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娼館の歌姫 (9)死を悼む唄

 あれは遠い昔――――旅の途中、森の中で猟師が仕掛けた罠に誤ってかかり、足を負傷している女を見つけた。

 手当をし、彼女を家まで送る。そして彼女が早くに両親を亡くし、天涯孤独の身の上とわかり、怪我が治るまで側にいた。

 女の傷も癒えた頃、去ろうとすると彼女は涙を流し引きとめる。

「たとえ、貴方が何者であろうと構わない。一緒にいて欲しい」と。

 二人の間を流れる時の速さが違うとしても、一緒にいれるだけいい――それだけで構わないと。

 (たましい)賭けて愛していたか?と問われると少し躊躇するが、暖かく柔らかい幸せではあった。

 言葉をかけ、微笑み合い、労わりあい、慈しみあい――手に入れた温もりを拒絶する事は出来なかった、例えそれが泡沫(うたかた)の夢と知っていても。

 彷徨い、流浪の末に見つけた安息の場所、それが此処(ここ)なのだと信じたかったのだ。

 あの日が来るまでは――――

 森の中で魔族と出会い、召喚された異形に襲われ、女を守り一度は息絶えたはずの自分。

 目を覚ました時には数体の異形の死骸と、木の陰に寄りかかっている女の長い髪が見えた。

 助かったのだ。何処かに隠れていたのか、彼女は助かったのだ――――名を呼び、後ろから抱きしめようとした手に触れたのは硬い木、そして夥しい乾きかけ赤黒く変色した血液。

 手に残ったのは苦悶の表情を浮かべ、恐怖に引きつりながら死んだであろう彼女の首だけだった。

「愛しているわ、ラルフ。私が死んだ後でも、貴方が寂しくないように……それだけを私は祈ってる」

――――いや、彼女の言葉と、後悔、自責、怨嗟の想いも俺には残ったんだったな――――






(もうあんな想いを――死にたい自分では無く、他の者が目の前で死んでいくのは嫌だ……。しかもこんな少女が……)

 少女の細い肩を抱く、ラルフの腕に力が(こも)った。

 そんな場合では無いというのに、過去を思い出してしまった。いや、むしろそれは彼にとって消し去りたい記憶。己が死なないだけで、身近な者の死が永遠に彼を苛み続ける。その苦しみから逃れるには、他人との関わりなど一切断つ事――そして、少しでも早く己が朽ち果てる事。

「ん……」

 腕の中の(かす)かな気配に、ラルフの思考は現実に引き戻された。彼が強く肩を抱いたせいで、リィネシアの意識が覚醒しようとしている。

(問題はどう説明するか、だった。「貴女の中にいるナニかが全部かたずけてくれました」とは、まさか言えないし……)

 確かに言いにくい話だ。しかも不老不死のラルフ、抜けない魔剣、そして彼女の中にいる者はどこかで繋がっている可能性が極めて高い。あの似通った魔力の波動がそれを物語っていた。全てが己のせいのようで、彼は気まずさを覚える。

 考えあぐねているラルフを嘲笑うように、腕の中の美しい少女の瞼が動き、ゆっくりとその瞳は開かれた。

 リィネシアはまず辺りを見回す。そして焼き尽くしたはずの腕が有る事を確認し、眉を顰めた。

「……魔族はお前が倒したのか? そして何故、俺の怪我は治っている?」 

 ひとしきり状況判断が済むと、彼女は彼が危惧した通りの質問をしたのである。 

「姫様?」

「俺の質問に答えろ」

 とりあえず、本当のリィネシアのようだ。また、悪趣味なもう一つの『運命』が出てくるのは勘弁して欲しい。

 彼女は立ち上がり、まず、体の様子を確かめた。一切の傷跡も、痛みも残っていないようだ。血に汚れ、裂けた衣服はそのままだが、傷を癒す事は完全に成功したようである。

「あの後、何が起こった?」

(ああ、何と説明しようか――)

 彼女の瞳が再び開くまで、かなりラルフの頭を悩ませていた問題だ。

 彼自身も謎が多すぎて眩暈がしてるのに、この混乱地獄に巻きこむのもどうだろうと悩む。アレが彼女を『依巫(よりまし)』と言ったのも気になっていた。そんなモノが自分の内にいるというのは、どう考えても彼女を悩ませる事になるだろう。

「姫様が気を失いながらも、剣を抜いてくれたんですよ。おかげで何とか……」

 嘘は言っていない。中身は違ったが、剣を抜いたのは『リィネシア』だ。

『事実』ではあるが、『真実』ではないという、要は詭弁である。

「ふーん?」

 冷やかな瞳で彼女は彼を見つめた。

(あ、やっぱり疑ってる……)

「つまりお前はあの魔剣を扱えるという訳だな?」

 だが、リィネシアの口から出たのは、彼の予想に反する言葉であった。

「そのようですね……」

「ふむ――ところであの魔剣の属性は何だったんだ?」

「……闇のようです」

 魔剣という媒体があったとしても、四属性の魔力を扱う事は普通の人間には不可能。それぞれの神々の血を受け継ぐ子孫にのみ、その能力(ちから)は与えられるのだから。

「つまり闇を扱えるという事は、お前がカイオス神の血族である可能性も出てきた訳か」

 混沌の闇を司るのは唯一絶対神であったカイオス神のみ。確かにそう考えると、辻褄が合わないでも無い。

「そんな、まさか――」

「有り得ない話じゃない。むしろ、それなら完全な不老不死である事も説明がつくかも知れない。良かったじゃないか、手がかりが出来て」

 片眉だけ上げて笑って見せるリィネシアのとんでもない言葉に、ラルフはこめかみを押さえた。

(不老不死だけでも頭痛がするのに、この上、カイオス神まで関わってくるとは――)

「今までの歴史の中に、四大神は人前に姿を現す事もあったそうだが、カイオス神に限ってはそういう話を聞かない。まぁ、邪神も姿を見せた事は無いそうだが。四大神のように、人と婚姻を結んだ絶対神のご落胤(らくいん)がいたとしても、おかしくは無いだろう?」

 しばらく思案に耽ったかと思うと、ラルフを見て彼女は微妙な笑みを浮かべた。

「今……『ご落胤って言葉がコイツほど合わない奴はいねぇな』とか、考えたでしょ?」

「なかなか鋭いじゃないか」

 満足気に微笑む不遜な主を見て、ラルフは溜息をついた。もう何とでも言ってくれといった心境だ。

「だが、俺はもっと鋭いつもりなんだがな。今は聞かないが、隠している事はそのうち話す気になるのを待っている」

 彼女の視線は冷ややかで――ラルフは怜悧な刃を首筋に突き付けられたような気がした。どこまで読んでいるのだろうか、この少女の知識、思考は計り知れない。

「ところでお前、何か刃物を持っていないか? 俺のナイフは使い物にならなくなったようだ」

 彼女のナイフは蟲の血がこびり付き、輝きは曇り、ところどころ欠けてしまっている。ラルフは己の荷の中から、鋭いナイフを出し、彼女に渡す。するとリィネシアはその長い三編みを掴み、ナイフで切った。結わえていた髪は風に広がり、血の匂いの中に微かな花の香が漂う。

「――何を!?」

「蟲達を送ってやる……安らかに眠れるように」

 漆黒の髪を一房握り締め、彼女は蟲達の死骸に歩み寄る。

「汝ら地の眷族よ、汚された身、魂は浄化され、再び大地に還らん事を我は祈る。リィネシア・ガルアードの名において命ずる。浄化の焔よ、我が身贄とし地の眷族の穢れ焼き尽くせ。イグニス――」

 凛とした声で紡ぐ言霊は、静寂の中で一際美しく響いた。彼女の手から放たれる漆黒の髪は風の中で青白き焔となり、蟲達の亡骸(なきがら)を覆っていく。燃え上がる焔の光に照らされながら、哀れだとその横顔は語っていた。

「貴女はどうして……先程、苦しめられた者達にまで……」

 射抜くような視線でリィネシアは、ラルフを睨んだ。

「こいつらは好きでこうなったんじゃない。魔族の召喚という術は本来在るべき姿を歪め、転生すら叶わぬ輪廻を外れさせられる事だ。このままこいつらは此処で朽ち果てながら、大地を穢し続ける。決して望まぬ事なのに」

 静かに語る声、だが冷たく厳しい瞳はラルフを真っ直ぐに見つめていた。その瞳に気押され、彼は何も言えない。

「俺は自分が可愛い。自分の命や自由を奪おうとする奴は許せない。だから、そういう(やから)がいれば、決して許さずに命まで奪うつもりで戦う。だが、決して死を悼まない訳じゃない……。使おうと思えば、魔族の血を引くこの身で召喚魔術も使えるだろう。だが、俺は使う気になれない」

 まだ年若い者のみが持つ青臭い正義感なのかも知れない――そしてその甘さは今後、彼女を危うくさせる事だろう。 どこか保護者じみた心境で、ラルフの胸は傷んだ。

 焔の勢いは衰えつつあり、蟲達の死骸も、穢された大地も清浄に戻されていく。そんな中、怒りを孕んだ瞳で彼の手にナイフの柄を押しつけ、彼女は言った。

「例え偽りの従者だとしても、覚えておけ。今後、俺の前でそんな台詞は吐くな」

 お前が忠誠など誓っていないのは知っている――そう言われた気がして、ラルフは息が詰まる。彼は己の手に戻されたナイフを見つめた。

 次の瞬間、彼は己の右手の平をそのナイフで深く斬りつける。

「なっ!?」突然のラルフの奇行に驚くリィネシアの前に跪き、ラルフは紅き血が流れるままの右手を差し出した。

「我が身は全て主が為に。最後の血の一滴さえ、御身(おんみ)の為だけに。この生涯終える時まで、我、主との盟約を果たすものなり。全ての神々、眷族の名において、我ここに誓わん」

 それは絶対に隷属する意思、もしも破れば全ての神々から呪われても構わないという程の盟約。血の盟約と呼ばれ、王侯貴族共が奴隷に強要するくらいしか、現在は使われない。主側には特に制約無く、つまり一方的に従者が不利なもの。

「お前は馬鹿かっ!? そんな――」

「そうでしょうか? たぶん、私の寿命は貴女よりも長い。貴女の一生に付き合うくらいの時は、私にとっては短いものでしょう。それに――そこまで思える主に仕える事ができるならば、ある意味幸せなのかも知れませんよ?」

「俺は自分にそんな価値があるとは思えない」

 さすがに困惑している少女に微笑み、ラルフは力強く言った。

「押しかけ従者で申し訳ありませんが、私はもう決めました」

 しばらく唇を噛み、眉を顰めていた少女は心を決めたのか儀式を続ける。

「全ての神々、眷族の名において、汝が血、その魂全て受け取り、汝が忠誠受けるにふさわしき者となる事を我は誓わん」

 彼の血を彼女は受け取り、古き因習は形を成す。

「いつかきっと後悔するぞ?」

「させないように頑張って下さい。我が主」

 淡々と言い放つ従者に、彼女は苦い笑みを浮かべた。

「けっこう食えない奴だな、お前も」


 全てを燃やしつくした焔が消えゆく中、夕陽だけが辺りを赤々と染めていく。

 そんな黄昏時にラルフは、この小さく不遜で――どこか心優しく詰めが甘い主を守ろうと決意した。例え大きな力は無くとも、楯にはなれるはずだ。

 そして――不死者として人との関わりを避け続けてきた己の弱さを、捨て去る決意も彼の心には芽生えつつあった。

 小さな芽も、いつか大樹に育つかも知れない。その枝にはどんな果実が実るのか、まだ誰にも判らない。

 ただ緩やかに流れていく刻だけが、彼らの間に存在するのみ。

 



突っ走った感が否めませんが、楽しんで頂けたら幸いでございます。

もし何かお気づきの点があれば感想・評価(酷評大歓迎でございます)頂ければ、より嬉しく思います。

(現状、見直し、改稿のため更新遅れております。せめて「娼館の歌姫編」まで書きあげてからの投稿となると思います。読んで下さってる方、誠に申し訳ございませんが、今しばらくお時間下さいませ)


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