飲まんか」
「――いえ、我が王と陛下の御前ですので」
シルヴァリエルは珍しく酒杯に少し口をつけただけで、自らのグラスを一度も空にしていなかった。
「なんだ、おぬしあまり飲まん口か?」
「……いや、シルヴァリエルは底なしだぞ。たぶん俺たちの中で一番強い」
コノハはなにかを思い出したかのように口元に笑みを浮かべた。
「我が王!」
「それをはよ言わんか阿呆! すまんの~、こんな小さな瓶ではなく、樽で持ってくるべきだったな」
「いえ、とんでもございません、陛下。私にはこちらで十分でございます」
シルヴァリエルはこれも珍しく頬を染めて、ティアリスの言葉を丁重に断った。
「……のう、シルヴァリエルよ。その“陛下”というのはやめてくれんか? もう私たちは同じ戦場を共にした戦友であろう?」
ティアリスのその言葉を聞いて、コノハは自分がシルヴァリエルと繰り広げたやりとりを思い出して破顔した。
「あっはっは! シルヴァリエル、ティアリス女王陛下からのお願いだぞ!」
「もう! おやめください、我が王!」
「なんだ、なにを笑うとる」
シルヴァリエルは耳まで真っ赤に染まり、ティアリスはそんなふたりのやりとりを、不思議そうに眺めていた。
「……それでは恐れながら、ティアリスさま、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「“さま”もいらん。普通に“ティアリス”と呼べばよい」
どこかで見た覚えのあるやりとりに、コノハは笑いをこらえるので精いっぱいだった。
シルヴァリエルはそんなコノハをちらりと横目で見ると、諦めたように小さくため息をついた。
「――では、ティアリス、と」
「うむ。よろしゅう頼むぞ、シルヴァリエル」
ティアリスは満足げに微笑むと、再び酒杯をあおった。
「――して、今後はどうするつもりだ?」
女王はシルヴァリエルから酒瓶を奪い取ると、自らの酒杯に注ぎながら言った。
「正直に言うと、決めかねてる。なんの手がかりもなしで探すには、魔界も人間界も広すぎる」
コノハは酒杯をテーブルに置くと、腕を組んで夜空を眺めた。
紅く染まった月が、暗闇の中にぽっかりと浮かんでいる。
「――だけど今回の死霊魔術について、ネルスから意見を聞きたいとは思ってる」
「……ネルス?」
聞き慣れない名前にシルヴァリエルが首をかしげる。
彼女の疑問を察したティアリスは真剣な顔で言った。
「こやつと私の子だ」
「我が王にお子さまがいらっしゃったのですか!?」
驚きのあまり椅子を倒して勢いよく立ち上がるシルヴァリエル。
その様子を見てティアリスはテーブルを叩いて大笑いした。
「……ティアリス、純粋なシルヴァリエルをからかうのはやめろ」
「あっはっは! す、すまんの……ひっひっひ」
ティアリスの冗談を真に受けて取り乱してしまったことに気づき、シルヴァリエルは自らの顔を両手で覆ってその場に座り込んだ。
「…………森に帰る」
「ほらぁ! シルヴァリエルがすねちゃったじゃないか!」
「あっはっはっは! し、シルヴァリエルは愛いやつよのう……ひっひっひ」
コノハは椅子から立ち上がると、シルヴァリエルが倒してしまった椅子を直した。そして、座り込んでしまった彼女を子供をあやすように抱き起こし、再び椅子に座らせた。
「ごめんな、シルヴァリエル。こいつは本当にこういうやつなんだよ……。もう『陛下』とか呼んじゃダメだぞ? そういうのはもっとちゃんとした人に使うべき言葉だ」
「おい、聞こえとるぞ」
「聞こえるように言ってんだよ」
コノハの文句もどこ吹く風だと言うように、ティアリスは声を上げて笑った。
「なんの話をしてたんだっけ……? ――そっか、ネルスか。ネルスはなあ、俺の知る中で一番の魔術師なんだ。たぶん魔界と人間界の歴史を含めても最高位じゃないかな」
コノハは未だに両手で顔を覆っているシルヴァリエルの肩を、やさしく叩きながら言った。
「……そんな御方がいらっしゃるのですか?」
シルヴァリエルがようやく顔を上げてコノハに視線を向ける。
まだほんのりと頬が紅い。
「ああ、俺なんかよりよっぽどすごい。それこそ『魔王』って言葉はあいつにこそ相応しい……っていうか、本物の魔王の血族だから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど」
「本物の魔王の血族というと……あの魔王、ですか?」
魔界の歴史上、『魔王』と呼ばれた存在はただひとりしかいない。
それは神話に歌われた『原初の魔王』。
魔界の創世神話の中では、全ての魔族は『原初の魔王』が内包する混沌から、切り離されて生まれた存在だとされている。
「そう、その魔王の子孫だ。今は――いろいろあって引きこもっててな。久しぶりに会いに行こうと思うんだ」
「――シルヴァリエルは第一次人魔大戦のことは知っとるかの?」
「は、はい。つい最近フィールから伺いましたが……」
シルヴァリエルの返答を聞いたティアリスは、意地悪そうに口の端をつりあげた。
「それじゃあこやつが元は人間族の勇者だったことも知っとるな。あのとき、こやつら人間族が倒そうとした魔族の長。それが『妖魔帝ネルス・アウレア』、原初の魔王の血を引く者だ」
「し、しかしフィールは『魔族の司令官は人間族に討たれた』と……!」
「それは間違いではない。歴史書にもそう書かれておるしな。しかし――正解でもない」
ティアリスは酒瓶に口をつけて中身を飲み干した。
彼女は手の甲で口元を拭うと、酒瓶の口でコノハを指した。
「――すべてこやつの仕業よ。シルヴァリエルには、おぬしも相当にあくどい男だということを知ってもらわんといかんの?」
そう言ってティアリスは目を細めた。
シルヴァリエルは隣に座る枯れ枝のような男の底知れなさを感じながら、しかし、決してその背中を逃すまいとするかのように、彼の手を取った。
「――よろしければ、お聞かせ願えますか? 我が王の、忘れ得ぬ日々の話を」
シルヴァリエルは、口を開いたコノハの横顔を心に刻み込むように、彼の手をそっと握りしめた。
魔界の夜空に、星が流れる。
穏やかな夜風が、次の旅路へ誘うように、シルヴァリエルの背を押した気がした。
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