87話 滅亡のウイルスと希望の刀身
第四星は突如として心象に流れ込んできた負の感情に正気を奪われた。耳を覆いたくなるような醜い幻聴と疎外感。かつて隣を歩いていた友の背負う業は理不尽なまでに一方的だと悟る。
(……色んな人の感情が混ざりあって……私が私じゃなくなるみたい……)
天才という言葉は便利だ。秀才という言葉もしかり、個の積み上げた努力を本当の意味で理解するには同じ道を歩く他ない。たった二文字で人を敬遠と差別化してしまう便利な言葉なのだ。
(ボス……)
自分の意志とは関係なく体が奏へと敵意を剥き出しにしていた。学園の創立からこれまでに至るまで、学内の治安を一定水準に維持するために設けられた感情の抽出機能。一時的に電子化したそれは紅月 燐という個の心を用いて心想粒子へと形を戻していた。
(違うのに……私が人から向けて欲しかったのはこんな醜い感情じゃない……!)
そう願えど人間とは最も生み出しやすく、高いエネルギーの負の感情を垂れ流してしまうものだ。あるゆる承認と独占に憧れた少女は、自ら第一星の背負う孤独に犯されようとしていた。
(こんなの……耐えられない…………何も考えずに……何も見ずに…………ただ静かに……やりすごそ――)
異能の暴走によって世界から無制限に人の感情というエネルギーを集める燐、その重責を発散するには拡散させる以外にすべは無い。楽になりたいという感情が無意識に電脳世界の体へと伝播し、最も傷つけたくない存在へと牙を剥いた。
(ダメ……!ボス!!避けて!!)
人の想いを膨大に乗せた一撃は計り知れない威力を誇る。人に向けて良いはずがない、ましてやその先が友であるなど許されるはずがない。そんな自身の正義と我儘など一切の抑制にはならなかった。
だが世界へとはみ出た燐だけの感情が雫となる――
(何……これ?)
何も聞こえない。何も見えない。そして何も感じていないはずだった。入り交じる膨大な感情によって自分さえもそこへと溶けてしまいそうな中、ふと目の前に一筋の瞬きを感じた気がした。
「……ボス!!」
燐は意識の世界の中でようやく声という自分を取り戻した。埋め尽くさんばかりの勢いだった感情の塊、その一部分を掬い取るように蒼白の光が瞬く。心にのしかかる重責は少し軽くなった。
「ダメだよ!!ボス!!私を……!私を殺して良いからぁ……!」
楽になりたいと無意識に願っていたにも関わらず、こんな醜く危険な媒体を友に返すことが怖くなった。だが燐は知らない。自己犠牲の心は友も同じであり、自身の我儘を押し通すには強さが必要な事を。
「ボスに……!ボスにこんな想いして欲しくない!返してよ!!ボス――」
刹那、友の声が確かに響き渡った。
「たった一つの我儘くらい貫き通させてよ!!」
「……っ」
粘り気のあるどろどろとした感情、まとわりつくような不快感が一気に軽くなる。その次の瞬間だった。心を突き抜けるような友の本心が心象に刻まれていく。
【帰ってこい】
飾り気のない清々しい願いを受け取った燐の意識が電脳世界へと帰還した。友の願いとは優しい横暴性。勝手に隣からいなくなることを許さないと、暖かな怒りを添えられた心象に言葉が追いつかなかった。
「…………」
「おかえり、燐」
そこからは何を喋ったのかを燐は覚えていなかった。ただ湧き上がる贖罪を早く言葉にしたかった。空の涙は止まっても自身の流す雫は止まりそうにない。贖罪と感謝、そして今にも消えしまいそうな友の姿に不安が拭えなかったのだ。
「ボス……!!嫌!!消えないで!!」
「……」
「ねぇ……?ボス……!嘘だよね…」
「……異能を使った時に、不思議な全能感があったの。まるで世界の全てを書き換えられるような……不思議な感覚だったわ」
縋るように抱きついた。いつもならば踏み込めないはずの領域。それは身体的な距離感ではなく心の距離だ。縋るように触れた華奢な体は今にも触れることが叶わなくなりそうだった。
「多分私は死ぬとか、そんな話じゃないんだと思う。世界に……ううん、概念?分かんないけど……存在っていう輪郭が消えてなくなっちゃうのかな……?」
「ボス……!」
見上げた先には必死な作り笑いと静かな涙が。顔を埋めるように胸へと預け、背中には友の強い抱擁を受けた。だが背後から一人の男性の声が。
「良い推測だ。第一席……」
「……浅霧」
「誰……?」
抱き合っていた体勢から離れ、肩を並べるように立ち上がった二人は浅霧と向き合った。そこから始まった友と浅霧の会話は紅月にとって知識外の事ばかりだ。
「忠告を無視してどう責任を取るつもりだ」
「……メーバーは起動していないわ。このまま存在ごと消えてしまうなら……好都合じゃない」
「消える?違うな。お前は世界と同化するんだ。分かるか?国なんていうちっぽけな区切りを超え、全人類へと猛毒を蔓延させる滅亡の始まりとなる……」
「飛躍しすぎていて理解ができないわ。そもそもメーバーだって元を正せばただの兵器でしょ?そんなファンタジーな話……」
「……未来生体路線図に記された確定事項だ。ケーニスメイシャーという大国は今日滅びる運命にあると……政権はそう言っておられた」
「は……?」
話についていけずとも、燐にも一つ伝わったことがある。それは奏の背負うものは重すぎるということ。だがどうにも出来ない。何もしてあげられない。強く握った掌へと、くいこんだ自らの爪によって痛覚が走る。
「ボス……今にも消えちゃいそうだよ!メーバー?そんなのどうでも良いから早く何とかしないと!」
「……浅霧、その顔を見るにこの現象は…あんたでもどうにも出来ないってことよね」
瞳の先には渋い顔をした浅霧が。初対面にも関わらず、その威圧的な雰囲気とは似つかわしくない焦りが貴重なものに見えた。打つ手なし、この場にそんな空気感が漂い始めた次の瞬間、瞬く転送の光によって二人の人物が姿を現したのだった。
「……ユーリ様!?」
「やぁっ深夜、ヒジリもいるよ」
「え……?ガチの政権様……?」
「アトック天剣第四星、紅月 燐……そう、ガチの政権です。政権の一柱、ユーフィリル・ニーライア、以後お見知り置きを」
噂程度にしか知りえない存在に開いた口が閉じなかった。友も同じ気持ちだったらしく、互いに顔を見合わせては政権へと視線を戻し、コイのように口をパクパクする他ない様子だ。
「君達女の子は普通に青春して、普通に戦って、普通に泣いて、普通に笑って、そして願いの果てに今がある。人の想いに善し悪しなんて誰もつけられない。だから私はあなた達ふたりに国家転覆罪とか、なんとか……?まぁ、罪に問うつもりはないと初めに言っておきます」
抱擁するような優しい笑顔に安堵しかけた瞬間だった。政権は数多の顔色をもつのだと、燐にとってそう思わせたのはヒジリと呼ばれた男に向けた眼差しだ。浅霧以上の鋭く冷たい圧を感じさせる。
「本当に可能かな」
「さぁ?僕もやった事ないし、そもそも役者が足りない。そしてその役者も力を発揮出来るかは賭けだ」
「……正直そっちは心配してないよ。私が気になるのは前者の方。本当に切り離したメーバーを抽出できるの?」
そこへと奏が。
「ま、待ってください!なんの話しをしているんですか!?メーバーを抽出……?そんなの不可能だからカニスミノールの兵器たる所以じゃないんですか!」
「できる――」
政権の断言と共に風に乗った衣服の靡く音が近づく。独特の強化ワイヤーの伸縮する音、その視線の先へと猛スピードで迫り来る二人の人物が。その手にはそれぞれがガラスの剣を持ち、男性の方の顔に燐は目を大きく見開いた。
「悪い、遅くなった」
燐と奏が。
「「神谷!?」」
「……その…なんだ、まぁ、そういうことだ」
置いてけぼりのままに神谷の顔を追う。その瞳から迸る蒼い光。顔の移動に合わせて大気へと一筋の光が淡く消えていった。
「その表情……ヒジリから話は伝えられているようですね」
「政権、いや……ユーリ。俺はお前が嫌いだ。それからヒジリ、お前もいつか殴るからな。お前らが俺をハブった癖に、最後の最後で俺とシルフィーに頼るなんて虫が良すぎる」
「……伝えられて知ったのですか?それとも……自分で?」
「自分では推測の域を超えない。お前達が他国とシャドウ研究会に隠したかったものは……俺のこの力だろ?」
神谷の突き出したガラスの剣。向こう側が透けて見えるほどに透き通っており、神谷の隣で背中にて腕を組む少女もまた同じものを持つ。蒼白の武具、それだけで普通では無いことだけは燐にも分かる。
「推測でも恐れ入りますよ。少し悔しいです。ですが後ですね……協力してください、神谷君」
「当たり前だ。救える命があるのに手を貸さない道理は無い。切り離せば良いんだろう?久莉穹のCPUから……メーバーだけを」
「とんでもない事を口にしている自覚はありますよね。ですがその自信、大いに頼りになるばかりです」
「だが切除した後の抽出装置はどうする?ヒジリ、実際どんな代物で――」
燐にとって神谷はただ自身の持つ『集積』の創術が効きにくく、面白い人間という認識でしかなかった。理屈は何も分からない。この者達が何を話しているのか理解は不可能。だがそれでも、僅かながら感じられた友の救済、その香りに気が付けば手が伸びていた。
「神谷……!!お願い……します!ボスを助けてあげて!!」
「紅月……」
「なんで……?なんでそんな顔するの!?ねぇ!!助けてくれるんじゃないの!!?」
返された神谷の表情は罪悪感を示すものだった。あくまでこの者達が見ているのはメーバーという得体の知れないものだけ。それが添加されているからこそ、情けのように久莉穹 奏という存在を見ているように思えてしまった。
「ねぇ……?神谷…!ボスは…!ボスは助かるよね……?」
「……すまない」
「っ……!」
振り上げそうになった異能、そこへと奏が。
「止めなさい。こんな半透明な私を見ても無反応だった時点で察していたわ……忠告を無視した私への罰よ。それに……私の目の付け所は間違ってなかったって……最後に答え合わせができて嬉しいわ」
全てを受け入れた表情の友に言葉を失い、力が抜けるように神谷の服を手放した。この場にいる誰もが奏という存在を見ていない。だが一人、ただ疑問を口にしたはずの言霊が見えないもうひとつの希望を捉える。
「ニーライア卿、君は欲張りだね?」
「人間という生き物は欲がエネルギーとなります。無欲なように見えて穢れのない願いを放った第一星のように」
「観測者はどうするつもりだい?シャドウ研究会相手に生半可な手駒は逆効果だが」
「手紙でも出しておきましょう。喜んで頂けると嬉しい限りです」
「手紙となると…なるほど」
会話の主導権を握り続けていた頭の切れる二人の人物。共に金色の髪を持つ男性と女性、その二人の視線が友へと向いた。釣られた視界の先にはキョトンとした奏がいたのだった。




