百五十三、連環のはじまり
董卓の凱旋を祝う宴が行われた。
洛陽に駐屯していた董卓軍が長安に到着したのは三月頃である。
長安も花が咲き始め、本格的に春が訪れようとしていた。
「王允殿、よくぞこの長安をここまで整備していただいた。礼を言おう」
長安に来て、はじめに挨拶しに来たのは王允だった。
董卓によって司徒に任じられた王允は、遷都に伴って皇帝や朝廷と共に長安入りしていた。
親董卓の政治家の筆頭として知られる人物である。
政治家であり、黄巾討伐にも従軍した武人でもある。
また并州出身であり、中央出身ではないことで李儒の派閥こそ入っていなかったが、志は同じくする、と見られている。
同じく親董卓派と見られている蔡邕とは違い、諫言することもないことから董卓に気に入られていた。
その蔡邕は学者として高名であり、董卓が請うて招聘した人物であり、諫言されても彼の言葉なら聞く、という評判である。
実際に董卓も彼の最もだと思った事柄に関しては聞いている。
というより、他の者が董卓を恐れてへつらうばかりなのだが。
ともかく、王允は董卓の政治を任せるにたる人物と見られていた。
「いえ、相国殿の送っていただいた資金、資源のおかげでございます。漢が開かれた時の隆盛に勝るとも劣らぬ都を取り戻しましたぞ」
「うむ。まさに」
「ささ。主上も待ちかねております。まずは宮殿に参内し、その後は宴の支度ができておりますぞ」
「確かに主上を待たせてはいかぬな。では、参ろうぞ」
ということで、董卓は参内し皇帝に挨拶した。
皇帝はいわば共謀仲間であるので、董卓の帰還にホッとしたような顔をした。
朝廷内で何かあるのかもしれぬ。
王允と李儒に後に確認しておかねば。
と、平伏しながら董卓は思考した。
久しぶりに弟の董旻と再会したのはその後である。
「長安はどうだ」
「故郷に近いゆえ、過ごしやすくてよいですな」
「そういうことを聞いておらぬぞ」
「はは。わかっております。我々の長安入りからしばらく、黄琬殿がちと怪しい動きをしているようですな」
「黄琬か」
黄琬は若くして政治家となったが、宦官の不興を買い、二十年ほど追放されていた。
董卓は彼を重用したが、長安遷都に反対したことで罷免した。
しかし、その政治の才覚は目覚ましく、光禄大夫として復帰させていた。
董卓に対して、諫言というよりも批判的な目で見ていたようにも思う。
「その周囲の儒家どもが蠢いている気配を感じましたな」
「儒家。やはり俺を認めぬか」
儒学を信奉する儒家は、きまりきった規範を外れるような行動を非常に嫌がる。
その動きが宦官に対する反意に繋がり、袁紹らの宦官皆殺しに繋がった。
そして、遷都やら中央出身者以外の登用を繰り返す董卓の治世はどう考えても儒家たちの気に沿うことではなかった。
董卓のやったことが大きければ大きいほど、その揺り返しもまた大きくあるべきと彼らは思っているかもしれぬ。
「ともあれ、まだ大きなものではありませぬ。関中、涼州を掌握し、京兆尹を落ち着かせれば反抗の意も失せるでしょう」
「わかった」
「時に兄上」
「なんだ?」
「妾を増やすのは結構。しかし、孫と同じような年の娘を側に置くのは感心しませんぞ」
「ああ、うむ。それな」
恒我のことである。
陽城から連れ出した彼女は、“神降ろし”の影響もあってか、年よりも幼く、そしてよく眠った。
名目こそ側女だが、董卓にとっては親代わりの気持ちであった。
あの時救えず、己が手で殺さなければならなかった彼女への罪滅ぼしといえば格好は良い。
後から考えた理屈だ。
その本当のところは董卓自身にもわからなかった。
ともかく、性の対象として恒我を側に置いているわけではない。
「そもそも兄上の好みからは外れましょう、あの娘は」
「そういうものではないのだ。……ともかく、心配はいらぬ」
「ならば良いのですが……」
「話はこれで終わりだ。この後は王允が宴を用意していると聞いた。まずはそれを楽しもう」
と、董卓は話を納めた。
王允の開いた宴は、一年以上戦陣暮らしであった董卓やその配下の将たちにとって久しぶりに心から楽しめるものであった。
董卓も大いに酒を飲んだ。
この頃の中原の酒は、酒精が薄くいくら飲んでも酔わぬ、と董卓は思っていたが、やはり量を重ねれば酔いは回る。
注意力がやや散漫になるのも仕方のないことではあった。
そこが王允の狙い目であった。
親董卓派と見られている王允が董卓の配下に近づくのは容易であった。
王允も軍に身を置いていたこともあり、董卓軍の猛将たちとも話を合わせることができた。
そして、宴の最中にどんどんと一人の将に近づいていく。
「呂奉先殿」
王允がその名を呼ぶと、呂布はゆっくりとその目を向けた。
匈奴の血をひくと聞いていたが、どちらかといえば羌族によくある顔立ちだな、と王允はふと思った。
「何の用だ」
「私は王子師と申す者。董相国様のもと働いておる」
「そうか」
呂布は興味を無くしたように横を向いた。
呂布は他の武将とは距離を置いていた。
新参中の新参であり、この直前で敗北を喫しているためか。
「私は并州太原郡祁県の生まれだ。そのため同じ故郷の英傑と酒を酌み交わしたいと思ってな」
「故郷など、俺には関係のないことだ」
これは入りかたを間違えたか。
全国どこでも腐敗した役人がいる。
そんなものらが重税を課した礼は枚挙に暇がない。
そういったことから故郷に嫌気がさして出奔した者も数えきれぬ。
そういった者は故郷の話をすることを嫌がる。
しかし、この呂布はそういうのとは違う感じがする。
そういえば、この呂布は(裏切ったとはいえ)并州牧の丁原に仕えていたはず。
故郷に思い入れがないはずはない。
いや、故郷というよりは使命か?
家族という線も考えられる。
「呂布殿の武勇は並ぶものがないと聞きまする。いったいどのような豪傑の師事を受けたのでしょうか」
「……父上だ」
静かながら言った単語は、間違いなく呂布の核心だと王允は直感した。
父親が彼の弱点か、逆鱗か。
「なるほどお父上はさぞかし名の通った将であったのでしょうな」
「いや、若い頃に羌族の反乱に加わったくらいで、匈奴の戦にも加わらなかったらしい」
「さようでございましたか」
涼州の羌の大乱には多くの異民族が加わっていたという。
その中の一人か。
野盗にならなかっただけでも理性的な人物であったのだろう。
父親を尊敬するという気持ちはわかる。
ゆえに、慎重に父親を絡めた話を組み合わせ、呂布の信頼を得ん。
王允の行動は、一見保身に見える。
政権を握った董卓の、次の世代の武将に取り入ることで自分の安全を図る。
そう見える。
見えるように王允は動いている。
「そうだ。あれば俺の敗北ではなかった」
ほんの少し話しただけで、呂布の王允に対する信頼度は大きく上がっていた。
陽人の戦いで足を引っ張りあった胡軫のことを悪し様に罵るほどには。
頃合いと見た王允は手招きをした。
それを合図に、一人の娘が二人の側にやってきた。
「呂布殿、我が娘でございます」
「娘……?」
「貂蝉と申します。噂に名高き奉先様にお会いできて嬉しゅうございます」
呂布が女性に耐性が無いことはわかった。
ならば王允の策は確実に成る。
王允の予想通り、呂布の顔は真っ赤になり、されるがままに貂蝉から酒を注がれている。
もはや、呂布は王允のことを敵とは思わなくなるだろう。
呂布が完全にそうなった時、王允の目的は叶うのだ。




