70話 閑話 託されたモノ①
死神ガルツ=ルーパーの誕生話。
新暦1285年 ガレリア大陸 アルゼン帝国 第二の都市アリージア スラム
おったて小屋がひしめき合うスラムと呼ばれる場所。
湿度の高い空気と鼻がひん曲がる異臭が漂う。
そこに腐敗した死臭が混在したとしても、それはここではよくある日常と言えた。
ひとかけらのパンを食べるために、1日を生きるために騙し、奪い、争い、殺す。
人としての尊厳はなく、罪を犯さずに生きることは困難を極める。
公正真っ当な人間はいいカモでしかない。
人の醜さを骨の髄まで突き付けられる底辺。
光が閉ざされたかのように闇が支配する。
ここではより闇に近づいた者だけが生き残る。
そんな世界で、元の色が何色だったのかわからないボロ布を纏った少年がいた。
汚らしいボサボサの黒髪と少しきれ長の黒目。
年は7,8くらいで全身痩せこけている。
荒い息をできるだけ静かに整えながら、少年はボロ小屋の角で注意深くその先を観察した。
「――のガキ、どこいった……ろす。殺す」
血を流す頭を押さえながら、背を丸めてギラギラと周囲を見渡す汚らしいその男の手には、小ぶりの包丁のようなものがあった。
少年は息を潜めた後、静かにその場を後にする。
物陰から物陰へ、闇と同化するように素早く移動していく。
整然とされていないスラムには、小さな少年が隠れるくらいのスペースが所狭く、意図して配置してあるように複雑化している。
走る少年は、服の中に隠した物を大事そうに庇いながら自分の住みかへと帰っていった。
「姉さん、俺。帰ったよ」
とある小屋の前で少年は静かに扉の前でそう口にした。
「ガリー?」
「うん」
扉の向こうから小さく返事があった。
少しの隙間を開けられて、ガリーと呼ばれた少年は辺りを見渡して素早く中へと入る。
窓もない狭く、薄暗い部屋。
屋根だけは板を重ねていて隙間がないが、壁は穴だらけの一室。
そんな雨を防げても風は凌げない小屋が彼らの住居だった。
「ただいま、ガーネ姉さん」
「おかえりなさい。少し遅かったから心配したわ」
「ごめんなさい。でも、見て」
ガリーはほころんだ顔を見せながら服の中から大きな細長いパンを取りだす。
「まぁ、どうしたの?」
「へへへ。知らないおっさんがくれたんだ」
「もう……。あまり心配をかけさせないでね」
二人が生きる世界にそのように親切な人間は存在しない。
弟は人から奪ったのだろうと理解したが、生きるためには仕方ないと黙認する他なかった。
姉ガーネと弟ガリーは二人っきりでこのスラムで生活している。
両親は数年前にどこの誰ともわからない者に殺され、以来二人で協力して生きてきたのだった。
この時、ガーネは13歳、ガリーは8歳。
この日の収穫によって10日は生き永らえることができる。
そんなギリギリの生活がもう何年も続けられていた。
土間とも言えぬ狭いスペースで火に細木を加えて食事の準備をする姉の後ろ姿を見ながら、ガリーは椅子代わりの大きな石に座って待っていた。
ガリーにとって、こうして家事をする姉の後ろ姿を見ることだけが今の生活での唯一の楽しみと言える。
「姉さん、今日さぁ。スラムの端っこに行った時に路地の先で貴族様を見たよ。すっごいキラキラしててさ。馬に乗って、カッコよかったなぁ」
「ガリー、街中には行かないでって言ったでしょう?あそこから先に行って、もし警邏の兵に見つかったら……私たちは殺されてしまうのよ?」
「い、行ってはいないって。遠目に見ただけだから」
「とにかく、町の方には行かないで。あなたまでいなくなったら、私は……」
「……俺もそうだよ。うん、街中には行かない。約束する」
「うん。さぁ、ご飯にしましょう」
今日の夕食は芋くずの入ったスープとパンの切れ端。
成長期である二人にとって満足のいくものではないが、これでも上等な食事と言えた。
姉ガーネの服もガリーと似たり寄ったりで汚れきっている。
ガリーと同じ黒髪黒目だが、目は丸っこく姉の柔和な笑顔がガリーは大好きだった。
二人の生活スタイルに変化は少ない。
姉ガーネは水の汲み取りや家事などで、弟ガリーは手が空けば、街の路地裏でゴミ漁りと時々雑用仕事を手伝う。
仕事と言っても日の当たる場所ではなく、暗い路地裏で芋を洗ったりなどだ。
そういった仕事は日払いで物品支給となっている。
こうしたスラム労働者は表からは分からない場所で市民たちに活用されていた。
その扱いは雇用ではなく、活用である。
アルゼン帝国では身分や貧富の差が激しく、一度下まで落ちた者が再び上に上がることは困難となっている。
借金や犯罪、身売りなどによって、市民権を剥奪された者の行きつく先として設けられたのがスラムだ。
野盗となって外で死ぬか、このスラムでギリギリの生活をするかしかない。
スラム内は治外法権となっており、その住民は一度入ると許可なくそこから出ることを禁じられる。
そして、罰則者には問答無用で死刑が申しつけられるのだ。
ただ、安い労働力は市民に重宝されており、路地裏などで働くスラム住人に関しては黙認されている一面があった。
しかし、スラム住人は人間と似た動物、そうした程度の認識が普通であり、労働の対価を渡さない者もいた。
人権を剥奪されたスラムであっても、各地区ごとに顔役ともいう者が存在する。
初めてスラムに来た者はまず顔役に挨拶と税金の内容を確約しなければならない。
それを知らずにここで生きることは許されない。
その税金の内容は様々だ。
金、食料はもちろんのこと、情報や物品、仕事を請け負うなど、人それぞれだ。
ガリーとガーネも例外ではない。
彼らの場合、ガリーが外から入る品物の運搬を果たすことで免除となっていた。
必然、運べる物は小さく、それだけに高価なものが多い。
ガリーは日頃から鍛えた移動術を駆使して、一度の失敗もなく運搬を成功させていたのだった。
その術は偶然にしてガリーの秘められた才能によるものが大きい。
この世界で100人に1人と言われる魔法使い。
ガリーは幼くして闇属性による隠蔽魔法を無意識に発動していた。
闇から闇へ。
貴重な物資を運ぶ子供はここの住民にとっていい的でしかない。
例えそれが顔役の物であろうとも見つからなければ問題はなく、子供は殺せば済む話だ。
奪った物の扱いを考えるまでもなく、その日を生きることができるならば短絡的であってもそうする。
先を考えようとする者が少ないのがここ、スラムという場所だった。
その日、ガリーは自分達の地区を統括する顔役から呼び出しを受けた。
また運搬の依頼だろうと思いながら、顔役の住居へと向かう。
周囲に比べれば大きい建物で壁にも穴が空いていない。
それが顔役――ドン・ペルシの住居だった。
一定のリズムでドアをノックする。
「ガリーです」
呼び出しを受けた者はこれで合図して中からの反応を待つ。
ドアに空けられ塞がれた長方形の板の内、下側の板が開いてこちらを伺う。
ガリーの姿を確認して、二重の鍵が解除されて扉が少しだけ開けられた。
素早く中に入ると、すぐに扉を閉めて鍵をかけられる。
慣れたように通路を進み、奥の部屋へと進む。
そこには、スラムには似合わない大仰な椅子に腰かけた大柄な男がいた。
ドン・ペルシと呼ばれるその男は右耳がなく、額から頬にかけて大きな切り傷があった。
それを隠すように顔や腕には黒いペイントのようなタトゥーを入れている。
「失礼します」
「これが今回の金だ。いつも通り品を受け取ってこい」
「わかりました」
短いやり取りで金が入った袋を懐にしまったガリーはすぐに踵を返した。
ドン・ペルシは気まぐれで人を殺す危険な男だからだ。
犯罪によってここに堕ちてきたドン・ペルシは、ここでも暴力をもって今の座についたのだった。
そそくさと立ち去ったガリーはとっとと仕事を済ませることにした。
城壁に囲まれて四角い形をしたアリージアという都市は四隅にスラムを形成している。
ガリーたちがいるスラムは南西にあり、受け渡しは東側の城壁近くで行われる。
スラムと町の間には5mほどの深い土手があり、橋渡し役の人間が各所に存在する。
顔役はこうした人間を手配して、あちら側へ許可なく行き来することを禁じているのだ。
目的地は町の路地裏から入った一室であるため、橋渡しの男に許可を求めてあちらへと渡った。
石畳が敷かれた路地裏から目的の扉へノックで合図を送る。
少しして音もなく扉が開き、ガリーは中に入った。
火が灯された部屋の中には木机と椅子に座った兵士の格好をした男が一人、そして前へ進んだガルツの背後には扉を開けた町人風の男が一人いた。
無言で金を机の上に出すと、同じく兵士の男も無言で中を改めた。
そして、それを確認し終えた男は背後の男に合図して、奥から細長い木筒を持ってきてガリーへと渡す。
これにて取引は終了だ。
声に出すことはなにもない、いつも通りの出来事。
だが、この日は少し違った。
「おい、ドン・ペルシに伝えろ。これ以上は無理だと」
何のことかはわからなかった。
わかる必要もないと、ガリーは頷くだけに留める。
無用な好奇心は命を縮める。
それをよく理解していたガリーはすぐに品物を届け、伝言を伝えるために走りだした。
「……そうか、あの腰ぬけ野郎」
報告を聞いたドン・ペルシが歯をギリギリと噛みながらそうこぼした。
どうやらいい伝言ではなかったようだ。
仕事はこれにて終了、とはならず、ドン・ペルシはガリーを呼びとめた。
「明後日の朝方、仕事がある。ここに来い」
それだけ言ってドン・ペルシは背を向ける。
一礼してガリーはその場を去った。
帰宅したガリーは今日のことを姉には話さなかった。
危険なことを命令されると薄々感づいていたわけで、姉を心配させたくなかったからだった。
騙し騙されが往来するこのスラムでは嘘をつくことが自然と上手くなる。
そして、嘘を見抜く目もまたしかり。
しかし、姉よりもそういった場面に多く遭遇してきたガリーの態度は、ガネッティに看破されることはなかった。
ドン・ペルシに言われていた日の早朝、ガリーはある命令を受けることになった。
用意されていた真新しい服に着替えるように言われる。
あちら側の人間が着るような清潔さではあるものの、全身真っ黒となる黒装束だ。
ドン・ペルシは机の上に地図を広げて見せた。
「これはこの町、アリージアの地図だ。現在地はここ。お前には表に出て中央にあるここ、貴族の屋敷に忍び込んでもらう」
「町に!?」
「ああ、ばれれば殺されるな。その上で屋敷に忍び込め。そして、屋敷内の見取り図を作れ。1階は既に手に入れてある。欲しいのは2階の見取り図だ。必要があるなら何回でも忍び込んでもらう」
「そ、そんな……無理です」
「断るならお前も姉も殺す。失敗したなら姉を殺す。口外しても殺す。もし、捕まったりでもしたら自決しろ。いいな?」
そう言って小ぶりのナイフをつきだした。
体の震えを押さえながらそのナイフを受け取る。
逃げ場はない。
「なに、大丈夫だ。お膳立てはしてある。お前ならやれるさ。出来なきゃ……姉弟仲良く死ぬだけだ」
不気味に笑うドン・ペルシを見て、ガリーも頬を引きつるように笑う。
期限は3日。
それまでに地図を完成させて戻ってくるように言われた。
家に戻ったガリーの顔は青ざめていた。
心配する姉になんでもないと答えるが、説得力に欠ける。
意を決してガリーはガーネに無理やり笑顔を見せがら口を開いた。
「姉さん、大丈夫だよ。僕は、僕は死なない。姉さんのことも守る。守るから」
姉に抱きつきながら自分に言い聞かすように何度も口にした。
守る、と。
ガリーの運命の歯車はこの時からさらに狂いだすことになる。




