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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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九十八、真夏の広宗の夜の夢

 鉅鹿郡、そして冀州の黄巾賊をあらかた広宗へ集めた董卓はあらためて広宗の包囲を完全にした。


 2月に蜂起した黄巾賊だったが、乱の始まりから五ヶ月が経過し、季節は夏になっていた。


「城内はひどい有り様だろうな」


 ポツリと董卓は呟いた。

 一月ほど前、緩んだ包囲から脱出した黄巾賊は董卓が追いたてて、また広宗の城に集められていた。

 それから董卓は包囲を緩めてはいない。


 広宗の城内で何が起こっているか、というと飢餓である。

 春先に蓄えた糧食はほとんど残っていないだろう。

 一度包囲が緩んだことで安堵した黄巾の兵はその消費を増やしたことだろう。

 食わねば戦えぬことは農民ならよくわかっているはずだ。

 しかし、追いたてられて戻った兵は身一つで来ただろう。

 董卓は逃げる兵を追わなかった。

 下曲陽のように全滅するまで戦う者らもいたが、そこまで狂信的にならない集団もあったのだ。

 広宗に再び集まった黄巾兵には糧食はない。

 ましてや、連年の凶作でまともに作物は取れなかっただろう。


 飢餓により力を無くし、飢え死にが始まる。

 しかし、それはまだ始まりだ。

 夏の湿気、長雨により今度は疫病が起こる。

 弱った兵らを病は容赦なく襲い、そして死へといざなう。

 死者は新たな病の巣になり、疫病はさらに拡がっていくことだろう。


 城内が全滅するか、生き残りたい者が指揮官を襲って開城するか。

 どうなるかはわからないが、この戦はほぼ終わりだ。

 あるいは最後の力を振り絞りうってでるか。


 だが、追いたてられて恐怖を与えられた兵が安寧の城壁の外に出るものか、と董卓は確信している。

 それに瀕死の兵がいくら出てきても倒せるだけの包囲は敷いているつもりだ。



 そして、七月も半ばを過ぎた日の深夜のことである。


 董卓軍の規律はやや緩んでいた。

 とはいえ、城から誰かが逃げ出すのを見逃すことはない。

 騎馬戦が大好きな将が多い董卓軍だが、城の包囲戦で不満をもらすものはいない。

 それでも夜番以外の兵らは緩んでおり、博打に興ずる者もいるし、酒を飲むものもいる。

 董卓はそれを良しとしていた。

 いざ、という時に動ければよいし、昼間青い顔をしてなければいいのだ。

 動かぬ者は棒で打ち、二日酔いの者は吐くほど走らせる。

 董卓はそういうように兵らを扱っていた。


 その夜はやけに静かだった。

 夕方に降りだした雨が今もしとしとと降っている。

 こんな夜は蛙などが鳴くものだが、それも無かった。


「お初にお目にかかる。董仲頴殿」


 声をかけられた瞬間、董卓は卓上に置いていた短刀を鞘から抜いた。

 声の主に、躊躇なく突き刺す。


「む」


 しかし、その刃は声の主の指に挟まれ動きを止めてしまった。


「なるほど聞きしにまさる果断さ。そうでなければ西涼で名を挙げることはない、か」


 声は以外に若い。

 ただ頭髪は真っ白で、太い眉も髭も白かった。

 そのせいか老いて見えるが、肌はその想像に反してつやつやしている。

 額に巻いている黄色・・い布がこの男の所属を示している。


「何者だ?」

張角ちょうかくと申します」


 董卓はその男をじっと見た。

 嘘を言っているようには見えない。

 董卓は己の“目”が初めて見るものには信頼性が落ちることを知っている。

 しかし、目の前の白髪の男が太平道の道主にして黄巾賊の頭目であることは間違いないと思った。


「城を囲む将のもとに自在に現れることができるなら、初めからそうすればよいのだ」

「そして眠っている貴殿の心の臓をこのような短刀で一突き、と?」


 張角は指で挟んだままの短刀をするりと抜き取り、董卓に返した。

 そうする気は無い、ということか。


「せぬ理由がある、と?」

「我ら太平道の目的はその名の通り、天下万民の太平でございます」

「しかし貴様らは各地で乱を巻き起こしている」

「それは今の世が太平とはかけ離れているからでございます。主上は暗愚、朝廷は陰なる者が牛耳り、官吏はそれを諌めようともせず賄賂を送る始末。そのツケはみな民に回され、困窮のあまり民は苦しみ、そして怒っておりまする」

「それで立った、と?」

「ええ。我らの掲げる言葉、蒼天已に死す黄天當に立つべし、これこそが真理でありましょう」

「だが貴様らは負ける」


 董卓の言うとおり、黄巾の乱は終息に向かいつつある。

 豫州の黄巾賊は六月に平定され、荊州方面は朱儁と孫堅による苛烈な攻めで拠点である宛城は陥落寸前である。

 そして冀州の拠点はここ広宗だけになっており、ここも完全に包囲され落ちるのを待つばかりだ。


「敗北せぬようにするつもりでしたが、いまだ漢の命運は終わりではない、ということなのでしょう。しかし立ったことに意味がある」

「立ったことの、意味」

「ええ、ええ。民もまた漢帝国の一部なのです。それをないがしろにしては立ち行かぬということに気づくはず。いえ気付くべきなのです」

「貴様の言いたいことはわかった。それで捕縛される前に言い残したことがあれば聞いておこう」

「董仲頴殿。貴殿に預言を授けましょう」

「何を」

「漢帝国は滅びる。あなたがそうさせる」

「世迷いごとをッ」


 董卓はもう迷わずに今度は刀を振った。

 しかし刃は空を斬った。

 今まで張角が居たところには何も無かった。

 まるで初めから誰もいなかったように。


「中郎将様!何かございましたか!?」


 宿直の兵が、董卓の裂帛の気合いを感じたようで声をかけてきた。


「いや……誰かここに入ったか?」

「いえ、誰も出入りしておりませぬ」

「本当か?」

「間違いなく」


 董卓を前に嘘をつく董卓軍の兵はいない。

 それは董卓の確信するところだ。

 ならば誰も出入りしていないのだろう。


「そうか。どうやらうたた寝していたようだ。悪い夢を見たのであろう」

「……さようでございますか」

「控えに戻ってよい」

「は。あの、差し出がましいようですがもう休まれてはいかがかと」


 宿直の兵が言うとおり、もう真夜中だ。

 明日も戦は続く。

 眠れる時に寝るのが大切だ。


「そうだな。寝よう。何かあれば起こしてくれ」

「かしこまりました」


 宿直兵が去っていき気配が消えると董卓は刀をしまった。


 夢、かと思ったが短刀は抜かれたまま卓上にあり、董卓が寝ぼけていなければあれは現実であったかと思われた。

 人があのように現れ、霞のように消えるものか?

 と董卓は考えたが、相手が方術で信者を集めた人物であることを思えば、そういうこともあるのかもしれぬ、と結論を出した。


 床についた董卓に、その夜は何もなく、またそれからの戦に変化があったわけではなかった。


 後にわかったことだが、太平道を興した大賢良師張角は広宗城包囲の中没している。

 いつの時点で亡くなったかはわからぬが、もしかしたらあの雨の夜に来たのは亡くなったばかりの彼だったのでは、と後に董卓は思った。


 また太平道において七月の十五日は中元ちゅうげんという日である、という。

 中元は地官大帝ちかんたいていという道教の神の誕生日であり、様々な罪が許される日であるという。

 また、地官大帝は地獄の帝でもあるため、その日は人の世と地獄が繋がり死者が人の世と行き来するという。


 中元がこのような形になったのは後世のことだが、この後漢の時代でもある程度の原型はあったのかもしれない。


 余談だがこの中元の日は仏教に取り込まれ、盂蘭盆会うらぼんえと呼ばれるようになった。

 これを略して盆。

 お盆という行事になるのは本当に余談である。

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