エピローグ 大鬼を統べる小鬼
「……おい、何しに来た、チビ助?そこはグルガンの旦那の席だろうが」
薄暗い部屋に唸るような低い声が轟いた。
いや部屋、と言うのは正しくない。
だだっ広い洞窟の中にいくつかの岩がただ、椅子やテーブルのように並べられている、と言った感じの空間だ。
“椅子のように”と言っても、その一つ一つが平均的な大人の男が直立した頭部より高い、巨大な岩だ。
その岩さえも窮屈そうにして腰かけているのは巨大な怪物たち。
褐色の肌の大鬼と、青緑の肌の岩重鬼だ。
岩の”椅子”は十にも満たない。
だが、その周りにも、何十もの大型種たちが集まっていた。
通常なら滅多に群れない種族だ。
その異様な光景は、まさに地獄絵図と言っていい。
しかし怪物たちが蠢くこの魔境に、唐突に足を踏み入れた明らかに場違いな者があった。
ゴブリンだ。
ゴブリンにしては体格がいいが、所詮は小鬼。
体重で言えば、ここにいる一番小さなオーガーの五分の一にも満たないだろう。
トロールと比較するなら、十分の一以下だ。
だが、一斉に自分に向けられた五十を超える怪物たちの凶悪な視線を気にも留めず、巨剣を背負った小鬼は怪物たちの間を悠然と進む。
そのまま巨大な岩のテーブルの前を横切って、あろうことか一つだけ空いていたひと際大きな岩の前に腰かけた。
――と言っても、座面が自分の背丈より高いその“椅子”に、小鬼が座るのは無理だ。
雑に造られた“椅子”の下部の出っ張りに腰かけ、壁のように巨大な”椅子”に背を預けたに過ぎない。
「ヤツは死んだ。そんなことも知らんのか」
全部で九つある岩の“椅子”の一つに座っていた、ひと際体の大きな岩重鬼の侮蔑と殺意の混じった尋問にも、小鬼は冷たい声で問いを返した。
「知っているわ!ふん、そもそもオーガーに、大将なんてのは荷が重かったのさ。なぁ?おめえら!」
そのトロールが後ろを振り返って吠えると、大型種たちは同調するように口々に唸り声を上げた。
「なるほど。貴様がNo.2だったという訳か。そしてグルガンに近しい者どもはヤツとともにすでに死んだようだな」
ゴブリンは表情を変えることなく、奇声を発する怪物たちを見回した。
「……そんなことはどうでもいい。てめえはただ俺様の質問に答えろ」
トロールはゆっくりと向き直り、そしてゴブリンを見下ろした。
平均的なトロールでも、このゴブリンの十倍以上。
だが、この特に巨大な体躯の岩重鬼は二十倍近くありそうだ。
「何故貴様がここにいて、しかもそこに座っているかと聞いているんだが?……まさか」
そしてその口の端をいやらしく吊り上げる。
「……迷子にでもなったか?ええ?チビ助ぇ」
岩重鬼が声を張り上げると、岩に腰かけた残りの七体と周囲を取り巻く大型種たちが一斉に笑い出した。
悪意に満ちた、嘲るような下卑た笑いだ。
「口を慎め。俺はアスラだ」
一方、ゴブリンは無表情のままだ。
「アスラぁ?小鬼風情が、いっぱしに名前など持っているみたいだぞぉ?」
トロールは尚もニタニタと嫌らしい笑みを浮かべながら、後ろの取り巻きどもを振り返った。再び品のない爆笑が巻き起こる。
「……グルガンに代わって貴様らを統率することになった。ヤツが死んだのを知っているなら、同時に聞いている筈だが?その程度も理解できんほど、貴様らの知能は低いままか?」
対するゴブリンは動じた様子もなく、冷たい目でギロリとトロールを見据えた。
「ハッ!聞いちゃいるさ。だがなぁ、何かの間違いだろ?こぉんなチビ助が大将なんてよ。気づかねえで踏みつぶしちまうかもしれねえし、ちょっと小腹がすいたら、思わずつまんじまうかもしれねぇぜ?」
トロールはグワッハッハッハ、とわざとらしく笑ってから、腹を叩いて見せた。
「馬鹿が。その日が貴様の命日だ」
「……あ?」
トロールの笑いが止まった。
岩からユラリと立ち上がる。
その体高は四メートルほどもある。
その遥か上方から、凄まじい形相でゴブリンを見下ろす。
「分かんねえのか、チビ助。てめえなんざにゃ、従えねえって言ってんだよ」
「……【王】のご命令を聞けんと言うのか」
「今ここでてめえが“不慮の事故”で死んじまえば、主様も認めざるを得ねえさ。この俺様こそが、大鬼軍の軍団長に相応しいってなぁ!」
ゴブリンは座ったまま、トロールを見上げた。
そして、静かに凍てつくような声で、
「つまり貴様は、【王】のご意志に従わん、と言うことだな」
もう一度言った。
「ハッ!どうだかなぁ!」
トロールは鼻を鳴らした。
「主様がその気になりゃあ、血の縛りで俺様達を縛ることもできるはずだ。そしたら俺様達は逆らえねえ。ゴブリンごときのお守りだろうがよぉ。……だが、主様はそうはしなかった。違うか、チビ助?」
「……何が言いたい」
「分かんねぇか?なら、馬鹿なのはてめえだよ」
トロールはゆっくりとゴブリンのほうへ進み出た。
たった二歩。それだけで、二体の間の距離はすでに二メートルを切った。
そして――
「要は、てめえは主様から捨てられたのさ!グルガンの野郎と同じようになぁっ!!!」
唐突に岩重鬼は手にした巨大な棍棒を振り下ろした。
一瞬だった。その鈍重そうな巨体からはとても想像できないほどの疾さだった。
ガキィィィンッ!!!
だが、棍棒はゴブリンを粉砕できなかった。
小鬼が、巨剣で受け止めたからだ。
避けるでも受け流すでもない。
二十倍を超える体重差にも関わらず、ゴブリンはトロールの剛力を真っ向から受け止めて見せた。
「なんだと!!?」
驚愕に顔を歪ませるのは、トロール。
取り巻きの大型種たちにも動揺が走った。
岩のテーブルを囲んで座っていた他の六体は、すでに二体から距離を取って成り行きを眺めている。
「……その図体で……この程度、か……っ!?」
こめかみの血管から、嚙み締めた口から、血を吹き出しながら。
そして腰骨を、両腕を、ミシミシときしませながら。
それでもゴブリンは一歩も引かない。
「こ、このぉ……!」
鍔迫り合いの状況で、どちらも容易に武器を引けない。
力を抜けば、隙ができる。
トロールは棍棒に左手も加え、両手でこのまま押しつぶさんと全体重を乗せる。
二十倍の体重に、木の幹のように太いトロールの剛腕。
――だが。
「オオオオオオオオオオオッ!!!!!」
ゴブリンが咆哮を上げた。
同時に巨剣を振り抜く。
トロールの棍棒が大きく弾かれる。
バランスを崩したトロールに、ゴブリンは体当たりをした。
ただの体当たりだ。最小最軽の妖魔が、最大最重の妖魔に。
「!!!!??」
取り巻きたちが息を飲んだ。
吹っ飛んだのは、トロールだ。
しかも凄まじい勢いで千キロを超える巨躯が五メートル以上も弾き飛ばされた。
青緑の巨体が洞窟の地面に激突すると凄まじい地響きと土煙をもたらした。
「がはぁ……っ!!」
同時にトロールの口から紫色の液体が吹き出す。すごい量だ。
どうやらゴブリンの体当たりの衝撃で、内臓がいくつか破裂したらしい。
驚異的な再生能力を持つトロールは、内臓を損傷したくらいでは死なないが――
「ぐそっ!!」
仰向けになって目を見開いたトロールの眼前に、巨剣を振りかぶった小さな妖魔が映る。
「ひっ……ま、待て!……待ってくれぇ!何でも聞く。アンタに従う!だから……!」
トロールが悲鳴を上げるが、ゴブリンは容赦なく巨剣を振り下ろし――
ザンッ――!
巨剣が一撃のもとにそれを両断する。
「!!」
だが、トロールはまだ生きていた。
ゴブリンが一刀両断したのは、トロールの丸太のように巨大な棍棒。
「……ひとつ、頭の悪い貴様らに教えておいてやる」
ゴブリンは巨剣の切っ先をピタリと半身だけを起こしたトロールの首に突き付けた。
完全に戦意を消失した岩重鬼は震えながら「ひっ」と短く呻いた。
「【王】が敢えて貴様らに血でお命じにならなかったのは、こういうことだ。……俺が貴様らを力で屈服させるためにな」
そしてゴブリンは周囲を見渡した。
その凍り付くような眼光に、大型種たちは声も出せない。
彼らの顔に一様に浮かぶのは、ただただ、恐怖。
「これより貴様らは俺の配下だ。俺に従えぬ者は前に出ろ。この場で俺が八つ裂きにしてやる」
冷たく言い放つ小さな妖魔を前に、巨大な妖魔たちは氷の彫像のように固まったまま、誰一人、身動き一つできなかった。
本当の意味で、小鬼がまた軍団長に返り咲いた瞬間だった。
「……待っていろ、貴様は俺が必ず殺す。人間――いや」
アスラのその黄色い眼は、すでに微動だにしない大型種たちを見てはいない。
憎悪に燃える瞳。
そこに宿るのは、復讐の炎。
「――アリス=レーゼ」
Episode 4 end
お読みいただき、ありがとうございました!
episode4これにて完結です。
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もちろん、アリス達の冒険はまだまだ続きます。




