593.黒髪のお姫様の大行進
ぽたぽた垂れるほどではないけれど、べっとりと黒い墨がついた髪は……美しいとは言えない。でも使用人達は事前に騒動を把握していたらしく、ローズを見ると微笑んで一礼した。本邸に勤める侍女や侍従の質の高さを再認識しちゃうわ。
レオンと手を繋ぎ、誰かに会うたび「おちょろ」と得意げに胸を張る。皆が「お似合いです」「お揃いですね」と追従するたび、満面の笑みで頷いた。右耳の上の墨が落ちそう……のせすぎたかしら?
練った墨はやや硬い。ねばねばして乾燥に時間がかかるうえ、あちこちに色移りする可能性があった。危険なので、猫の部屋は禁止にする。猫を洗うのは大変だし、猫達にも負担になるでしょう。
「どちて?」
なぜダメなのか、問う娘に言い聞かせた。
「魔法が猫に移っちゃうからよ。猫が黒くなって、ローズが金髪に戻っちゃうわ」
「……いかにゃい」
猫の部屋は諦めてくれた。レオンは鼻をひくつかせ、嗅いだことのない墨の匂いに目を瞬かせる。ローズは兄レオンの手を離さず、ご機嫌だった。頼み込んだヘンリック様が反対の手を繋いでもらい、これまた機嫌よく歩いている。
レオンより子供に見えるのはなぜかしらね。これが一国を支える文官の長……でも仕事は出来るし、家庭でポンコツでも許されるでしょう。仕事場がバタバタしたでしょうから、差し入れの手配も必要ね。手招きして、イルゼに小声で相談した。
「ご安心ください、すでに手配しております」
「ありがとう、助かるわ」
万年留守だった主をサポートしてきただけあって、フランクとイルゼは本当に有能ね。すでに手配したと聞き、笑顔でお礼を言った。ローズの後ろを歩いていると、墨の匂いがする。ディルクに見せると言い出し、それも止めた。
ベルントがスケッチしながら付いて来る。聞いた話では絵が得意らしい。普段はレオンと手を繋ぐランドルフが手持ち無沙汰なので、私が手を差し伸べた。照れているので話を聞けば、ユーリア様と手を繋ぐことは少なかったみたい。貴族の子弟は平民と違って、触れ合いがないのね。
屋敷を歩いて気が済んだようなので、お昼は庭にしてもらった。再び芝のある前庭へ向かえば……驚いたことに墨は洗い流されている。庭師達に臨時報酬を出しましょう。ヘンリック様が指示を出し、ベルントが動く。あっという間に騎士達がテントを張り、花が咲く花壇の前に絨毯も敷かれた。
靴を脱いで座り、ヘンリック様がローズを膝に乗せようとする。けれど嫌がって、レオンと並んで座った。肩を落とした姿が可哀想なので、私が隣に座るわね。今からこんな調子だと、婚約者選定段階で大騒ぎしそう。嫌な予感はおそらく現実になるわ……私は苦笑いして濡れたタオルで手を拭った。
用意された軽食は、スコーンやパンに具を挟んだもの。お茶はやや冷やして出された。零す可能性が高いから、火傷防止ね。はしゃぐ子供達の前に、果物が並べられた。未来のことを悩むのは早すぎるから、今は自由に楽しみましょう。葡萄を一つ摘まみ、ヘンリック様の口に押し込んだ。




