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まなぶくんのうらばなし

「天学へようこそ」の後日談並び、学くん視点の裏話です。

長めなのでお時間あるときにどうぞ


『――の、桐原学きりはら・まなぶの関係者ですけど、あなた方はまだそういう態度なんですか……?』


 動画の中の美恵子はモップを盾のように握りしめ、睨むように男二人を見上げている。カメラの位置が遠いから見えづらいけど、俺ははっきりわかった。両手が、震えてる。


『――、なのに話も聞かないで決めつけて、暴力っぽいことをして、そんなの赦されると思ってるんですか。ルール違反をしたのはそちらです』


 毅然としてるように聴こえる声だが、俺にはわかる。気を抜いたら上ずりそうになるそれを、必死に抑えてる。


『その子が責められる道理は何一つ無い。桐原学の関係者であり部外者・・・の私が、証言します!』


 背後に人間を庇い、堂々と言い放ちながら、正面から相手を睨みつけながら。

 みーの唇は色が無かった。




 ……スマフォの画面に映し出された映像。すべてを見終わった後、俺は顔を上げる。目が合うのは、癖一つ無い直毛の黒髪に切れ上がった瞳、佇むだけで独特の存在感を発する男。

 この機体の持ち主であるその男に、声をかける。

「――有坂ありさか。この二人、退学にしていいか」

 我ながら久々に出す、据わった声。

 この寮の長であり今現在唯一の完全学力特待生、実質学園を支配している有坂智巳ありさか・ともみは、予想していたとでも言いそうな素振りで即答した。

「許可しない。この間、俺と理事の前で親と一緒に土下座したから赦してやれ」と。



〇 ● 〇



 きっかけは、みーから貰った腕時計。


 去年の年末に帰省し、年始に美恵子と一緒に初詣に行き三日後に寮へと戻った時。右腕のそれから、音がしないことに気づいた。中学の頃、美恵子がプレゼントしてくれたナイロンベルトの腕時計。今の俺の持ち物の中で一番身に着ける頻度が高く、そして一番大切なものだ。

 専門店で調べてもらったところ内蔵電池の寿命らしく、取り替えたらすぐに動き出した。それはそれで良かったのだが、買い替えを遠回しに勧められてからふと思いつく。今年の誕生日プレゼントは、これがいいんじゃないかと。

 このブランドは量産品から特注品まで幅広く、価格帯も車が一台買えるものから中学生の小遣いで足りるものまで千差万別ピンキリである。まあ、俺にとってはみーがくれたこれが世界で一番価値があると思ってるけど。

(どうせならペアがいい)

 早速その店に置いてあった無料カタログを持ち帰り、よさそうなのを調べてみる。これのレディースは低価格ですぐ見つかったが、なんかしっくりこなかったので別の価格帯から探す。そこで見つけた最もあいつに似合いそうなもの、それにした。

 価格?

 二桁を超えた、とだけ。



 ……八月までの目標を定め、相応にバイトや諸々を増やしたはいいが、問題はあった。肝心の美恵子と逢える時間が減ったのだ。美恵子のほうも二年に進級し部活が大会に向けますます忙しくなり、俺とスケジュールが合いづらくなった。何回目かの、いや何十回目かの後悔だが、こういう時どうして俺は全寮制の男子校なんざに進学してしまったのだろうと思う。同寮のアホどもはまたうるさいし。

 六月下旬、ようやくあの腕時計を買える目処が立つ。カタログをもらった店には一番高い価格帯のものとして店内展示してあったが、美恵子には誰も触れていない新品をプレゼントしたかったので、在庫を調べてもらった。近くの他店から発送し数日以上はかかるとのこと。誕生日には間に合うだろう、とそこで取り置きを頼んだ。

 更なる問題は、七月に入ってから。問題と言うか、俺自身の失態というべきか。ようやく二人の予定が合って久しぶりにデート出来る、という時になって、日頃の睡眠不足が祟ったのか風邪を引いてしまったのである。医学部志望だというのに、本当に情けない。情けなさのあまり、美恵子には嘘をついてしまった。そしてすぐにバレた。美恵子は意趣返しと称して、――なんと、天学寮に単身で訪問してきた。俺に何も言わず。


 これには参った。寮のドアを開けたらみーが居るという事態に、発熱した脳が追い付かなかった。


 やっと事態を把握したところで当の美恵子は無邪気に部屋に入ってくるし可愛いしリンゴ食べる?とか言ってくるし可愛いしリンゴ美味かったし本当可愛いし肘にはケガしてるし、かと思えばベッドの上で袖捲ってまっちろい腕出して触る?とか言ってるし鬼みたいな可愛さだし、もうこいつなんなのと。熱で単純に身体が動かない俺で良かったな、みー。

 ……ここらへんは自分でも何言ってんだかわからないので流してもらって構わない。

 とにかく。

(やられた)

 自分は本当に、美恵子には敵わないのだと思い知る。そんなことはとうに知っていたけれど、改めて。

(俺が隠す必要の無いものを隠すと、それだけの報いを受ける)

 それなのに、どうして。何十回目、いや何百回目かの後悔だが、どうして俺は、今になっても美恵子の前で下手に格好つけようとしてしまうのだろう。そんなこと――行動的な偽りなんて、あいつの前では無意味なのに。

 散々痛感しただろうが。矮小で臆病で卑劣な人間がどれだけ策を巡らしたところで、唯一という前提にある真っ直ぐで綺麗で毅い人間には敵わない。素直でいて聡い美恵子は、俺自身の態度を反映する鏡のようなものだ。あいつと一緒に居るには俺自身が嘘偽らず、誠実に、思い遣りと献身を以て行動しなければならない。そしてそれは俺の本望だった。自分の気持ちを認めたのなら尚のこと躊躇う必要は無い、ひたすらにそう行動すればいい。それだけのはずなのに。

 どうしたって俺は、常に捨てられる可能性に怯えている哀れな男は。


 好きで好きでたまらないあの女に、少しでもかっこいい男だと思って欲しいんだ。



〇 ● 〇


「――は? 土下座?それ如きで赦されると思ってんのかよこいつら」

「桐原、落ち着け」

「落ち着いてる。これ以上ないほど頭冷えてる、だから言ってんだよ。こいつら退学にするべきじゃねえの、有坂。こんな――こんな、」

 動画を巻き戻して、美恵子に顔を近づけてる男を指で突き刺す。

「こんなクソ野郎が俺の女に見るに堪えない顔と声晒して今現在普通に生きてること自体腹立たしいんだよ」

「桐原」

 私物を乱暴に扱われた有坂は眉を顰めたが、無視。

「こいつらの親がお前んちの財団グループの系統だから? 土下座程度で赦してやれって?はッ、俺だったら土下座させた上で退学させて進路潰してやる。一年ん時にわからせてやったのにもう覚えてねえのかよ。この、××」

 そこで俺は気づいた。脚を組んで座り静かに聴いていた有坂が、珍しくも驚いたような顔をしてこちらを見ている。

「……なんだよ」

「いや、」

 驚いた顔を刹那で消し、親友は言う。

「桐原がそのように我を忘れた素振りで、かのような言葉遣いをするのは、珍しいと思ってな」

 特に驚くべきことでもないだろう。こっちは有坂と違って庶民出身なので、元来の口は悪いし考えも低俗だ。……まあ、この学園に来てからはこういう自分を出したことは無かったのは事実だが。というか、ほぼ今までの人生においても無かったか。表向きは。

 少し決まり悪くなって、謝る。

「……いきなり興奮して、悪い」

「いや。桐原は、去年からだいぶ変容したようだ」

「これが俺だよ」

「成程」

 これまた珍しく、有坂は喉の奥で笑った。

「それも『恩人』の影響か」

「……ノーコメントで」

「成程」


 ああそうだよ。これが俺だ。下品な言葉を使い、低俗で、些細なことにイライラして、身の程を弁えないクズを捻り潰したくなる。普段はそこまで感情を動かす奴がいないから、そんなことで自分の感情を出すのが面倒だから、冷静を気取ってるだけ。

 そう、基本的に俺は一切に興味が持てない。自分自身をも含め。


 興味があるのは――興味を持てるのはそう、この世でただひとつであり、ひとり。


 俺はとある女にいつも、自分が常にビビってる至極器の小さいガキだということを思い知らされている。そしてその事実こそ、生きる意味だと識っている。自分の中に燃え滾る熱いものを自覚させてくれる、唯一の存在だから。世界が有意義になるのは、その女が笑ってくれるから。傍に居てくれるだけで、俺はなんだって出来る。本気で。

 自分の愚かしさを真の意味で理解して、一年。

 美恵子の彼氏にやっとなれて、やっと一年。

 新しく理解していったのは、俺は美恵子を絶対に失えないということ。一年前、それこそ縋りついて赦しを乞い誤魔化しとお情けで付き合えるようになった当初は、美恵子が俺を望まなくなったらすぐ離れようと思っていた。離れたって、影のように気付かれないように付きまとうから平気だ、と。でもそれは無理だと悟った。時間の経過と共に、悟らざるを得なかった。


 美恵子に正面から愛を伝え、そして彼女が伝え返してくれるひとときは、俺が想像していた以上に甘美だった。


 あいつの視線と信頼と想いを失ったら、途方に暮れるどころか冗談じゃなく気が狂う。そのくらい、ずぶずぶに落とされた。常に足りない、欲している状態になった。愛している、そんな陳腐な言葉であいつを捕まえられるならそうするけど、万一否定なんてされたら生きていけない。――誇張無く、あいつは、俺のすべてだから。

 だからその女が怖い目に遭ったとき、遭わせた連中を纏めて潰したくなるのは当然だろう。その時その場にいなかった自分自身への怒りも含めて。

「まぁくん」と呼べるのがみーだけであるように。


――美恵子がいるからこそ「桐原学」は存在し、無気力人間はただの「学くん」になるんだ。


〇 ● 〇


 あの日、美恵子のアポなし電撃訪問を受けた直後。

 ……こっちが密室で必死に構築した理性を無邪気な顔で粉砕しにかかってくるあほみーをなんとか躱しつつ(万端に隠せていたかは不明だが)、寮室から出した。そして俺はすぐさまスマフォを取り出す。内心は大いに抵抗があったものの、背に腹は代えられない。

『――ぅはーーいもしもし俺ですよーー桐ちゃんから電話だめずらしー!』

『えっ学から電話ぁ?!山田ずりぃ!』

 2コールもしないうちに出たやかましい声と、背後で聴こえるこれまたやかましい声。

「山田。そこに野村もいるな。まだ寮内にいるなら、お前らに頼みがある」

『頼み!? 桐ちゃんが頼みだって野村!!』

『まじか山田!? 学が頼むって、俺らに?!』

 途中からハンズフリーにしたのか、やかましさが二乗になって聴こえてきた。発熱している脳には本当にキツい。朝方も来たというのに、こいつらに病人への思いやりは無ければ遠慮も無いらしい。――だが、俺はこいつらの本質を知ってる。

(この際、声のでかさは無視)

「悪いな、休日に。でも、お前らにしか頼めない」

『!! なに、なに!?なんでも言って!俺らに出来ることなら!!』

『水くせえな学、俺ら大親友なんだからなんでも言えよー!!』

 今更ぶり返した頭痛、冷却ジェルを貼った額を押さえつつ。


「今から第一棟を出ていく女がいるんだけど、それについてって。左耳の下で纏めてる黒髪に水色のTシャツ、下は黒っぽいパンツ。変なのにちょっかい出されないように、陰から見ててくれるか。校門まででいい。……頼む」


 受話器の向こうが一瞬静かになり、それから聴こえてきたのは短くもうるさい快諾の声だった。


『『りょーーかい!!』』



 ……状況はこれでマシにはなるだろう、気休めだが。あのクソバカコンビに頼らざるを得ない辺り、つくづく今の俺は不甲斐ないし情けない。しかし、これも自業自得であり、そして美恵子の意志を尊重する上で辛抱しなくてはならないことである。

 美恵子のガードを他人に、しかも男に任せるのは心底、腹立たしい。しかし送るのを本人に断固拒否された以上、誰かに頼むしかない。この寮内において「そういう意味で」絶対に信用出来るとなると、あの二人しか該当者がいなかった。


 野村剛史のむら・つよし山田篤志やまだ・あつしは、入学当初から馴れ馴れしい同級生だった。他の奴らと何が違うのかというと、最初から最後まで「選んで」絡むという点だ。俺も有坂も人間に対し無関心で売る愛想も無いというのに、あの二人だけは懲りずに絡んできて、そしてそれは今も変わらない。はっきり言ってしつこいしウザいしわざと低俗に「クソバカコンビ」を通称にした程度に鬱陶しく思ってはいるが、そんな態度をものともせず奴らは俺たちに寄ってくるのである。明確な、意思を以って。

 奴らは、確かに見た目が大変軽薄だ。中身もそれほど変わらない。寄ってくる女を後腐れないと判断したら好き放題食ってるのも知っている。ただ――選択は絶対に誤らない。

 あの二人は、人間を見た瞬間から判断している。自分らにとって有益か否か。人間的にどのランクに位置するか。おそらく独自の基準を定め、「合格」か「失格」か区別しているのだ。そして、一度決めたら――「合格」と判断し尚お気に入りと定めたら、とことん構い倒すのである。そして、その人間が発した信頼を絶対に裏切らない。いっそ忠節とも言っていいほどに、義理に厚い。見た目からは想像もつかないが。

――そして「合格」の反対、「失格」の烙印を捺した人間に対しては徹底的に無視するか、……時に容赦なく、噛みつく。

 それが、有坂に心酔し手足となって裏で動きまくっていた二人の真の動向を知った俺が判断した、奴らの本質である。

(有坂は『狂犬二匹』って例えてたな。まあ、)

 あいつらの比喩なんかどうでもいい。今の俺にとって重要なのは、美恵子を護る手駒がひとつでも多いこと、それだけだ。


〇 ● 〇


「そういえば、野村と山田が言っていた。『カワカミさんに超失礼な口きいた奴、寮内でシメとくならいつでも言えよ?』『桐ちゃんの彼女に超無礼な態度とった奴シメるのまだぁ~?』……だと」

「お前、クソバカコンビの物真似が本当にうまいよな」

「嬉しくもない賞賛だな」

「皮肉だよ」

 でも、まあ、とスマフォを有坂に返しながら。

「あの時は野村と山田が居て助かった。事前に美恵子に逢ってたのクソムカつくけど」

 あの時の野村達は、熱で動けなかった俺の手足とまではいかないが、それに近い動きをしてくれた。美恵子が怖がってる間、何もしなかったのは気に食わないが。そう言ったら、有坂は「証拠を記録するためだ、仕方ないだろう」と返してきた。わかってるよ。けどムカつくんだよ。

うちの玄関に防犯カメラは常設してあるが、音声記録性能はついていないからな。別個で撮影するのが、より説得性がある」

「わかってる。でも、ムカつくのはムカつくんだよ」

(美恵子も美恵子で、『野村さん達にはお世話になった』とか言うし)

 ……ん?

「あいつら、もしかして、」

「ああ。どうやら、お前の『恩人』を気に入ったらしい。あの分だと、お前が指示しなくとも勝手に立ち働くことだろう。天草学園の『狂犬二匹』を従えるとは、お前の『恩人』もなかなかやるな」

「……」

「そう不機嫌になるな。手駒が増えて逆に楽だろう」

「理屈じゃねえんだよこれは」

「成程」

 俺や有坂とは違った知名度と情報網を持っているあの二人が美恵子の援護につくことに異論は無い、だが、俺以外の男がみーに纏わりつく事態が普通に気に食わない。それになんだあの、冷蔵庫の変なのは。せっかく美恵子が作って持ってきてくれた粥入りの袋を、美恵子が書いてくれた俺の名前を、あのクソバカどもはアホっぽく飾りやがって。

 みーもなんで黙ってたんだよ、と聞いたら「だってまぁくん怒るかなって……怒った?」と上目遣いで聞き返されたのでこっちが黙るしかなかった。お前、それわかってやってんのかよ、本当にいつも可愛くて可愛いすぎてムカつく。今こうやって思い出してもたまらなくなるし物理的に離れている事実に心底ムカつく。

 本当、どうして俺は全寮制の高校なんて選んでしまったんだろう。これから最短で医師免許とって金稼いで美恵子に尽くしまくる未来を想像するしか、人生の励みが無い。ああでも、俺が医者になる前にまた美恵子が怪我したらどうしよう。医者になっても怪我してほしくない。病気なんて以ての外だ。

(お前に何かあったら俺冗談じゃなく死ぬから)

 昔は医者になってみーの怪我を治したいって思ってたけど、今はひたすらにその反対だ。外科医を目指しているしプランを細かく詰めてはいるが、医療の世界を知れば知るほど、美恵子だけは俺の患者になってほしくない。勿論、すぐ治る類の軽傷や婦人科の軽度の悩みとかは絶対俺が担当するけど、その間、きっと心配性の権化になる。それを美恵子にウザがられて拒否られたらどうしよう。

 美恵子との未来は幾つも想定し、シミュレーションしてる。しかし今の所、どの選択も最終的に自信が尻すぼむ。一瞬で駆け巡った想像に重い溜息をついたら、有坂はまた喉奥で笑うような表情を見せた。

「本当に桐原は、『恩人』のこととなると別人のように豹変するな」

「……あ?」

 他人の恋人を「恩人」なんて言葉で表現するのはこの男くらい、そしてそう表現されて何も反論出来ないのは俺くらいなものだろう。

 でも、悔しかったので言い返してやる。

「そういう有坂こそ、らしくないんじゃないか」

「何がだ」


「屑どもを土下座させた・・・・・・ことだよ」


「――」

 愉快そうに細められていた有坂の瞳が、元に戻る。

「俺が知っている有坂は、そもそもそんな無益なことは目の前でさせない。土下座させる時間こそ惜しいから、そんなのを見る暇があったらさっさとそいつを謹慎処分か何かにして場を収める。でも、わざわざ理事の居る場でそれを許したんだよな? 落とし前にしては旧式過ぎるってわかっていながら」

「――」

「有坂。それはお前が、」


「ただいまでーす! ……あ、桐原先輩!いらしてたんですね」


 不意にその場に響き渡ったのは、男にしては高い声。部屋から見える通路の向こう、寮室のドアを開けてひょこ、と顔を出したのは、有坂と同室の後輩だった。

「友坂。邪魔してる」

「いえいえ! そうだ桐原先輩、これから夕飯作るんですけど、予定が無ければご一緒にどうですか。ばーちゃんちから送ってもらったお米と有坂先輩のご実家から送っていただいた秋の味覚で炊き込みご飯です!きっと美味しいですよー!」

「美味そうだけど遠慮しとく。俺、これから実家戻るから。夜は美恵子と食うつもり」

「河上さんと!?」

 ぱあっと友坂の顔が輝いた。こいつは小さい頃のみー並みに好感情がわかりやすい類の人間である。例えるならあれだ、イヌ系。「狂」とかつかない方の。

「河上さんとお食事デートなら仕方ないっすね~うふふ、よろしくお伝えください!」

「ああ」

 鷹揚に返し、ちら、と斜め横を見た。

「じゃあ、そろそろ行くから。……大丈夫か・・・・、有坂?」

「! 有坂先輩、どうしたんですか!?」

 二段ベッドの下段にて脚を組み優雅に腰掛けていたはずの有坂は今、俯き加減で両肘を両腿に乗せていた。――顔を真っ赤にさせて。

「顔赤いですよ。具合悪いんすか」

「なんでも、ない」

 顔を隠すように組み合わせた手を握り締め、普段の奴からは想像も出来ないくらい小さく強張った声で返している。先ほどの傲岸ともいっていいほど余裕に満ちた座り姿と同一人物とは、とても思えない。

「熱でも、あるんですか」

 その差を知らない後輩は、そっと屈んで有坂の額に手を伸ばす。短く垂れたその前髪に指先が触れるか否か、有坂は避けるように顔と身体を捩ってベッドに滑り込んだ。

「え」

「寝る」

「あ、はい……お夕飯どうします?」

「……」

「おじやにします? 具合悪いならそっちのが食べやすいですよ」

「……炊き込みご飯がいい」

「わかりました。じゃあ作りますね」

 それきり、仕切りのカーテンを閉めてベッドの住人と貸してしまった親友。突然の変調に目を瞬かせつつ、後輩は立ち上がった。奴のマイペースぶりには慣れているのだろう。というか、休日になると友坂が自炊しているのはわかるが、有坂もご相伴に預かっていたのか。しかも食材まで協力して。道理で、最近は休日の予定を空けていると思った。

 正直、土日に有坂が寮内で過ごすこと自体、今までからすると考えられない。しかし、今の有坂にとってはこの時間こそが最重要であり。

――そして、それしか出来ないんだろう。

「じゃあな。美恵子には友坂が元気だって伝えとく」

「――はい!」



 今更ながら、有坂智巳という男は俺と同種の人間だ。世の中の一切に基本的興味が湧かず、その場にある義務そのままに過ごす。有坂の場合、生き甲斐がなくとも優秀であることを促す周囲環境だったがため、自然とそのように生きてきた。生まれついてのエリートとも言うべきか。


 だからこそ、己の価値観を覆す存在を、それまでの生き様をひっくり返すような人間が現れたことを、なかなか認められない。


 認めてしまったら、人生が変わる。思い知るからだ、生涯続く「片恋」を。

 俺達のような人間にとって、初恋はそのまま生涯の恋であり、永遠に続く報われない片想いだ。相手と自分の想いの深さに最初から大きな違いがあり、それがずっと変わらないのだから。相手は自分にとってこれ以上無いほど影響力がある、どこまでも深遠で、巨きな存在であるのに、相手から見た自分はそうでない。良くて恋人か最高値で夫婦、その程度。人並みの愛情を向けてくれるが、それだけ。下手をすれば――ああ、想像するだけで死にそうになるが、もし別れたとしても、彼女はダメージを引きずらず別の相手を見つけるだろう。でも、俺達はそうではない。一生引きずり、二度と恋が出来なくなる。自分の気持ちを認めたが最後、それだけの想いの差が眼前に広がるのだ。

 だから、意固地になる。俺にとってあいつはそれほど重要じゃない、それほどの存在ではないと、最初は必死になって否定する。怖いから。ひたすらに相手の巨きさと自分の想いが未知で、怖ろしいから。それはイコール相手の懐を信用していない、もしくは自信の無さの顕れだ。過去の俺の場合は両方だった。そして有坂の場合も、両方なのだろう。

 友坂の入寮初っ端、一週間ほど無視していたらしいから、あいつも過去の失態が自分自身に突き刺さっている。今の相手が凄く優しいから、その優しさが心に沁みて嬉しいけど苦しくて苦しくてたまらない。過去、自分はなんてことをしてしまったんだろう、どうしてこんな自分にこの人は優しいんだろう、という複雑な心境。あの有坂がそんなことを考えてるなんて、きっと誰も知らないし思いつかない。

 なまじ頭が良いため選択を滅多に誤らず、人間に関する深い罪悪感とは無縁だった有坂。でも、俺にはわかる。存在を感じるだけで温められる心、初めて感じる種類の罪悪感、未知なる独占欲、どんなに否定しても切り込んでくる恋心で、奴は今、ぐしゃぐしゃになっている。


『友坂さんの秘密知ってるんでしょ?割と最初から』


 つい先日、みーから詰問された言葉だ。確かに、割と初期から友坂の秘密は知っていた。本人が隠したいようなので未だに知らないフリをしているが、よく見なくてもバレバレだと思う。あんな男がいてたまるか。あのクソバカコンビすら薄々勘付いている。

(だから、男尊女卑っぽい屑どもに執拗に絡まれたわけだ)

 ただ。

 入寮当初、有坂との会話に悩んでいた友坂に「ああいう奴だから無理に話しかけないほうがいい、何か行動を起こしたときのみ反応してやれ」とアドバイスしたのは、決して友坂の秘密に気づいたからではない。友坂と同室になってからの有坂に、確かな変化を感じたからだ。それは覚えのある、予感だった。


『桐原は、「恩人」のこととなると別人のように豹変するな』

 奴はそう言っていたが――奴本人も、そうだった。割と、最初から。


 少なくとも、二年の時の有坂は、まったく笑わない男だった。今現在のように、喉奥で笑う素振りすら見せなかった。目を細める愉快そうな表情も、驚いたように目を開く素振りすら。俺以上に、まったく感情を悟らせない人間だったのだ。

 しかし、ある時俺は見てしまった。新入生の関係者名簿編纂を手伝っていた際、何の気なしに友坂を話題にしたところ、有坂が、ふ、と初めて笑顔らしきものを浮かべる光景を。本人は意識していないようだったが。

 人間に一切興味が無かったあの有坂が、思い出し笑いをした。――あの猫っ毛の後輩は、そういう意味でも既に有坂を変えていたのである。




「―――土下座、ね」

 天学から八つの駅の向こう、俺の実家前。隣の家まで数歩の距離をせわしなく縮め、呼び鈴を鳴らして美恵子が出てくるのを待ちながら。俺はふと、一人ごちる。季節は夏を過ぎ秋の後半、そろそろ防寒具が欲しくなる季節。

 あの屑と屑の親にどこでどう土下座させたのかは知らないが、有坂が溜飲を下げたのだから相当厳しい場所でさせたのだろう。俺にとってはそんなんでも足りないが、でも、長く関わるのも時間の無駄だ。美恵子の顔を見る以上にあんなのの顔を見る時間を増やしたくない、そう考えることにした。

 実際、あいつらはあの事変以降、大人しくしている。俺と寮内で鉢合わせると青くなって逃げ、有坂や友坂に至っては気づかれる前に逃げる程度には。そのうち勝手に退寮するかもしれない。願ったりである。

 あれから寮監と協議し、理事にもかけあって、有坂は新たな規律という名の戒律を作った。寮生から寮生への一方的虐めは天学の模範でないとし、成績自体にも響くようシステムを作り変えたのだ。かつてないほどの有坂の熱意(恐らく)に圧され、上は二つ返事で了承したようだ。かくして、友坂以降の天学生は至極平穏な寮生活を送れることになるだろう。一種変革とも言っていい。

 野村と山田は驚いていたが、俺にとっては想定の範囲だったので成程な、という感想しかない。俺だって、美恵子がもし友坂の立ち位置だったら、迷わずそうする。むしろ、行動が遅かったことを後から悔やむだろう。今の有坂が友坂を見るたびどこか極端な態度を見せるのは、そのせいもあるかもしれない。

(言ってくれれば俺も力になってやれるけど。でも、今のところ有坂はそういう空気じゃないんだよな)

 有坂が初恋に切羽詰っているのはわかる。だが、過去の俺と違って表面的に何も問題なく過ごしているので、こちらからは動けない。恩もあるし、取り返しがつかなくなる前になんとかしてやりたいと思うが、有坂自身がまず助けを必要としない限りは、何も出来ない。そして、本人も望まないだろう。不要な時の他者の介入は、邪魔でしかない。余計こじらせる。こじらせた挙句失いでもしたら、取り返しがつかない。


――俺達にとって、本気の恋愛とはそういうものだ。



「まぁくん、待たせてごめん!」

 ぱたぱた、と駆けるように奥から出てきて玄関を開けた美恵子は、珍しく濃いめの化粧をしていた。普段は日焼け止めかファンデーション程度の薄化粧なのに、今日は珍しくそうとわかるほどに濃く目元や口元を飾っている。

「可愛いコスメ見つけて、初めて買ってこういうの試したかったの。だから、これが初だよ。美恵子ちゃんの初アイシャドー」

 どう?かわいいでしょ?初物ゲットだねまぁくん?…などと、何か勘違いしている変な言葉を放ってくるので、真顔で言ってやった。

「ああうん、かわいいよ。美恵子はいつでも何しても可愛い」

「……!!」

 瞬時に耳まで真っ赤にさせたみーは、本当に可愛い。その後、心がこもってない~っと怒ってたけど、俺はいつだって本気だ。あんまりお前が可愛いから、感情が飽和状態になって逆に冷静に見えるだけだ。心の中はいつだって、お前への想いと諸々で溢れて溺れてる。

 ふと、気付いた。

(有坂は友坂と同室なんだよな)

 それって、幸せだけど拷問でもあるな、と。今現在俺だってそうなんだから、有坂のような環境は特にキツいだろう。なんたって、好きな女が自分と同じベッド(二段だが)で寝てるのだ。

(――ああ、俺が全寮制の高校を選んだ利点は、これか)

 美恵子にうっかり手が出せない状況を自分で作れて、逆に良かったのかもしれない。その件にかけて特に失敗は許されないので慎重に、本当に慎重にいきたいから。あと身体的に切実。

 みーの細い手首には、俺がプレゼントした腕時計が巻かれている。最初は困惑してたけど、俺の気持ちを汲んでくれたのか、素直に受け取って装着してくれているのだ。「高価すぎてデートの時くらいにしか着けられないよ」と笑ってたけど、着けてくれるだけありがたい。

 本当は(俺との会話専用の)スマフォも贈りたかったけれど、美恵子側の感覚を重視するにこれは「まだ」無理だと判断して贈れなかった。美恵子は明るい気性だが、自分の所持品に関し頑固で審美観が厳しい。「自分に合っていない」「自分が欲しいと思わない」と感じるものに対して絶対に手を出さないし身に着けない。聞けば、最近はスマフォの機体じたい親に頼らず自分で買いたくなったので、せっせとバイト代を貯めているとのことだ。ここで俺が最新型スマフォを贈ったとしても「まぁくんはみーをバカにしてるの」と本気で怒られるだけだろう。下手したら嫌われる。

 嫌われ――

(あ、やばい)

 脳内を掠めた言葉の欠片だけで心身がぞっと冷えたので、視線を落として美恵子の手を見つめた。俺の贈った腕時計を身に着けた美恵子の手首。優しい色の肌。可愛い指。こいつの一部を見るだけで、だんだんと身体の熱が戻ってくるので、俺という生き物はわかりやすい。見つめすぎるとよからぬところにも熱が集ってくるのでほどほどにするが。

 今は北高の校則違反になるから贈れないけど、そのうちちゃんとした指輪も填めてもらおうと思っている。まだ今は購入の下準備段階だが。とっとと学生の身分から卒業したいし出来ないことも無いが、美恵子はごく普通の学生生活と順番を重んじる人間なので、その基準から外れるのは避けたい。俺はただの、「学くん」だから。


「ねー学くん聞いてるーー!? もっと心をこめて!かわいいって!!」

「あーうん、可愛い、可愛い。世界一可愛い。死ぬほど可愛い。俺、美恵子の顔見れなくなったら本気で死ぬ」

「こもってなーーーい!!」

「こめてるって」


 むしろ、想いが溢れかえって何も言えなかった付き合いたてからすると、思ってることを言語化出来るようになっただけだいぶ進化したと思う。自制心といい、自分で自分を褒めたい。

 何はともあれ、俺は美恵子の隣に居られる幸福を噛み締めながら、今日も過ごしている。




【終わり】

似たもの同士な親友の心情に聡い学くんですが、有坂がまさか友坂の性別に気付いておらず、二重の悩みを抱えているとはわからないようです。思い余った有坂がどう行動してしまったかは、別作参照で。

(※年齢制限あり・読む人選ぶ短編ですが、興味ある方は心当たりのある場所でタイトル検索してみてください)



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