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 ――――9月1日。


 朝の日差しがカーテンの隙間から洩れる。


 ほっそりとした影が奏夜の頬を叩く。


 眠気が晴れて、意識が闇の底から浮き上がっていく――――


「うう……」


「あ、もう起きた?」


「……何してるの?」


 瞼が痙攣し、視界がかすむ。


 大の字になり、首だけを動かし、ぼやけた視界の中、薄暗い部屋にエリスが物珍しそうにこちらを覗き込んでいた。


「おはよう、お兄ちゃん?」


「……」


 ベッドに横たわっていた身体は動かせず、よく見れば華奢な身体が腹の上で跨いでいた。


 じっと見つめる青い瞳。


 うっすらと漂う香水の香り、淡く塗った口紅が唇に浮かぶ。


 左右に結ったツインテール。


 変わらない、幼い『妹』が眼の前にいた。


 みれば制服姿。


 少し色は違うが、学校の制服姿。


 ニッコリッ


 エリスは微笑んで、引きつる奏夜の口元を指でなぞる。


「似合ってる?」


「何これ?」


「騎乗位」


「うるさい。エリス、なんでうちの中学の制服着てるの? ていうか朝だよな」


「中高一貫だからじゃない?」


「同じ学校に行くのかよ……」


「今日から転校って形だよ?」


「封印魔術師連盟とかどうなったのよ……」


「マリア・オズワルドを倒したからお咎めなし」


「じゃあ向こう戻れよ」


「奏夜がここにいるのに?」


「……」


「相変わらずムスッとした顔」


 そういって、ぐったりと天井を仰ぎ見る奏夜の口元に軽く唇を這わせると、エリスは顔を起こした。

 奏夜は眼を丸くして、真っ赤な顔で叫ぶ。


「ば、バカ!」


「えへへぇ、キスは目覚めに効果ありって本で読んだもんッ」


「聞いたことないぞッ、て言うか退けッ」


「きゃっ」


 短い悲鳴と共にベッドから滑り落ちる制服姿のエリスを横目に、奏夜はベッドから脚を下ろした。


 そうして時計を見上げれば、既に八時前。


「な!」


 ギョッとなる奏夜を横目に、お尻を抑えつつエリスは立ち上がると結った銀髪を指で梳いた。


「もぉ……お兄ちゃんッ」


「なんだよっ。俺すっごい急いでるんですけど!?」


「髪型、どうかな?」


 そう言って、少し伸びた髪を左右に結ったエリスに、奏夜はズボンをワイシャツを着込む手を止めた。


 青い瞳が物欲しそうに上目遣いに見つめる。


 幼い『幼馴染』が眼の前で、奏夜にしがみつく――――


「どう……かな?」


「……」


 表情を強張らせじっと見つめること数秒。


 フイッ


 顔を真っ赤にして奏夜はムスッとした表情はそのままに口を尖らせボタンを手に掛けた。


「……子どもっぽい」


「てことは、可愛いんだ?」


「……」


「えへへ、お兄ちゃんはすごいわかりやすい」


「うるせぇ」


「大好きだよ、お兄ちゃんッ」


 フワリと舞い上がる長い銀髪。


 嬉しそうにそう言って軽く飛び上がると、エリスは顔を赤らめ顔を背ける奏夜に抱きついた。


 奏夜は苛立ちと戸惑いと息苦しさに身体をよじり、エリスを引き剥がそうとする。


「おい離せ! 重たい、着替えられん!」


「えへへぇ、お兄ちゃん大好き、奏夜お兄ちゃんは私のものだからッ」


「わかったから離せ、離れろ――――」


 そう言って奏夜は苛立ちに目を細めて、首元に細うでを絡めて肩に顔を埋めるエリスの横顔を見下ろす。


 ――――キラリと朝焼けの光を照り返す銀色。


 見開く蒼い瞳。


 その視界には、ほっそりとした少女の右手の指が見えた。


 そこには薬指が見えた。


 銀色の指輪がはめられた小さな指輪が、朝焼けの光を吸い込んだ――――


「……それ」


「――――覚えてる?」


「……」


「深淵に呑まれる前にね、奏夜くんがね、私にくれた大切な指輪」


 エリスは静かにそう囁くと、顔を赤らめる奏夜の首元に顔を埋めると、匂いを滲ませるように頬を擦りつけた。


「どこにいても一緒にいられるようにって、願いが込められた奏夜くんの指輪。


「……お前」


「別にね……アポクリファの無限書庫に向かったわけじゃないの」


「……」


「最初からわかってた。奏夜くんがここにいるって。


 あの指輪をくれた、誰よりも大切な君が、今ここにいるって、君の願いが、君の想いが私をここまで引っ張ってくれた」


「沙紀……」


「ずっと……君が傍にいてくれた」


「……迷惑をかけた」


「いいの……だって、今も君はここにいるから。……私と同じ時間を着てるから」


「……」


「大好きだよ……お兄ちゃんッ」


 重ねる小さな唇。


 眼を見開く奏夜の舌に絡めるように自分の舌を口元に這わせると、エリスはゆっくりと唇を離した。


 ツゥと唾液が糸を引き、蒼い瞳が潤む。


 妖しく微笑む唇。


 惚ける奏夜から、エリスは飛び退くと、照れくさそうに囁いた。


「えへへ……お兄ちゃんッ。学校行こうか」


「お、おう……」


「もう時間だしね」


 時間が逆巻くかの如く、惚けた意識が戻ってくる。


 慌てて壁掛けの時計を覗きこめば、そこには八時十分を指す針が二つあって、奏夜は眼を剥いた。


「や、やばい……沙紀が待ってる!」


「私後から行くね?」


「なんで!?」


 ズボンのベルトを止めつつ、慌てて振り返る奏夜を横目に、エリスは結った髪を靡かせ床を蹴った。


 ポンと飛び上がる仕草はまるで羽の様。


 飛び上がるままに廊下へと足を下ろすと、スカートを翻して上目遣いに奏夜の顔を覗き込んだ。


「だって、お兄ちゃんの大好きな人が待ってるんだから」


「エリス……」


「行ってあげないと。待ってるよ?」


「……」


「でも、帰りは私がお兄ちゃんの一番席ね?」


「――――授業終わったら迎えに行く」


「約束だよ?」


「お前との約束、破ったことあったか?」


「……ううん。一度もない」


「だろ?」


「えへへっ、やったッ」


 そう言って部屋のドアから顔を引っ込めるエリスに、奏夜は苛立ち紛れに髪を乱暴に掻いた。


 そして時計を見て、慌ててワイシャツを着込み鞄を持って部屋から飛び出す。


 トントントンッ


 階段を駆け降りる軽快な音が廊下に響き、奏夜は汗を滲ませながらリビングに顔を出した。


 その姿を見つけて、キッチンから長い髪を揺らして女性が飛び出す。


「あ、奏夜くんッ」


「えと……ね、姉ちゃん……」


「えへへぇ。おはよ、遅かったね」


 頬を赤らめとろんとしているマリアに、奏夜は気恥ずかしそうに顔を赤らめ目を反らした。


「んん。まぁ……起きるの遅くて」


「もぉ、エリスに直ぐ起こすよう言ったのに……」


「おう、俺が悪いんだ。エリィは悪くない……」


「じゃあ今度から私が起こすね?」


「ん……ね、姉ちゃん……」


「……恥ずかしい?」


 気まずそうに口をすぼめる奏夜に、マリアはキョトンと蒼い瞳を見開くと、不思議そうに覗きこんだ。


 コクリ……


 クシャクシャと髪を掻きつつ、奏夜は辺りに何か食べモノがないか目で探す。


「まぁ、アンタも沙紀だから……さ」


「キスしていい?」


「人の話聞いてた?」


「だって、お出かけのちゅー、いつもしてたしッ」


 そう言ってほっそりとした両腕をたじろぐ奏夜の首元に絡ませると、マリアは背伸びをして奏夜の顔を覗き込んだ。


 重なる小さな唇。


 息ができなくなるくらい長い時間、舌が絡まり、奏夜は顔を真っ赤にして慌てて顔を離した。


「くはっ……ま、マリアッ!」


「そうそう。奏夜くんは、私の旦那様なんだからそっちで呼んでほしいな」


「……」


「でも、二人きりの時は……私も、沙紀って呼んでね?」


「……わかってるよ」


「嬉しい……大好きだよ奏夜くん」


「――――学校行ってくるッ」


「あ、私も後で行くね?」


「ええええええええ!?」


 飛び出そうとした奏夜は慌てて振り返った。


 パクリッ


 大きく開いた口へと放り込まれるサンドイッチ。


 そうして目を丸くする奏夜の視線には、チラリとめくれ上がったエプロンの裾と制服のスカートの裾があった。


「ふぉ、ふぉまえも!?」


「だめ?」


「――――好きにしろ!」


 素早く食べ物を嚥下し慌てて踵を返す奏夜に、マリアは目を輝かせて目一杯に頷いて見せた。


「うんッ、私奏夜と同じ学校に通う!」


「ったく……行ってくる!」


「はい、旦那様ッ」


 そう言って結った長い銀の髪を靡かせ手を振るマリアを横目に、奏夜は慌てた調子で飛び出した。


「おう、奏夜か。行って来い」


「うっせぇ、とりあえず俺の記憶返せ!」


「毎日いい夢見れるように祈っとけよ」


「くそじじいが!」


 そして廊下ですれ違うゴードンを横目に、奏夜は息を切らして玄関から外へと飛び出す。


「あ、奏夜ッ」


「あ……」


 手を振る小さな手に、見開く蒼い瞳。


 門扉の向こう、夏服姿の沙紀がはにかんだ笑顔で手を振っている様子が見えた。


 安堵に零れるため息。


 クシャリ……


 照れくささに掻き毟る銀髪。


 焦りにもつれかかっていた足で床を蹴ると、奏夜は少し呼吸を整えつつ、門扉を開いた。


「おはよう……沙紀」


「うんッ、おはよう奏夜ッ」


 振っていた手を下ろすと、沙紀は鞄を両手に持ちながら、満面の笑みで照れくさそうな奏夜の顔を覗き込んだ。


 その額と頬には汗が滲んでいて、僅かに濡れた銀髪を掻き上げる奏夜の横顔に沙紀は首を傾げた。


「どうしたの? なんか急いでた?」


「まぁな……」


「高校だって歩いて十分のところなのに」


「――――お前、俺が来るまでここでずっと待つ気だったろ?」


「……えへへ」


「ったく……行こうぜ」


「ウンッ」


 歩きだす奏夜のせなかを追いかけ、沙紀は照れくさそうに微笑みつつ、軽やかに地面を蹴った。


「うーんッ。学校久しぶりだねぇ。皆元気かなぁ?」


「興味ねぇ」


「宿題も完成したしッ。万全だね」


「昨日俺の分丸写ししたからだろうに」


「い、一部は自分でやったよぉ……」


「どれくらい?」


「……一割ぐらい?」


「残り九割はまた後で勉強だな」


「うう……」


「付き合ってやるから泣くなよ」


「でもぉ……」


「俺さ、大学も出来れば沙紀と同じことろに行きたいからさ」


「……じゃあ、私の部屋で、いい?」


「おう」


「――――うんッ」


 ヒラヒラと後ろに結った髪を靡かせながら、力一杯に頷く沙紀に、奏夜はぎこちなく笑って見せた。


 そして手持無沙汰に空を見上げれば、頭上を横切る夏の雲。


 9月に入っても日差しは変わらず強く二人に降り注ぐ。


(あちぃ……)


 夏の暑さが、一週間前の出来事を思い返す。


 戦った記憶。


 刀を振るい、魔物に向き合い、魔法に立ち向かった記憶。


 それらが陽炎と日差しの向こうに立ち消えていきそうで、奏夜は朝の陽ざしに目を細めた。


(……ったく、妹やら、姉貴やら、別世界やら、夫婦やら……)


 色々なことが分かった。


 妹が別の人間だった事。


 姉が別の人間だった事。


 父親が別のいきものであった事。


 自分の記憶が、偽物であったこと。


 だけど、変わった事は何もなかった。


 いつもの日常がここにあった。


 皆、奏夜の傍にいた。


 沙紀が、隣で歩いていた。


 それだけでよくて―――――奏夜は、突き刺さるような陽ざしの中、額の汗を僅かに拭った。


 そして視線を落として、ふと沙紀の手元を覗き込む――――


「ん?」


「どうしたの奏夜?」


 その薬指には、銀色の指輪が嵌めこまれていた。


 懐かしい――――それは、あの日彼女に渡した、小さな銀の指輪だった。


「……」


「これ?」


「ん、ああ……」


「う、うーん。いつだったかなぁ。奏夜からなんかのプレゼントだって、渡された記憶しかなくて。あのねッ」


「……最近だよな」


「う、うん……」


 そう言って薬指嵌められた銀の指輪を覗き込みつつ、沙紀はぎこちない様子で笑って頷く。


 奏夜は躊躇いがちに呟いた。


「なぁ、沙紀?」


「へ?」


「覚えてるか?」


「……。何を?」


「……」


「……」


「……いや、なんでもない」


 沈黙に耐えきれず、奏夜はため息交じりに項垂れる。


 そうして、俯く沙紀を横目に、一歩先に足を踏み込み歩きだそうとする。


 沙紀は顔を上げる。


 その大きな背中を見上げる。


 優しく微笑み、唇を小さく開く――――







「――――覚えてるよ、ずっと」







「え?」


「何でもないッ」


 照れくさそうに微笑むと、沙紀は強く一歩を踏みこみ惚ける奏夜の手を取り、警戒に走り出した。


「ほらっ、行こっ。もうすぐ始業のチャイムだよッ」


「わ、わかったから引っ張るな!」


 軽やかに駆ける沙紀に引っ張られ、奏夜は走り出す。


 雲は南の地平から聳え立って、まるで山のように、ビルの合間から覆い被さるように空に漂う。


 その空は蒼く澄んでいた。


 2022年9月1日。


 まだ夏の陽気が広がる藤真市。


 二人は道路を横切り、二人は息を切らして学校へと走っていった。


 新しい一日が始まろうとしていた。







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