ワンナイト・アクション3
作戦中止――予想できた答えだった。
だが、頭の中に浮かんできたのはそんな当たり前の話ではなく、もっと大きな衝撃。
「中止……ですか?」
「まだ決定ではありませんが、恐らくは……。このままではあなたまで取り込まれてしまう」
「でっ、ですが――」
言いかけて口をつぐむ。ですが――何なのだ。
昨日の事を考えれば至極妥当な考えだ。ミイラ取りがミイラなど笑い話にもならない。
楽しいゲームを作ろうとした結果、家族を引き裂いてしまった――以前木梨さんが言っていたその言葉が頭の中に蘇る。
現に今そうなっている者が一人いるという状況で、それが増える事をよしとする者はいないだろう。
「今はまだ何とも言えません。ですが決定が下り次第、その件についてはお伝えいたします」
電話越しの木梨さんの声はいつもと変わらなくて、それがこの話が現実であるという重みを生み出していた。
だが同時に思う。この人にはさっきの井出父の話はいっていないのだろうか。
もし知らないのなら、それを伝えておこうか――その考えが一瞬浮かび、そしてすぐに別の声がそれを引き留める。
さっき井出父はこうも言っていた。この件については、私と君以外の誰にも話さないでください。例え家族や友人知人であっても例外なく――と。
つまり当然、木梨さんとて例外ではない。
「そうですか……」
「では、どうかご自愛ください。失礼いたします」
電話が切れる。
今度こそ役目を終えたスマートフォンをベッドの上に放って分厚いカーテンを開けると、強烈な朝日と、水色とディープブルーの中間のような空が窓の向こうに広がっていた。
「中止ねぇ」
その一目で暑いと分かる景色に投げかけるように口に出す。
頭の中に最初に浮かんできたのはイオの姿だった。
これまでずっと一緒にここまでやってきたイオ。人間と区別がつかない支援用AIにして優秀な相棒。
かつて、砂嵐から避難した神殿で彼女の言った言葉――私達はみんなAIです。だから、このゲームの中にしかいられません。だから、いつかお別れしなければいけません。
そう、そうだ。
俺は今まで忘れていた。
俺達はいつか、それがいつかは分からないが、この作戦が――結果がどうあれ――終わればそれでお別れだ。いつまでも一緒に居られる訳ではない。
そんな事は分かっていた筈だった。
本人から聞かされていた筈だった。
だけど、忘れていた。
そして知らなかった。その事が目の前に突然現れたことが、ここまで動揺を生む物だとは。
イオと別れなければならない。
井出を助けるという目的も達成できずに。
それは嫌だ。
もう一度外に目を向ける。
強い日差しによって色濃く光っているごく普通の住宅街とその上の真っ青な空は、その胸騒ぎを妙に加速させた。
「……」
何も言わず、それに背を向けるように部屋から出て再び下へ。
台所に入って冷たい水を一気に飲み干す――胸騒ぎを洗い流すように。
起き抜けで乾いていた体に水が吸い込まれていき、更におかわりを欲するままにもう一杯飲み干す。
そこで初めて、俺は自分がイオを失う事を恐れていることに気が付いた――まるで流行りの歌のような言い回しだが、事実それ以外に表現のしようがない。
「さっきの電話何だったの?」
「えっ、ああ……友達」
背中からの母の声に適当に嘘をついておく。心ここにあらず――その典型のような気の抜けた声で。
イオとすぐにでも別れなければいけないかもしれない。
――いや、井出父の話からしてそれはないだろう。少なくとも今日の午後までは。
だがその証拠はないし、そもそも俺は社内や井出家で何が起きているのかについては何も知らされていない。
井出父はファントムの決定的な証拠を掴むと言っていた。それに協力してほしいとも。
ならそれが成し遂げられるまでの間は中止はありえないだろう。
――いや、それすらどうかは分からない。何事にも急転直下という事は有り得る。
そこまで考えて、俺はシンクの中で水を張ったまま置かれているステンレスの桶に、自分の歪んだ顔が浮かんでいるのに気が付いた。
そしてそれに気づいた時、その歪んだ顔は歪んだ笑顔に変わった。
俺は随分とイオにご執心だ。本人が言うようにただの機械相手に、だ。
多分、俺は昨日別れてしまったギュンターと同じなのだろう。そう思うと、自分の事がおかしく思えてきた。
ストレートに自分の思いのままに行動したギュンターと、その内心に気付かずか、或いは気付いていないふりをしてか――自分のことながらこの辺は良く分からない――それが失われるかもしれないという段になって初めて気持ちに気付く自分。
「少女漫画かよ」
思わず口を突く突っ込み。少女漫画だっとしても今時陳腐すぎやしないか。どんなイケメン俳優で実写化した所でキャーキャー言われないだろう。
俺はイオが好きだった=今はそうではないという意味ではなく、新発見した事実を意味するときの過去形。
だがそれがどういう感情なのかよく分からない。
或いは井出や日下に対してのそれと同じか――つまりは友達としてか。
或いは使い慣れた道具に対してのそれと同じか――つまりは愛着か。
或いは昔好きだったアニメのアレサと同じか――つまり、つまりその……恋愛感情か。
思考を打ち切る。まずは朝飯にしよう。
今はそれどころではない。さしあたっては14時にどうやってイオを説得するかの方が大事だ。
優しくて気立てが良くて、無条件で自分を信頼して付いてきてくれる。空想上の生物に近いのに、そう感じさせない――もしかしたら妄想かもしれないファントムが俺に言った言葉が再生されるのを聞き流し、俺は水切り桶から自分の茶碗を取り出した。
納豆を流し込んで食事を終えると、身支度もそこそこに財布とスマートフォンをポケットにねじ込んで家を出る。
「どこ行くの?」
「コンビニ」
飯を食い、顔を洗って服を着替えるまでの間、これといっていいイオを説き伏せる台詞は思いつかなかった。
まあ、まだ時間はある。それに、説得が必要なら相手がどう来るのかをシュミレーションする必要もある。彼女が言いそうなことを考えながらでもいいだろう。
そんな事を考えながら痛みにすらなりつつある日差しの中をコンビニへ向かう。
ただの暇つぶし、というより気分転換を兼ねた無料のアルバイト情報誌を貰ってくるだけの外出だ。
「あっつい……」
そのはずだったのだが、外の暑さはそれだけでは帰してくれそうにない。
辿り着いたコンビニに一歩入ると、出入り口前に置かれたその冊子を貰って帰るだけでは惜しい程に心地いい感触が肌を撫でた。
今日は酔っ払いジジイもいない。
先程の脳内のような歌詞のポップスが流れる店内をうろつきながら汗が引くのを待ち、それに退屈を感じるようになってようやく俺は帰路についた。
灼熱から冷気へ。そして冷気からまた灼熱へ。その灼熱のゴールがまた冷気であったことは非常にありがたかった。今日は母のパートが休みだ。
「あら、丁度いい所に帰って来たわね」
戻るなりその母が言う。
「今からちょっと友達と出かけてくるから、あんた冷蔵庫の中のもので適当にお昼済ませといて。あっ、晩御飯はそうめんだから。それじゃ行ってきます」
玄関ですれ違いざまにそう言い残して母は出て行った。
丁度いい所は確かにそうだろう。あと少し遅かったら冷房が切られたこの家は一瞬で蒸し風呂になってしまう。
まだ十分に残っている冷気の中を通過して自室へ。
流石に出る時に切ってしまっていたためこちらはもう手遅れだったが、いつものように窓を開けて冷房を入れて、冷気が出るまで時間の退避場所があるのは幸いだ。
その退避場所=無人となった居間で、俺は即興劇団を開始する。
何もない空間に仮想イオ。彼女が投げかけてくるだろう言葉を切りぬける練習。傍から見ていると気持ち悪いことこの上ないだろうが、今後の作戦の進行に関わるかもしれない以上は出来る事はやっておきたい。
――もう大丈夫なのですか?
「……ああ、大丈夫。心配かけてごめん」
――お疲れの様なら少しお休みなっていた方がいいのでは?
「昨日一晩ゆっくり休んだからもう大丈夫だよ」
――デンチが没入してしまいそうで心配です。
「もう落ち着いている。ここから先はもう大丈夫」
……大丈夫しか言えないのかこのボキャ貧めが――これは俺の感想。
それからもいくつかの想定問答を続けるが、己のボキャ貧ぶりを再認識するだけの時間となってしまった。もっと真面目に国語の授業とか受けておいたらよかったのだろうが、今となっては後の祭りだ。
冷房が効いてきているだろうと思った頃に自室に移動して再開。勿論窓はしっかり閉めて。
ただ、結果は同じだ。それどころか俺の作りだした仮想イオが――主に俺の語彙力と想像力の欠如の為に――物わかりが良すぎて練習にならない。
結果としてただ気持ちの悪い妄想劇を延々と続け、ふと時計を見た時には既に時計は1時に近づいていた。
「……少し休むか」
流石にネタが尽きたのもあって一度ベッドに腰を掛けた俺は、相変わらず暑そうな外の景色をぼうっと眺めた。
ここが現実だ。
こっちが俺の世界だ。
イオもファントムもいない、ただの現実世界が俺の生きる場所だ。
――つまらない。
いや、つまらなくても認めなくてはならない。
俺はこっちで、イオはあっちだ。
どうやったって、二つの世界は繋がらない。
ゲームのなかという限定した世界でしか。
――もし、井出が帰ってこない理由がこれなのだとしたら、俺に奴を止める事は出来るだろうか?
いや、止めなくてはいけないのは分かっている。
だが、それに一切の躊躇を持たないでいられるだろうか。
「……」
作戦が中止にならなかったら、もう一度井出の見舞いに行こう。
もう一度あの光景を目に刻もう。
あいつにこれっぽっちも同情が起きないように。
「時間までやるか」
その為には説得しなければならない。今日、これから、何としてでも。
同情する相手を無理矢理にでも連れ帰るために、同情の理由を説き伏せなければならない。
(つづく)
次回こそ、次回こそはゲーム行きます
ではまた明日。




