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人獣見聞録‐猿の転生 Ⅵ 春にして君を離れ  作者: 蓑谷 春泥
第3章 春と修羅
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第17話 覚醒(めざ)め

「今のは……、カプリチオ族の、記憶?」

 血腥い光景から、崩れた地下の坑道に帰ってきて、俺は呟いた。混沌と叫喚の中で、血に濡れた拳を振りかざすアテネが、見えた。アテネの目を通して、貴族たちの耳を通して。あの景色が記憶の集合体である『阿頼耶識』の最も上澄みに残っていたのは、それだけ強い残滓が……、貴族たちの怨念のようなものが、残っていたということだろうか。それにしても、まさかアテネが、あんな……。

「ましら、無事かっ?」

 瓦礫をかき分けて、グラムシがやってくる。節々に傷を負っているが、平気そうだ。周りを囲んでいた抜餓鬼たちの群れが盾の役割を果たしたらしい。ひきかえ俺は野風化も切れ、ただの改造人間に戻った状態だ。あばらが折れて突き刺さっているが、なんとか動ける。

「工場の設備が爆発したのか? すごい威力だったな……。それにしてもなぜ突然に……」

「俺のせいだ。空間に開けてしまった裂け目から外の空気が入り込んできて、急激な燃焼現象(バック・ドラフト)を引き起こしたんだ。計算外だ、ったく……」

 俺は立ち上がり、爆発四散した抜餓鬼たちの亡骸を眺めた。カプリチオ貴族たちの惨死体がフラッシュバックする。「……ともかくも地上に戻ろう。アテネに会って確かめないと……!」

「ましら」

 グラムシが俺に呼びかける。

「その様子だと、『阿頼耶識』の記憶を垣間見たようだな。何が見えた?」

「…………」

 俺は答えずに地上への転移に移ろうとした。それからはっとして付け足した。「急ごう。リリが危ない」


〇


「……、アテネさん、あなたは……」

 締め付けられる喉の奥から、リリは切れ切れに声を絞り出した。

「あッはは、ママぁ」

 狂気を帯びた瞳で、アテネは両手に込める力を強める。「うふふ。……!」

 アテネの両腕を掴んだリリが、万力のような力でそれを押し上げる。少女の両手が首を離れ、すかさずリリが彼女を組み伏せた。「私はあなたのお母さんではありませんよ、アテネさん」

「ぁう、痛いぃ……。あ……」アテネはリリの瞳を見つめた。色硝子を透かして差し込んだ翡翠の光が、リリの両目を緑色に輝かせていた。「悪い魔法使い……」

 途端にアテネの口から、はち切れるような笑いが迸った。リリはぎょっとして関節を閉める手を止めた。「そこにいたのね!!!! そこにいたのね、ママ!!!!!!!」

 その痩躯からは信じられないほどの力でアテネが跳ね上がる。外れた関節をもろともせず、リリを跳ねのけて床の上に立つ。

「いつだってママは私を痛くしてくれる!!!! やっと分かったわ! この痛みが愛なのね、ママ!! ママ!!! 安心して、私がママを愛してあげる! もう一度ママを殺してあげるから!!!!!」

 リリは弾かれた自身の手を見る。指が逆方向に折れている。逆の手で指を掴んで元の位置に戻すと、骨の繋がったことを確認するかのように拳を握り開いた。

「今となってはあまり、気乗りしませんが……」

 リリは狂ったような笑みを浮かべるアテネに視線を向けて、息をついた。「痛くしますよー、アテネさん」


〇


「……さっきの地響きは、やはり黄泉の方からか」

 野風の部隊たちと回廊の暗い階段を駆け下りながら、伝令官からの報告を受けたメルが呟いた。「回廊内の戦闘ではない。作戦に支障はないが……」

「ないけど、ましらクンの安否が気になるね」

 先頭まで進んできたニミリが、言い淀んだメルの言葉を引き継いだ。メルが何とも言えない表情で彼を見ると、ニミリはウィンクでそれに答えた。「長官殿は素直じゃないからね」

「ニニギニミリ……。夷(ヱビス)の遠征以来だな。皮肉屋は相変わらずか?」

「僕としては、率直な物言いのつもりなんだけどね。で、さっきの振動は」

「……回廊より深部でのものだ。先発のスペクトラ隊から報告があった。黄泉との連絡部分も確認がとれたそうだ。既に量子器官による修復の跡が認められた」

 戦闘部隊は各40名程度の八つの分隊と、さらにその半分の規模の四つの補充部隊に分割されていた。ドストスペクトラ含む先発部隊は回廊最深部「第四層」に早くも到着しているとの報告があった。

「最短ルートを譲ったとはいえ、さすがに速いね」

「あの部隊は精鋭中の精鋭だ。治療役はおろか伝令官も付けていない完全な野風部隊。機動力は随一だろう」

 走りながらメルが答える。

「野風だけなら、伝令役もいないよね。どうやって報告を?」

「先発の補充部隊が第三階層で中継地点を設けている。第四から第三の連絡は奥土器(おくつき)の輪具(リング)でも可能だ。中継地点(そこ)からここや地上までの伝達は伝令官の能力が必要だがな」

 そこを負傷者の回収地点にする、と言ってメルは中継地点のポイントを告げた。

「爆破からの離脱を考えると、地上に近い第二階層が順当だったんだがな……。第二なら囚人のレベルも低いしな。だが、第三は官吏の居住区があって拠点を築きやすい。補充部隊で中継地点を維持し続けることを考えると、第三まで降ろさざるをえなかった」

「ま、負傷者が最も多いのは三、四層だろうしね。妥当なんじゃないの」

 ニミリは自身の部隊に拠点のポイントを伝達した。

「ましらクンの方は大丈夫だよ。2人ともタフだし、あっちはあっちで上手くやってるだろう。いざとなったら転移できるしさ。僕たちはこっちの作戦に集中しよう」

「言われなくとも、だ」

 階段の先に広々とした踊り場が見えてきて、メルが叫んだ。

「第3分隊から第6分隊‼ このまま第二階層へ降下しろ! それ以外は予定通り第一階層を攻略する! 私についてこい‼」

 わらわらと四方の壁から抜餓鬼たちが這い出てくる。踊り場を埋め尽くす勢いだ。

「お出(い)でなすった! ニミリ隊、このまま突破口を開くよ!」

 野風たちが怒号で応じて猛々しく突っ込んでいく。メルを始めとした警察隊たちも軍刀を抜き放ち交戦を開始する。

「モルグ」植物の茶色い鎧に身を包んだ半野風をメルが呼びつける。

「ここは我々に任せ、お前は小隊を連れて先に行け。私達は反対側の支柱を目指す」

「了解です、長官」モルグは笹の葉に包まれた小袋を受け取って肯いた。第一分隊からさらに分裂した小班が、抜餓鬼をかきわけて一層の奥へ進む。

「……こうして猿族同士で殺し合うってのもね……っ」

 抜餓鬼の首を鈍器で落とし、ニミリが呟く。

「相手はただの傀儡っすよ、頭(かしら)」

「あーっと、そうだったか。でもここまで精巧だと忘れちゃうね。同胞とやりあってる気になって、精神的にも……」

 ニミリは乱闘を抜けていくモルグの背に目を向けて続けた。「……精神的にも、良くないからね」


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