宣戦布告
春風がソフィエに恋をして、規格外の巨大なゴレムを召喚しそうになった日、デルタは珍しく朝イチから学校を不在にしていた。
まだ太陽が顔を出したばかりの早朝、ブリテン聖教会から来た使者に連れられて審問のためにブリテン聖教会中央聖堂司祭室へ出頭していた。
使者が伝えた用向きは至極明快で、昨晩侵入者があったという報告をはじまりの泉の衛兵から受けたので報告に来るように、との事だった。
この使者の存在が、敵は予想よりはるかに強大であるとデルタに悟らせた。
ブリテン聖教会は時として王国の命によって動く。
もしこの使者が国王の命を受けていれば、勅書を持ってやってくるはずだった。
しかし使者はブリテン聖教会の使いで来たとだけ言いった。
国王の意向とは別の意思を持って聖教会が動いていた。
王国の月落人奪取を目論む敵は、ブリテン聖教会に間違いなかった。
そして恐ろしいことに、この使者は正面から正々堂々やってきて名乗った。
隠密行動をやめたという事であり、国王を敵に回しても自分達の方が強いという自信の現れだった。
国王に頼まれて分校の校長をしているデルタにとってこれはもはや宣戦布告に等しかった。
出頭を了承したデルタは、使いの者とともに転送魔法でブリテン聖教会の中央聖堂へ赴いた。
門前から衛兵神官に案内され、中央聖堂一階奥のウォーリスの執事室へ通された。
出迎えたのはウォーリス一人で、機嫌のよい笑顔を見せると
「デルタ先生。わざわざお越し頂いて恐縮です」
と言った。
ウォーリスは百九十センチメートルを越える長身の初老男で、なで肩のせいでローブに張りがなく一見ずいぶんと細くて弱そうに見えるが体躯はしっかりしていた。
淡い栗色の短髪に面長の顔で、ほとんどないと言っていいほど薄い眉に切長の垂れ目の顔が、間の抜けた風貌でなかったのは、秘めたウォーリスの知性がたまに見せる鋭い目つきとすっと伸びた高い鼻、そして薄ら笑いがよく似合う口のせいだった。
百三十センチメートルに満たないデルタと並ぶとまるで巨人のように見えるウォーリスは、ゆっくりと優しい物腰でデルタをソファに勧めてから自らお茶を入れ、はるばる来た分校の校長兼先輩の魔術師にどうぞ、と差し出してから腰掛けた。
ソファに相対して座った二人は、お互いに当たり障りない世辞を言い合った後、急に本題に入った。
「率直にお聞きしますが、捕獲しましたか?」
ウォーリスは目を閉じて茶をすするデルタを見て聞いたが、侵入者をとも月落人をとも言わなかった。
「いいえ。我々もすぐに動きましたが、すでにおりませんでした」
「分校の関係者が捕獲するのを見た、という者がおりまして」
「はて。もしそういう事があれば私の耳に入っているはずですが」
「知らない、と?」
「ええ。残念ながら」
ずずっと茶を啜ったデルタは
「そちらは何か収穫がおありで?」
と聞いた。
「ええ。重要な手がかりを得ました」
「ほう。それはいったい?」
「滅多な事は言えませんので、はっきりしてからお伝えしますが...」
ウォーリスは勿体をつけた。
デルタは黙ったまま動じない。
「どうやら子供が関係しているようです。それも猫獣人の」
ウォーリスはいきなり切り札を切った。
ウォーリスは回収した物が猫獣人用の、しかも子供の靴下だとドイルから報告を受けて知っていたが、それが分校の生徒の物だとは知らなかったしマロンの靴下だとも知らなかった。
だが、分校に猫獣人の生徒がいる事は知っていた。
ウォーリスは校長就任に当たり、剣武大会の優勝旗奪還を王族の一部から厳命されていたが、これまでの剣武大会上位者はここ数年ずっと分校の生徒が占めていて、選手を調べたところその中に猫獣人がいる事を知った。
泉と分校の距離を考えれば分校の生徒が泉へ進入する事は可能だったし、衛兵の屯所下の階段ではなくあの崖を下ったのだとしたら、人間には無理な芸当だった。
魔法で侵入した可能性もあるが、よほどの手練れでなければ発生した魔法陣の光で発見されるはずだった。
泉への無断侵入は下手をすれば死罪もあり得る重罪だったし、もしデルタが知っていて見逃していたのなら同罪として追求できる格好の切り札だった。
生徒思いなデルタなら生徒の命を駆け引きに使えば月落人を渡すかもしれないとウォーリスは目論み、デルタの動揺を誘うべくカマをかけたのだった。
「猫獣人の子供が関係している?」
お茶を置いたデルタがウォーリスに聞き返した。
ウォーリスはデルタを注意深く見た。
動揺は微塵も見られない。
自分の推論に自信はあったが、デルタから綻びを取り出すのはなかなか難しそうだと思ったウォーリスはさらに切り込んだ。
「よもやないとは思いますが、分校の生徒が侵入しているなどはありますまいな?」
「はっはっは。私の力をお疑いかな?それとも見て見ぬふりをしていたと?」
デルタは笑ってそう言った。
「お気を悪くされたなら謝ります。職務ですので何卒」
「すべての神に誓って」
とデルタは言った。
ウォーリスは切り札を捨て駒にしてしまったが、彼もまた動じていなかった。
「この審問は形式上の事ですから」とウォーリスは笑い、
「ところで」
と切り出した。




