五、嘲笑うハンス・リック:前編
不快だった。この男の自信は一体どこからくるのか。そう考えると、クンドリーは胸にたとえようのない熱ささえ感じた。これが憎悪というものだろうか。
「なるほどのう、たしかに暗殺者を送るという手は悪くはないわ。いくらワルター殿でも、不意打ちを食らえばと考えてのことだろう。だが、そううまくいくかの。
かつてワルター殿は、プロメテウス銀河剣武大会で優勝したほどの腕前じゃ。わかるか、いってみれば、かつてこの銀河で剣士として並ぶ者とてないというところまで上り詰めた男を相手に、半端な奴原を送ったところでどうにもならんぞ。一体、どれだけの人間を送り込んだとでもいうのかっ!」
王女が沈黙を守る姿勢を通そうとしていたので、守役である自分がしっかりせねばと、マリア・ウィドウは喉もつぶれよとばかりにがなり立てている。ハンス・リックはというと、こちらは相変わらず余裕面だ。相手に言わせるだけ言わせて自分は耳クソをほじくるという、なんとも人を食った様子であった。
「暗殺者はたった一人だ。つけ加えれば、その男はオレの昔馴染みで性格から行動パターンまで手の内を知り尽くしている奴だ。人殺しの経験は少なからずあるが、どうひいき目に見ても武術の達人とはいい難い。まともにケンカしたら、そこの姫さんにも負けるだろうよ」
「血迷うたか。そのような者を送り込んでは、逆にぬしの首を締めるようではないか。フン、計算違いどころか、早くもこれでぬしの謀がなんの計画性もないことが暴露されたわ。フワッハッハッ!」
嘲り笑うババを前に、ハンスはまったく平気であった。
「ところがこれがうまくいくんだな。なにも直接手を下すばかりが能じゃない。オレとて、奴にそこまで期待はしておらん。ただ、時間稼ぎだけしてくれればいいのさ」
再び余裕しゃくしゃくというように、葉巻をくわえて火をつけようとした。だが、言葉とは裏腹というのは注意深い者であればすなわち見抜いていたであろう。既に五、六本もの吸い殻がその足元で踏み潰されていた。どれもまだ長かったし、心なしか今火をつけている手元にしても苛立ちのために微かに震えていた。
もしあと数分何事もなければ、この男は誰かに当たり散らしていたかもしれない。すぐにまた葉巻を踏み消し、葉巻入れが空だと気づいたハンスが思い切り空箱を床に投げつけようとした。その時、まるで待ち構えていたかのように携帯電話のコールが鳴った。
「もしもし、合言葉はパルジ……ファル?よし、いいぞ。今すぐ代わる。隊長殿、隊員〇〇三号からです」
椅子にふんぞり返ったこの若い男の、右隣にいた一人が電話を差し出すとひったくるようにして、
「もしもし、オレだっ!首尾は?そうか、跡形もなくか。フッフッ、それではよもや生きてはおるまい。だが、万が一ということもある。貴様はそこで見張っていろ。よしんば生きていたとしても、赤子の手をひねるよりたやすい。その時はお前に任せる。任務が完了次第もう一度連絡しろ」
してやったりと笑みが浮かんだ。もはやそれは、心の内を隠すものとは別のものといえた。
「朗報だ。ワルターが死んだ」
たった一言が運命を分けることがある。待ちに待った春の来訪を告げるものもあれば、稲妻に打たれたかのような予測できない衝撃となることもある。
「まさか……」
沈黙を守っていた王女クンドリーの、半ば茫然としたつぶやきにすべての感情がこめられているかのようだった。
「そういうわけだ。さあて、前祝いといくか。誰か、シャンパンの用意をしろ!」
もはや、壁は取り払われたといわんばかりだ。満面の笑みを浮かべつつ、周りの者に指示を出すハンス・リックの姿はマリアには到底我慢がならないものだった。
「待たぬか、この若造がっ!ぬしぁ、デタラメを抜かすとただではおかぬぞ!ワルター殿が死んだぁ?ウソじゃウソじゃウソじゃウソじゃウソに決まっておる!なあ、そうであろう。これはなにかの間違いじゃっ!」
最後は哀願にさえ近いありさまだった。それだけ彼女にとっても、この話は事実として呑み込むにはあまりにもつらいのだろう。唯一の拠り所を失った女二人を前にし、この隊長殿は決してその残虐な心根を隠そうとはしない。
「まあ、オレも奴がチンケな暗殺者を送ったくらいで始末できないことは百も承知していたさ。刺客はあくまでもダミーに過ぎない。とにかく時間を稼ぎたかった。なぜか?確実にワルターを仕留める舞台を整えるためだ」
そこまで話して顎をしゃくると、心得たかのように隊員の一人がなにやら手渡した。大きさは葉巻入れほどの白金色の物体である。
「なんだかおわかりかな、そう爆弾だよ。こいつはリセットを解除してはあるが、ウチの隊員が郵便配達に化けてホテルに届けたのは、強い衝撃を与えれば即ドカンといく。刺客はワルターをホテルに釘付けにするための囮だという意味、これで理解できただろう。いくら銀河系随一の剣術家であろうとも、こいつには敵うまいて」
そして最後はいつものように小気味よさげな笑いが響いた。いや、むしろそれはこれまでとは違った解放感さえ感じさせる高笑いとなっていた。彼のそんな自己表現のなかに、師であった男に対する屈折した思いが一気に噴き出したと見るのはうがち過ぎだろうか。
「ひ…きょう者……」
聞き取れぬほどのつぶやきを、ハンスが聞き逃さなかったのはある意味で不思議といえた。
「なんだあ。おい、姫様、言いたいことがあったらはっきり言ったほうがいいな」
立ち上がり王女たちのほうへと歩み寄ろうとした彼を、一人の男が遮るようにして止めた。
「まあまあ、隊長殿、冷静にいこうではありませんか。女子供を相手にムキになったところで、あなた様の株が上がるわけでもありますまい。ここはどうぞ穏便に」
ゴブリン伯である。今やただでさえ存在感が薄くなりつつあるこのヒゲ殿は、相手に敬語さえ使い始めていた。王女を裏切り、今またかつての仲間であったワルターもこの世にないとなれば、完全に今の彼の主人は目の前の隊長殿といえた。だからこそ、いつしかその態度は卑屈になっていた。
「だがなあ、オババといいこの小娘といい、オレに反抗的だからなあ、たく。今後のためにも、少しお仕置きをしておくべきと思うが、伯爵殿はどういう御意見かな」
ここがハンスの意地悪さであろう。相手がどれだけ自分に対して従順になれるか試みているのだ。彼にとっては、もはや王女も伯爵も、ここにいる全員が絶対的弱者でなければならなかった。人間の奇妙さがここにある。それまでハンスを怒らせまいと努めていたこの伯爵が、突然牙をむいたのはその時だった。あるいは、カチンとする含みを読み取ったのか。
「そのようなことは、あなたがお決めになることだ!仮にも我が伯爵家は、代々王室にお仕えした身であり、どうこう言える立場ではないっ!」
サッと緊張感が走ったのはまさにその瞬間だった。特に周りにいた隊員たちは、大半が顔を強張らせていた。なぜならハンス・リックという男は、いかなる場合でもこのような非礼を許さないたちであったから。なにかが起こるといった、半ば期待にも満ちた空気が淀み始めていた。しかし……。
「なるほど、あんたの言う通りだ。こいつはうっかりだ。すまんすまん」
妙にニヤけた笑いを浮かべつつ、ペコリと頭を下げてきたものだから伯爵も恐縮せざるを得ない。
「い、いやこちらもつい言い過ぎてしまって……」
同じように頭を下げたりするものだから、滑稽としかいいようがない。一気にホッとした雰囲気が漂ったものの、あっけないさまに舌打ちして失望する者も何人かいた。そんな中でシャンパンとグラスが運ばれてきた。
「よし、みんなに回ったな?さて、御婦人方を酔わせる趣味はオレにはないので、今回は遠慮してもらうぜ。特にオババ殿にはな。では、諸君、我々の前途を祝して乾杯!」
隊長の音頭取りで、グラスの鳴るさまがそこら中から響いた。なかには勢い込んでグラスを割ってしまい喧嘩になる輩もいたが、まずは和やかに座は進められていった。
「おい、シャンパンはまだいくらでもあるんだ。そんなにがっつくもんじゃないぞっ!まったく、礼儀を知らぬ連中ばかりでお恥ずかしい限りです。ところで伯爵殿、お代わりはいかがかな」
「いただきましょう」
まだほんの一杯口にしただけなのに、もうゴブリン伯の顔は真っ赤だった。先程、お互い険悪な雰囲気になりかかったのが嘘のようだ。二杯目を口にしながら、
「シャンパンはいいとして、なにかオードブルはありませんかな。どうもつまむものがないと、酒が進まぬものですから」
「たしかに。そういう人もいらっしゃるからね。少しお待ちを。とびっきりのおつまみを用意しましょう」
ついとそばを離れると、ハンス・リックは隊員の一人になにか二言、三言ささやいた。オードブルの用意であろう。そんな彼の後ろ姿を満足げに眺めながら、伯爵は自分の威厳も満更ではないと思い始めていた。
(どうだい、威張り返っているようでもしょせんは若造だ。ちょっと叱りつけただけでおとなしくなったよ。やはりあの手の人種には強気に出ておくに限る。うまくあいつを操れば、姫に対する影響力も保てるしなにより、最大の功労者ということで次期国王となるマイスター公爵様へのおぼえもめでたかろう。今後の将来はまずまず上々だな)
愉快であった。伯爵とは名ばかりで、やりたくもない近衛兵団の総顧問役や、民間の金持ち連中の太鼓持ちを買って出ることでどうにか生活してきた。そんな自分が、権力の中枢へ滑り込む機会を得た。それだけでも自分の四十数年間の人生は無駄ではなかったと感慨にさえ浸っていた。
(それにしてもオードブルはまだか)
安物のシャンパンだったらしい。エグイほどの甘ったるさが喉元に残ったまま、伯爵はつまみは来ないかといまや遅しのありさまであった。程なくハンス隊長が自ら大盆に銀製の大蓋をかぶせたものをいそいそと運んできた。目つきの悪い給仕をあったものだ。場末のレストランでもあんなウェイターはおるまいと、伯爵は自分の想像に笑い転げたくなった。
「お待たせしました、伯爵様」
「待ちかねたじゃないか。一体どんな御馳走を持ってきてくれたのかね」
言葉遣いまで変わってきたと、ますます得意になりながら伯爵は大蓋を開けた。
「え?」
我が目を疑った。少なくともそれは彼の望んだ物ではなかった。黒い光沢のあるその物体は、間違いなく旧式のリボルバーだった。盆に載せられた拳銃をそれと認識する間もなく、乾いた撃鉄の音と銃口が眉間へと向けられた。大盆と蓋が床へと落ちていき、けたたましく響いていく。
「な、なにを……」
「おい」
後ずさりしようとしたゴブリン伯を逃がすまじとハンス・リックが顎をしゃくると、両脇から隊員たちがその両腕を押さえつけた。血の気がひき、脂汗がとめどもなく流れる。
「お気に召しませんかな、伯爵様」
「ど、どういうつもりかね、これは。冗談だろ、悪い冗談に決まっている。な、な」
「残念だけどさ、あんたの人生もここまでだ。今まで好き勝手に生きてきたんだ。悔いはあるまい」
「い、嫌だ~っ!私はまだ死にたくない!やりたいことがまだいくらでも……。大体、私を殺して、た、ただですむと思っているのかあ!わ、私はクンドリー姫捕獲の最大の功労者だぞ!そ、その人間に対してなんたる侮辱だ!次期国王となるマイスター公爵様へなんと言い訳するつもりかっ!」
もはや、伯爵としての威厳もなにもなかった。涙やよだれを垂れ流してもがくヒゲ殿を前に、ハンス隊長は残忍な笑みを消そうともせず、
「生憎とな、オレ達は公爵殿を国王にしようなんてつもりはサラサラないんだよ」
「な、なんだとっ!」
「クーデターで政権を奪った途端に、そ知らぬ顔で国王でございと宣って、民衆を助けるどころか逆にもっと締めつけようなどと考えている野郎じゃねえか。そんなのはオレ達はもうコリゴリなんだよ」
「そ、そうか。貴様ら、革命派の生き残りか。クーデターの直後に中枢を担った連中は殆ど粛清されたと聞いたが、下っ端が残っていたわけか!」
「たしかに下っ端さ。少なくとも学がないとされていた農兵出身者は、人を殺すだけで政治とは無関係だ。あんたら貴族から見れば虫けらにすぎんだろうさ。でもな、その虫けらでもこうやって牙を向けられるんだよ」
ハンス・リックの笑みは更に小気味良さげになる。それは幼い子どものような邪気のないものにも見えたが、目は相変わらず獲物の喉笛を食い破らんと異様に光っていた。
「む、無駄だ。いまさら、お前らが反抗したところで、公爵様の国王即位を止められるはずがない。やめるんだ!な、な」
「国王も貴族もクソくらえだ。必ず王政を潰してみせるさ。だが、お前さんはそいつを見れないがな」
伯爵の意味不明な絶叫がつんざくように響いた後、それを打ち消すための鋭い銃声がしたのはそれから間もなくだった。




