94話 ロストヒューマン
神谷はアトック天光学園の中退手続きを済ませていなかった。というより、例の件で大騒ぎになっていたせいか休校になっていて連絡がつかないのだ。カニスミノール潜入の作戦をヒジリから預かった神谷が孤児院の扉を開く。
「みんな、ヒジリからプランが届いた。各自記憶装置に叩き込んでくれ」
「いよいよかぁ〜、潜入組と援護組どっちだろ?きょーくんと一緒が良いなぁ〜」
何故危険な任務だと分かっているくせに龍奈はこうも能天気なのか、最早口にはしないが相も変わらず神谷は心の内では思う。現在孤児院にいるメンバーは自身を除いて四人。龍奈、シルフィー、桜、そして預かりの身である海白 透華。
それぞれへと手帳サイズの摘録装置を手渡していくが、恐らくはその人数分に足りていない点に海白は気が付いたのだろう。何故か桜の分だけ足りておらず、自分にはないものだと思っていた透華がキョトンとした表情で問う。
「あれ?私にもあるの?結神さんのは?」
「……桜はいいんだ」
「気を使わなくて良いよ〜」
桜は机と向き合って日課である日記を書いていた。その手を止めてこちらへと向き合う。日記の代わりに丸みを帯びたカバンから取り出すは手帳だ。
「私は障害者なんだ」
「その言い方はやめてくれ……お前が良くても俺の気分があまり良くない」
「事実そうなんだし、私は気にしてないかな」
透華が。
「えぇっと……?枷付きって事?」
枷付き。
これは病気やウイルスとはまた別の何かを抱えた存在の総称だ。精神的、またはシステム的に何かしらの欠陥を抱えた人の事を言う。桜で言うと彼女は記憶にまつわるシステムに障害を抱えていた。
「そうだよ。私は電脳世界の記憶装置に欠陥があるんだ。厳密には接続口、外部からここに接触があると接続不良で記憶装置のデータが全部破損する」
「破損!?えぇ!?記憶データが全部飛ぶの!?」
「そ、だから私はその任務の摘録装置を繋げない」
「で、でも……記憶データが飛んだって普通に脳の記憶は残ってるんじゃ?」
「……」
どこか悲しそうな顔をした桜に透華が気まづそうにした。代わりに答えたのは神谷。脳の記憶と電子化した記憶データ、その相違がどんな事態をもたらすかを。
「俺はそっち方面は詳しくないから言及はされても答えられないと先に言っておくぞ。人間の脳と電脳世界のメモリーは逐一同期しているんだ」
記憶という媒体はCPUとは全く関係ないラインと装置を通じて現実世界の脳細胞へと繋がっている。故に直結者も例外ではなく、失われたメモリーと記憶の残った脳細胞の同期は、激しい喪失感と共に精神へと負担を強いるのだ。
「人間の記憶なんて些細なことで都合よく変化を起こす。一昨日の晩御飯を思い出せない、そんな奴らが昔は山ほどいたらしいからな。そこに明確で確実な記憶データがあってみろ……脳はありえないはずの記憶を受け入れてしまうらしい」
例えそれが空っぽの記憶データだとしても、逐一行われる脳と記憶データの同期によって徐々に記憶そのものが抜け落ちていく。空っぽの記憶が正しいのだと疑いもせず、忘れたくもない大切な思い出さえも朧のように消えてしまうのだ。
「まぁそんな重い空気にならなくても平気だよ。キョウくんに拾ってもらってからは一度も消えてないし、そもそも私は枷付きの中でもそのトリガーが分かっているだけ恵まれてると思う」
「でも……大切な思い出を失うのは……辛いよ」
本当に桜の事を案じているのだろう。透華の表情を見れば一目瞭然であり、だからこそ桜は陽気な雰囲気のままにこう返した。
「けど嫌な思い出も消せる。今じゃすっかり覚えてないけど、昔めちゃくちゃ嫌なことあった気がするんだよね。どうなの?キョウくん」
「さぁな。俺も覚えてないよ」
「うわ〜 嘘吐きの顔〜」
「もう良いだろ?ほら口頭で任務を伝えるから用意してくれ」
それぞれが摘録装置から伸びるコネクターを頭部へとあてがい、その任務を記憶データへと叩き込む。既にその作業を終えている神谷は桜の隣へと、可動タイプの椅子に座って滑りながら机へと並んだ。
「……っ」
「まず桜の役割だが……ん?どうした?」
「い、いや?なんでもない続けて」
「あぁ……分かった」
マイペースであまり人に流されない性格である桜が少し変に感じた。妙にそわそわとした雰囲気がある。神谷は体臭や口臭に問題があったかと記憶を辿るも懸念はない。だが一度気になり始めるとしかたがなくなるのも人間の性と言える。
「まだ二十代前半だしな……」
「何自分の臭い嗅いでるの……?」
「いや、俺の体臭や口臭が不快だったかと気にしてただけだよ」
「お風呂上がりの良い匂いしかしてないよ。次は?」
「あぁ……えっと、ここからプランCに移行した際には、桜は単騎でカニスミノールかオリオンの現地へヒジリの指令を運んでもらう必要がある」
「了解」
「他国でも桜の持つ情報の多さは知れ渡ってるから、くれぐれも無理はしないでくれ」
「優しいんだねぇ……女の子相手に優しくしすぎるといつか刺されるから気を付けなよ」
彼女が何故貴重な情報を譲渡されているのか、それには枷付きである事が起因していた。忘性失想症候群、彼女の抱える正式な欠陥名称であり、抽出機による情報漏洩阻止として機能されていた。
「情報漏洩は確かに部隊全滅の恐れがある。だが任務成功の先に仲間が欠けてたんじゃ俺は自分が許せないんだよ」
「まぁ戦いたくないって言う私の我儘を聞いてくれた上で、最適な仕事を振ってくれてるんだからヒジリに文句はないよ」
その次に出る言葉はもう分かっていた。神谷もよく口にするからだ。
「だから私は私のやれることをする……だろ」
「よく分かるね!これが仲間の絆ってやつですかぁ」
「大筋の作戦は伝えた、後の細かいところは後日にしよう。それから……最近顔色が悪かったようだが気に病むな。今度から汚れ仕事は俺にでも押し付けてこい」
立ち上がった神谷を見上げる桜の顔が驚きに変わる。彼女のここ最近の表情はどこか暗かったのだ。人を殺す事に慣れていないからこそ、郵便屋として特例の仕事を終えたのだと、神谷はあの時の政権の言葉から容易に想像がついていた。
「……こういう嫌な記憶だけ消せたら良いのに。キョウくんはどこかに出かけるの?こんな時間に」
「……ケーニスを離れる前にもう一度アトックに潜入する。大神から聞いた話なんだが、どうやらカニスミノールの重鎮が潜伏していたらしい」
どの方面での有力者なのかをハッキリさせておく必要があった。そもそもメーバーはいつ第一星に寄生させたのか、何故そんな中心人物が自国の兵器に巻き込まれかねない場所へと潜伏していたのか、疑い始めてしまえば底の見えない陰謀が見え隠れしてしまう。
「多分徒労に終わるかも?」
「何か知っているのか?」
「詳しいことは私も知らないけど、カニスミノールの政治関係者の娘が在学してることは知ってる。確かキョウと同じ一年生」
「……政治の道具として娘を使っている可能性は?」
「汚いやり口には本当に鋭いねぇ。カニスミノールはどうしても軍事力が劣ってるから、どうにかしてケーニスとの関係性を下の立場から上げたいのかなぁ」
今は解消されたとされる保護関係、故にカニスミノールはケーニスメイジャーには強く言えない関係が長らく続いていた。水面下の争いに関して誰も詳しいことは知らないが、第一星のメーバー感染を自国は明確な攻撃行動と公言している。
「だがそれなら尚更情報を洗うためにも潜った方が良くないか?」
「……多分だけど、パーツは揃ってる。逆にキョウくんは何かを見落としてない?陰謀の歯車は事情を知らないことが多い。古典的だけど……メーバー程のウイルスを感染させるには当人に意図してインストールさせる必要があると思うんだ」
「……トロイの木馬か。それも送り主も受け手の奏も気付いていないし疑いもしない、陰湿なやり口だな……」
だが情報に長けた桜が言うのだ。神谷は気にも止めていなかったであろう過去の記憶を洗う。カノスミノールの象徴は侵食、悟られぬよう蝕むやり口が印象的だった。当人さえ気付けない、それでいて時が来た時には気付いても手遅れなやり口。
「……手紙、俺が関与していた件で一つだけ奏に文書を届けたことがある」
「第一星は生徒会所属だからそれこそ色々な人から何かを受け取ってはいるだろうけど……一度その人を調べてみるのは時間の使い方としては有意義かも。キョウ伝いに他人を文書を預かった人の名前は?」
「ミリーシャ……ミリーシャ・ナルライア」
「……分かった。私の方で調べておくね。キョウは実物の文書を第一星から回収してくる?」
「あぁ、念の為そうしよう。場所は分かるか?」
「ほいっ」
スワイプした桜の指の先、神谷へと一通の電子データが届く。添付されたURLを開くとそこには新しくオープンしたカフェのホームページがあった。店の名前は『星屑の雫』、開店日は一週間後とも記載がある。
「……」
「私の新しいバイト先ぃ、そこに一星、四星も従業員として務める事になってるんだ。人手が足りなくてオープン前の清掃が間に合ってないから、男手としてよろしくぅ」
「お前掃除がめんどくさいから珍しくここにいたのか」
わざとらしく口笛を吹いて視線を外した桜に僅かながらに怒りが募る。神谷は知っていたのだ。こいつは片付けや整理整頓が非常に苦手であり、いつも持ち歩くカバンの中身はごちゃ混ぜになっている事を。
(まぁ仕方ないか)
整理整頓や片付けが苦手なのは枷付きとして生きてきた桜ならではの弊害だと知っていた。彼女の脳内は現在膨大な情報で埋もれている。過去の記憶がなくとも無意識に整理する事が無意味だと諦めているのだ。
『あれ?なんで私こんな小汚い本を大切にしてたんだろ……?』
かつて過去の桜は直結命令してしまう程の想いの結晶を、神谷の目の前でゴミのように投げ捨てた。それは未だに彼女へと返せてはいない。
CPUを飛び越えて世界に祈りを刻む程にその本には歴史があったのだ。だが彼女にとっては心を傷つける物語が殆どだった。かつての治験場、その被検体である桜ともう一人の失われた空想の記憶、交換日記であるその本には二人の少女の泡沫の日々が紡がれていたのだった。




