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六、鬼神ジーク・フリーズ(一)

「おい、シャンパンのお代わりをくれ」

 苛立った口調でハンス・リックが空瓶を放る。隊員の一人が受け止める間もなく、床に叩きつけられたそれは粉々に砕け散った。ほぼ同じ場所に、かけらが山のように散らばっている。

「隊長殿、それくらいになされてはどうです。もうかれこれ五本は空けていますよ」

「フン、人の心配をするならお前らこそ部屋に戻って寝ろ。明日は朝イチで出発するからな。パルジへ向かう途中で過激派の同志と合流さえすれば、オレたちの計画は成ったも同然だ。いわばこれは前祝いだ。喜ばずにいられるか!」

「はあ、ですが、しかし……」

「余計な心配をするな。仮に公爵側の密偵がこの星に来ているとしても、姫さえこちらの手にあればなにもできやしない。見張りを二人ずつ、姫を押し込めている部屋の前と、外に配置しておけ。二時間交代でやればよかろう。あとの連中は少しでも明日のために身体を休めておけ。さあ、行った行った!」

邪魔だとばかりに手を振るハンスに、わかりましたと隊員はうなずき十数人いる男たちは一ヶ所に固まって何事か相談した。恐らく見張りの順番であろう。

部下たちの様子にかまうこともなく、ハンス・リックは六本目のシャンパンを開け、グイッとラッパ飲みした。右手にまだ残っている不快感を少しでも忘れようとするために。彼はゴブリン伯爵を射殺したことを少しも悔やんではいなかった。むしろその心を逆撫でしたのは、王女のあの一言だった。

「卑怯者っ!」

部下に死体の片付けを命じている最中に、クンドリー姫がひき絞るような声で非難したのだ。虫けら同然とはいえ、人を一人手にかけた直後であっただけにハンスの高ぶった神経にはこれが聞き逃せぬものとなった。

「お褒めにあずかって光栄だな。だが一言言わせてもらうなら、あんたにとってこいつは裏切り者だ。いわばあんたの気持ちを代弁してやったようなもんだ。それをどうこう言われるのはあまり愉快じゃないな」

 片頬を歪めて、スイッと王女のそばへと腰を落とした。縛りつけられて身動きの取れぬクンドリーは、近づいてくるこの無礼者に対し嫌悪感を示そうと顔をそむけた。が、すぐに意を決してペッと唾を吐いた。

「無礼者、顔を近づけないで!あんたは一体何人の人間を殺してきたの。抵抗することも適わない相手を平然と撃ち殺して、あんたなんか人間じゃ……」

 彼女が言い終わらぬうちに、唸るような平手打ちがその頬を打った。ハンスは顔にかかった唾を拭いもせず、燃えるような瞳で王女を睨み据えた。

思えば大人げない行為だった。だからこそ今彼は、浴びるように酒をあおっていた。

(それにしてもあの小娘、痛い所を突きやがる……)

王女は、彼より三つ下の十七歳ということだ。だが、顔を張られてもなおたじろぐことなく睨んできたあのさまは、実に堂々としていた。尋常でないとさえいえる。高貴な血筋ゆえのものか。

いや、単に気が強いだけに過ぎんと、ハンスはシャンパンの瓶を大方空にしていった。どうにも酔えぬ。七本目を頼もうと、ジャンケンをして順番を決めている部下たちのほうを振り返った時だった。

ガガガガガガッ……

ブルルンブル~ンッ……

シャーッシャッシャッ……

何事であろう。館の外から地響きのごとき音がしてくる。その異常には当然、周りの者たちの注意を集めるに十分なものがあった。

「どうしんだ、一体」

「おかしいな、ここには立入りは禁じておけとザックス土木の連中には話しておいたはずだが」

「この辺の連中は怠け者ばかりなのに、欲の皮が張ったのが多い。報酬が足りないとでも、いまさらゴネにきたのと違うのか」

口々に憶測を重ねていると、

「なんれもいいからあ、とにかく誰か見てこを~い!」

たちまち隊長のカミナリが落ちてきた。さすがにシャンパン六本はきつかったらしい。呂律が怪しくなっている。

「ハン、まったくオレが命令せんとなにもできんのかこいつらは」

 忠実というより、主体性がないに等しい部下たちの動向に、ハンスは先が思いやられる思いだった。既に飲む気も失せて、まだ僅かに残っている瓶をテーブルに置こうとした時、キラリと脳裏にきらめくものがあった。その瞬間、手からこぼれ落ちたシャンパンの瓶は足元で砕け散り、彼は目を大きく見開いて立ち上がっていた。

「まさか、こいつは……」

                   ※

 蒸し暑かった。目まいさえおぼえる。砂漠や岩肌をさらした山々で星の半分以上が覆われているここでは、昼夜の温度差が激しいことは昨日の滞在で証明ずみだった。日が暮れて間もない今は、まだ昼間の暖かさが残っているが、これが零時を過ぎたころになるとマイナス温度になることも珍しくない。

 マリア・ウィドウが鼻をグズグズいわせていた。昨夜ゴブリン伯と共に、ホテルのバーで調子に乗って飲み過ぎた。そこまではいい。が、ワルターの介抱の下ベッドに寝かされた際、暑いといって何度も毛布をはねのけたのだ。おかげでこのザマだ。最年長なのに、そういうところは未だに子どもじみている。

「いやあ、すいません。私が飲ませてしまったようなものですから……」

 顔を真っ赤にしたゴブリン伯が、自慢の鼻ヒゲをしごきながらしきりに詫びたものだった。

「なに、オババ様はいくつになっても裏表のない正直な人なのでしょう。こういう方がそばにいるというのは、姫の幸運でございましょう」

 守役の不様さに、クンドリー姫が眉をしかめつつ詫びた時、ワルターは独特のあの温かさを感じさせる笑みでうなずいたのだった。その二人は今はもういない。一人は裏切り者として、そしてもう一人は自分への忠義を全うせんとして……。あの男に殺されたのだ!

 左の頬にまだ熱さのようなものが残っている。父親以外には張らせたことのない頬に、あの男はずうずうしくも手を挙げた。痛みより屈辱が彼女の心をくすぶらせていた。なにより憎悪を駆り立てたのは、その後の物言いだった。

「あまり調子に乗らねえことだな。別にオレは、今すぐお前らも殺したって構わないんだ。だが、公爵側と取り引きするには是非とも必要な人質だから生かしておくんだ。そこんところを勘違いするなよ」

「ぬしぁ、姫様に対して数々の無礼な振る舞い、許さぬぞえっ!」

「やかましい。おい、ババ殿にさるぐつわだ」

暴れる老婆に隊員が二人がかりでさるぐつわを噛ませようと一苦労している間、ハンスは袖口で顔にかかった唾を拭った。

「睨みつけていられるのも今のうちさ。お前さんはこれから特にじっくり調教してやるよ。誰がご主人様ってことを骨の髄まで教えてくれるさ。よし、二人とも閉じ込めておけっ!」

 無礼者という叫びも空しく、高々と担ぎ上げられた彼女は間違いなく囚われの身であるということを思い知らされた。このような境遇に堕されようとはどうして想像できよう。

「バアヤ、大丈夫?」

 唇を噛み締めて物思いに耽っていたクンドリーだが、隣の守役が激しく咳込んでいるのに気を回した。風邪気味のうえ、さるぐつわを噛まされているのでひどく苦しげなのだ。恐らくまともに呼吸もできていないだろう。

「待ってて、いま人を呼んでさるぐつわだけでも解いてもらうから。誰か、誰かいないのっ!」

 大声を出しつつ、せめて彼女だけはベッドに寝かせてやってはもらえまいか。と、王女は、百はおろかその倍近くの歳月を生きてきたのではと噂される、この老婆の健康を気遣わずにはいられない。幼い時から自分のそばに付き従っていて、いわば早くから亡くした母親の代わりであった。

 それにしても、連中はなんと無神経なことか。人を暗い一室に閉じ込めるだけ閉じ込めておいて、見張りもなにも置かないとは。クンドリーが苛立ち声をからしても誰も来ないのだ。その間にも、マリア・ウィドウの咳込みは激しさを増した。

「マリア、ああ、マリア、大丈夫、死なないでね。お願いよ、私を置いてなんて嫌よっ!バアヤッ!」

 この身が自由ならば背中をさすってやれるのにと、力を込めて縄をほどこうとするがしょせんは適わぬこと。空しく食い込む縄の痛みをこらえながら力を込めていると……。

 ガチャリッ……。

 何者かの手によってドアが開けられたのはその直後だった。逆光でその容姿まではわからない。

「あっ、お願い!マリアが、バアヤが風邪で息ができないの!ハンス・リック…隊長に頼んで、彼女をベッドに寝かせてやって!大丈夫よ、彼女は忠実だから私を置いて逃げるようなことはしないわ。だからお願いっ!」

もはや見栄も外聞もなかった。もしも跪けといわれたら、たとえ屈辱を抱えながらでもそうしただろう。それだけ彼女、王女にとってこの老婆の存在は必要なものだった。とはいえ、すべてを捨て去ることまでできるだろうか。

無言の主がなにを考えているかなどと、クンドリーには推測する術はなかった。が、顔の見えないこの謎の人物が守役にではなく、自分のほうへと近づいてきた時ある種の危険を感じつつあった。というのもその瞬間、脳裏に忌まわしい映像が思い浮かんできたからだ。

「殺しちまうんですか。ならいっそのこと輪姦まわしちまいますか」

「高貴な血筋の女というのはどういう味がするのか、一度でいいから堪能してみたかったんですよ」

「大事な人質だ。まだ手はつけるな。公爵との取り引き次第ではいつでもお前らの好きにさせてやる」

 下卑た笑い声をたてながら好色そうな目つきで自分を品定めしていた男たち。彼らが、王女であるという立場ゆえに自分に反感を持ち、慰みものにしてやろうと狙っていたのはあの時の状況でありありと察せられた。

(まさか、いまごろ……)

クンドリーは必死になって否定しようとした。しかし、目の前に迫りつつある不気味な影を消し去ることはできず、一言も発することがなくやって来るのだ。

逃げねば!だが、どこへ?手足を縛りつけられた彼女は這うことしかできず、どちらにせよ捕まることは目に見えていた。口がカラカラに乾き、目をそむけがちにし、頭の中が嵐でも起きたように激しく回り始めた時、影は彼女の上へと覆い被さっていった。

「イ、イヤッ!」


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