639.朝から騒がしい廊下
朝一番に、マルレーネ様から手紙が届いた。正式な文書ではなく、私的な手紙の形を取ったのね。気遣っていただいて有難いわ。
目覚めた私はヘンリック様と分かれ、自室で手紙を開く。今日の予定を延期したこと、家族の健康を優先して構わないこと、それから気に病まないよう付け加えられていた。お優しい方だわ。延期した日付の記載がないから、こちらから連絡すればいいのね。
先ほどまで一緒だったヘンリック様が、廊下に出たみたい。身支度が終わったのだと思うわ。二人で使う寝室の両側に自室、三つの部屋が内扉で繋がっている。下の部屋を使うと決めた時、家族用の客間を改装して使ったの。
客間は二階にある部屋とは作りが違う。ある程度廊下の音が聞こえるよう作られていた。使用人が近づけばわかるし、誰かが呼びに来た場合も便利よ。何より、自分達が出歩くと外に音が響くとわからせる目的もあるらしい。フランクに聞いて驚いたわ。
貴族の一部には手癖の悪い人もいて、過去に何度もトラブルが起きたそう。王宮内もそうだけれど、すべての貴族家で客間は音が聞こえる。誰かが入って来る懸念より、客が屋敷内を出歩くことを牽制するのが目的だった。
手癖が悪いと表現しているけれど、暗殺なども含まれるとか。この国も殺伐としていた時期があるのね。歴史の勉強で荒れた過去は学んだけれど、お誘いを受けて泊った家の主人を狙うなんて。今のこの国では想像できなかった。
とにかく、ヘンリック様が廊下に出たなら私も急がないと。リリーはローズの世話、レオン達はイルゼが面倒を見ているはず。マーサは明日復帰予定だわ。専属ではないけれど、この屋敷の侍女達はレベルが高い。髪を梳かしてゆったり結い、化粧を施してもらった。
踝を隠すロングワンピースから明るいオレンジを選ぶ。ベルトに黒を選び、髪飾りを黒い真珠で揃えた。鏡の前でくるりと回り、全身を確認してお礼を言う。いつもの流れで、そのまま廊下に出た。
「お母様、おはよぉ」
「あら、おはよう。レオン……ラルフは?」
「あのね、あっち!」
指さした先へ視線を向ければ、ランドルフが早足で近づいて来る。大きく足を踏み出すため、手を前後に振って……。
「ラルフ、急がなくていいわ。無理をしないで」
屋敷内を走ってはいけない。ルールを守るのもいいけれど、足がもつれて転んだら危ないわ。そう思って声を掛けたのがいけなかったのね。速度を緩めようとして、足が引っ掛かったみたい。前に転んで、手をついて、ごろんと一回転した。
「あぶなっ……かったけど、凄いわね」
途中で危険が消えたので、感心しながら呟く。
「らるふの、ぼくも、出来る!」
「前転のこと? レオンも前に出来ていたわ。後で見せてくれる?」
出来ると言いながらその場で披露しそうになったので、そっと止めた。フランク達に見つかったら、叱られてしまうわ。




