ビノグラットの恋人24
馬車が複数台余裕ですれ違えるほどの橋を駆け足で渡っていく。
中程の欄干に据え付けられたかがり火からパチパチと飛び出した火の粉が辺りに舞っている。
それを越えもう半分を渡りきった先に広がる市街地は、それまでの戦場と比べると圧倒的に――どこか不気味にすら思えるほどに――静かで、遠くで燃える炎にぼんやり照らし出される建物とその奥にそびえ立つ巨大な城門がどこか威圧感を持っているようにすら思えてくる。
「こっちだな」
その門を左手に三叉路を曲がる。
電器屋聖堂隣の鍛冶屋跡。川に沿って西に伸びているこの道の左手=川岸ではない方にそれらは並んで建っている。門前の三叉路から3ブロック先だ。
「イオ……か?」
その目的の建物前に佇む人影を認め、しかし思っていた人物ではないと理解したのは、既にその人物の外見も――その頭上に白で表示される「ファントム」の文字もしっかりと見えるようになってからだった。
「!?」
「やあ、どうも」
心臓の鼓動と足がシンクロする。
急停止した俺とは対照的にファントムは落ち着き払った声で俺を迎えた。
「まずはナイスファイト……と言っておこうか」
パンパンと拍手しながらの言葉――明らかにおちょくる様な。
そして俺の表情を確認するようにしっかりと視線を走らせ、更に続ける。
「知っての通り、ここには屋上に上がれる建物はそれなりにある。サラマンダー……、というよりあの屋上でのやり取りと一連の戦い、誰にも見られていなかったとでも?」
こいつはあれを見ていた。それもたまたまサラマンダーが消える瞬間を、ではない。
俺とダリアがあそこで何をしていたかをしっかりとだ。
心臓が早鐘を打ち始める。緊張している時に特有の全身が強張る感覚に気付き、そっと深呼吸をするが、どれほどの効果があったのかは――これもまた緊張している時特有だが――分からない。
そしてそのやり取りは切り忘れていたのか通信ウィンドウにも流れていたようだった。
「デンチ、どうかしましたか?」
「……目的地前の道路だ。ファントムに遭遇した」
奴から目を離さずに応答する。
「ッ!そちらに急行しています。持ちこたえて!」
「しかし、中々見事な戦いぶりだった。流石は……と言った所かな」
こちらが連絡を取り合っていること等お構いなしのファントム。家のテレビでスポーツ観戦でもしているかのような調子だ。
「俺を監視していたのか?」
あの戦いを――いや、あの戦い“も”と言った方がいいか。
奴はこれまで何度もこちらの動きを先読みするような動きを見せている。
「あんたは随分と俺に拘るんだな」
「まあね、正直に言うとお前に興味があったのさ」
「興味だと?」
聞き返した俺に奴はそれでおしまいとばかりに聞こえないふりをしていた。
「いやいやしかし――」
そしてへらへらした口調で言葉を続ける。
「最初は分からなかったけど、お前、結構熱血なんだねえ」
「……何?」
「そうだろう?あそこでサグ……だったっけ?彼と戦う必要はなかったはずだろう?彼はそう言っていたのだしね。でもお前は彼との戦いを選んだ。……ということは、彼にやられたあの美人さんの敵討ちを考えたといった所かな?」
――こいつ、何者だ?
あそこでの戦闘を見ていたのは分かる。
俺とダリアがあそこを襲撃し、そしてどういう結末を迎えたのかも――どこからかは分からないが――見ていたというなら知っていても不自然ではない。
だがどうして俺とサグのやり取りまで知っている。
こいつが俺同様に中立の立場のまま連中に肩入れしていたか、或いはサグと知り合いだったとしても、通信を介さないその場での会話を把握する事は難しい。
「しかし、どうしてお前が敵討ちをする必要がある?彼女とは別に何かあった訳ではないだろう?」
「……違う」
奴のそれに比べれば随分小さな俺の答え。
だが奴はさもおかしそうに笑って返す。
直感:こいつは全て知っている。状況だけでなく今の否定が事実かどうかさえ。
「ま、いいや。そういう事でも。ところで――」
そしてそれを裏付けるように一際明るい――というか馬鹿にしたような――口調。
しかしその後に続いたのは打って変わって普通の声だった。
「どうしてここに来た?」
「お前に会いに来たんだよ」
現にここはこいつが指定した場所だ――正確にはその前だが。
「俺に?……ちょっと待ってくれ何の話だ?」
「とぼけるな!」
思わず声を荒げる。肉入りを刺激しない為に納めていた腰間の物に手を掛けるが、奴は別に驚いた様子もない。
「昨日お前が直接俺に――」
「いやいや誰かと勘違いしていないか?」
この野郎――カッと頭に血が昇りかけるが、その言い方は真面目な物言いだ。
「俺はお前がここに集合だというから、何事かと思って先回りしていたのさ。第一ね、俺は一度もお前になんか会っていないよ」
――何をいっているんだ。昨日の昼間、こいつが俺にこの場所を指示したじゃないか。
「……まだほざく気か」
「待て待て、事実だって。ああ、でも――」
そこで言葉を切る。
それから何かたまらなくおかしいことがあったかのように奴は笑い出した。
爆笑というのではなく、どちらかといえば痛快で笑わずにはいられないというような。
「やっと分かったよ。俺がお前に魅かれる理由」
奴はおかしそうに、さも面白そうに続ける。
「俺はさ、実の所狂人って奴に興味があるんだよ。普通の人間とは違う精神状態の奴ってのは中々に興味深いもんだ」
「……俺から見れば今のお前も狂っているように見えるがね」
そう吐き捨てると、奴はそれもまた面白いとでも言うように更に笑いながら続ける。
「まあ、それは否定しないけどね、でもどちらがより、といえば間違いなくお前だよ。狂っているのはさ」
「何を言うかと思えば……」
溜息と一緒に吐き出したそれに奴は食いついてきた――それまでとは別人の、低く落ち着いた声で。
「じゃあ教えてやるよ」
それには一蹴する事の出来ないような妙な気迫がこもっていた。
「お前は没入しているんだよ。このゲームに、この世界に」
「くだらないな」
「そうかな?なら何でさっき敵討ちをした?」
そこを突かれると明確な説明を返せない。奴はそれを知り尽くしている。
――という事は、いや。違う。そんな筈はない。
「分かるよ。お前、さっきは燃えちまったんだ。熱くなっちまった。そりゃそうだよな。一瞬とは言えついさっきまで一緒にいた仲間だもの。それをやった奴を黙って見過ごすことはできないよな」
奴に聞こえる位大きく鳴り響く心臓。
何か言わなければならない。しかし何も思いつかない。
そしてそれが自説の正しさを証明していると言わんばかりに奴は更に勢いを増す。
「だってそれが理想的な姿だものな。それがお前が、現実ではやりたくても出来ない事だ。なりたくてもなれない理想的な姿だ!」
「黙れッ!」
それが反論ではないことは自分自身が一番よく分かっていた。
それは悲鳴だった。急所を刺された事への。
俺自身が気付かないでいた、気付かない事にしたかったことを、こいつは抉り出してくる。
「現実は辛い、現実はつまらない。現実には不満ばかりだ。嫌な奴がいっぱいいて、嫌な事がいっぱいあって、それに対してお前が出来ることは限りなく少ないし、それでどうにかなる見込みが全くない。そうだろう?」
「黙れよ!」
それが悲鳴であることなど、奴はお見通しなのだろう。
「お前は現実には何も出来ない。力不足かビビっちまっているか。だがここは違う。この世界はそんな制限はない。ここでは誰もがヒーローになり得る。簡単に、確実に、理想的な自分でいられる。ところで――」
何も思いつかないが故に真っ白な履歴書。
絡んできた酔っ払いジジイに何も出来ない無力感。
夏休みにどこかに行こうかなどと騒ぐ友もいない自分の姿。
出鱈目な放送とそれで私腹を肥やす連中テレビの前で憤る姿。
「どうしてこのゲームに過去の遺物として現実世界のアイテムが登場するか分かるか?その方が簡単にプレーヤーに優越感を味あわせる事が出来るからだ。他の誰もが知らないものを自分だけは知っているというささやかな優越感を。この世界はそういう物だ、全てがお前のような人間に都合よく出来ているのさ」
空しい姿。
情けない姿。
寂しい姿。
無力な姿。
「お前は現実がつまらなくなったのさ。だから今回の任務はきっと渡りに船だったろうよ。なにしろ、お前の最も得意な分野で誰かに認めてもらえるのだから」
「ちっ、違う!俺はただ――」
「違わねえ!!」
奴が初めて声を荒げる。
「だからありもしないストーリーをでっち上げた!てめえに都合のいい展開を妄想した!最適の判断が分かっているのに自分が快適なシチュエーションを作るためにそれを無視した!てめえは、本当はこっちの世界に居たいんだよ!本当は与えられた任務なんてどうでもいい!それはただのきっかけに過ぎない!自分に都合のいい世界で、自分に都合のいいストーリーをつくって、その中で理想像に没入していたいんだよ!」
「違う!違う!!」
声が震えているのは自分でもわかった。
重症化した患者さんのなかには現実と空想の区別がつかなくなるですとか、曖昧になるといった方もいらっしゃいました――鼻で笑った珍説が頭の中でリピート再生される。
「デンチ、声が聞こえます!どうしました!?」
「どっかの学者様が言ったな、VRに没入するうちに現実と空想の区別がつかなくなる奴がいるって。お前はそれだよ、狂人。本当はこっちの世界に永住したくて、永遠に理想的な自分でいたくてたまらない。お前や、お前の探しているギュンターのような奴さ」
それからまた、奴はおどけた口調に戻す。
「それじゃ、今後もよろしく。精々面白く足掻け、狂人君」
アイテムで煙幕を張り、隣のブロックとの間に走る路地に消えていく。
「まっ、待て!!」
煙幕をかいくぐる。奴を追いかける。
奴に何か言わなくてはいけない。奴の言葉を否定しなければいけない。
俺は没入なんてしていない。俺は現実から逃げてなんていない。俺は狂人ではない。
それを認めてはいけない。それを、それを、それを――。
「待て!」
「きゃっ!!」
角を曲がり、出会いがしらにぶつかったのはイオだった。
「イオ!ファントムだ!どこだ!こっちに来ただろう!?」
「おっ、落ち着いてくださいデンチ!」
イオの背後を見る。奥で隣のブロックの裏に曲がっている一本道。
どこにも奴の姿はない。
「私は見ていません。ここには誰も――」
「そんな訳あるか!確かにこっちに曲がったんだ!!」
一本道だ。他に抜け道はどこにもない。
その一本道の向こうからイオは来た。
「どこに行った!?奴はどこだ!」
「落ち着いてください!」
俺の声に張り合うように大声を出すイオ。
「ここに彼は来ない筈です。私がギュンターさんから聞いた出現場所は最初の集合場所です」
「えっ……?」
俺が言葉に詰まるのと同時に彼女の顔の隣に同じぐらいの大きさのウィンドウが表示される。
「……よく見てください。私の視覚情報の録画です」
ドライブレコーダーのようなそれは、どこかの路地を走っているのだろう揺れる視界で始まった。
「……目的地前の道路だ。ファントムに遭遇した」
映像の中で俺の声。
「ッ!そちらに急行しています。持ちこたえて!」
イオの声がそれに答える――ついさっきのやり取り。
移動するスピードが上がり、それに伴って画面が更に揺れる。
やがて今俺達が立っている場所に出る直角の曲がり角に出くわした。
「黙れよ!」
響く俺の声。
「ちっ、違う!俺はただ――」
また俺の声。
奴のそれは拾えていない様だ。
「違う!違う!!」
奴もかなり声を荒げていた筈だが、聞こえてくるのは俺のそれだけ。
――妙な不安感が全身を包み込む。
「デンチ、声が聞こえます!どうしました!?」
「まっ、待て!!」
映像は既に今立っているここを映している。
そして俺の声――嘘だ。こんなの。
「待て!」
俺が飛び出してくる。映像が止まる。
「……デンチ、今日はもう休んでください」
意味が分からない。こんなことはあり得ない。
――重症化した患者さんのなかには現実と空想の区別がつかなくなるですとか、曖昧になるといった方もいらっしゃいました。
「きっとお疲れなんですよ。だから……、ゆっくりお休みになってください」
俺は違う。俺は現実と空想の区別がつかない訳じゃない。
俺は没入していない。俺は狂人じゃない。
俺は、俺は――。
(つづく)
投稿遅くなりまして申し訳ございません。
次回は明日2/12(火)~2/13(水)頃に投稿予定です。




