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五、嘲笑うハンス・リック:中編

                   ※

 空気が澱んでいると感じたのは気のせいだろうか。いや、少なくとも親方にとっては相手の一挙一動がこの上もなく重苦しくつらいものに見えた。ジーク・フリーズの様子は只事ではなかった。というより、昼間訪ねてきた例のワルターという農夫然とした男との会見以来、黙りこくったままなのだ。

(まったくタイミングが悪すぎる。バカ共が調子に乗ったりするものだから……)

 あの直後部下の非礼を詫びるため二人の前で土下座をしたものの、ワルターは予期せぬ出来事に放心とした態で帰っていった。そしてフリーズの怒りを恐れて労働者たちは彼に近寄らないため、後の仕事がまるで進まなかった。いや、仕事そのものは問題ではない。

(ワシが至らなかったために、先生にとんだ恥をかかせてしまった。どうしたらいいのか……)

 現場を束ねる親方までがこのざまでは、作業どころではない。そのため三時前にその日の仕事は解散ということになり、こうして街中を家路へと向かっているわけだ。が、なまじ明るいうちにお帰りなどここのところなかったため、親方以下荒くれたちの泥まみれの格好は人々の目を引いた。むろん、それで恥ずかしがるまでもなく、若い娘に声をかける不心得者を時々怒鳴りつけていった。

「先生、どうです。まだ陽が明るいから、一度ウチのほうへ帰ってから飲みに繰り出しませんか。実はちょっとシャレたスナックを見つけましてね。他の大衆酒場とかに比べたらいくらか値は張りますが、落ち着けるいい店ですよ。むろん払いはワシ持ちってことでどうです?」

「いいですなあ、そいつぁ。是非ともお伴してえですよ」

「バカヤロウ、お前らに聞いてるんじゃねえ!」

 でしゃばる連中の頭を殴りつけていると、それまで無表情でいたフリーズが苦笑を浮かべた。

「親方、まあそれくらいに。気持ちは嬉しいけど大丈夫なのか。昨夜も奥さんだいぶカリカリしてたようだが」

「なに、あれは男のつき合いってもんをよくわかっちゃいねんですよ。カカアなんか一言ガツ~ンと言ってやりゃあ」

「そんなもんかね」

皆の前なのであえて口にしなかったが、昨夜ガツンと言われたのは他ならぬ親方自身であった。亭主関白のようでいて、実際は二回り以上も年下の奥さんに頭が上がらないのが真相だ。普段職場で鬼のように荒くれ共を切り盛りしている点と大いにギャップがあり、考えようによっては御愛嬌である。

「まあ、とにかくワシに任せといてくだせえ。絶対気に入ると思いやす。なんてったって、先生はワシの命の恩人だから」

「またそれを言う。過ぎたことだ。お互い忘れよう」

「そうはいきません。ワシが今日こうしてられるのも、先生がいればこそです」

「オレは下宿させてもらっているだけでも心苦しいんだ。あまり気を使わんでくれ」

「女房の奴がなにか言ったんですか。まったくしょうのねえ女だ。まあ、とにかく今夜はなにもかも忘れてはしゃぎましょうや。実を言いますとね、今日行こうっていうスナックにはとびっきりのいいがいるんでさあ。これが目の覚めるような美人でしてね。

ん、まあ、なんていいますか、そのが以前街中で先生を見かけて一目惚れしちゃいましてね。ママに頼んでサービスしてくれるから、どうにか先生を連れてきてくれと手ェ合わせて頼まれまして……」

 あるいはそれが話の核心だったのかもしれない。我が事のように、角刈り頭を掻きながら照れ臭そうに話す親方だったが、

「危ないっ!」

 フリーズのその中肉中背の身体つきからは考えられないほどの腕力で、グワッとばかりに引っ張られていった。その直後、

 ビュウウウンッキキイッ!

 顔を薙ぐような風圧を受けたかと思うと、百メートルくらい先のほうでエア・カーが一台回転して止まった。パトカーである。

「バカモン、気をつけんか!」

 窓からヒョイと警官が一人、そう怒鳴りつけてきた。

「チキショーめ、てめえらこそ気をつけろってんだ。ねえ、先生……」

 歩道に尻餅をついた親方は、顔をしかめながら子分たちに助け起こされていた。一方パトカーのほうは、

「急ごう、バカ共に構っていたら間に合わなくなる」

「そうだな」

 運転席から罵声を浴びせていた警官はうなずき、窓を閉めようと姿勢を正した。

「ごあいさつだな。人を撥ねかけておいて、詫びの一つも入れないとは」

 むんずと窓の外から伸びてきた腕に胸元を摑まれたのはちょうどその直後だった。驚愕の表情がありありと浮かんだ。目の前に現れた片目の男は、たしか轢きかけた連中の一人であったはずだ。それが突然自分の胸ぐらを摑んでいるだけでも驚きなのに、この車まで駆けつけてきた男は息も乱していなかった。

(な、何者だ)

 あまりのことに茫然としている同僚を励ますように、

「なにをしているんだ、貴様!邪魔をすると公務執行妨害で逮捕するぞっ!」

「そ、そうだ、は、放せっ!さもないと……ウッ、ググッ……」

 腕を振りほどこうともがくが、万力で締めつけられているように力が加わっていき、今にも窒息しそうだった。フリーズの真っ赤な瞳はまるで炎のように燃えさかっていた。あるいは本気で相手を絞め殺そうとするのではないか?

「いい加減にせんか!さもないとただではすまんぞ!」

「どうただですまねえっていうんです?」

半ばパニックになり、拳銃をはずしかけた助手席の警官は背後の声にギョッとした。見れば年の頃五十過ぎだがいかつい体格の男が笑みとも怒りともつかないひくついた表情で立っていた。親方である。腕組みをして睨みつけているところをみると、こちらもだいぶ頭にきているようだ。

「お、おい、構わんから早く車を出せ!」

 まずいと思い、同僚が首を絞められていることさえ忘れ、出発をせかすが周りを見て更に肝を冷やした。前といわず、後ろにも横にも肉体労働者とおぼしき連中が既にパトカーを囲んでいた。おまけにフリーズが空いた手でエンジンスイッチをOFFにしているものだから、状況は最悪といえた。エア・カーというのは、一旦空気圧で上昇してから発進する乗り物なので、こうなってしまってはただの鉄のカタマリと化してしまう。

「あんたらさあ、ちょっと勘違いしてるんと違うかい。ポリスだからってなにやっても許されるんじゃねえんだぞ。大体、ポリ公が怖くてここで生きていけっかよ」

 その通りだった。惑星タンホイザーの住民というのは、元来権力というものに反抗的であった。元々は地球からのあぶれ者が先住民とくっついて今日のタンホイザー人を形作ってきたわけだが、未だに当時のフロンティアスピリッツが根付いているといえる。当然ながら、警察などなにするものぞという気風があるのだ。

「わ、悪かった。こっちも急いでて、つい失礼なことをしてしまった。じ、実はホテル“エリザベート”で爆発事故があって現場へ急行しなくちゃならんのだ。詫びなら後でいくらでもするから、頼む、手を放してやってくれいっ!」

「なんだと?」

 助手席で手を合わせて謝る警官に、フリーズはいつしか腕の力をゆるめていた。ある一言に反応してのことだ。

(ホテル…エリザベート……)

何度も同じ言葉を反芻しているうちに、ハッと忘れかけていたものが浮かび上がった。ワルターがクンドリー王女らと共に泊まっているホテルの名がたしかそれだった。

「間違いないのか!本当に、“エリザベート”で爆発事故が起きたのかっ!」

 運転席の警官を投げつけるように放すと、グイと身を乗り出してフリーズは話しかけていった。

「本当もなにも、現にこれからそこへ行こうとしてるんだって……」

 その一言で迷いは消えた。ドアを開けるないなや、咳き込みながら喉に手を当てている一人をつまみ出すなり、

「急ぐぞっ!」

 エンジンスイッチを入れたかと思うと、自らパトカーを動かそうとした。驚いたのはもう一人の警官である。

「バ、バカヤロウッ、なんてことをっ!そんなことをしよると、窃盗罪、いや、公務執行妨害か、あるいは国家反逆罪……え~い、とにかくいか~ん!」

「ハ~イ、そこまで」

 ヒステリックにまくし立てる助手席の主の白熱ぶりも長くは続かなかった。いつの間にやら、同じくドアを開けた親方がむんずと無造作に、彼の首の後ろを摑んできたからだ。

「う、あわわ……」

「署長のチャップマンに伝えときな。幼馴染のザトペック親方が、そのうち酒でも持って昔話をしに来るとでもな」

 そして、ヒョイとまるでゴミでもつまむように放り出すと、サッサと助手席に乗り込んでしまった。

「先生、お供させていただきやす。運転はあっしが代わりやすから」

「すまない。よし、行くぞっ!」

 ブロロロォゥ……

 空気圧で僅かに浮上したパトカーは、合図で荒くれ共がそばから離れるとそのまままっすぐ南東の方角へ猛然としたスピードで走り去っていった。バカを見たのは警官たちのほうで口々に、

「バカヤロウ~ッ!」

「返せ~、戻せ~、このパトカー泥棒!」

 空しく怒号が響くばかりだった。


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