32話 終末の捕食者オメガ
シリウスの隊員だと一目で分かる、天秤の刺繍のある装衣の男を前に、それでもシルフィーを除く一同は冷静だった。何故ならばこの場には異能の力を秘めた者が三名もいるから。
「シリウスの隊員だよな?俺達は一体なんの容疑で銃を突きつけられなきゃいけないんだ」
「機密情報の奪取、及びにシリウス隊員の誘拐……っ!他にも余罪はあると隊長は睨んでいる!既に建物の周りも包囲済みだ!!大人しく取り調べを受けてもらう……!」
「待って……誘拐された隊員って…私の事?それなら私は自分の意思でこの人達について行ってるから……関係ない」
誘拐という一点において自身の存在を疑ったシルフィーが神谷達の潔白を証明するも、シリウスの隊員は更に語気を強めた。
「黙れ!妙な動きを見せるなよ……?特に神谷 鏡!貴様に対しては逮捕令状も出ている!!拘束させてもらうぞ!!」
「それはまぁお熱い事だな」
冷静な神谷に続き、土屋が襲撃者から紡がれた真実に対して結末の予想を口にした。
「さて……包囲されてるのは少し面倒だな。まともな待遇は期待できそうにないし……どうする?神谷」
「どうするも何も……やるしかないだろ」
「妙な動きをするなと……!言っただろう!!」
篭手を装着させた神谷が鉄製の剣と拳銃を手に、廃屋の入口を睨み付けた。扉の外れたただの枠組みと化したそこに映っていた一人の男性、翳した右の掌から広がる紋様は想像を穿つ。
はずだった――
「――え」
驚きの声を出したのは神谷ではない。創術を展開しようとしていた男性自身の声。だが驚きという心象を抱いたのは神谷も同じ。何故ならば枠組みに収まるように立っていたその者の上半身が消し飛んだから。
「黒い……腕…っ!」
男は直径六十程の黒い丸太のようなものによって半身を失った。頭部という命令発信部を失った下半身が床へと伏せる光景を神谷は見る。そして少ししてからその上半身が再び扉の枠組みへと姿を現したのだった。
「た……助け…っ」
男のへそから飲み込むようにその上半身をぶら下げた何か。丸太のような太く黒いそれは霧のように輪郭が曖昧であり、その先端とも言える場所から男の上半身を捕食していた。神谷の視界へと映るのは苦悶の表情だ。
「ああああああああぁぁぁ!!!!!!」
蝕むように襲撃者の上体を侵食していく黒い霧に伴い、痛みを訴える声が木霊する。そして神谷達が身を隠した廃屋が突如として全壊した。男を侵食する腕とも言えるそれが、横薙ぎに振るわれたのだった。
「まずい……!」
「やっばぁぁぁぁ!?潰れちゃうってぇぇぇぇ!?」
龍奈の悲鳴の通り崩壊する建物の瓦礫が押し寄せる。神谷が蒼白の篭手に握る剣に力を込めた時、不意に隣の銀髪が揺れた。シルフィー・ハネライドの願いが仲間の危機を拒んだ――
「させない……っ!!」
神谷、土屋、龍奈、そしてシルフィー自身、四人全員へと同時に展開された相殺術壁。共に煌めくは無色透明の刃。数百本に及ぶそれは法則などなく全方位へと放たれ、押し寄せる瓦礫を細かく断裁させた。
痛みによる恐怖か、はたまた別の理由があったのか、一時的に創術が使えなくなっていたはずの彼女に神谷は驚きの顔を浮かべる他なかった。自身を守るような想像も、そしてその規模も、神谷が最後に見たシルフィーの創術と比べて遥かに上質なものに変化していると。
「シル…フィーっ!」
細かく切り裂かれた大量の瓦礫が防壁へとぶつかり、溶けるようにその姿を消す。頭部を守るように屈んだ神谷はシルフィーと目が合った。それは彼にとってはどこか面影のある表情。含みのある強がりを秘めたような微笑み。
(無茶をする時のフィネアみたいな顔しやがって……でも助かった……っ!!)
シルフィーが細かく切り裂いたとはいえ、未だに瓦礫が降り注ぐ中神谷は走り抜けた。降り注ぐ瓦礫はシルフィーの防壁が守る、その安心と信頼を胸に矛を振るう事だけに己の意識を向ける。
廃屋が崩れたことによってその全貌を見せた黒い霧。それは駆け出した足音が矛を振るうべき相手。否、それ以上に彼には優先すべきものへと剣を振るう。
「間に……合えっ!!」
巨大な黒い霧、それは人型を模した何か。五メートルは優に超えるその背丈と異常なまでに太い四肢。風切り音と共に神谷達を襲撃した男を掴むその腕が落ちた。
咄嗟に装着した空道鉤爪によって神谷が最短距離で詰め寄ったのだ。黒い腕を掴んだ鉤爪、そして手繰り寄せるような所作、限界まで高まった張力が弾丸のような空中の移動を実現させる。腕の黒腕の切断と共に宙で身を翻した神谷が言った。
「うぁ……っ」
「まだ動くなよ!!」
やや高い位置から落ちた男が呻き声を上げるも、切除した黒い物体が四つのシャドウへと形を変える。受け身と同時に神谷が纏うような剣撃でそれらを瞬時に霧散させたのだった。
「おい……!しっかりしろ!!生きてるか!!」
「う……助け…てくれ」
「よし……っ!生きてるな?小隊のリーダーは誰だ!?」
「た、隊長は今いない……第一小隊の者と交戦していて……」
「ちょっと掴むぞ!!」
途切れ途切れの言葉を紡ぐ上半身だけの男、その途中に振り落とされた黒腕を神谷は飛び退きかわした。左手で男の襟首を掴んで自身と他者の命を繋ぐ。
「リーダーは不在か…!クソっ!他の奴らも完全に固まってやがる……っ」
他者にとっては未知の霧、それを警戒したまま辺りを見渡した神谷はそう言った。事実、本来神谷達を襲撃しに来た一同は完全に萎縮しており、隊にとっての頭となる指示を出す者は見当たらなかった。
「うぁ……っ」
神谷は上半身だけの男を小隊の一人へと投げ捨てた。
「お前らはさっさと逃げろ!!」
「だ、だが我々は…!お前達を……」
「死にたいのか!!早くしろ!!」
蠢く巨大な黒い塊が切除した腕をかざす。修復とは言い難い増幅するような動きと共に元の長さへと戻った。そしてしなりをつけるように振りかぶられたそれが黒く大きな水滴となり、得た慣性によって広範囲へと飛び散り神谷達へと襲いかかる。
「私が……守る…っ!」
「やれるのか……!シルフィー!!」
「やってみせる……っ!!」
彼女の翳した右腕、そこから広がった巨大な紋様が一帯の空へと浮かび上がった。それは脳内で描いた想像が世界へと投影される前触れ。散弾銃のように広がるおびただしい数の透明な刃、その数は黒い水滴と同じ、いやそれ以上だ。
シルフィーの放った刃とぶつかり飛び散った黒い塊が降り注ぐ中、逃げ惑う兵士達を横目に神谷は剣を水平に構えた。神谷だからこそ知る黒い捕食者の特性故の行動。
「神谷……っ黒いモヤが全部シャドウにっ」
「分かってる……!」
シルフィーの言うように敵の肉片は地に落ちた後、その全てがひとりでに蠢くシャドウとなる。それこそがたった今敵対する物体の持つ大きな特徴だった。
「っ……凄い剣撃……」
近くにいた神谷とシルフィーを中心に、異能の力が螺旋状に渦巻き全てのシャドウを無に返す。同じ敵を見るシルフィーが問いかけた。
「神谷……あれは……?」
「……【オメガ】。シャドウと同じ…人類共通の脅威だ」
【オメガ】
それは人類を捕食する死の運び人。生命データを貪り、人間を死に陥れるという点においてはシャドウと同じ。だがオメガと呼べる個体はその大きさも、強さも、性能も違う。
極めつけは切除したオメガの部位がシャドウを生み出すという点だ。攻撃する程に悪戯にシャドウという敵を増やす特性から、並の兵士は『目撃した場合は速やかに逃亡せよ』というのが世界の常識でもあった。
さもなくば交戦者は他者に残る自身の存在記憶以外にその存在の証を残せないことだろう。
「柊真!!シリウスの兵士が逃げ終わった!!龍奈とシルフィーを連れて――」
「神谷……私も戦う」
「……勝てない相手だぞ?」
「時間稼ぎなら……二人の方が、良い」
視線だけを動かして見つめあった両者、神谷はその青い瞳から伝わる彼女の決意を受け取った。そして同時に気付く。シルフィーはどこか迷いのようなものを断ち切ったのだと。
「分かった。柊真、聞いてたよな?龍奈を頼んだぞ」
「……死ぬなよ」
シルフィーの再展開した相殺術壁と駆け出した土屋達を合図に、オメガはその巨体を蠢かせた。撤退を始めた土屋の方へと関心を移したのだ。だが神谷が力業でその興味、関心を己へと向けさせる。お前の相手はこちらだと言わんばかりに。
「っ!!」
渾身の力で振るう剣撃が空間ごとオメガの頭部らしき部分を切り裂く。追撃のごとく降り注ぐはシルフィーの想像、ガラスの刃。両者の攻撃によって飛び散る黒い霧、分裂するように増えるシャドウは神谷が穿つ。
「時間を稼ぐぞ……シルフィー!!」
「うん……っ!」
彼らは立ち向かう相手の真理を知らない。オメガという存在、その意味を。だからこそ穢れなき祈りと希望の灯火が強く、気高く光を放つのだった。