第二十話 原始化
洞窟の壁に背中を預けながら、ソフィーがレイチェルに問いかけた。
「脈絡のない話ね。時空的に封鎖されるって……どういうこと? なぜそんなことが分かるの?」
「06世界の大気中の廃棄マナ濃度がべらぼうに高くなっているのはお気づきですか?」
「……人間に廃棄マナを感知する術はないけれど……でもなんとなくそんな気がしていたわ。こうなった時点で」
ソフィーは自分の左足をなでながらレイチェルにするどい視線を向ける。
「あなた、この汚染の原因を知っているのね?」
レイチェル妖精は目をそらすことなくその視線を受け入れる。
「はい。原因はファザーの計画にあります。ファザーはある目的を持っており、目的達成にいたる過程の一つとして、ここ06世界に通じている二つの扉を魔法によって破壊しようとしているんです。廃棄マナはその魔法によって排出されたものと推定されます。大量のマナを必要とする魔法ですから」
一瞬ソフィーは息をすることを忘れていた。すぐ我に返ってレイチェルに質問を投げる。
「メリオドグラさんが世界封鎖を実行しようとしている、いや実行しているって言いたいの?」
「大方その通りです」
肯定の言葉を聞いてから、ソフィーは指輪の魔法を起動させた。何もなかったところに板とチョークが出現する。ソフィーは板に魔法陣を描き出した。
「レイチェル、悪いけれどこのまま質問を続けさせてね。あっと、あなた嫌がるわよね……左手を胸に置く代わり……ええと、今だけロープをこっち側に置いておくわ」ソフィーはワイヤロープを自分の右側に転がした。
「了解です。マスターの信用を勝ちとるためならば何だって答えるんです」
「なぜ世界封鎖を感知できたの?」
「レイチェルに備わっている機能なんです。レイチェルの知識で解析可能な魔法ならば、魔法がどこでどのように使われているのかをある程度把握することができるのです」
「完全封鎖まで時間はどのくらいあるか分かる?」
「……この廃棄マナの量ですと甘く見積もって残り三時間程度でしょうか。実は現在、マスターの世界からファザーの世界封鎖に対抗している魔法使いがいまして……その方々のがんばり次第ではもう少し時間が延びるかも……」
「ダメよ夢見ちゃ。それって時間が縮まる可能性もあるわけでしょう?」
ソフィーは両腕を何度も何度も振ってルーンを唱えている。そして板に描いた魔法陣をのぞき込んだ。
「ホントだ。わずかだけど魔法陣のマナに乱流がおきてる」
「ブッキング超過です。どうです、レイチェルは嘘をつきません」
ソフィーは板の魔法陣を腕でゴシゴシと消している。
「ソフィー様、ドット値を調べることは出来ますか?」
「え? ええ。お手のものよ」
ソフィーはチョークに次なる魔法陣を描き、軽く手を振って――――絶句した。
「……ドット値0.2? なんてこと……最初は10を上回っていたわよ」
「それは世界封鎖にともなう現象です。……マスターは世界封鎖されたあとの世界がどうなるかご存じないですか?」
「いいえ。そもそもこの歳になるまで世界封鎖自体を見たことがなかったわ。過去にメリオドグラさんが用意したダミーワールドを世界封鎖しようとした魔法団体があったらしいけど、その人たち理論だけ組み立てておいて結局失踪しているし」
ソフィーは板の魔法陣を消して再び別の魔法陣を描き始めた。
手を動かしながらもソフィーの質問はとぎれない。
「それでレイチェル、世界封鎖後の世界はどうなるのかしら?」
「まず前提として……『世界封鎖が進行するにしたがってドット値が低下する』。これはいいですか?」
「現状から事実として認めるわ」
「ではこのままドット値が低下していくとどうなるか? 無論、ドット値は0に近づいていきます。ドット値が0になったとき、それは『扉』の完全な崩壊と世界封鎖の完成と同義なんです。時空的に封鎖されると言ったのはこのためです。しかしそれでは終わらない。そこから……」
「そこから?」
「……そこからドット値はマイナスゾーンに突入します」
ソフィーの手の動きが一瞬だけ遅くなる。が、再びもとの速度でチョークを走らせ始めた。
「マイナスのドット値? 考えたこともなかったけど……想像がふくらむわね。具体的には何がどうなるのかしら?」
「世界が過去をさかのぼります。もしもそれを目撃できるのならマスターは見るでしょう。カップに注いだ紅茶がポットに戻り、猫は後ろ向きに歩き、死んだ人間が生き返る破綻した世界の様相を」
ソフィーは魔法陣に視線を落としつつ眉をしかめた。思った通りに魔法が発動しなかったようだ。
「マスター、聞いてらっしゃるのです?」
「ちゃんと聞いているわよ。申し訳ないけれど、あなたの話によるとあまり時間がないみたいだから作業と並行させているだけ。……ねえ、話が横道にそれて悪いのだけれど、破綻しているのはあなたが言った論理そのものじゃないかしら」
「え?」
「数多ある世界のどこかに浮かぶと言われる『閉殻世界』ならばいざ知らず、こうやって『扉』によって因果の関係で世界が結ばれる世界群ではそんなことおこるはずがないわ。世界は一つで完結なんてしていない」
「つ、つまりです?」
「たとえばAという世界が世界封鎖されたとしましょう。やがてドット値がマイナスになり時間が巻き戻りはじめる。ここで、世界封鎖される前にA世界からBという世界に移動した人物Xを考えます。A世界ではどんどん時間が巻き戻り、やがてXがA世界にいたころの過去が逆向きに再現されることになる。しかしこのときXはB世界にいる……A世界で再現された人物Xの肉体はいったいどういう理屈で構築されるのか……レイチェル、身近な例があるわね」
「うーんと……?」
「あなたのファザーよ。メリオドグラさんの存在があるじゃないの。メリオドグラさんは過去に8つ世界を世界封鎖したわ。ここ06世界をぬかした01世界から09世界までを全て、生きたままね。01世界について言えば、彼はまず01世界に侵入したのち一方の『扉』を破壊し、そして『私の世界』に帰還してから改めてもう一方の『扉』を破壊した……そう伝えられているわ。これはつまり01世界の過去にメリオドグラさんの姿が刻まれていることにほかならない。しかし彼の肉体は01世界に呼び戻されることなく次々と世界封鎖を実行していった」
「あ、言いたいことが分かりました」
「レイチェル、ここのところがのど元につっかえた骨なのよ。このパラドクスは説明は出来る? できたらお願いしたいのだけれど……」
レイチェルは額に高低差の激しいしわを作りながらしばらくうなっていたが……
「申し訳ありませんがレイチェルのデータベースでは説明不可能です」最終的に白旗を上げた。
ソフィーは苦笑いを浮かべた。ちらりとレイチェルを見る。
「そう。話の腰を折って悪かったわ。いいのよそんな顔をしなくても。あなたが知らないのはあなたのせいではないわ。それにもともと興味本位の質問だったから。ほら、異世界からの渡人が残した文献から魔法が発見されたペルヘルバスの世界とは違って、私たちの世界って動物が魔法を使うところから魔法が発見されたのよね。だから、初めから『扉』や『世界』関連の知識をかたよって持っていたペルヘルバスの世界と比べると、どうしてもその方面の魔法が未発達で……吸収できる知識は吸収しておきたかったの。レイチェル、あなたに聞いておきたいことはほかにもたくさんあるわ。また力を貸してもらえるとありがたいのだけれど」
使命感からか、レイチェルは幾分か元気が出たようだった。
「話を戻しましょう。ドット値が減少してマイナスの値に突入する。それから世界はどうなるのかしら?」
「了解です。ドット値がマイナスに突入する。すると……」
「すると?」
「……世界が『原始化』するんです」
ソフィーの眉がぴくりと動いた。チョークを持った彼女の手が止まった。
ソフィーは顔を上げた。
「『原始化』……それはどういうこと?」
「マスターは世界の始まりというものを考えたことがありますか?」
ソフィーはレイチェルのその言葉だけで相手の言いたいことをくみ取った。
「世界が過去をさかのぼりきって、生まれたての状態になるって言いたいの? それがあなたの言う『原始化』?」
「その通りなんです。世界の始まり、ファザーはこれを『原始世界』と呼んでいました。ところでです、マスター。この『原始世界』に自分という存在を組み込めたらどうなると思いますか? つまり、世界の始まりに自分が存在していたことに出来たとしたら、ということです。無論、ある程度は成長しきった姿で、思考も成熟した段階で」
ソフィーの手からチョークがぽとりと落ちた。
『原始世界』、世界の始まりに自分が存在していたことにする。
これと『原始化』を組み合わせてみる。
どうなるかなど、簡単なこと。
たとえ身を引きちぎられて死んだとしても、竜の胃の中で溶かされて消えたとしても、世界が『原始化』すれば何ごともなかったかのように生き返る。
「無限の生命……ですって? いや場合によっては自身の完全複製人形さえ……? でも、立派な過去改変じゃないの。許されるの、そんなことが?」
「メリオドグラ様はそれを成し遂げようとしておられました。いや、今も成し遂げようとしてらっしゃいます」
「あはは……メリオドグラ、あなたって想像を絶する男なのね。そっかぁそんな魔法があるんだ……。じゃあレイチェル、あと二つだけ。ちなみになんだけど、ハグレが封印されていたのって……」
「ハグレに取り憑いていた『観測者』をハグレごと『原始世界』に組み込むためです」
「そっか。じゃあ最後、メリオドグラさんは今も生きているの?」
「何とも言いづらいです。死んでいるのは確かですが、しかしファザーの精神体とも呼べるものは今もなお存在しており、もし適切な肉体をあてがうことが出来るならば生き返ることも可能なのではないでしょうか」
「とりあえず仮死状態ってことで理解しておくわ」
そのときハグレが声をあげた。
「おーい。ソフィー、レイチェルも。なんか分からないが時間は大丈夫なのか? 話し込んでいる場合じゃないんじゃないのか?」
「そうね」ソフィーはうなずいてみせる。「外部からの干渉っていうのもいつまで続くか分からないし、話の続きは06世界から脱出してからにしましょうか。とりあえずレイチェル、これからよろしく」
レイチェル妖精体は嬉しそうに笑みを浮かべた。もしも尻尾があったならぶんぶんと振っていそうな様子である。
「はい、こちらこそです。あちらの世界でもソフィー様のお役に立てればこれ幸い……」
この言葉にきょとんとしたのはハグレだった。
「え? 06世界を出てからもソフィーに付き合わなくちゃなのか?」
「当たり前です。レイチェルはソフィー様のお役に立ちたいですし、第一マスターのそばにいないとレイチェルのマナが枯渇してしまいます。あのような飢餓はもう勘弁です」
「しがらみが増えていくぞ」
「そういうことだからハグレもよろしく。別にレイチェルを介してあなたを支配しようとか、そんなことこれっぽっちも考えていないから安心してね」
ソフィーは悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「その言葉聞いて俄然ソフィーが怖く思えてきたぞ」
「恐れられるのは慣れたものだわ。さてさて、急がなくてはね」
ソフィーは指輪の魔法陣を起動させて板を二つ出現させた。もとから所持していた板と合わせて三つになった。
ソフィーはそれぞれの板に異なる種類の魔法陣を描くと、それらを重ねて一つにして地面に置いた。
次いで、彼女はワイヤロープを手に取る。ワイヤロープを蜷局型にまとめてしまい、円盤状になったそれを重ねた板の上に置いた。板はロープにすっかり覆われて見えなくなってしまう。
その様子を眺めながら、ハグレが首をかしげている。
「あれってなにしているんだ? レイチェルは分かるのか?」
「物質を形状変化させる魔法だと思うんです」
ソフィーがロープに手をかざした。
ワイヤロープの下から青い光がもれ出した。魔法陣にマナの流れが供給されているのだ。
と、今度はワイヤロープ自体が白く輝きだした。ロープは純白の光を帯びて、ソフィーの命じた通りの形に変化していく。
「ソフィー、大丈夫ですか?」仮面が主を気づかう。
ソフィーの息がわずかに上がっていた。
(今さらだけど、やっぱり元の世界で使えていたコンプレックスルーンを使えないのは痛いわ。用具や資材のないここじゃ設定できるルーンはまがい物ばかりだし、そんなんじゃこうした鉄の成形すらままならない)
鉄の白い光がおさまっていく。
ソフィーは出来上がったワイヤロープを手にとって右手をさっと振った。
ロープの先端がばらけて触手のようにうごめきだす。
(元通りね。さてと……)
ソフィーはガラスケースを腕にあてがってマナを補充している。
「ねえレイチェル、あなたは『念動魔法』を使って身体を宙にうかすことが出来るのよね。どのくらい浮遊していられるの?」
「足を完全にはなした場合だとおよそ一分間が限度です。体勢を調節したりしているともっと短くなると思います」
「う~ん。そうなんだ……。…………。ねえベル、何か聞こえない? ……って僕に聞いているんですか。聞こえるって……ああ、確かに獣のうなり声のようなものが近づいてきていますね」
(イシュリーンだよね)
「疑いようなくイシュリーンですね」
(叫んでいるみたいね。なぜか悲壮感が伝わってくるわ)
「叫びの中にペルヘルバスという単語が拾えます。ペルヘルバスに何かあったのでしょうか」
(考えられること……ああ、もしかして)
「ベルさん、何の話をしているんです?」
ソフィーは板の魔法陣をきれいに消して、三枚全てを指輪に格納した。
ワイヤロープを握りしめ、それを杖代わりにして立ち上がる。
「マスター?」
「レイチェル、一つ聞きたいの」
「何です?」
「あなた、私の世界から世界封鎖に対抗している魔法使いがいるって言っていたけれど、ペルヘルバスの世界からはどうなの?」
「対抗しようとしている者はいませんでした」
「彼らの世界に通じる扉は?」
「すでに破壊されていると思います」
ソフィーは視線を落として地面を見つめた。
「……そっか」
ソフィーは一つため息をついた。
「レイチェルとハグレはここで待っていて」
「マスター、どこへ?」
ソフィーが腕をふった。ワイヤロープが変形していく。
ソフィーが洞窟の出口へと歩き出した。
「ちょっと和解しにね。もちろん条件付きだけど」
※補足
世界の始まりとは言っても、ビッグバンとかそういうレベルまでさかのぼるわけじゃないです。普通に大地があり、草木の生えた世界です。ソフィーたちの世界群は魔法によって作られている設定なのです(あまり深く設定するとボロが出るのでこの辺で止めています……)。




