近未来の日本の小学校を舞台にしたST学園ドラマ 新任の先生が不可解な行動を取ります。
時代は、2058年の東京の小学校が舞台です。新学期になって新しく赴任した先生方、その中にちょっと気になる先生が・・・
謎のエーアイ 教師
白石 遼
プロローグ
七月の終わりだった。昼過ぎまで青空が広がっていた東京の空は、黒い雲に覆われていく。生ぬるい風が吹き始めた。やがて、大粒の雨が激しく降り出し、風は唸り声を上げる。近くを流れる川は濁流となり、水位は見る間に上昇していった。その時、学校に一本の電話が入る。
「助けてください! 子どもが川に流されました!」
職員室の空気が凍りつく。一人の教師が立ち上がると、返事をする間もなく雨の中へ飛び出した。激しい雨の中、ようやく子どもを見つける。教師は迷うことなく濁流へ飛び込み、必死に子どもを岸へ押し上げた。
その瞬間――。轟音が空を切り裂いた。川岸に立つ一本の大きな桜の木へ、白い稲妻が落ちる。世界が真っ白な光に包まれた。駆けつけた人々が目にしたのは、無事に救助された子どもだけだった。教師の姿は、どこにもなかった。
第一章 新しい先生
二〇五八年四月初旬。柔らかな春の風が、都内の西さくら小学校の校庭を吹き抜けていた。午前九時ちょうど。青空の向こうから低く響くプロペラ音が近づいてくる。
ブォォォ――。
一機、また一機。大型輸送ドローンが、ゆっくりと校舎の屋上へ降下していく。その機体の側面には、「文部科学省エーアイ教育局」の文字が青く光っていた。ドローンのハッチが静かに開く。中から降り立ったのは、人間と見分けがつかないほど精巧に造られたエーアイ教師たちだった。
若い女性教師。
穏やかな笑顔の初老の教師。
活発そうなガッチリした教師。
眼鏡を掛けたインテリ風教師。
まるで本物の人間のように、それぞれ異なる表情や歩き方をしている。二十年前から全国の学校にエーアイ教師が配属されるようになり、今では都内の公立小学校の教師の九割以上をエーアイ教師が占めていた。少子化よりも深刻だったのは、教師不足だった。理不尽な保護者対応、長時間労働、そして責任の重さ。教師という職業を志す若者は年々減り続け、教育現場を支えるため、日本政府はエーアイ教師計画を本格的に進めたのである。
「今年度配属の先生たちかな……。」
校庭の外からその光景を眺めていた少女が、小さくつぶやいた。宇野サキ。西さくら小学校六年生。少し癖のある黒髪を春風になびかせながら、屋上を見上げていた。エーアイ教師が来ること自体は珍しくない。それでも、新しい先生がどんな性格なのかは、子どもたちにとって毎年楽しみな出来事だった。西さくら小学校は都市部のため、管理職以外は、全てエーアイ教師が割り当てられていた。学校教育法の決まりにより、その基準が定められていた。
「今年は、どんな先生が担任になるんだろう。」
サキの胸は少しだけ高鳴る。六年生。小学校最後の一年が、もうすぐ始まろうとしていた。しかし、このときのサキはまだ知らなかった。
今年、西さくら小学校へ配属された一人のエーアイ教師との出会いが、自分の運命だけでなく、日本の教育そのものを大きく変えていくことになるとは――。
新学期が始まった。宇野サキは、西さくら小学校六年二組になった。担任は、磯野かえで先生。三十代前半ほどに見える、穏やかな笑顔が印象的な女性教師だった。もちろん、人間ではない。文部科学省教育支援エーアイシステム「KAEDE-7」を搭載したエーアイ教師である。授業は分かりやすく、子ども一人一人の理解度を瞬時に分析し、その子に合った声掛けを行う。忘れ物を責めることもなければ、感情的に叱ることもない。保護者との連絡も瞬時に処理し、学校全体の情報もリアルタイムで共有される。そんな教師が、この時代では「当たり前」だった。サキも、小学校一年生からずっとエーアイ教師に教えられてきた。だから、人間の先生との違いなど考えたこともなかった。
「今年もよろしくお願いします。」
始業式の日、教室には子どもたちの元気な声が響いた。その中で、サキが一番うれしかったことがある。
「かすみさん! 二年ぶりにまた一緒のクラスになったね。」
前の席から振り返った森川かすみが、ぱっと笑顔になる。
「うん。今年もよろしくね。」
「最後の一年だし、いい思い出をたくさん作れるといいね。」
「うん!」
二人は笑い合った。六年生になれば、修学旅行も運動会も卒業式もある。しかも、すべて学校の中心だ。一年なんて、きっとあっという間だ。そう思っていた。
……四月が終わり、新緑がまぶしくなり始めた頃。
サキは、学校生活の中で小さな違和感を覚え始めていた。その原因は、理科を担当する時間講師の滝口透先生だった。学校では「おじいちゃん先生」と親しまれている。白髪混じりの髪。少し日に焼けた顔。目がクリっとしていて、昔スポーツをしていた設定の中肉中背のガッチリタイプ、年齢は六十歳くらいに設定されているのだろう、とサキは思っていた。今のエーアイ教師は年齢も見た目も自由に設定できる。だから、滝口先生も「ベテラン教師型エーアイ」の一人なのだろう。最初はそう思っていた。
しかし、授業を受けるたびに、その考えは少しずつ揺らぎ始める。――この先生、何かが違う。エーアイ教師たちとは、決定的に違う何かがある。だが、その正体を、サキはまだ言葉にできなかった。
六月。六年生の「理科」では、「植物は葉ででんぷんをつくるのだろうか」という学習が始まった。六年二組の子どもたちは、一週間かけてジャガイモの葉に日光を当てたり、アルミホイルで光を遮ったりしながら実験を続けた。そして今日は、その結果をまとめる授業だった。
教室へ入ってきた滝口先生は、教卓の上にチョークを並べると、ゆっくりと黒板へ向かった。
カッ、カッ、カッ――。
今どき珍しく、電子黒板ではなく、本物のチョークで図を描き始める。
葉っぱの絵。
茎。
根。
そして、でんぷんができるまでの流れ。
「えーっと……ここは二酸化炭素だったかな。」
滝口先生は一度手を止めると、小さく首をかしげた。
「あっ、違った。ここは酸素だね。」
教室に笑いが広がる。
「あっ、ごめん、ごめん。先生も時々間違えるんだ。」
そう言って照れくさそうに笑う滝口先生。サキは、その様子をじっと見つめていた。
(また間違えた。)
(説明も、なんだか回りくどいし……。)
黒板の字も少し曲がっている。難しい漢字も、ときどき間違えたり、書き直したりする。エーアイ教師なら、こんなことはあり得ない。サキは心の中で結論を出していた。
(きっと、この先生は初期型なんだ。)
(最新のエーアイじゃないんだな。)
(バージョンアップもしないまま、この学校に配属されたんだ。)
そう考えると、なんとなく納得できた。
世の中には、いろいろな人がいる。だから文部科学省も、子どもたちがさまざまな先生と出会えるように、あえてこんな個性のあるエーアイ教師を残しているのかもしれない。
(文部科学省の人たちも、大変なんだな……。)
そんなことまで考えてしまう。しかし、不思議なことが一つだけあった。滝口先生の授業を受けていると、なぜか心が落ち着く。間違えても笑える。話は少し遠回りなのに、最後にはちゃんと理解できる。そして何より、先生の笑顔には、エーアイ教師にはない温かさがあった。
(こんなエーアイ教師も、いていいな。)
サキはそう思いながら、黒板いっぱいに描かれたジャガイモの絵を静かに見つめ手元のタブレットに黒板のイラストを写真におさめていた。
まだ、その「違和感」の正体に気付くことなく――。
夏休みを目前に控えた七月のある日。六年二組では「道徳」の授業が行われていた。テーマは「命の大切さ」。子どもたちは静かに教科書を開き、担任の問いかけに耳を傾ける。
……命は大切です。
……一人一人がかけがえのない存在です。
六年生にもなると、多くの子どもたちは”正しい答え”を知っていた。何を言えば先生がうなずき、どんな発言をすれば授業がうまく進むのか。それを自然と理解している。だから、教室には考える時間はあっても、本気で悩む空気はなかった。プログラムどおりに進む授業。用意された発問。予想どおりの子どもたちの答え。担任は落ち着いた口調で授業を進めていく。
教室の後ろには数人の教師が立ち、授業を参観していた。校内での授業研究か、それとも情報共有のためなのだろう。サキは教室の窓から差し込む夏の日差しをぼんやり眺めながら思った。
(結局、うまく答えればいいんだ。)
(本当のことを言うより、先生が喜びそうなことを言えばいい。)
(今日も当てられたら、その作戦で乗り切ろう。)
そんなことを考えながら、ふと教室の後ろへ目を向けた。そこに、一人だけ気になる先生がいた。滝口先生だった。腕を組むわけでもなく、メモを取るわけでもなく、ただ静かに子どもたちの様子を見つめている。その視線は、どこか他の先生たちとは違っていた。サキの胸が、かすかにざわつく。理由はわからない。けれど、何かが違う。何かが起こる。そんな予感だけが、胸の奥で静かに広がっていった。
……今日の道徳は、いつもとは違うかもしれない。
担任は、教材を配り始めた。
「今日は、この写真を見て考えてください。」
教室の電子黒板に、一枚の写真が映し出された。乾いた大地。うずくまる一人の少女。そして、その後方から静かに様子をうかがう一羽のハゲタカ。教室が一瞬、静まり返る。プリントのタイトルには、大きく書かれていた。
「あなたなら、どうしますか。」
今回の教材は、本来、小学生向けではなかった。何かの手違いで、高校生向け、あるいは教師研修向けの道徳教材が六年二組へ届いてしまったのだ。担任は、そのことに気付かないまま授業を進めていた。
プリントには、こう書かれていた。
—この写真は、世界中に大きな衝撃を与え、ピューリッツァー賞を受賞した写真をもとにした教材です。写真家は、この瞬間、重大な選択を迫られました。少女を助けるのか。それとも、この現実を写真として記録し、世界中の人々に貧困の現実を伝えるのか。もし少女を助ければ、一人の命は救えるかもしれない。しかし、その写真は残らず、多くの人々が現実を知る機会を失うかもしれない。反対に、写真を撮れば、世界は飢餓や貧困の実態を知ることができるかもしれない。
あなたなら、どちらを選びますか。その理由も書いてください。なお写真を先に撮った場合、少女の命は、写真を撮って遅れた分、保証されません。—教室に流れる空気が変わった。いつものように「正しい答え」を探そうとしても、見つからない。難しすぎる。サキはプリントを見つめたまま、鉛筆を動かせなかった。
(……わからない。)
どちらを選んでも、誰かが傷つく。どちらを書いても、正解とは思えない。今までの道徳とは違う。先生が喜ぶ答えが見えない。サキは初めて、答えのない問いと向き合っていた。重苦しい沈黙が教室を包んだ。誰も鉛筆を動かせない。正解が見つからないのだ。しばらくして、一人の男子児童が、おそるおそる手を挙げた。
「先生……。」
担任の磯野先生は、優しくうなずく。
「はい。」
「正直、どう答えたらいいのかわかりません。先生なら、どうしますか?」
教室中の視線が担任に集まった。一瞬だけ間があった。そして担任は、いつもの落ち着いた口調で答えた。
「その質問には、お答えできません。」
教室が静まり返る。別の児童が、後ろで参観していた先生に尋ねた。
「先生は、どう思いますか?」
「その質問には、お答えできません。」
さらに別の先生にも声が飛ぶ。
「先生なら、どっちを選びますか?」
「申し訳ありません。その質問には、お答えできません。」
返ってくる言葉は、どの先生もまったく同じだった。まるで録音された音声を聞いているように。まあ、当然である。教師はプログラムされた内容しか答えることができない。教室の空気が少しずつ冷えていく。
そのときだった。教室の後ろで参観していた滝口先生が、小さく手を挙げた。
「うーん……。」
少し困ったように頭をかきながら、子どもたちを見渡す。
「これは難しいな。」
教室中の視線が滝口先生に集まる。
「先生にも、すぐには答えは出せない。」
少し笑って続けた。
「だから、一緒に考えてみようか。」
その一言だった。サキの胸の中で、ずっと引っ掛かっていた違和感が、一気につながった。
(そうか……。)
(この違和感だったんだ。)
ほかの先生たちは、答えられない。いや、答えないように作られている。きっと、今のプログラムには、
『正解のない問いには、自分の考えを述べてはならない。』
そんなルールでも組み込まれているのだろう。それなのに。滝口先生だけは違った。
「一緒に考えよう。」
その一言には、正解を教えるのではなく、悩むことを大切にする温かさがあった。
(バージョンが違うのかな。)
(それとも……。)
サキは心の中で首をかしげる。授業では時々変なことを言うし、少しポンコツなところもある。でも、今日の滝口先生は、誰よりも”先生”らしく見えた。
(この先生……何者なんだ?)
その瞬間からだった。サキは初めて、本気で滝口先生という存在に興味を持ち始めた。
第二章 文部科学省による視察
休日の午後、加藤あきは、一通のメッセージを見つめていた。送り主は、西さくら小学校時代の同級生であり、若い保護者だった。
『今年配属になったエーアイ教師が、ちょっと変わってるんだよ。授業が面白くて、子どもたちにも人気らしい。』
加藤は思わず笑みを浮かべた。――変わったエーアイ教師?
文部科学省でエーアイ教育の業務に携わる加藤にとって、その一文は妙に気になった。最新型のエーアイ教師は、全国どこでも同じ教育プログラムで運用されているはずだった。それなのに、「変わっている」という言葉が頭から離れない。久しぶりに母校も見てみたい。そんな軽い気持ちだった。加藤は勤務用端末を開き、確認を依頼する短いメールを作成した。
『西さくら小学校のエーアイ教師について、一度動作確認をお願いしたい。通常とは異なる挙動が見られる可能性があります。』
深く考えたわけではない。そんな簡単な内容で、少し適当に色をつけて、送信した。念のため確認してもらえれば、それで終わる話だと思っていた。これで、母校に行ければラッキー。送信ボタンを押した加藤は、コーヒーを一口飲みながら窓の外へ目を向けた。まさか、その一本のメールが、物語を大きく動かすことになるとは、この時の加藤あきは、知る由もなかった。
文部科学省エーアイ総務課――エーアイ教師派遣係。窓のない執務室には、キーボードを打つ音だけが静かに響いていた。係長の安藤マサルは、朝一番に届いた一通の報告メールを開き、眉をひそめた。
件名 西さくら小学校におけるエーアイ教師の異常行動について
本文は短かった。
「理科担当のエーアイ教師が、教育プログラムにない発言を繰り返しています。至急、確認をお願いします。」
安藤は、もう一度メールを読み返した。
「教育プログラムにない発言……?」
思わず、小さくつぶやく。現在、東京都内の公立学校では、教師はすべてエーアイ化されていた。学校に配置されている人間は、校長や副校長などの管理職と、事務職員だけである。もし教育活動に人間が関わる必要が生じた場合は、エーアイ教師の維持管理が難しい離島や山間部、あるいは温度調整が難しい北海道や沖縄などの特別管理地区へ配置転換することが、学校教育基本法の規定で定められていた。だからこそ、この報告は見過ごせなかった。エーアイ教師がプログラムどおりに動いていないのか。それとも、誰かがシステムに不正な干渉をしたのか。安藤は席を立ち、隣のデスクに声をかけた。
「加藤さん、ちょっといいか。」
若い職員が顔を上げる。
「はい、係長。」
「江戸川区の西さくら小学校で、少し気になる報告が入った。現地を確認しよう。」
加藤あきは端末を閉じると、すぐに立ち上がった。
「公用車を手配しますか?」
「いや、自動運転車で十分だ。学校には連絡を入れずに向かう。」
「抜き打ちですか。」
「ああ。本当に異常があるなら、普段の様子を見たい。」
加藤あきは、ニヤッとした。
この後、物語は大きく展開していきます。さて、文部科学省からの視察は、この後どんな展開になっていくのでしょうか。




