魔女A
「――そこまでだ」
アリエスと、ガムと、コオラのいるその公園に――冷たい言葉が響いた。
心まで凍らせるような、ひどく冷気のある一声。
初めて聞く女の声だった。――それは、まるで感情を伴わない。だが、俺はこの女が誰なのか、すぐにわかった……。
ゆっくりと歩み寄ってきたのは、銀色のドレスを召した、長い銀髪の美女だ。そして、彼女の身体は、ひどく白い。年齢は三十歳くらいがぴったりくらいに見えるが、ガムやコオラが同じく二十代くらいなのを踏まえると、もっと遥かに年が高い可能性が高いだろう……しかし、全くそう感じさせない。
――それこそ、魔女アクィナだった。
アクィナの通る後は、小さく氷の結晶たちが染みついて、まるで歩いたところから凍っていくようでさえある。
「あ、あなたは……」
「アクィナ、おばさま……」
ガムとアリエスが戦慄しながら、言った。その名を口にするのさえ憚られるといった口ぶりだ。
アクィナは、それを見向きもしない。
「――無様な我が子コオラよ、お前には失望した……いずれ、この場には貴様を捕らえに憲兵が来る。処遇は、そいつらに任せよう……」
悪女というには、その言葉はひどく冷静だ。
俺はわからない。――こいつが全ての元凶なのか? どうもそんな実感が湧かない。氷の魔法使いというだけあって、その胸にどうも感情みたいなのが感じられない。
コオラは、このアクィナが実の親であるという事実に、驚いているようだった。しかし、あらゆるものへの恐怖と絶望で、何も言えないまま、怯えたように見上げるだけだった。
アクィナは、今度はアリエスを見た。
「久しぶりだな、アリエス……。私の息子、お前の従兄弟が迷惑をかけたようだ。長男ガムは、お前と真っ向から戦ったようだが、このような奴まで面倒を見てくれるとは……」
「…………」
「しかし、念のために言っておくが、コオラをこのような卑劣な男に育てたのは、私の意思ではない。戦う意思を曲解し、こいつが勝手にこうなっただけの事」
――それは、てめえが放り捨てたからだろうが。
考えるだけでもムナクソ悪い。捨てた子供が勝手に良い子に育つと思っているのか、こいつは……野に放り捨てられた子供がどうなるのかは、俺だって痛いほどよく知っている。
他人に利用されて、裏切られて、優しさも知らないまま、ただ時の流れで身体だけ大きくなっちまう……そういう事だってあるのだ。
俺の妹が、そうだったのだから、よくわかる。
「アクィナおばさま……あなたは、一体何がしたいんですか!? 実の子供たちを放り、私の父や母を凍らせ、多くの民を巻き込んで……!! そうまでして、あなたの目的は、一体……!!」
アリエスが悲し気に言う。
その感情には、戦いを経てのものもあれば、肉親であるという前提を持っての意味合いもあるだろう。
「――いいだろう、答えよう」
「……!」
「私は、姉上、セイコンの子と、まともに戦うだけの子を作りたかったのだ。……そして、私は、姉の産んだ三人の姉妹に対抗するべく、自身の封印を解くとともに、三人の子を再び部下として集め、お前たちと戦わせるよう仕向けた……」
「一体、何故そんな事を!」
「ふん。お前にはわかるまい。私が姉上に受けた屈辱などな……!」
と、アクィナは、アリエスを睨んだ。
何か姉というモノに対して強いコンプレックスの感じられる言葉――ただの憎しみにとどまらない、悪しき想いに満ち溢れたような言い様だった。
先ほどまでの冷徹で感情を伴わないといった振る舞いが嘘のように、奥歯を強く噛んで、目の間に皺が寄っていく……。
「――――……いや、お前もか、アリエス!! お前も、私の戦いを愚弄するのか……!!」
――強い憎しみを伴った瞳。
それは、キッとアリエスを睨み、あまりに大きな一声を発した。
俺でさえも圧倒される、その蛇のように攻撃的な眼差し――それは、まるで、アリエスではなく、その中にいる俺さえも睨みつけているようだった。俺の心が、それを感じている。
そして、その言葉を裏付けるかのように、アクィナは笑い出した。
「アリエス……お前の中に、もうひとつの魂を感じる……! なるほど、“ゴースト”か。これはお笑いだな。道理で、温厚で気の弱いお前があれだけ強く戦うわけだ……! 娘までも私と戦わぬ気とは、姉上め……! 今もなお、忌々しい……っ!!」
「……っ!!」
俺の事が、気づかれている……!
一目見て、アリエスの中にゴーストがいると気付いた人間は、これまでにいない。ましてや、アリエスがアリエスの姿のままに言葉を交わしているのを見て、こんな事を言うなんて……。
こいつの魔法の力とやらがそうさせるのだろうか? ――……そうか、だが、上等だ。
俺は、一言返してやろうかと思ったが、それより先に、アリエスが叫んだ。
「な、何があったんです、アクィナおば様! お母様は、あなたに一体何をしたんです!」
自分の母が一連の騒動に関係していると知り、彼女も気が気ではいられないのだろう。
……しかし、アクィナは、これについては、はっきりとは言わない。
「ふん。それは、私の長女、キャンディを倒した時にでも教えてやろう。――だが、キャンディの持つ“龍”の魔法は、私のそれに匹敵する力を持っている。……果たして、今のゴースト頼りのお前で勝てるかな?」
「…………」
ゴースト頼り、とアクィナは言う。――しかし、それは誤算だ。今の彼女には魔法もある。俺が殴るより、彼女が燃やす方がずっと強い。
なんだか、アクィナの中に隙を見たような気がした。このアクィナもまた目が曇っている。アリエスの強さをまるで知らない。だからこんな事を言えるのではないかと――俺はそう、信じた。
それで、俺は一度落ち着き、冷静に考えた。――なるほど、このアクィナの長女の“キャンディ”は“龍”の魔法を持っているわけか。それが一体どんな魔法かは知れないが、こういう情報を覚えておくのも重要だ。
「――アクィナ様、いや、母上……! あなたは、まだそんな事を言っているのか! これ以上の戦いは無益! 関係のない民の命が奪われた今、あなたの目的がなんであれ、この戦いを終えるべきです!!」
と、言ったのは、一応一緒にいたガムだった。
彼は、おそらく、この時になって初めて母と子として、アクィナに向き合ったのだろう。
「――ガムよ。お前は、ただ一人で生きながら、よほど立派な考えを持って成長したと見える。強くは育たなかったが、ああいうように戦いを侮辱する人間になるより遥かに良い。……だが、まだ私の戦いは終わらない」
「何故……!」
「ガム。もうお前に用はない。後は、お前の好きにするがいい……」
アクィナは、冷徹だった。ようやく会えた母と子の再会と言うには、あまりにもその言い様は冷たかった。ガムはとうに諦めていたのか、別に何も言わない。ただ黙っている。親子ではないようだった。
……しかし、当人同士がそんな親子関係で納得しているとしても、俺は――コオラの方を見つめた。
そうだ、納得できない。――俺は、アリエスの身体を借りる。髪がオールバックに上がる。アクィナに向けて、俺は言った。
「――待てよ。それだけかよ」
アクィナがこちらに目をやった。
「……ああ。誰かと思えば、お前がアリエスに憑いているゴーストか」
「アクィナ……てめえに言っておきたい事がある!!」
アクィナに向けて、俺は人差し指を突き付けた。
人差し指を他人に向けて突き付けるのは、教育上あんまりよろしくはねえが、自分が言われてるってわからねえ奴には最適だ。
俺は、この女に一度言っておきたい事がある。
「俺は、犬や猫を捨てる人間でさえ許せねえ……。だが、何より一番許せねえのは、自分の子供を捨てちまうような奴だっ!! ……あんたは、てめえの責任を全部放棄していたくせに、てめえの都合を今度は子供に押し付け、挙句に姉から受けた屈辱だ何だと、自分の事ばっかり語りやがる!! そういう人間を見ると、無数の言葉が頭に浮かんでくるっ!! “ぶっ飛ばす”って意味に相当する言葉がなっ!!」
はっきりと言った。
確かにコオラは無様で許しがたいが、その責任の一端は、子供の時に放り捨てて“ナ界=キィチ”とかいう国で育てさせたアクィナにある筈だ。せめて、まともに責任取れる年齢まで育てていれば、こうはならなかったかもしれない。
ガムが上手くいったのは、偶然に過ぎない。ただ、どこか運よく彼なりの理念を学べるところがあったからこそ、ガムは一人の騎士になったのだ。それを左右する最大の責任は、彼らを生んだ責任者だ。
その女が、放置した息子に責任を押し付けるのが、全く以て許せない。
どうしても、それだけはこのクソ親に言ってやりたかった。――アクィナは、こちらを見て問いかける。
「……ゴースト。貴様、名は?」
「俺は、千葉県立御弥高校、二年B組……二年ながらに番を張らせてもらっている伊神敏也だ!! 出身中学は西中!! この名前を覚えておけ……てめえをぶっ飛ばす男の名前だ!!」
「そうか、ならば敏也よ。貴様には用はない……私が戦うのはアリエスだ。邪魔はするな」
「いや、今の俺は、アリエス姫のもう一つの魔法っ!! 俺と姫騎士は一心同体だっ!! だから、俺も、てめえを、シメるっ!! 逃げるんじゃねえぞっ!!」
いっそ、この場でシメてやろうか――などと思っていたが、その瞬間、アクィナは、半分だけ納得したように嗤った。
「ふん。いいだろう……私の城で待とう。また会うのを楽しみにしている」
「待てっ!!」
しかし――その瞬間、俺の前に氷の風が放たれる。芯から湧き上がるような冷気とともに、命の危険さえも感じた。軽く手を振るっただけのアクィナに恐るべき力が込められているのを本能的に悟り、アクィナの魔法の恐ろしさを痛感する。
回避の為、俺は、思わず顔を覆うが、もう一度アクィナを見ようとすると、――そこからは既に消えていた。
「くっ……! 消えたっ!?」
消えたようにしか見えなかった。
あいつは、いまの一瞬で瞬間移動のように消えたらしい。
「――いや、母上はおそらく、セグウェイに乗って帰ったのだ……」
「そうか……セグウェイか……」
ああ、なるほど……いま避けさせてから近くに置いたセグウェイに乗って帰ったのか……。とにかく、この世界のセグウェイは、相当スピードが速いらしい。近くを探っても、もうどこにもいない……。
とにかく、氷の魔女は、セグウェイを愛用しているらしかった……。
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