80-1話 天叢雲
討究者ネームレスの用いる天叢雲とは、神谷の知る限りでは本来術式を相手から隠すために開発されたという事だけ。CPUで処理した演算、後に世界へとその想像が投影される刹那に浮かぶ紋様、あれは攻撃の起こりと言えるものだ。
人間の脳で処理するには負担が大きい想像はともかく、諜報員の潜伏、そして信頼の勝ち取りに成功した者にとっての暗殺ツールという認識が色濃い。意表を突くならば強い想像は必要ないためだ。
(天叢雲に……っ!こんな使い方あるのかよっ!!)
断続的に発生するソニックブーム、その音が聞こえた頃には白刃が眼前へと差し迫る戦場で、辛うじて直結命令の恩恵が命を繋いでいた。だが打つ手がないのも現状であった。
「ヒジリ!!後どれくらいかかる!」
「五分……長くとも五分だけ頼む」
ネームレスが。
「二分で終わる――」
轟くような大音響を撒き散らしながらネームレスが動いた。直進からの剣撃、それを立体的に様々な角度から何度も猛襲される。例え剣で受け止めようも、余りの衝撃に体が吹き飛んでしまうため、神谷は辛うじて見える剣先の軌道を推測して受け流した。
(創術を外部じゃなく、内部に展開し続けるなんて聞いたこともない……!)
ネームレスが死角に潜り続けるため空気の破裂するような音が四方から響き渡り、幾度かのフェイントの後に背後から鉄剣が煌めく。僅かに反応の遅れた神谷が篭手で剣撃を受けた瞬間のことだった。
「うぉ……っ!」
地から攫うように真横へと体が浮く。その刹那に眼前へと投擲の構えを見せるネームレスが。身体強化によって異常なまでの肩力で放たれた鉄製の剣、それもまた空気の壁を破り、大音響を撒き散らしながら大気との摩擦で真紅に染まった。
「冗談じゃない……!ふざけんなよ!!」
投擲された剣は神谷へと届く前に摩擦熱で塵に。だがその衝撃波がコンクリートの床と大気を削り、衝撃波と共に大小のつぶてが亜音速に近い速度で神谷へと牙を剥く。神谷の取り出した刀身には鞘、身動きの取れない空中で体幹のみを頼りに全力で振るった。
衝突しあう空気の壁により、急速に変化する圧力から一帯へと暴風が発生。四散する大地のつぶてから顔を守るように構えた神谷は、靴底を削りながら吹き飛んだ勢いを殺して次の攻撃へと備えた。
「直結者の中でも随分と目が良いな」
気が付けば背後へと移動しているネームレスが間合いを確認するように神谷を中心に円を描いて歩く。神谷にとって迂闊に踏み込めない状況だが、敵対者は強制的にそうせざるを得ない手を下した。
「そっちから来ないなら先にヒジリを――」
「ちっ!!」
ヒジリへと敵意が向いた一瞬の間に剣を力任せに放り投げた。次に取り出すは二丁の散弾銃だ。壊れた空道鉤爪も再度新しいものへと交換し、離れた間合いを詰めるはアンカーによる弾丸のような弾性力。
(殺す気でやらないと……こっちが死ぬ)
異能の武具強化による効果で銃火器そのもののリミッターを外した一撃は、従来の威力とはかけ離れたものになる代わりに一度の使用で銃は大破する。使い捨てと化した散弾銃の弾丸速度は最早肉眼では観測不可能だ。
だがネームレスは散らばるような広範囲の射線から容易に退避した。弾丸よりも早く、再度音の壁を破りながら縦横無尽に神谷へと牙を剥く。
「っ……!」
「……」
「激しすぎて……っ!全然加勢できない……っ!」
透華の言葉通り、顔を覆うほどの衝撃の連続に立ち入る隙はなかった。事実二人の戦闘に割って入るのは自殺行為と言える。直結者であってもネームレスの動きを追うのは至難の業であり、間合いの少し外から眺める他ない。
「本当によく見える目だな……?こんなに当たらないものじゃないんだが」
「涼しい顔して嫌味言うなよ……!クソっ!」
自身の得意とする観察眼、それは何も目に見えるものだけに反映されるのではない。神谷がいつも見ているのは他人の心模様であり、無意識にネームレスの攻撃の呼吸とリズムを見透かす事で奇跡的な回避を成立させていた。
世界の時間が進む。時間にして一分と三○秒、戦闘開始から刻まれたこの経過時間に戦場の天秤が傾いた。ネームレスの踏み込んだ剣撃、それをいなした神谷の胸部が僅かに開く。心臓を位置する場所へと間髪入れずに走るは強い衝撃。
「がっ――」
ネームレスの振り抜くような剣撃の後、そのまま貫くような鋭い回し蹴りによって神谷の体がノーバウンドで数十メートル後方へと吹き飛んだのだった。身体強化によって狙い撃ちにされた心部、一瞬の衝撃に神谷の意識が断絶する。
「神谷!!」
「まずは一人……お前もすぐに――」
神谷の名を呼ぶ海白へとネームレスが足を踏み出した刹那、この場の全員が感じたことの無いプレッシャーに動きを止めた。ヒジリも例外ではなく、皆の視線がただ一点へと収束する。
「……まだ生きてたのか」
「……」
その先には項垂れた様子で両腕を垂らした神谷が立っていた。俯いているせいか顔色は見えない。静かな殺気と共に蒼白の篭手から溢れ出る黒い霧が炎のように揺らめく。ゆっくりと表を上げた青年の瞳には光が消え失せていたのだった。




