612.ティール侯爵家の訪問
お父様はしばらく黙った。頭ごなしに中止を決める人じゃないから、その点は心配しないわ。まだ親の庇護下にある未成年だし、女の子だから。許可する条件を考えているのか、それとも断るための理由を思い浮かべている?
心配そうに私を見るユリアーナに、苦笑して頷いた。危なそうなら助け舟を出してあげるわ。でも確実ではないわよ? と目で合図する。あからさまにほっとした様子で、ユリアーナは笑顔になった。
「奥様、ティール侯爵夫人とご子息がお見えです」
「あら……」
ハンナ様もいらっしゃったの? 振り返ってユリアーナを見たら、彼女も驚いていた。知らなかったみたい。もしかして気を遣っていただいたのかも。お通しするようフランクに命じ、私も立ち会うとお父様に告げた。
「そうだな、この公爵邸の女主人だ」
そう言って私の車椅子を押して移動を始めた。客間へ向かうけれど、押していくつもりだったリリーが声を掛ける。使用人の仕事だと伝えても、お父様は首を横に振る。仕方ないと諦め、イルゼの案内する客間へ向かった。
「おかしゃ!」
駆けてくるローズに慌てる。ぶつかってしまうと思ったら、ローズが手前で止まった。にこにこしながら手を振る。後ろで襟をつかんだマーサに気づき、笑ってしまった。やだ、物理的に止められたのね。普通なら失礼だと怒る場面なのかもしれないけれど、このケンプフェルト公爵家では許される。
あのままならローズは転ぶか、ぶつかるか。痛い思いをして泣くところだったもの。防いでくれたマーサに感謝しているわ。イルゼも何もなかったように流した。
客間へ入り、ハンナ様とオイゲンの挨拶を受ける。それから心配そうに体調を尋ねられた。訪問理由の説明より、こちらのほうが大事に見えるから。
「大したことはないの。少し腰を痛めてしまって」
重いものを持ったと思ったのか、ハンナ様は「癖になると聞きますわ、お気をつけて」と一般的な挨拶をしてくれた。理由が違う私としては、恥ずかしくて顔が赤くなりそう。だって、癖になるなんて……いえ、何でもないわ。
イルゼが手配したお茶を、リリーが淹れる。目の前で茶葉を蒸して注ぐのは、何も仕掛けをしていないと示す礼儀の一つ。毒殺とまでいかなくても、嫌がらせなどが横行した時代の名残だそうよ。
車椅子の私を中央に据えられるよう、一人掛けの椅子が両側に一つずつ。お父様とユリアーナがそれぞれに腰掛けた。
「本日の御用件は?」
知っていても促し、訪ねてきた側に説明させる。貴族って面倒臭いわね。私なら「ユリアーナから聞いたのだけれど」と切り出したいわ。
ハンナ様は深呼吸を一つして、微笑んだ。




