86話 穹の輪郭
友の元へと駆けつけた奏の眼前に地獄絵図が仕上がっていった。舞い上がる刃と飛び散る肉体データの数々。肩ほどに長さを切りそろえた黒髪を振り乱し、時折前髪の隙間から覗くイカれた狂気の眼差し。変わり果てた友の姿に呆然とする他なかった。
「アハァッ!!調子デテキタァ!!」
「こんなものが……あいつの言ってた異能の代償だって言うの……?自らの祈りに呪い殺されてるじゃない……」
『狂戦士』
紅月の持つ異名の一つだ。奏にとっては愛称の一つと言える。だが今目の前で暴れるそれはとうにその域を超えた怪物だった。故に零した言葉には恐怖と哀れみが内包する。呼応するように空から雨が降りしきり、二人の衣服を黒く、重く染め上げていく。
奏の聞いた限りでは自らの祈りに蝕まれた者は決して元には戻れないということ。成れの果てとして、対峙した経験のある怪物が脳裏に過ぎる。友の未来を想像して哀傷を浮かばせた。悲しさと共にどこか覚悟を決めた様子で強く長剣を握る。
「ボスゥッ!!ボスナら……ボスナラワタシをミタシテくれるヨネェェェェェェェ!!!!」
「……燐」
燐の発狂に近しい咆哮と共に戦闘の火蓋が切られた。音を超越した鞭の切っ先、それは防壁の崩壊共に僅かに首を逸らした奏の頬へと紅い一閃を落とす。突き抜ける衝撃波、音よりも疾く、燐の懐へと転移した奏の瞳に熱が籠る――
「さよなら……燐」
奏の頬を掠った異能の鞭が後方の一帯を吹き飛ばす。だが同時に淡く、青く、全てを抱擁する空と同色の髪を持つ少女が長剣の剣撃と共に想像を穿つ。強く握る柄、その力強さには重たい覚悟の表れがあった。
友を殺める覚悟。そして驚きに満ちた燐と瞳が交わる。『殺す』という決意はすなわち本気を見せるということだ。不本意ながらも今の紅月相手には『手加減』が出来ないことを示していた。
「はっやァ……い!!」
「っ……!」
燐の到達した直結者の反射速度、それが剣撃と消失の猛風を破壊する。返した手首からとぐろ状に回転する鞭が創術ごと長剣を破壊し、衝撃波が二人の距離を分かつ。それでも奏は再び取り出した長剣と想像で波状攻撃を行い続けた。
一瞬にして荒廃していく市街地へと鳴り響く数多の衝撃波と創術の音色。神速を超越した奏の移動術、死角から死角へと何度も飛び交い振るった長剣が、異能の鞭と一瞬の鍔迫り合いを引き起こした。
「流石に反応速度が前の比じゃないわね」
「アハァッ!!効かナいよ!!ただの創術と長剣ナンて!!」
鍔迫り合いは瞬きほどもなく、すぐ様に壊れた長剣の隙を付け入るように鞭が空を切る。縦横無尽に命を刈り取る切っ先を紙一重で奏はかわし続けた。視認が難しくとも、それを振るう相手が紅月ならば不可能では無いのだ。
物理的に見えない背後からの攻撃も、三半規管を壊しかねない衝撃波も、奏は最小限のステップと断続的な転移で命を繋ぐ。例え奏と同様の実力を持っている者であっても、久莉穹 奏以外では既に地に伏せ息絶えていた事だろう。
「アハァッ!!全然アタラナイ!!ボス……!!凄いねェ!!ボスゥ!!」
「っ……!」
音速で立体的に繰り出される紅月の猛攻、それを的確に捌けるのは奏だからこその理由があった。燐と奏だからこそ成り立つ均衡、友として歩んだ時間が相手の癖と呼吸を知らしめるのだ。
攻撃になんの法則性がなくとも、肩を並べて歩いてくれた紅月だからこそ辛うじてその軌道が見える。直結者との接触、戦闘経験、そして友の呼吸と癖、これまでに築いた全ての記憶が攻撃軌道の予測をより明確なものへと昇華させていた。
異能の鞭の衝撃波は当たらずとも生命維持機関へと深刻なダメージを受ける。故に第四星の繰り出す攻撃は見かけ以上の範囲を誇っていた。弾けた小石が奏の衣服共々に皮膚へと浅い傷を残す。
(見えた……っ!!今――)
「っ……!」
弾幕のように押し寄せる全方位からの猛攻。見えない衝撃波、そして物理的な異能の切っ先、それらの針の穴のような抜け道へと己の足のみで飛び込んだ奏の髪が揺れる。
(――殺す)
数々の部位へと衣服のみが切り裂かれ肌が覗く。突き抜けた神装の切っ先が戻されるよりも速く、刹那程の狭間に奏の白刃が晒された友の首へと牙を剥く。そのはずだった。
「燐……っ!」
「アハァッ!」
握りしめたはずの覚悟と長剣、その白刃は紅月の喉元で止まった。止まってしまった。理屈ではなく、本能的に直結者の首を跳ねた後の顛末を拒む。友の死を否定する感情が奏の手を止めてしまったのだ。
殺めることでしか救済は無い。頭では分かっていても後数センチが動かせない。脆く崩れた覚悟は嫌な動悸となり、彼女と過ごした思い出が未練のように脳裏を馳せていく――
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
常人では隙とも言えない僅かな葛藤、その空白の狭間が奏へと致命傷を許す。絶対防壁の崩壊音、奏の悲鳴、それを合図に脇腹から走る激痛と絶望。
痛み、それは身体に受けた傷を指してはいない。絶望、それもまた足を掴むように迫り来る死の恐怖でもなかった。
(私に……燐は殺せない……殺したく…………ない)
どれだけ世界から最強と謳われても、友一人救えない無力さに自責の念が募る。心へと重く、深く、より色濃い絶望がのしかかる。殺すくらいならばいっそここで殺された方がマシだと思うほどに。
「シンジャウヨ?ボスゥッ!!」
「……!」
膝まづいて項垂れていた顔を上げた時だった。眼前へと差し迫る異能の切っ先、奏の眼差しへと映りこんだのは【死】だったのだろうか。
否、彼女の瞳に映ったのは友の『涙』。友であり、戦友である『紅月 燐』の一粒の雫だった。その雫にどんな意味や真実が含まれていたとしても、その感情の雫は奏自らが死を選ぶ事を良しとしない証となる――
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
咆哮と共に押しつけるように長剣を自身と『死』の間へとねじ込み、一瞬の鍔迫り合いによってその軌道を逸らした。刀身が砕けてもその手は柄を強く、固く握る。それは新たな覚悟と勇気の表れ。
友を殺める覚悟でも、己の死を持ってここから逃げ出す勇気でもない。この戦況には似つかわしくない友の流した涙、それが彼女へと再び闘争の意志を灯した。
「アハァッ!!剣ダシナヨ?マッテアゲルよ」
「……もう必要ないわ。だってこんなもの…あなたを殺すことしかできないもの」
長剣とは奏にとって創術共々に敵を討つ道具でしかない。砕けて短くなった刀身を静かに手放した。静かな市街地へと響く金属音、まるで己の殺意と弱さをそこへと置き去りにするかのように木霊し、心が強く共鳴した。
「あなたはただ認めて欲しかっただけでしょ?他の誰でもない……私自身に」
「アハァ……?ナニイッテンノ?早くヤろうよ――」
彼女の持つ異能の特質、それが色濃く奏へと侵食する。強制的に視線を、関心を、敵意を蓄積させ、敵対を強制されていく。だが奏は一切の負の感情を生まなかった。そんな負の媒体を向ける余地など初めから必要なかったと気付いたのだ。
「大丈夫よ、私もすぐにそっちに行くわ」
「……っ」
殺す覚悟でも、死ぬ勇気でもなく、我儘にも等しい真の決意。友一人救えない強さなど微塵も未練はなく、微笑みを浮かべた奏を中心に膨大な蒼白の粒子が飛び交った。
「アハァッ!!ボス!!ヤッバァ!!」
(大丈夫……魂を賭けて救えないなら…………悔いはない)
冴え渡る思考は写す世界を変えた。奏へとこれまで見てきた世界は酷く霞んでいたのだと感じさせる。その手には新たな覚悟と純白の指針、絶え間なく溢れ出る蒼白の粒子が衣服と長い髪を揺らし続けていた。
鍔のない日本刀のような形状、刀身は薄い板のようであり、そこに白刃はない。世界に存在という輪郭を持たない少女の手に具現化した異能の指針。呆然とその様を眺める燐へと、静かに微笑んだ奏の瞳から蒼い軌跡が走る――
「っ!?」
踏み込んだ単純な一振。異能の鞭を通常の片手剣のように戻した燐と鍔迫り合いが。流れ込むは燐でも、奏でもない有象無象の放つ醜い感情。冷たく突き放し続けてきたそれらは、自分が背負わなくてはならなかった業。だからこそただ静かに、自虐的に口ずさむ。
「もういいのよ。これは元々私のものなんだから」
「ボス……ッ!!何をシたの!?」
汚染された友の精神が僅かに浄化した。対照的に穢れのなかった純白の指針が黒く濁る。醜くとも人の放つ感情とは、創術と遜色のない強さを持つ。それを理解した奏だからこそ、そんな光景に焦りを持った燐へと告げた。
「あなたにはこんなもので強く在って欲しくない。本当に……本当にもう……これから先は何も求めないから、だから最後にこれだけは許して欲しい」
「アハァッ!!何言ってんの!!強さこそが全てでしょ!!ボスだってそれを目の当たりにしたからっ!私からその力を取り上げようとして――」
「――真意もあなたの推測もどうだって良いの。壊す強さなんかもういらない……!世界が私をまだ最強だと謳うのなら……!たった一つの我儘くらい貫き通させてよ!!」
その瞬間に奏の姿が世界から消えた。否、構築していたはずの未来線そのものが書き換えられ、その座標にて立ち止まり、会話をしていた現在に変化が起きたのだ。
極小規模でのタイムパラドックス。それは石ころひとつを蹴ったかどうかでさえも未来を大きく変化させてしまうもの。奏が望んだままに戦況が書き変わる。まるで消失による転移のように、いつの間にか燐の背後に位置取っていた。
「っ……!?」
「あなただって……本当はこんな醜いものが欲しかったわけじゃないでしょ――」
一太刀。純白の切り傷を燐の肩から肩へと刻む。防御に構えた異能の鞭はまるでないもののように通り抜けた。切断するでも、破壊するでもなく、それでいて確実に接触した事を知らしめる異能同士の音色。
「…………?」
「おかえり、燐」
燐へと集積した負の感情全てを吸い上げ、灰色に染まった指針を静かに下げる。最強である存在に課せられる嫉妬と憎悪という呪い、そこに伴う孤独という名の通行税。今も尚それらと向き合う気はなく、それでも友に同じものは背負わせたくないという我儘を貫く。
「なんで……?今のボスなら……私もろとも消しされたはずなのに……」
「……消し去るだけなら簡単かもね。でもそんなの嫌。だって……あなたを否定する事と何も変わらないもの」
「……っ!」
「なんて顔するのよ……知らなかった?私って、我儘なのよ」
「……ごめん、私何もボスの事考えてなかった…っ!他人の嫉妬は尊敬と羨望の眼差しとなんら変わらない羨ましいものだって思い込んでた……なのに……私……っ!ごめんなさい……」
「天剣に与えられるのは栄誉と称賛だけじゃない……それが早いうちに分かったんだから良いじゃない」
心の底からの笑顔を向けた奏に呼応するように、降り注ぎ続けていた空が泣き止んだ。雲の狭間から光のカーテンが差し込む。雨が止んでも目の前の親友の瞳が枯れる事はなかった。何故ならば奏の姿が徐々に透けていたから。
「ボス……!!嫌!!消えないで!!」
「……」
世界で最も純粋で穢れのない願いを刻んだ少女、久莉穹 奏はその代償を背負う。不純物に塗れた世界でこそ、彼女は他者から認識されるのだ。水中から外へと浮上する気泡のように、自ら籠を飛び立った少女は世界へと溶ける運命を受け入れる他なかったのだった。
あと1話神谷以外の視点続きます




