第35話 走馬灯
「――タスカ! 手合わせ付き合ってよ!」
「いいね! やろっか」
「えータスカ、一緒にご飯食べようよ」
「じゃあ訓練後にね」
彼の背中を、幼い頃からずっと見てきた。
「おい、仕事は終わってるのか。また徹夜することになるぞ」
「バレたか。ほら、カンも訓練場行こうよ」
瑠璃色の柔らかな視線がこちらを捉え、手招く。記憶の中の彼の隣には常に誰かしら人がたかっていて、その中心から彼はこちらに光を差すのだ。
「いつも泣きながら夜なべするお前を誰が手伝ってやってると思ってんだ」
「あはは、いつも助かってます~」
「仕方がないな」
こちらも笑いながら、その輪の中に加わる。彼の光を享受するかのように。
「――俺さ、ずっと人に囲まれてると疲れちゃうんだと思う」
ある時ふと、タスカは独り言のように呟いた。仕事に飽きてきたのか、背もたれにだらりともたれかかって、逆さまになってこちらを見つめていた。
「意外だな。むしろ一人が嫌なタイプかと思っていた」
「うん。一人は嫌。でも、大勢はいらない。大事な人だけ――カンがいてくれれば十分」
そう言って、愛する妻を亡くしたタスカは微笑んだ。
きっと、ある種の驕りのようなものだった。タスカの仕事の補佐役は自分だった。タスカの好きなものも嫌いなものもよく知っていた。そして、みんなを救うタスカが、心を休める場所となるのが自分なのだと、信じて疑わなかった。
――なのに。あの日。彼が国王を暗殺して返ってきた、あの夜。
「さっさと片付けてやろう。結末はもう決まってる。カン、手伝ってくれるか」
今にも零れそうな涙を下瞼にどうにか押しとどめて、瑠璃の目が真っ直ぐにこちらを貫く。それを受け止めたとき、カンは否が応でも理解してしまった。
タスカはもう、届かぬ場所にいるのだと。
「――アンミを頼む」
最後に聞いたタスカの言葉は、愛する妻との間の息子を親友に託す、短い言葉だった。
確かに託された、なのに、結局瀕死のアンミを助けたのはタスカだった。アンミがハルウに遭遇したという情報を聞きつけて飛び出していったという彼が先に見つけた。
カンが到着した時にはもう、タスカは心臓を破壊されて、雨に血も流されて、空っぽになっていた。瞼を持ち上げて瞳孔を確認したときの瞳の黒さも、遺体を抱きかかえたときの妙な軽さも、記憶に染みついて離れなくなった。
「――馬鹿言ってんじゃないよ」
マダムに、平手打ちされた。武術を知らないたかが凡人の一撃のはずだった。なのにひどく重く頭を揺さぶらせた。
「次また言ったら今度は拳で殴るからね」
「悪かった」
口では謝りながら、頭の中でカンは言い訳を並べる。でも。だって。タスカの持つあのカリスマ性を、誰が真似できる。総長を引き継いだカンは、仕事こそできるものの、彼のようにはなれない。タスカのように、いるだけで皆を安心させるような存在には。
あるいは、アンミならなれるというのか。カンは知っている。ほとんど成り行きでカンが総長になったその裏では、アンミの登場を待ち望む組織員が少なからずいるということに。だが、今のアンミの体調を見れば誰だって彼には任せられないと思うだろう。カンが、アンミを守らなければ。休ませなければ。
「――俺が、総長をやるよ」
医局で告げられたアンミの声は、妙に響いて聞こえた。寝台の上に座るカンは、あぁ、と声にならない声を漏らして、タスカによく似た真っ直ぐな瞳を茫然と見つめていた。
カンは、総長の器ではない。とっくにわかっていたことだ。だが。
じゃあ、俺にできることはなんだ。俺にしかできないことは。
――心臓を刺された痛みに、声も出なかった。曇天の空を仰いで、芝生に倒れ込む。頭が回らない、呼吸もできない、手足の感覚もなくなって、何も見えない聞こえない。
タスカは、この痛みの中一人で死んでいったのか。
アンミは、この苦しみを抱えながら生きているのか。
――アンミ。
結局自分は最後まで、彼を救えなかった。むしろ苦しめる結果となってしまう。何も残せない。何も――
いや。そうはさせない。せめて、せめて、カンが任されていたこと、カンにしかできないこと、その埋め合わせを。魔王復活の問題に、道しるべを。
そうと決まれば急がなければ。この魂が、永遠の輪廻へと還ってしまう前に。




