79話 名前を失った戦士
言えない四つ目の課題、そう告げられた神谷の眉間にシワが寄った。一刻を争う事態にも関わらず、悠長なことを言っている場合ではないだろうと、やや噛みつき気味に神谷は問いかける。
「最悪の事態なんだろ?そんな事言ってる場合かよ」
「……確言の詠人、いわゆる『収束機』が事象に深く関わってしまっていることで事態はかなり複雑になってしまっていてね」
「決定力とかなんとか言ってたやつか」
「時間が無いから端的に言うと、あれは未来生体路線図にない未来を作る異物だ。だが当事者にその自覚はない。だからこそ計画に無意識に組み込まれた人物達、それらとの接触に未来が不安定になっている」
「……よく分からないが、未来を作るなんてそんな事が可能なのか」
「あれは最早呪いだよ。例えば誰かを死なせたくないと願えば、未来を複雑に繋ぎ合わせてその事象を書き換えてしまう。その過程でどれだけ多くの犠牲が出たとしても……ね」
突如として背筋の凍るような冷たい眼差しになったヒジリに戦慄する。極稀に見せる表情であり、ここ数年振りに見た久しいものでもあった。こういう時のヒジリに共通する事は一つ、どれだけ最適解を選ぼうと絶対に犠牲者が出てしまうというものだ。
「……もし仮に正しい選択と処置を奇跡的に選べたとして、どれくらいの犠牲が出そうだ?」
「神谷的には一人、政権や僕からしたらゼロと言ったところかな」
「その被害者は収束機の事か?人格があっても所詮はNPCだから、人間じゃないから犠牲者ではないと?」
「少し棘のある言い方だったね、すまない。だが収束機を破壊せずに丸く収めるにはリスクが計り知れない。なにせ未来生体路線図が機能しないに等しい」
時間がないと言いつつ、ヒジリはどこか言い淀んでいるように見えた。いつもならば的確な指示と予想を持ってして最善策を最速で組み立てるヒジリがだ。だからこそ神谷は言う。
「未来生体路線図は絶対じゃない。それはシルフィーの一件で証明されているはずだ。被害者0人を前提に知恵をかしてくれヒジリ」
「キョウが変わらずにいてくれて良かった。出来る限りの事はするが、言ったように収束機の影響で未来生体路線図の書き記した未来があてにならない。どんな過程を通じて、どんな結末になっても後悔はしないで欲しい」
「後悔しないために抗うんだよ」
「言ったね?じゃあ手始めに乗っ取られた学園のセキリュティを破壊しようか」
そう言って歩み出たヒジリが高位権能者のアクセス権限を使用した。一般的な市民や部隊リーダーには到底与えられることの無い理への干渉能力。神谷は自身のリーダーの行わんとする偉業に目を見開く他なかった。
「ハッキングする気か……?暴れてるあれは放置しても良いのか気になるが」
学園に近づきつつある轟音の正体、それに対して懸念を抱く神谷へとヒジリが。
「あれも手を打たないといけないが先にこっちだね。すまないがキョウ、恐らく僕のハッキングにシャドウ研究会がすぐに勘づくと思う。時間を稼いでくれ――」
ヒジリを中心に数多の可視化情報が宙へと綴られた。真っ向からアトックのセキリュティへと改変、解析、検証を始めた兆しであり、その発生から僅か二秒。
――待ち構えていたかのように討究者の一人が転送と同時に想像の矛を穿つ。
「ほんとに来やがった……!」
ヒジリへと放たれた一振の剣撃、そこへと己の刀身を重ねるように振り切った神谷だが、異能の篭手を通しているにも関わらず両者の剣は形を保てず粉々へと砕け散った。それどころか異常なまでの衝撃を中和しきれず、二人は後方へと吹き飛んだのだった。
(なんだ……?今の威力は)
「よりによって討究者の中でも君が来たのかい」
ヒジリの発言に静かに男は目線だけを送る。腹筋だけを露出させた、体に張り付くような丈の短いシャツ、そしてスカーフとマントが一体化したかのような黒い布地が風に靡いた。黒い前髪から覗く鋭い眼光と共に、漆黒のマスク越しに男が。
「俺以外に適任がいないらしい。それにしても直結者が二人とヒジリか……直結者は久しぶりだな――」
神谷と男の距離はおおよそ十メートルはあったはずだった。思考加速の恩恵を持ってしても、男の輪郭が真横に伸びて認識される程の絶対的な速さ。辛うじて見切った神速の移動と剣撃に驚きつつも、神谷は反射的に取り出した剣でそれを受け止めてみせたのだった。
「うぉっ……!」
両者の剣は再び粉々に。それでも尚殺しきれない衝撃に神谷の体が後方へと吹き飛ぶ。数メートルを一度も地に着く事なく浮く体、それでいて空気の壁を破る音に目を凝らす。
(身体強化……!)
対峙する男の想像特質である身体強化。これは並の術者でも容易に体現可能である。ただしそれは瞬間的な自滅を前提にすればという前置きが着く。理由は単純明白、人の体は細胞強化によるデタラメな動きに耐えられないから。
「っ!!」
吹き飛んだ体が地に着く前にアンカーを空へと放った。紙一重で男の追撃の白刃がすり抜けていく。空中ならば、断続的な身体強化による移動と攻撃は不可能だという経験則による決断。だが対峙する人物、名前を持たない討究者には悪手以外の何物でもない。
「嘘だろ……おい!なんで身体がぶっ壊れないんだよ!!」
マッハを超える速度によって断続的に音の壁を破壊する男が空を縦横無尽に跳ねる。そのどれもが基礎的な想像のみで構築されており、理論上実現可能でも、肉体がなぜ空気の壁との衝突に耐えられるのかが不明だった。
身体強化による踏み込み、そして空中での方向転換はピンポイントに設置した逆噴射の風。これを連続的に行っているに過ぎない。だがこれはCPUでは追いつけない演算速度の処理が必要だった。単純な相殺術壁といえど、ここまでの連続的な展開と破壊は不可能なはずなのだ。
「天叢雲を知らないのか?」
「あっぶね……っ!」
宙をアンカーで舞う神谷と、人間離れした跳躍で牙を剥く敵対者。天叢雲というツール名に神谷の思考が重なり、一瞬の隙が生まれてしまったのだった。
「しまっ――」
音が遅れて聞こえてくる程の移動、立体的に風の壁を蹴りながら神谷の上空へと飛んだ敵対者が一際強く空を蹴る。強烈なソニックブームは神谷の聴力を鈍らせ、気が付けば眼前へと白刃が差し迫る。
「っ!!」
腕を交差し、篭手で受け止めるも尋常ではない速度で地へと落ちた。直結者である以上即死は免れない。両腕のアンカーを射出し、空を掴んで勢いを殺すよう試みるも一秒も持たない。
「神谷!!」
一瞬にしてちぎれたアンカー、本能的に死を覚悟した神谷だったが下には透華が。異能の扇子を振るい、突発的で強力な上昇気流を起こす。それでも神谷の落下の勢いは殺しきれない。背中から地面へと強く打ち付けられ、肺の中の空気が強制的に吐き出されたのだった。
「がっ……はっ!」
「よく防げたな」
「ちょっとは……っ!待てよ!!」
神谷が空に残したちぎれたアンカー、それを握った敵対者が着地するより早くに振るう。剣道の上段のように上から下へと振り落とされたアンカーは、ムチのようにしなりを付けて空気の壁と共に神谷の座標へと衝撃音を撒き散らした。
「危ねぇ……!」
地を転がり、後転から倒立して跳ねるように立ち上がった神谷。動きを止め、少しこちらを観察し始めた敵対者が。
「アークから名前を聞いていたが忘れた。お前、名前は」
「…神谷、お前は?」
「神谷……あぁ、レーヴァテインの神谷か。俺に名前は無い。アークやマリカは俺の事をネームレスと呼んでいるが、名前ってそんなに重要か」
「さぁな。どちらかと言うと、今はお前の名前より人間離れした動き、そのからくりについて知りたい気分だ」
『天叢雲』
ネームレスが口にしたこのツールは特別違法性を帯びている代物では無い。むしろ一般人には利用価値の不明なCPU入力装置であり、その性質は演算結果のみの信号入力。
通常術者は膨大な創術の演算をCPUの機能によって賄う。創成世界やそれらに準ずる、大規模な想像になればなるほど人間の脳では処理が難しいためだ。わざわざ自身の脳細胞で演算を終わらせ、CPUへと結果のみを送る天叢雲の利用価値が神谷には分からなかった。
「創成世界のような想像は脳細胞だけでは時間がかかる。だが単純な処理なら暗算でも出来る、それだけだ。何が分からないんだ」
そんなネームレスへと神谷が。
「幾ら単純な創術とは言え……は?いや、まさかお前……」
人間の体は当然ながら人間離れした動きなど出来ないように作られている。だからこそ書いて字のごとく人間離れなのだ。身体強化とは言葉で言うよりも複雑で、必ずと言って良いほどパラドックスへと陥る。
筋肉という電子データを肥大させれば骨が追いつかず、神速の移動は空気の壁に圧殺される。つまりそれを実現するには、体そのものを変質させる肉体変化等の創術を両立しなければ実現しないはずなのだ。
人間の体では不可能な動きならば、体そのものを人間から作り変えねばならない。そしてそれほどの複雑な創術の構築など、人間の脳みそだけで行うには負荷が大きすぎた。
「細胞レベルの相殺術壁、それの展開と破壊を繰り返してるのか?」
「……相殺術壁程度なら暗算でも構築できるからな」
身体強化に伴う肉体の損傷、それらを体に内包した相殺術壁によって中和する。最低限、かつ高燃費。だがそれは単純な演算だとしても、変化的で膨大な数値を瞬間的に捌く能力が求められる。物理的にCPUの演算速度では間に合わないものだ。
「口で言うほど簡単な事じゃないだろ!」
肉体損傷、それらを拡大すれば細胞一つ一つが密接に関係する。ソニックブームによる衝撃の中和、瞬間的に細胞レベルで再構築の必要な相殺術壁を暗算し、天叢雲を持ってして結果のみをCPUへと送信。
フラッシュ暗算どころではない天才的な暗算処理能力を備え持つネームレスだけに許された猛攻。当然ながら外部へと当てる相殺術壁など展開する余裕はなく、一歩違えば自滅は免れない諸刃の刃でもあった。
「少し喋りすぎたな……ヒジリの解析が終わる前に片付けようか」
「あと十分くらい付き合ってくれた方が嬉しいんだがなっ!!」
神谷による下から斜め上へと切り上げた一撃に斬撃が吹き荒れる。それを合図に再び音が遅れて聞こえてくる戦場が生まれた。討究者ネームレス、非直結者でありながら対異能に特化した戦士はまだ知らない。
蒼白の篭手に込められた当事者だけの色濃い祈りの本質を。




