第1話
お待たせしました。間章の第1話です。
2034.7.15
日本国 東京都
市街地
10:15 JST
「………………」
この日、ようやく休暇をもらえた和人は、地元の東京郊外の市街地の中をバスに乗って移動していた。戦後、和人達第1特装団は比較的早くに帰国し、様々な手続きの後にようやく休暇をもらうことができていたのだ。
まだ大陸に展開する部隊もおり、弟である義人も現地で治安維持任務に就いている。エルスタイン王国はどうにか治安を回復しつつあるようだが、アーカイム皇国はまだまだ治安は良くない。そもそも政府が設立されたのもつい最近であり、まともな治安維持組織もいないのだ。自衛隊部隊が肩代わりするのも仕方のないことだ。
「見て……あの人、自衛官よ……」
「ほんとだ……」
終戦から僅か1ヶ月とあって、陸上自衛隊の制服姿の和人はバスの中でもかなり注目を浴びていた。そのほとんどは好意的であるのが救いだが、和人もさすがに居心地の悪さを感じていた。
周囲の人々の反応も理解できないことではない。日本にとっては、この世界に来てから初めての戦争であり、仮に敗北しようものなら日本の滅亡が目に見えるところに近づいていた。それくらい、大陸諸国から得られる資源は重要である。資源島だけで日本を賄えるわけではないのだ。
「なぁ、兄ちゃん! 兄ちゃんは戦いに行ったのか!?」
「こ、こら! ごめんなさいね……!」
すぐ後ろの席に座っていた小学生くらいの悪ガキといった言葉の似合う雰囲気の少年が和人に話しかけてきた。それを窘め、謝罪する母親とおぼしき隣に座る女性。
「いえ、構いませんよ」
和人は人と話すのは得意ではない。得意ではないのだが、ここで沈黙で返すのはあまりにも印象が悪い。自衛官は国民から愛されなくてはならないし、そう努めるべきなのだ。それ故に和人は話に付き合うことにした。
「俺は外国に戦いに行ったよ。ちょうど帰って来て、ようやくお休みをもらったところなんだ」
「すげぇ!」
興奮のあまり、顔を輝かせる少年。周囲は子供らしいその姿に微笑ましい気持ちになった。
「じゃあ、悪い奴らもいっぱいやっつけたのか!?」
「……どうだろうな?」
どう答えたものか和人には分からなかった。少年には戦争がどういうものか難しいのかもしれない。分かりやすい勧善懲悪として、少年の言葉に頷くのも手ではある。そちらの方が余計な説明もいらなくて、簡単だろう。だが、和人はそれが良いことだとは思わなかった。
「……俺がやっつけた中には悪い奴らもいたかもしれないが、良い奴らもいたかもしれないな」
その言葉を聞いて少年は首を傾げる。
「え? でも、バルツェル人って、悪い奴らなんだろ? いきなり攻撃してきて、世界を征服しようって……」
「まぁ、間違っちゃいないんだけどな」
和人は苦笑する。世界征服というとチープに聞こえるが、世界の覇権を握ろうと考えていたバルツェル共和国の目的は、確かに世界征服と言えなくはないだろう。
「でもさ、それを考えていたのはバルツェル人の偉いさん達なんだ。戦わされていたバルツェル人がみんな、そんな考えだったわけじゃないんだ」
「……そうなのか?」
「ああ。バルツェル人の中にも俺達日本人みたいに平和を愛する人々もいるし、優しい人々もいる。その一方で、君の言うように悪い奴らもいる。……今回は、その悪い奴らが上に立って、バルツェル共和国って国を悪い方向に向かわせたんだ」
「……難しくてわかんねー」
「はは、悪かったな。……でも、これだけは覚えておいてくれ。バルツェル人の全てが悪人なわけじゃないんだ。だから、バルツェル人だから悪、というのはダメだぞ? 国自体は悪かもしれなくても、な」
「よくわかんねーけど、戦隊ヒーローで敵の怪人達の中にも組織を裏切って戦隊に協力してくれる良い奴もいる、みたいなもんなのか?」
「そういうことだ。だから、バルツェル人という看板じゃなくて、その人のことをしっかりと見てやるんだぞ」
「わかったよ、兄ちゃん!」
ニッカリ、といった擬音語が似合う笑い方をする少年。それを見て和人は微笑んだ。
(まぁ、こんな綺麗事が通るなら、世界はもっと平和なんだがな……)
和人も自分の言っていることが綺麗事であることは理解している。どう足掻いても偏見は生まれるし、本人にそのつもりはなくとも偏見を持っていることだってある。和人も例外ではないだろう。実際、先ほどは日本人は平和を愛するなどと言ったが、それも偏見に値するだろう。戦争や争い事を望む日本人だって一部にはいるのだ。
そして、偏見が間違っていないことだってある。国民性というのは確かに存在しており、バルツェル人は傲慢な国民性を持ち、そういった性質の人間が多いのも事実なのだ。
それに、バルツェル人の中にも良い連中はいるだろうが、それがイコール味方、というわけでもないのだ。むしろ、悪い連中の方が日本にとって利益をもたらしてくれることもある。不利益な善人と、利益のある悪人。日本が組むのは、よほどのことがない限り後者となる。それが現実だ。そして、それを悪いと言えるほど和人も頭がお花畑ではない。
まぁ、こんなことを子供に聞かせるのも良くないし、決してこの場で喋ったりしないが。
「……その、余計なことを訊いてしまったようで……ごめんなさいね」
和人の言った内容から、もしかしたら息子がまずいことを訊いてしまったのかもしれないと思い、謝罪する母親。和人は笑って「気にしないでください、ただの一般論です」と応えるだけであった。
バスが停車し、料金を電子マネーで払って和人はバスを降りる。先ほどの子供がバスの窓から手を振っているのを見て、和人は笑って小さく手を振り返す。
そんな中、和人は自分の言ったことを思い出す。
(バルツェル人の全てが悪じゃない、か……)
バルツェル人と接する機会のない一般人には分からないだろう。メディアもバルツェル共和国を悪の化身のように報じているし、実際にやってることは日本からしたら時代遅れの帝国主義……それも、帝国主義の中でもより酷いものだ。選民思想と混じりあって過激な排他主義に成り下がっている。
その結果、バルツェル人の人格も疑っている日本人は多い。悲しいことに本当にバルツェル人は傲慢な人間が多いのだが、それでも善良な心を持った者達もいる。和人はそれを戦争終結の直後に話した少女達から学んだのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
6月14日に講和条約が締結され、晴れて戦争は終わった。バルツェル人捕虜も祖国へ返還されることが決まり、収容所内は一時お祭り騒ぎになった。
いくら丁重な扱いを自衛隊から受けているとはいえ、捕虜という不安定な立場に置かれている現状には不安があったのだろう。その喜びも理解できるというものだ。
一方で自衛官達の間でも戦争が終わって安堵の声があちこちで囁かれた。いくら優勢な戦況でも戦えば死傷者は出るし、日本の勝利が確定したのは国防を任される自衛官として安心できる要素だろう。
とはいえ、アーカイム皇国の治安は壊滅的だった。治安を守るためにアーカイム解放戦線に所属していた兵士達が活動を開始したが、人手が全く足りていない。そのため、自衛隊も治安維持任務に就くことになった。
戦場となったエルスタイン王国とアーカイム皇国はこれからが正念場だ。復興という大きな挑戦が待ち構えているのだ、今はまだ始まりに過ぎない。
そんな中、和人が所属する第1特装団は簡易整備の後に本国に帰還することが決まった。治安維持任務にSTASのようなパワードスーツを扱う特別任務部隊は不要だ。できないわけではないが、それなら普通科部隊でも事足りるのである。
そして、簡易整備の間は整備士達は大忙しになるのだが、扱う側である和人達は完全に手持ち無沙汰になってしまっていた。そんな時に和人は上官に呼ばれたのである。
「失礼します」
「ご苦労、三尉。そこにかけろ」
ウェルディス市近郊に設置された駐屯地の一室。そこに和人は呼び寄せられた。和人を呼んだのは第1特装団第1特装大隊長の水橋拓海一等陸尉だった。
応接用のテーブルを挟んで座る二人は話し始める。
「さて、早速なんだが……お前、何をやらかしたんだ?」
ニヤニヤした表情で水橋 一尉は和人にそう問いかけた。
「……は? どういうことでしょうか?」
和人は水橋 一尉が何を言っているのか全く分からず首を傾げる。
「その反応……ということは無意識か。この唐変木め」
「いえ、だから何の話ですか?」
「先の戦争でウェルディス市を解放した時に確保した捕虜の中で、お前の名前を出して、お前に会いたいって言ってる捕虜がいるんだとよ」
「……はぁ」
要領を得ない様子の和人。
「しかもえらい別嬪さんだそうだ……。戦闘中に敵国の民間人を口説き落とすとは……お前もなかなかやるな」
「いえ、身に覚えがないんですが……」
「とりあえず、先方はお前を指名している。分からないんだったら、会って自分で確かめてこい」
水橋 一尉に肩を叩かれる和人。少しばかり訳の分からない展開に首を傾げざるを得ない。それでも、上官から行けと言われれば行かざるを得ない。これは拘束力のある命令ではないかもしれないが、それでも真面目な和人はよっぽどのことがない限りは従う。
「了解しました。とりあえず、会ってみることにします」
「おう、縁談がまとまったら報告に来てくれ」
「絶対縁談ではないと思いますが……」
和人は苦笑しながらそう言い、敬礼して退室した。その姿を眺めて水橋 一尉は呟く。
「……まぁ、縁談は冗談にしても、あちらからすればヒーローみたいなモンだからなぁ……」
水橋 一尉は手元の資料に目を向ける。そこには和人に面会したい者達の名前と面会理由が記載されている。
「……ナターシャ・メルリア、アイリ・メルリア。父親が有力な政治家で、彼の死後にその跡を異母の姉が継いでる、と。無視するわけにもいかんよなぁ……」
バルツェル共和国と日本は国交がなかった。それ故に、こういったバルツェル共和国の政界に多少でも繋がりのありそうな者達には、それなりの配慮が為されていた。
自衛隊は実力組織ではあるが、政治と無関係ではない。その結果、ナターシャとアイリの姉妹はそれなりに重要人物として見られていた。彼女達の日本に対する印象が良ければ、その政治家の姉の対日方針に良い影響があるかもしれない、という事情があるのだ。
「永瀬 三尉……うまいことやってくれよー、マジで」
水橋 一尉は祈るような気持ちで和人を送り出した。出世にはそこまで興味はない彼だが、上からクドクドと説教を受けるのは勘弁してほしかった。大隊長とはいえ中間管理職なのだ。世間一般の部長や係長と似たような立場に置かれているのである。
「ここか……」
和人は捕虜収容所として使用されているウェルディス市内の役所内に来ていた。捕虜の人数から複数の場所に分けて収容されており、今はエルスタイン王国軍が警備している。エルスタイン人の兵士達もバルツェル人に対しては思うところもあるだろうが、自衛隊の手前、暴力行為や非人道的行為が起こらないようにエルスタイン王国軍は細心の注意を払っている。
そんな捕虜収容所の中にある一室。そこが面会場所だった。
「……ふぅ」
何故、自分などと話したいのかは分からない。しかし、呼ばれたからには何か用があるのだろう。途中で駐屯地の兵士に渡された面会予定者に関しての書類を見る。
そこに載せられている名前と写真には覚えがあった。ウェルディス市にあったバルツェル共和国軍前線司令部を陥落させた後、市内の敵兵を狩り出している時に確保した捕虜の中にいた。徴発された女子学生で、姉妹揃ってウェルディス市民に襲われそうになっていたところを和人達第2小隊が助けたのだ。確かにその時に和人は自分の顔を見せ、名前も言った覚えがある。
(……だからと言って、俺に何か用があるとは思えないんだけどな)
和人はそう思いながらもノックをする。
「あ、どうぞ……」
中から英語……に良く似たバルツェル語で入室を促す声が聞こえた。若い少女らしき声だ。どうやら面会希望者本人らしい。
「失礼する」
和人は返事をして中に入った。
中にいたのは女性自衛官1名と面会希望者のナターシャ・メルリアとアイリ・メルリア。どうやら女性自衛官はお目付け役らしい。
部屋の中央にあるテーブルを挟むように置いてあるパイプイスにメルリア姉妹の二人は座っていた。和人が入ってきて、そそくさと立ち上がる二人。
「座ったままでいいよ」
そう言ってから、女性自衛官の方を向く。女性自衛官は和人に敬礼し、和人も返礼する。
そして、和人はメルリア姉妹の対面側の席に座った。
「さて、面会希望とのことだったが……何か用かな?」
和人はできるだけ緊張を与えないように優しく尋ねる。それを行いながらも二人のことをよく観察する。
どちらも金髪緑目という典型的バルツェル人の特徴を持っている。しかしながら、顔を構成するパーツや配置がバランス良く、問題なく美少女だと評価できる顔立ちである。
姉の方であるナターシャはセミロング、妹の方であるアイリはショートボブといった髪型をしており、よく似合っている。ナターシャの方はどちらかというと美人タイプであり、アイリの方は幼さを残しているのもあって童顔美少女といったところであった。
方向性は違うものの、どちらも容姿が優れていることから、二人で並んで座っている姿は絵になると和人は思った。
「まずは助けていただいたことにお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました」
「あ、ありがとうございました……!」
ナターシャは落ち着いた態度で和人に礼を述べ、それに続くようにアイリも礼を述べた。アイリの方は緊張しているのか、少しどもっていた。
「いや、礼を言われるほどのことじゃない。どこの国の人間であろうと、非戦闘員を助けることは当然のことだ」
少なくとも、日本ではそうである。民間人を見捨てることも、ましてや虐殺することなどご法度である。……もっとも、バルツェル共和国軍の動き次第では現地の民間人の巻き添えもある程度は許容する可能性もあったのだが。現地の民間人を極力助けるのには変わらないが、自衛官に過度な負担をかけて被害が大きくなるのも問題なのだ。そこら辺の判断はかなり難しい。
「……あなたの言うその当然が、私達の母国の軍隊にはできなかったんです。お恥ずかしいことに」
ナターシャは憂いのある表情でそう言った。彼女の脳裏に浮かぶのは、バルツェル共和国軍に占領された直後のウェルディス市。市民に対して暴行や略奪を行う一部のバルツェル兵。それを止めようともしなかった軍上層部。母国の軍隊に幻滅するのも仕方のないことだった。
「……まぁ、それは置いておこう。礼は受け取るよ。用件はこれだけか?」
「いえ、他にも用件はあります」
ナターシャは先ほどの憂いのある表情を消し去る。そして、和人に尋ねる。
「……今後、ニホンとバルツェル共和国は交流を持つのですよね?」
「そういうことになってるな。あちらさんがどこまでやる気は分からんが……」
日本とバルツェル共和国が国交を持つにあたって、両国は交流を行うことに同意していた。その交流内容はまだ未定であったが、バルツェル共和国側が同意こそしたものの日本に対する敵愾心が強く、実際のところ、どこまで本気なのかは未知数であった。
「私達の姉……異母の姉なのですが、彼女はバルツェル議会で議員を務めております。それに、聡明で話が通じる人です。彼女を通せば交流に関して、ニホンにとって利益となる形になるかと思われます。彼女の家……レイリス家の影響力は決して小さくはありません。必ず役立つと思います。私達からも彼女にお願いしますよ?」
「…………」
ナターシャの言葉に和人は驚かされた。たかだか高校生程度の年齢の少女がそんな提案をしたのだ。それも、以前戦場のウェルディス市で会った時は憔悴しきっていた子が。
「……どうしてそんな提案を?」
当然ながら、その理由を問わねばならない。日本にとっては利益に繋がる話だ。バルツェル共和国に対して日本の国力や技術力を誇示し、文化的浸透をもってバルツェル共和国の民衆の日本に対する敵対感情を抑え込む。日本はそれを今後の目標の一つとしている。間違いなく、ナターシャの提案はその一助となるだろう。しかし、何の理由もなくこのような提案をするはずがない。
「私達は捕虜としてニホン軍の皆さんに保護されている間、ニホンのことをいろいろ調べました。ニホンのいた世界は私達のいた世界よりも遥かに血みどろの歴史を歩んできた世界でした……そんな凄惨な歴史を歩んで、そこから学んで発展してきたニホンのことをバルツェル人の他の人々ももっと深く知れば、バルツェル共和国が良い方向に向かうかもしれない……そんな気がするんです」
それを聞いた和人は、彼女が真剣に祖国のことを考えて提案していることを理解した。彼女はきっと、この戦争でバルツェル共和国の良くない部分をたくさん知ってしまったのだろう。きっと、強い失望を覚えたはずだ。だが、それに絶望することなく、状況が良くなるように手を尽くす。彼女なりに考えた末に思いついたのが、身内という立場を利用して有力な政治家に意見具申をする、といった行為なのだろう。
バルツェル共和国の議員が世襲制であることから考えると、肉親というのは良くも悪くも大きな影響がある。それが利用できるのであれば、日本としても悪い話ではない。それに今回に関しては日本が負うリスクも皆無だ。
もしバルツェル共和国の人々が彼女のように物事を深く考え、それを実行できる人々ばかりであったのならば、国力・技術レベル以上の脅威となったであろう。和人は不謹慎ながらもバルツェル人の多くが彼女のような人間でなくて良かったと思った。優秀な人間というのは良くも悪くも影響があるのだ。
「なるほど。話は理解した。だが、俺の一存でどうこうできる話ではないことは理解しているな?」
ナターシャは頷く。
「俺はこの話を上官に持っていく。やがては政府に話が行くことになるかもしれない。確約はできないがな」
「それでも構いません。少しでも希望があるのならば、提案した価値はあったと思います」
この話が政府に認められれば、国交が正式に結ばれて大使館を設置した後、早速レイリス家の方に接触が行われることになるだろう。
「私としては、ニホンへの留学を認めていただきたいところですね」
「……日本に留学したいのか?」
「はい。私もアイリも、ニホンには興味があります。留学という形でニホンに行き、そこで様々なことを学びたいのです。もちろん、留学が認められる可能性が低いことは理解していますけど」
ナターシャはそう言って笑った。
確かに、交流も外交官や軍人がメインになるだろう。日本政府もとりあえずはそれで良いと考えていた。軍事力や技術力、国力の誇示を行って日本の実力を示し続けることはできるからだ。文化浸透による反日意識の低減は将来的な目標である。それには民間交流が必要だが、それを行えるほどの信頼関係は両国間にはない。
だが、それでもナターシャとアイリはニホンに行きたいと思っている。日本政府もそんな彼女達を邪険にすることはないだろう。問題はバルツェル共和国政府の方であろう。
「……君達はすごいな。立場が逆だとしたら、俺には君達のようには動けなかったと思う」
和人はそう言って二人の決断を称賛した。それに足る立派な考え方、そして行動力だと感じたのだ。
「そんな……褒められるようなことではないです。それに、私達がこの決心をできたのは、あなたのおかげでもあるんですよ、カズトさん?」
「……俺のおかげ?」
和人は首を傾げた。何かをやった覚えなどなかったからだ。そこでアイリが口を開く。
「カズトさんが私達を助けてくれたから。それも、私とお姉ちゃんを安心させようと手を尽くしてくれたよね?」
おそらく、HMDバイザー付きのSTASのヘルメットを外して、素顔を晒した上で優しく話しかけた時のことをアイリは言っているのだろう。だが、それでも和人としては大したことをやったつもりはない。それを察したのか、ナターシャが口を開いた。
「カズトさんには分からなかったのかもしれませんが、あの時、本当に安心したんですよ? 私達に目線を合わせ、優しく笑いかけて助けてくれた、あの時……。そして、カズトさんの言葉に違わず手厚く保護してくれたニホン軍の皆さん……。私達はそれらから、あなた方が信用できる人達だと思ったんです」
バルツェル共和国軍に裏切られたと感じていた彼女達には、和人や自衛隊の姿はとても信用できるものに見えたのだ。
「……そうか。ありがとう」
口下手な和人には、そう言うのが精一杯であった。好意を直接的に向けられるのにはあまり慣れていないのだ。
「ところで、日本人の名前は前がファミリーネーム、後ろがファーストネームになるんだが……」
「知ってますよ? 私達なりの信用の証だと思ってください、カズトさん個人への」
そう言ってナターシャは微笑んだ。顔立ちが美しいが故に、その威力は中々のものであった。
(……この子、小悪魔の気でもあるんじゃないか……?)
和人は頬を人差し指で掻きながら、そんなことを思うのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
和人は回想から現実に戻ると苦笑した。戦争での出来事よりも戦後に彼女らと話したことの方が強く印象に残っている。そのことがなんとなくおかしく感じてしまったのである。
あの後、水橋 一尉に報告すると、彼は「よくやった!」と満面の笑みを浮かべて和人を称賛した。彼からすると、和人が上手いことあの姉妹をたぶらかせて日本の利益を引き出したように見えたのだろう。実際は姉妹の方から申し出たものなのだが。
ともあれ、防衛省は外務省に恩を売る形となり、省益という面でも満足できるものとなるだろう。そして、それを引き出した水橋 一尉も上からの覚えは良くなるはずだ。無論、和人も。
そういったこともあって、水橋 一尉はその後も終始ご機嫌だった。気持ちは和人も分からなくはないが、隠そうともしないあたりに和人も苦笑したものだ。逆に隠さずにオープンだからこそ、水橋 一尉はあまり嫌みに感じないというのもあるのだろうが。
そんなことを考えていると、いつの間にか自宅の近くまで歩いてきていた。考え込むとたまに周りが見えなくなる、と和人は自分の悪癖にため息を吐く。
そのまま歩いていくと、遂に自宅が視界に入る。
その自宅の姿形は以前、戦争前に来たときと何ら変わりない。しかし、見え方は少し異なっているように和人には思えた。
深く考えないようにしていたが、日本を、そして同盟国を守るためとはいえ、自分はバルツェル人を殺している。そんな自分を親しい人達が受け入れてくれるのか、それが心配だった。
無論、表面上は歓迎してくれるだろう。だが、より深いところでどこか敬遠されないか、態度が以前と変わってしまったりしないか、そういうところが心配なのだ。
自衛官になったことに後悔はない。こんな悩みを抱えることになることは、防衛大学校入校の時点で覚悟を済ませてきた。それでも頭によぎる嫌な想像は消えてくれないのだ。
やがて、自宅の前に来る。もう目の前だ。
「ふぅ……」
ひとつ息を吐き、和人は足を踏み出した。ちょうどその時だった。
「カズ君……?」
聞いたことのある呼び方。最後に呼ばれてからそれほど時は経っていないが、間に戦争を挟んでいるからか、懐かしさすら覚える。
「美咲……か」
声のした方向を見ると、私服姿の幼馴染がいた。小鳥遊美咲だ。小柄で小動物的な可愛らしい魅力のある少女で、幼い頃から和人のことを慕ってくれていた。
そんな彼女は和人の姿を見て、元より大きな瞳を真ん丸に見開いていた。
「……久しぶり、でもないのか……?」
どうにも感覚が狂ってしまっている和人を尻目に、美咲は無言で駆け寄って和人に抱きついた。
「……ぐっ」
身長差から美咲の頭突きが胸元に直撃し、肺から空気が押し出される。鳩尾でないのが救いだろう。
「良かった……。ケガしてないよね……?」
和人を見上げる美咲の目は少しばかり赤くなっていた。どうやら相当心配をかけていたらしい。幼馴染で6歳も年下とはいえ、可愛い女の子だ。和人としても、そんな子から心配されていたことは嬉しくもあり、そして申し訳なくもあった。
「ああ、俺は無傷だ」
そう言って和人は笑みを浮かべた。それを見た美咲も「そっか。お祈りした甲斐があったよ……本当に良かった……!」と言って、目が赤いままだったが、笑みを浮かべた。
この時、美咲と会う寸前まであった和人の中に渦巻く不安は鳴りを潜めていた。和人本人も気づいていないが、それほどまでにこの幼馴染の存在は大きな心の支えとなっているのだ。
「あ、お母さんにもカズ君が帰って来たことを教えなきゃ……! ね、カズ君、後でカズ君の家にお邪魔してもいいかな? 久しぶりにお話したいし……」
思わず抱きついてしまっていたことに気づいて、慌てて離れ、誤魔化すかのように早口でそんなことを言う美咲。そんな姿に苦笑しながらも「いいよ」と答える和人。
「そ、それじゃ、また後で……!」
ぴゅ~、といった擬音語が似合う様子で家に戻る美咲。気恥ずかしさから、一旦その場から逃げ出したのは誰の目にも明らかだった。
そんな美咲の姿を見て、ようやく生まれ故郷に戻ってきたような実感を感じる和人だった。




