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人獣見聞録‐猿の転生 Ⅵ 春にして君を離れ  作者: 蓑谷 春泥
第3章 春と修羅
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第18話 将門(しょうもん)

 第四階層の崩れかけた壁の下を、這うようにして出てきた小柄な少女が叫んだ。

「スペクトラさん、爆薬設置完了です!」

「ご苦労」

 スペクトラは端的に答えて囚人たちの骸を投げ捨てた。少女が這い出るのに手古摺っているのを見て、スペクトラは手を差し伸べた。

「かたじけない、この穴は本官にも手狭く……」

「気にするな。支柱がすぐそこにあるのに、野風のがたいでは通り抜けられぬと、第三の中継地点からお前を呼び立てたんだ。後方隊員にもかかわらず、わざわざ前線まで来ていただいて感謝する」

「いえ、このくらい手助けさせてください。まだまだ若輩者ですが、任務には精一杯貢献したいですから」

 少女は力こぶを作るように腕を曲げてみせる。上腕に紅い染みが出来ているのに気付いた。「負傷しているのか」

「あっ、これは今床を這った時に……。壁の破片が多かったもので」

「傷は隠しておいた方がいいな。亡者共の細菌は傷口から感染する。抗菌薬を接種済みとはいえ、用心に越したことはない……。おい、誰か清潔な布は持っていないか」

「ご安心を、本官は衛生兵ですので!」

 少女が掲げた腕の中で、傷口が癒着してじわじわと塞がっていく。野風たちが目を見開いた。「ドクターの魔法だ」

「不肖ボアネルゲ、リリパット師匠から治癒能力の手ほどきを受けているであります。臓器のような複雑な器官は治せませんが、このくらいの外傷ならあっという間です。もちろん皆さんの傷も癒せますから、安心して闘ってください!」

「心強いな。さすがは警察隊だ、若手にも優秀な人材を揃えている……」

 スペクトラはあたりを見回した。「だが我々も相応の精鋭だ。この程度の戦闘なら、当然無傷で終わらせられる」

 あたりには、亡者と化した最も狂暴な四層の囚人たちがごろごろと転がっていた。

「さすがスペクトラ殿……、伯父殿から聞いていたとおりの武勇であります。回廊最下層の囚人たちを瞬殺とは……」

「今回は数に利があったからな。もっと大規模な群れで来られると流石に厄介だ。それにこいつらは第四の中でも比較的穏当な部類だろう。野性で分かる……、流石は地底回廊だ、構造のせいで位置は定かではないが……、強者の気配がそこら中から感じられる」

 スペクトラは隊を次の目的地に向けて引き連れ、格子戸をくぐった。「このフロアにもいる……。今の奴らとは比較にならないくらいの大物だ。気配が強すぎて逆に距離感がぼかされるくらいのな。それに二階のこいつ……。なんだ? 奇妙な気配をしているな。ともかくもこの二人が敵の大将格だろうな、強さだけで言えば」

「抜餓鬼と亡者は戸喫(ヘグイ)菌で大まかに意識を共有しています。頭らしい頭はいない……。その二人を潰しても、黄泉の攻勢が弱まることはないと思われます」

「分かっている。だからこその殲滅戦だ」

 細長い通路を抜けながらスペクトラが素っ気なく返す。先を行く何人かの野風が目視で安全を確認した。敵の姿はない。

「お前たち、もう一度言うが感染していない囚人と『銀髪の野風』には手を出すなよ。向こうから攻撃してくるまでは待機だ、俺の指示を待て」

 横から聞いていた少女が首を傾げる。

「? 非感染者は分かりますが……、『銀髪の野風』とは? 『(しろ)(ぬえ)』は収監されていますが……」

「『白鵺』に出くわす可能性は低い。『銀将門(ぎんしょうもん)』マサカドの一子だ、とっくに上の階層まで逃げ伸びて、脱出のチャンスを窺っているだろう。抜餓鬼や他の囚人にやられる器ではない」

「ならば、(くだん)の銀髪とは一体誰のことを……」

 スペクトラは無言のまま片眼鏡の位置を僅かにずらし、祈るように目を閉じた。「……朋輩(ともがら)だ」

 先行して広間の様子を窺っていた野風が戻ってきた。「スペクトラさん、三層までの階段の索敵、クリアしました。奥のブロックに囚人の集団がいますが、向こうからは死角になるはずです」

「了解した。スペクトラ隊はこのまま一度中継地点に合流し、彼女を送り届ける。その後三層の迂路を介して、二本目の支柱に奥土器を仕掛けに向かう。敵の掃討はそれから。いいな」

 スペクトラが声を落として指示を出す。一同が肯く。「よし、では円陣をとれ。開けた場所だ、遠距離からの……」

 天井のダクトを破砕した白い塊が、轟音とともにスペクトラの命令を遮って降ってきた。石畳の床が割れ、勢いよく四方に飛び散る。

「なっ……⁉」

一同は一斉に敵を囲むように飛び退く。一瞬、反応の遅れた野風が敵の巨大な掌に掴まれ、左の拳を顔面で受けた。

一撃。頭蓋を内向きに押し込まれた野風は折れた首を奇態な方向へ捻じ曲げながら絶命していた。周囲の野風たちが一斉に牙をむく。

「白毛の野風だ! ボアソナードじゃないぞ‼」

「『白鵺』か⁉ スペクトラ‼ やって良いな?」

 スペクトラが素早く号令を出し、前衛の野風らが飛び掛かる。指示を受けた栗毛の野風が少女の手を引いて通路を後退しようとする。

 ギョロリ、と真っ黒な目が見開かれる。

 戦士たちは思わずぎょっとしてたじろいだ。その敵の眼は両眼に宿ってはいなかった。そのさらに上、額のやや中央を外れた所に、真ん丸い第三の眼が開眼していたのだ。

 と同時に、既に敵の動作は完了していた。投擲した瓦礫の一片が音速で栗毛の背を追随し、瞬く間に「追い抜いて」いた。

 ただの石の欠片が深々と胸を貫き、野風の一生を終わらせる凶器と化していた。緊張に、ごくりと戦士たちの喉が動く。数瞬の内に、彼らは敵の正体を知るともなしに直感していた。

銀将門(ぎんのまさかど)』…………‼

 猿族最強と謳われた至高の野風……、息子などではない、白銀の英雄マサカド本人が、まさに目の前に降臨していた。

 スペクトラの動きは速かった。非戦闘員かつ貴重な治療術使いであるネルゲを素早く抱え上げ、空いている独房に押し込んだ。格子戸を閉め、マサカドを注視したまま後ろ手に錠を捻じ曲げると輪具(リング)を外して鉄格子の間に投げ入れた。「付近の補充部隊に応援を要請しろ。四階Bブロック・第二支柱への奥土器設置の代行だ」

「っ……、ここへの増援は?」

「任務の遂行が優先だ。この作戦は時間との戦いでもある……。爆破予定時刻よりも先に全ての地点に、火薬を仕掛け終えねばならない。それから……」

 スペクトラは一瞬だけ視線を少女の方に寄越した。「この部隊が全滅したら、その無線で救けを呼べ」

 鉄の檻は白銀の脅威から少女を守る障壁と化していた。錠は歪んで内側からは開けられない。外部から誰かが錠を破壊しないかぎり、開きそうにはない。

 少女は輪具を口元にあてがい、拠点に呼びかけ始めた。



「戦局が動くな……」

 入り乱れる戦況報告を耳に、第一階層の支柱へ火薬を巻き付ける部下を眺めながらメルは独りごちった。大隊を指揮するのは初めてだ。しかしカミラタの横でその采配は学んできたつもりだった。戦局が変わりつつあるのを肌で感じ取っていた。

「メル長官補、四層の応援はどのように……」

「拠点防衛班以外の空いている補充部隊を回せ。三階にもう一組到着しているはずだ」

「は……」

 脳波によって通信を交わすカプリチオの伝令官にメルは告げる。廊下の奥ではあちこちで火の手が上がっていてオレンジ色の光が柱に濃い影を作っていた。

「それから第5分隊、第6分隊の侵攻を急がせろ。手が空いた部隊から第四階層の掃討に当たれ。今作戦の最終目的は地底回廊を支えている支柱の八か所同時爆撃による根幹の破壊だ。発破の合図とともに支柱に設置した炸裂系の奥土器たちを遠隔起動させる。同時に地上のカルキノス隊とミノタウラ隊が震動波を送ることで地底回廊を崩壊させ、残存する抜餓鬼と亡者たちを生き埋めにする。完全殲滅の確度を高めるため、可能な限り敵戦力は直接排除する。各部隊にもう一度……、……!」

 詳細な指令を与えていたメルは何げなく通路の先を眺めて口を止めた。

 一瞬ではあったが、見覚えのある淡い緑色の影が横切っていくのが見えた。

「……? 長官補殿?」

 伝令官が不思議そうに顔を上げる。

「……ああ。今ので以上だ、各隊に伝えてくれ。ところで、あの道の先は行き止まりじゃなかったか?」

「ええ……、あ、しかし隠し通路があります。有事の際の連絡路です。第一階層より上部の排気口と直接繋がっていますね」

「排気口のサイズは?」

「中途で枝分かれして、地上付近では子供も通れないサイズの小さい穴になってます」

「……分かった。念のため付近で待機するよう、地上部隊に伝えておいてくれ。それから、通路周辺の隊員を隠し通路の巡回に向かわせろ。…………、…………衛生兵もな」


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