【file2】乖離
「ダルすぎてイライラしてきた……」
次の日のパトロールは昨日と打って変わり、暇すぎて反吐が出そうだ。
忙しい方がつらいわけでもない。何もしないでただただ定時を待っている時間のほうが何倍もつらいのが仕事ってものだ。
日差しが照って、美容を気にする大抵の人々は屋外に出ていないため、外は人っ子一人見当たらない。上原はミルクティーを飲みながらベンチで座っていた。
胸にはBDと書かれた黒い鉄製のバッチが光っている。
ブス専門戦闘部隊、通称『 B destroyer』の証である。
「ねぇー、パトロールする意味あんのこれ?」
遠くから同じ部隊の仲間が手を振っている。正直すぐに家に帰りたい。
蒸した暑さの中、こんな重装備で動き回る隊員達はさながらブス同様の奴隷みたいなものだ。
「暑すぎるわ〜」
そう言いながら隊員の1人がマスクとゴーグルを外した。
スーツは全身が黒で作られているため熱を吸収しやすく、少し外すだけでもかなり気休めになる。
それに続いてまた1人と顔周辺の外しやすい装備を脱いでいった。
ブスに殺される前に熱中症で死んでしまっては笑えない。
本来なら業務中に装備を取るなんて信じられない話だが、何もやらずにただ定時を待っている彼らの中に、それを咎めるものは誰もいなかった。
マスクをうちわ代わりにパタパタと仰ぐ。
人口が減り湿度が低くなったこの世界の夏は、気温こそ高いがわりとカラッとしていて過ごしやすい。
「もう本部帰らない?」
笑いながら会話を交わす隊員たちを眺めながら、上原は最年少とは思えない哀愁を漂わせていた。
毎日毎日同じことを繰り返し続けて、緊張感のかけらもなく、この怠惰さを後で本部から叱られるのがほぼ日課だ。
お叱りの言葉はどの隊員の耳にも入っておらず、また次の日も同じような日々を過ごす。
虚無でしかない1日に、自分の存在する意味を問うのだ。
「なにあれ」
ゴーグルを外したことによって視界が明瞭になった隊員のひとりが楽しい会話の途中にふと訝る。
上原もそちらの方を確認すると、半裸でピンクのミニスカートのみを装着した人影がフラフラとこちらに近寄ってくる。
たまに妙に黄ばんだ白のパンツもチラ見せしてくる始末だ。
下を向いてるため顔は確認できないが、変態なのは確かだ。
胸は真っ平らで男女の判別もできない。
「あれ、人間?」
膝をすりむいていて、ところどころ怪我をしているように見える。
こっちに来るということはBDに何か用があるのだろうか。
もしかしてブスにでも襲われたのか。
それなら本部に電話したほうが早いはずだ。
ただ、パンツを見せてくるのは確信犯のようでスカートを大きく翻したり明らかにこちらが見える行動を取っている。
露出狂というのはこういうものなのだろうか。
大体、今のこの世の中はそのような欲求が満たされない人はほとんど存在しない。それとも本当にそのような性癖の少数派の変わった人なのだろうか。
「これは警察案件じゃない?単純に気持ち悪すぎるわ。」
そう言って上原は110番しようとスマホを取り出した。
その時、突然隊員の1人が尋常じゃない呻き声を上げて床に崩れ落ちた。
「ど、どうしたの」
警察に連絡しようとする手を止めスマホから目を離してそちらを確認すると、隊員の様相が明らかにおかしい。
「おい、そういう冗談面白くないって…」
そういって床に蹲る隊員の顔を覗き込む。
「っ…‼。」
そしてその様子に絶句した。絶えず呻きは漏れ続け、血反吐を吐き、生理的な涙が流れ続けてゴーグルの中に溜まっている。
さらに身体が細かく痙攣して上手く動かせないようだ。
「なんだよ、おい!どうしたんだよ!」
声を荒げるも返事は返ってこない。
ふと気になり先程の人影をみると顔を上げていた。
瞬間、鳥肌が全身にびっしりと立つ。
遠くから見てもわかる。
アレは『本物』のブスだ。
いや、今まで本物でないブスなんて見たことがないが、それを差し置いてもオーラだけでまずいと感じる類だ。
まだ20メートルほど距離があるというのにもかかわらず、何か精神を蝕まれている気がした。
「ぐぅっ!!」
分析をしている間にも1人、また1人と倒れていく。
中には意識を飛ばしている者もいた。
仲間の体がどんどん地面に横たわる。
なんで急にこんなことに。
「!」
そう思ったのも束の間、先程暑さに耐えきれなくなった仲間達が、みんなゴーグルを外していたことに気づいて絶句した。
ブスに出会ったらとにかくゴーグルを着用する事が生死を分けるのだと、研修のとき何度も言われたことが思い出される。
上原は自分だけはと、最大まで解像度を下げ、徘徊するブスの様子を見つめた。
「あれ?」
上原はそう小さく呟くと顔面を蒼白にして一瞬めまいを起こしかけた。
1番初めに倒れた仲間は確か、駆け寄った時にきっちりとゴーグルを付けていたはずじゃなかったか?
そうだ、涙がたまっていたのだからひとつの隙間だってないはずだ。
じゃあなんで?
ゴーグルを通せばブス中毒に陥ることなんて絶対に無いはずだ。
顔を上げたり下げたりしながらフラフラとブスが近づいてくる。考えるのが怖くなった。
まさかこのブス、ゴーグルを貫通する……?
だがそんな個体今まで聞いたことがない。
「と、東京A-1、等級未知のブス発生、部隊C壊滅状態より応援求めます。っゴーグル着用時も、ちゅ、中毒症状が発生する模様……。」
自分以外が戦闘不能に陥ってしまった部隊はもう使い物にならない。
とりあえず応援を呼ぶ他に方法はなかった。
カタカタと震える手でトランシーバーを握りしめ、縺れてつまる言葉を必死に紡ぐ。
ゆらゆらと近寄ってくるブス。
その顔を見る時、精神が持ってかれないように用心しながら薄目を開ける。
攻撃してくる様子はないのが1番の救いだ。
ぼんやりとみるとブスの輪郭が少しずつ明らかになっていく。
酷く重い一重で開いているかわからない目、眉毛の形は常軌を逸しており、吐出しすぎた顎はその噛み合わせを心配するほどだ。
瞼と唇には明るいピンクの化粧を施しており、まだ女としての尊厳が残っていたことに切ないと同時に驚く。
いや、尊厳が残っていなかったならこんなところに来ていない。
極端に強すぎるプライドが己の精神を壊し、こんな状態に成り代わらせてしまったのか。
そんな無駄なことを考えているうちにブスはもうほぼ目の前に迫っていた。
薄目をしていた目は疲れ切り、瞼が痙攣していく。
耐えられなかった上原は下を向いたまま黙って瞼の裏を眺めていた。
「みんな死ね……」
物騒な言葉がブスから紡がれる。
「みんな死ねみんな死ね」
自分がブスに殺されることを想像する。
あまりの恐怖に、もう死ぬんだと上原は諦めきり、脱力した。
その瞬間、何かを潰したような重苦しい音が聞こえる。
なにかと下を向いたまま目を開けるとぐちゃぐちゃのものが吹き出しすようにして足元に飛び散っていた。
赤の液体に白の半固体が混ざりあって……これはなんだと咄嗟に分からないふりをする。
「ははっ……」と自分の意思とは関係なく乾いた笑いが出た。
何度息を吸っても酸素が取り入れられない。すでに思考は霞がかったようでもう自分の力でこの状況を打破する手立ては考えられなかった。
そうしている間にもまた大きな音がする。
今回はハッキリと血飛沫を浴びる。
鉄の香りが鼻腔を直接刺して、思わず吐きそうになった。
血だけではなく肉塊の様なものも転がってきて 息を飲む。
……隊員の頭を潰して回っている。
上原に最大の絶望を与えるのにその事実は十分すぎるほどだった。
見てはいけないと思いつつも目を背けることが出来ない。
ブスが仲間の頭を、数度足蹴にして床に叩きつけただけでそれは陶器のように割れた。
息を吹き返すことは二度とないだろう。
中毒によって倒れている隊員を1人ずつ、確実に殺しにゆらゆらと歩いていく。
まだ辛うじて意識のある隊員が助けを求めて、上原の方を虚ろな目で哀しそうに見つめた。
本来なら助けるのが自分の役目なのだろうが足が竦んで動くことすら出来ない。
何分経ったのだろうか、まだ応援部隊は来ない。
この世界にはこのブスと自分だけになってしまったかのように錯覚するほど、長い時間を過ごした。
先程までの真夏の暑さは、冷や汗を蒸発させるためだけのヒーターと成り代わっていった。
唇はカサカサになり、目は泳ぎっぱなしだ。
あーなんでこんなことに、さっきまであんなに平和だったのになどとどうしようもないことばかりを考え続ける。
そして、このブスを見つけた時点で逃げていればと後悔が募る。
先程から後ろで何やらバタバタする音が聞こえる、何かをブスがやっているのだろうか。まだ死にたくないと、はやる呼吸を最小限にした。
自分と背中合わせで命を消す行為が着々と進んでいると思うと背筋が凍る。
「お待たせしました!応援部隊到着です!」
絶望を希望に変える声がした。
ずっとしていた物音は到着した応援部隊のものなのだと、安堵する。
僕は助かるんだと、これまでの緊張が嘘のように思えるほど体はすんなりと動き、振り返ることが出来た。
「ねぇ、遅かった……」
「!」
目の前にいるのは到底希望などではない。
応援部隊なんかいやしない。
仲間の片腕を引き摺りながら、血にまみれた化け物はすぐそこに立っていた。
声真似がうまいのだろうか、はたまた自分が緊張しすぎて聞き間違えたのだろうか、わからないがそんなこと知る由もない。
「や、ばい」
思わず悲鳴をあげそうになり咄嗟に口を両手で塞ぐ。
ブスの瞳はギラギラ輝き血にまみれた口元は気味悪い笑みを称え、いかにも殺しを楽しんでいるようだった。
おもむろに屈んで「オマエもそうなんだ。」と上原の耳元で囁いた。
何がそうなのか、上原には何もかもがわからなかった。
そしてブスは上原の前にしゃがみこんでいっそう強く笑った。
湿った吐息が顔に直撃して、息を止めざるを得なくなり、脳に酸素がいかない。
手足は痺れて感覚を失い、逃げることも出来ない。
足はパタパタと動くだけでまるで力が入らなかった。
ブスはゆるりと腕を伸ばすと上原のゴーグルを鷲掴みにしそのまま外そうとする。
ゴーグルは強化プラスチックながら、ブスの握力にミシミシと音を立ててひび割れた。
「ま、まって」
弱々しい牽制の言葉も虚しくゴーグルはどんどん外れていき、外の世界の色が顕になっていく。
それと同時にブスの顔の片鱗が見え始め、上原は反射的に目を瞑った。
途端に「こっちを見ろ!!」とブスが怒号を放つ。
言う通りにしなければ殺されると悟った上原は、ブスの顔を直視するのはマズいと頭の中で思いつつも、恐怖のあまり目を開けるのを辞めることが出来なかった。
「お前も……」
ブスはそう言うとさっきの狂気的な顔とは打って変わって少し切なそうな顔を見せた。
なんでそんな顔をするんだ、お前は僕の同僚を大量に殺して楽しいはずじゃないのかと、恐怖に混じり怒りに似た気持ちが湧き出てくる。
そうして感情に任せてブスの顔面をきっと睨みつけたその時、ブスの動きが微動だにしなくなった。
「……?」
突然のことに上原は戸惑いを隠せずに、固唾を飲む。
ブスは驚いたように、あいてるかわからないような細い目を見開いている。
「オマエは…」
そう言うと上原の頬に指を這わせ、滴る汗と血とを拭った。
手の冷たさと気色悪さに吐き気がする。
ブスは上原の全身をくまなく、ほど近い距離で観察したあと思い出したようにきついピンクの口紅を取りだし自身の唇に雑に塗りたくった。
そのあと少し時間が経つと、血だらけの手で上原のチャームポイントであるキツめの天パを指で梳き、その何本かを強くむしり取ると自身の下着の中に勢いよくぶち込んだ。
その異様な光景に上原は「ひっ」と小さく悲鳴をあげる。
そして、上原のスーツのパスを入れる胸のポーチに、下着の中から取り出した紙切れを大事そうに1枚入れた。
強すぎる力で大量に髪を毟られたことによって頭から血が流れ出すがそんなことはどうだってよかった。
そうして最後に「チガウ……」と一言だけ零すと憑き物が落ちたように、ボロボロの踵を返し、瞬きひとつ分でどこかへと姿をくらました。
結局、応援部隊が到着することは無かった。




