617.ローズは魔のイヤイヤ期?
翌朝、ヘンリック様はお酒の匂いがした。尋ねたら、昨夜は瓶を何本か空けたそうよ。ヘンリック様の体調は悪くないようで、仕事も予定通り行くと話している。だとしたら……心配するのはお父様のほうね。
事前準備をしていないため、離れではなく本邸の客間に泊まっている。エルヴィンも同じだけれど、懐かしさから昼間は離れにいた。あの頃の荷物は自分達で運び出したから、家具くらいしか名残はないわ。でも窓からの景色や壁紙など、小さなことが思い出を刺激するのかも。
レオンはランドルフと着替えを行うようになり、私の手を離れてしまった。成長は嬉しいのに、こういう部分は寂しく感じるわ。できたらずっと、手がかかる子供でいてくれたら……大変でも構わないのに。
ローズの部屋を見に行けば、リボンが気に入らないと唇を尖らせていた。まだまだ甘える時期だけれど、最近はあれが嫌、これが嫌って……もしかして? イヤイヤ期に入ったのかしら! 近づけば、私を見て走ってきた。まだ結んでいない金髪がふわふわと風をはらむ。
「ぃやぁ! やっ」
手にリボンの束を掴んで振り回す。どのリボンも全部嫌だと訴えた。これは間違いなさそう。二歳前後が多いけれど、ローズはかなり発育がいい。身体的な面より、性格や知育の方面が早いの。女の子は男の子より早熟だというけれど、この年齢では「早熟」とは表現しないわね。
「このリボンは?」
私の髪に添えた淡いオレンジのリボンを解く。柔らかな薄い生地は半分ほど透けていて、オーガンジーのような雰囲気だった。化繊がないため、隙間を作りながらふんわり織った絹なのだけれど……。
「……ん」
結んでいい。そう示すように背中を向けた。するすると落ちてしまいそうなオレンジのリボンを巻いて、両側の輪を均等にしながら結ぶ。よく確認してから「できたわよ」と告げた。
「……あんと」
お礼はちゃんと言うのね。レオンの礼儀正しさを見て育ったから? ふふっと笑い「どういたしまして」と返した。すると、手に握ったリボンの束を無言で突き出す。小首を傾げた私に「ん!」と再び突き付ける。どうやら使えと言いたいみたい?
「ありがとう。これを借りるわ」
黄色に近い山吹色のリボンを選んだ。先ほどのオレンジのリボンは、今日のミント色のワンピースに合わせた色なの。近い色ならおかしくないと思う。後ろに控えていたリリーに手渡し、結んでもらった。後頭部の中央付近でお団子にした髪を、ふわりとリボンが飾る。
「似たような色ね。お揃いみたいで嬉しいわ」
何も言わないけれど、ローズは満足そう。食堂に向かおうと促せば、手を繋ぐのは嫌だと叫んだ。やっぱりイヤイヤ期ね。しばらくは大変よ……私ではなくて、ヘンリック様が。拒まれてしょげる姿が想像できて、ふふっと笑ってしまった。




