四、王女拉致(三)
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唇が強く強く噛み締められている。まるで何も語るまいぞと思い詰めたかのように。怒りに燃えた目で男たちを見据えるクンドリーの横には、同じように縛りつけられた老守役が代わりにとばかりに吠えたてた。
「なんという無礼じゃ。本来ならばぬしらのような下賤の者が拝謁するのさえ恐れ多い御方を、このような縄目の恥辱を受けさせるとはもっての外っ!今すぐ縄目を解くがよいっ!伯爵殿、姫様を共にお助けする役目の其の方がこのような裏切りをなさるとは情けないことよ!ぬしぁ、先祖の誇りを、王室に仕えることの誉れを忘れくさったかっ!」
名指しをされた伯爵ゴブリンは、男たちの後ろに隠れるように青ざめた顔でうつむいていた。己の仕出かした事の重大さを直視できないためだろう。
「まったくうるさいババアだ。懲りもせずにベラベラベラベラと。黙らせろ」
革椅子に腰かけていたハンス・リックは、冷笑を浮かべて指を鳴らした。心得たとばかりに、一人がさるぐつわを取り出して噛ませようとすると、
「無礼者!バアヤに手を出したらわたくしが承知しませんことよ!」
幼さが残っているものの、凛とした一言を王女は浴びせた。そこには捕われの身になったことへの恐れをまるで感じさせない、堂々とした響きがこもっていた。
「オオ、コワ。さすがに王家の血筋を引くだけのことはある。よかろう、下がれっ!」
楽しげにうなずきながらハンスは王女に視線を向ける。
「さて、と、姫さんよ。悪いがパルジ(ほんごく)に着くまでは少し不自由をかけることになるぜ。なに、お前さんさえおとなしくしてくれりゃあ、オレたちも別に手荒な真似はしない。約束するよ」
「なんでなの……」
「ん?」
「なんで叔父やあなたたちは、私の兄弟や身内を皆殺しにしたのっ!ましてや叔父は、兄である王を無理矢理退位させて、その後釜に座ろうとしている。一体父上や私たちにどんな罪があるとでもいうのっ!」
激高した彼女の瞳からはとめどもなく涙が溢れていた。父親の幽閉以来、自らの運命に耐え抜いてきたこの王女がついにこらえきれずに吐き出した本音であった。ハンスの表情は冷ややかだった。チラリと背後の伯爵、そして自分を睨みすえている守役を目に入れたが、フンと鼻を打ち鳴らし、
「気丈なようでも、しょせんは小娘ということだな。なにも知らされなかったのは、まだ一人前として見られていない証拠だ。よかろう、ではオレが……」
「やめよっ!」
再びマリア・ウィドウが吠えた。悲痛でさえあった。全身をわなわなと震わせたこの老婆は、今にも縄をひきちぎらんばかりに身悶えした。
「やめぬか、ハンス・リック!姫様にあらぬことを口走ってみいっ!わしが、このババがぬしの喉首をば食い破るぞっ!」
「わかったわかった。誰か、オババ殿を押えつけとけ。こんなところで発作でも起こされたらたまらんわ」
呆れたように舌打ちすると、その視線はクンドリーのほうへと戻っていった。
「仕方あるまい。殺されては元も子もないわ。この続きはいずれ別の機会にさせていただこう。ま、今の質問には答えられなかったが、ひとつだけ教えてやるよ。お前さんを生きて連れ戻して来いというのは先程もいったように、ワルハラ首相閣下の厳しい御命令だ。
どういうつもりかは知らない。大方政略結婚の道具に使おうってのが妥当な線だろうよ。女の色香には弱い御方と聞くからなあ。色気をふりまいとけば、父親の命くらいは助けてくれるかもしれん。ま、せいぜい頑張ることだな」
「ふざけないでっ!だれがあんなドウダボウみたいな男なんか!」
「これがお前の運命なんだよ、あきらめな」
「クッ……」
よほど悔しかったのだろう。クンドリーは顔をそむけて黙り込んでしまった。彼女の中では、幼い頃拝謁したワルハラ首相の面影が浮かんできた。大きな図体に似合わぬ小石のような目で、始終落ち着きもなくキョロキョロしている。そんなさまが、冬眠し損なって冬の森林をさまようドウダボウというクマにそっくりなので、未だにそのイメージが残っている。
もっともそんな滑稽な風貌とは裏腹に、したたかで好色だということはマリアに何度聞かされたことだろう。若い頃、策略をもって武術の達人を打ち負かしたこと、王以外は一人として男の入れないハーレムに忍び込み、まだ手のつけられていない宮女たちを犯しまくって手打ちにされかかったという話など、彼に関するエピソードは飽きるほどその脳裏に刻みつけられている。嫌いな人物だ。
七年前、星外留学のため故星を離れることになった彼女の手を、その男は汗ばむほどに握り締めたのだ。その時の、狙った獲物を取り逃がしたかのような未練がましげな視線を今でも忘れることができない。噂ではあの時期、ワルハラは彼女のすぐ上の姉である第二王女に横恋慕し肘鉄を食らったという。姉が駄目なら妹でということか。
強持ての権勢家として既に羽振りをきかせていたこの首相は、しきりに彼女との拝謁を望み接触する機会を多く取った。それだけでなく、決まりかけていたクンドリーの留学を猛烈に反対さえもした。
(思えば、あの男は既に狙っていたんだわ)
露骨なまでに彼女に近づくワルハラを苦々しく思っていたのは、他ならぬ守役のマリアであった。
「姫様、たしかにあの者は総理大臣として類稀な手腕の持ち主です。が、多くの女子を泣かせていることも事実ですぞ。気をつけなされ。あのような者には親しげな素振りを見せてはなりませぬぞっ!」
言われるまでもない。王女はあの男の目が無性に不気味だった。腐りかけた魚の目のようなまるで生気の感じられない、欲望のためにだけ動き回るあの視線が……。
「フン、都合が悪くなればだんまりか。やはりガキだな」
「隊長殿、それくらいにしてくれないか。今となっては、先代の唯一の御子であらせられるから大切にしていただかないと」
「なるほど、今回の大功労者にそこまで言われたらやむを得まい。ではひとまず祝杯を挙げるとしますか、伯爵殿!」
独特の笑い声をたてながら、ハンス・リックが胸元から葉巻を取り出した。そしてまだ青い顔をしているゴブリン伯爵にも勧め、断わられると側近に火を求めた。
「フッフッフッ……」
ハンスが葉巻を一吸いした時、乾いた笑い声がした。マリアであった。
「なんだ、ババア。とうとう狂ったか」
「ぬしら、そうやっていい気になってられるのも今のうちよ。いずれワルター殿がここを突き止めよう。少なくともわしらがホテルにいなければ怪しむであろう。ハンス、お前がこの世で誰よりも恐れている騎士ワルター殿と闘う勇気、果たしてあるのかなっ!」
ワルターの名を出されて、捕獲部隊隊長の目が光った。この者にとっては特別な存在なのだろう。
「ふざけるな、オレはあいつのことなんか少しも怖くはない。一体、何度言わせれば気がすむ。それにだ、ワルターはここには来れやしない。それどころか、お前たちはもう二度と奴と会うこともないだろう」
「なんじゃと」
「オババ、歳を取るだけでは人間なんの自慢にもならないということだ。ココを使わねば、のう」
人差し指で額を叩きながら笑みを浮かべた。
「貴様なにをしたんじゃっ!」、
「打つべき手は、すべて打ってあるのさ」
大きく煙を吐いたハンスは、まだつけたばかりの葉巻を手の中でゆっくりと握りつぶしていった。掌が微かに焦げる臭いが、老婆の鼻をついた。




