第七話 天使とペテン師・5
「うーん。難しいな」
「だって、みんなが自分にとって都合のいいことしか言ってくれないなら、独り言でいいじゃないか」
「人に言ってもらえるからいい、っていうことはない?」
「いつか限界が来るよ。この人たち、いつも同じことしか言わないなって」
「そうかあ。僕、優しくされたら嬉しいけどなあ」
「それもいつか限界が来る。いや、自分にとっての優しさしか持ってないなら、自分で自分に優しくしてあげればいいのであって他人の存在は必要ない」
「でもな〜。やなやついると、やっぱムカつくし」
「そうだね。だから、いろんな人がいるから面白い、って思えたらいいんだろうね。それがリアルだよ」
「大人になればそう思えるようになるのかな?」
「わかんないけどね」
「山岡だよ」コンコン、とノックした。「西宮くんいる?」
「いるよ。入っていいよ」
「お邪魔します」と、志郎は部室内に入っていった。「今日もかわいらしい空間が」
「そうだな」
沈黙。
異変は変わらずそこにあったが、危険なものではない。
テディベアを抱いた燎の前に、志郎は座った。
「愚痴があったらぜひ」
「あのさ」
食い気味に話すので、志郎は一瞬たじろいだ。
「うん」
「ぬいぐるみのことなんだけど」
「うん」
「この子たち、みんな俺に優しくしてくれるんだ」
「いいことじゃないか」
「違うんだよ」
と、燎はうなだれた。
「みんな、優しいんだ。俺のこと気遣ってくれる。肯定してくれるし、受け入れてくれるんだ。それでこの二週間ほんと救われたんだ。わかるだろ」
「わかるよ。優しい人がいれば救われるよね」
「違うんだよ。昨日、山岡にずっと愚痴って––––」
「僕?」
「この子たちは燎は悪くない燎のせいじゃないってずっと言ってくれてる。嬉しいんだ。でも、結局俺が言ってほしいことしか言ってくれない。そりゃそうだよな、俺が言ってほしいことを言ってもらってるんだもん。いや、違うんだよ。違うんだよ」
「……」
「俺、姉の本を勝手に売ったこと、ずっともやもやしてて。気になってたなら家族に確認すればよかったんだって。すげー反省してて」
「それはなんとも言えないけど、西宮くんが反省すべきだと思ってるなら反省でいいんだと思うよ」
「でもそれなら俺も言わせてもらえば、家のことこの二年間他の家族に丸投げだったくせにって思うんだよ」
「そうだね。お姉さんもよくない。だから、どっちもどっち、ってことなんだろうね」
『どっちもどっちだ』
「どっちもどっちか」
「ただ」と、志郎は言った。「西宮くんは自分のミスを反省してるけど、お姉さんはそうでもなさそうなら、それ以上西宮くんが自分を責める必要はないよ」
「……」
「たぶん、そのもやもやはしばらくの間続くと思うんだけど、お姉さんがどう思っているかはお姉さんの問題であって西宮くんには言われない限りわからないわけだから、お姉さんの気持ちを考えても仕方がない」
『しょうがねえな』
「仕方がない……」
「うん。西宮くんは反省してる。罪悪感がある。そして今回の問題の問題点も発見できている。それならそれ以上罪悪感も自己嫌悪も抱く必要はないよ。あとはお姉さんが西宮くんとどう付き合っていきたいかが問題であって、その問題に関しては西宮くんが考えることじゃない。お姉さんの問題だからね」
「……」
燎は顔を上げた。
泣いていた。
「俺、俺はさあ。家族とか、友達とかに話聞いてもらっててさあ、うまくいかないなあって。なんでこいつら話聞いてくれないんだろって」
「そういうふうに思ってしまった時点で、それ以上相談したのは、西宮くんのミスだね」
「うう……」
「こないだも言ったけど、助けは助けてくれる人に求めないとね」志郎はちょっと迷ったが、言ってみた。「僕とかでよければ」
「俺、俺は。この子たちが話聞いてくれて、肯定してくれて。だからこの子たちがいればいいやって思ってて、でも、でもさ。この子たちが慰めてくれればくれるほど山岡の方がいいってずっと、ずっと思って、そしたらなんか、この子たち、いらない、みたいな––––」
志郎は燎の精神操作を開始し、燎から能力を引き出して消滅させた。
「––––え?」
「え?」
「いやだから、この子たちが」
「この子たちが」
「そう。この」
そこで燎は、ぬいぐるみたちの自律が停止していることに気づいた。
「あ、あれ? みんななんで? おーい。燎だよ。おーい」
「動かなくなっちゃったね」
「え、なんで? なんでだ? どうしてだ?」
志郎は断言した。
「西宮くんならもう大丈夫だね、って思ったから、魔法が解けたのかな?」
「……」
「これで、西宮くんにとって都合のいいことを“だけ”を言ってくれる存在はいなくなっちゃったみたいだけど––––」
「……」
沈黙。
燎が、やがて口を開いた。
「あのさ。今日はもう」
「うん。明日も来ようか」
「いや。もういい。いや、ありがとな。ありがとう」
「どう致しまして」
その後しばらく会話をしたのち、志郎は去っていった。
部室に“一人”残された燎は、やがて、どこか清々しい顔をしてぬいぐるみたちを所定の場所に置き、そして、帰っていった。
翌日。
教室でホームルームを終え、一時限目の支度をしていた志郎に、総一朗が声をかけた。
「志郎。西宮が来てるよ」
「西宮くん?」
「くまを抱えている」
「くま?」
志郎は出入り口に向かっていった。するとそこには、コンテストで優勝した際のテディベアを抱いた燎がいた。三日間ずっと燎が抱いていたベアだった。
「西宮くん」
「悪いな、準備中に」
「いや、それは大丈夫。でも、西宮くんも準備しないといけないんじゃ?」
「いや、俺、今日発つことになったんだ」
志郎はびっくりした。
「来週では?」
「まあ、予定が更に早まって。学校の手続きは全部完了してるんだけど」
「そうか。残念だなあ」
「うん。それでさ、この子」と、燎は志郎にテディベアを差し出した。「この子、山岡にもらってほしいんだ」
「僕に?」
「うん。なんか、確かにスマホでやり取り自体はできるけど、なんか、山岡にもらってほしくて」
「いいの? 優勝したやつだよね」
「うん。俺の宝物だから、山岡にあげる」
志郎は少し迷ったが、テディベアを受け取った。
「宝物をもらっていいの?」
「うん。いいんだ」
燎の表情は清々しいの一言だった。
「俺、この子たちがいてくれてよかったと思ってるんだ。ほんとだよ。でもなんか、それはこの子たちの役割じゃないよなーって。肯定されるのは嬉しいんだけど、なんか、山岡の肯定っぷりとはちょっと違ってるっていうか。なんていうか、生まれて初めてとは言わないけど、他人と話をしているって思えて。山岡には、前々からいろいろ話は聞いてもらってたはずなのに、なんでだろ」
「お役に立てたなら何より」
「うん。もやもやはしたままなんだけど」
「結論は結局、自分自身が導き出すしかないよ。でも、それって別に独りぼっちで戦うわけじゃない。他人にしかできないこともあるからね」
燎は、へへ、と笑った。
「これからは、助けは助けてくれる人に求めることにするよ」
「そうだね。その方が安全だね。じゃなきゃ、病んじゃう」
「へへ。だな。……それにしても」
と、燎は訝しんだ。
「なんであんな、漫画みたいなことが起こったんだろ?」
「ストレスじゃない?」と、志郎は即答した。「思春期だし」
「思春期って……ストレスで魔法って使えるようになるの?」
「さあ。わかんないけど、世の中奇跡なことっていうのはあるからね。洞窟の中に入った人が行方不明になったみたいな」
「うーむ。いまひとつ納得というか、理解できないが……」
だからといってそんなことが自分に起こるなんて、と、どうしても理解が及ばない燎に、そのまま志郎は畳みかける。
「だから、またこんなことがあるかもしれないよ。そしたらそのときのことはそのときまた考えればいいよ。少なくとも、もう魔法は使えなくなったんだから、いまそれ以上考えても意味がない」
志郎は微笑んだ。
「わかんないけどね」
燎はやがて、そういうことかもな、と、うなずき、微笑む。
そして、志郎と向き直った。
「じゃ、また連絡する」
「うん。あ、よかったら僕の愚痴も聞いてくれたら」
「今日は体育だもんな!」
はは、と、燎は笑った。
「それじゃ!」
「うん。頑張りすぎないように頑張りましょう」
「お互いにな〜!」
そして二人は別れていった。清々しい別れだった。
テディベアを抱え教室に戻る志郎が注目を集めないわけがない。しかもそれは燎がコンテストで優勝した作品なのだ。
総一朗が目を丸くする。「それ、もらったの?」
「うん。大切にしよっと」
「へえ。よかったな」
「うん。ほんとにね」
本当によかった、と、志郎は思う。
肯定と受容の違い、という精神医学上の知識をもとに考えると、おそらく燎が自律させていたぬいぐるみたちはただただ燎の肯定“のみ”をし続け、それは受容まではいかなかったのだろう、と志郎は思う。
自分の登場により、この二週間ひたすら全肯定され続けていた燎に異変が生じた。そのとき、ぬいぐるみたちを必要としなくなり始める。それは、自分自身の能力を必要としなくなる、ということだった。それだけなら何の問題もないが、問題は燎の能力が暴走しかねなかったことだった。異変は一気に危険な領域へと突入したから、あのまま放っておいたら、例えば全人類が全肯定され続けるという世界の終わりが訪れていたかもしれない。そういう破滅もあるだろう、と志郎は思う。人は痛みがなければ前に進めない。受容と共感の勉強をする度に志郎はそう思うのだった。
なんだかんだ、人は一人ではないのだから。
アパートの本棚を少し片づけ、そこにテディベアを置いた。
「これからよろしくね。くまタロー」
と、ベアの右腕と握手した。くまタローというのは総一朗の「名前は?」という質問に対して、志郎がつけた名前だった。ちなみに名前の由来はアメリカのホームドラマ「フルハウス」から来ているが、総一朗には何のことだかわからない。
「さて、それではバイトに行かなければ」
それにしても不思議な三日間だった。まるでおとぎ話の世界にいたかのようだった。
どう考えても燎のソーイングセットを手に取ったことが発端だとしか思えなかったが、それにしてもよくアメリカに引っ越す直前の凄まじいタイミングで関われたものだ、と、志郎は思う。
運命が自動的に仕組まれていた––––ということかもしれないが、そこは考えても仕方がなかった。燎に説明した通り、それは自分が考える問題ではないのだから。たとえそうだとしても、結局その中でなんとかやっていくしかないし、今回、とりあえずはなんとかできたと志郎は思う。それ以上は悩んでいても時間の無駄だ。なんといっても神様の真意など人間には計り知れないのだから。
準備を済ませ、セブンスターをひとしきり楽しんだのち、志郎は玄関へと向かった。
「じゃ、行ってきます」
一瞬、くまタローの右手が動いたような気がした。
異変は何もない。
「気のせいか」
そうとしか思えなかったが、志郎はなんとなく、行ってらっしゃい、と言ってくれているような気がして、少しはにかんだ。一人で行ってきます、と独り言を言うより、なんだかこれからとても楽しい気持ちで毎日を送ることができるのではないか、と、なんとなく嬉しく思った。
今日も仕事だ。




