呪体
黒革の本にはこの召喚魔法を使うための完全な一文が書いてあった。
しかし春風は最後の「発動」のための一文しか読み上げなかった。
魔術書の呪文は、「導入」、「調整」、「発動」の三つから成り立っている。
安全性において特に重要なのは「調整」の一文で、この部分には万が一魔法が暴走した場合に魔法を止める電気機器で言うならヒューズやブレーカーにあたる文言があった。
「導入」による召喚規模の規定も「調整」の安全性も欠き、詠唱者の命を危険に晒す不安定な状態で「発動」した「大地の我が子」の呪文は暴走した。
古代魔法の根源力は怒りと悲しみであり、ゆえに古代魔法は暗黒魔法としてこの時代の禁忌魔法に指定されていた。
常人なら死んでもおかしくないほどの怒りと悲しみが春風の心を覆った。
「うわあぁぁ!!」
心臓が破壊されんばかりに収縮と膨張を繰り返した時、心臓を形作る無尽蔵のマナの光が春風の心と体をを乗っ取ろうとした呪文の効力を跳ね返した。
それはまるで同極の磁石が弾き合うかのようだった。
春風の体の中の暗黒マナは煙となって体内から一気に吐き出されると、出来上がった魔法陣を維持すべく周囲の最も強力なマナ、すなわち校庭へと引き寄せられた。
黒煙は校舎から校庭へ瞬時に移動し、校庭の上に大きな魔法陣が発生した。
宙に浮いていた春風は焦げた匂いとともに口から黒い煙を吐き出しながら医務室の中央へ倒れ込んだ。
血走った目や禍々しい顔つきも徐々に消えていったが、春風の衰弱は止まらなかった。
一旦発生した魔法陣は解除されるまで詠唱者との連動をやめない。
校庭の魔法陣はまだ春風と連動していた。
ゴレムの生成に必要なマナは校庭のマナを取り込み続けながら、春風の中のマナも取り込こうと黒煙は何度も春風を襲った。
医務室の床に倒れた春風は内臓を引き裂かれるような苦痛に声も出せずにのたうち回った。
校庭一面に広がった赤い魔法陣が広がるの止めた。
巨大すぎる魔法陣が完成した。
校庭の土の中から地鳴りと稲光と共に土の泥人形ゴレムが姿を見せ始めた。
春風の悲鳴で駆けつけたソフィエは、黒い煙にまとわりつかれてのたうち回る春風を見て血の気が引いた。
呪文に取り込まれる「呪体」の症状だった。
呪体は自分が制御できない魔法を唱えた人間が呪文に取り込まれる急性症状で死の危険性もあった。
通常、詠唱者を魔法陣の外に出せば魔法は解除され呪体から逃れる事ができる。
しかし、医務室に魔法陣は発生していなかった。
ソフィエはすぐ校庭の赤い光と大きな稲光、そして大地が割れるような轟音に気がつきさらに血の気が引いた。
校庭に移動した魔法陣は想像を絶するほどに大き過ぎた。
ソフィエが医務室の窓から見たゴレムは指でしかなかった。
魔法陣に比例してゴレムもまた大き過ぎた。
指だけで通常の大きさのゴレムを凌ぐ巨大ゴレムの腕と顔、そして上半身が校庭から姿を出した。
「ゴオォォォゥ!!」
校舎よりはるかに大きな顔の四角い口が開き咆哮した。
ソフィエは耳を押さえながら杖立てへ行き自分の杖を取るとすぐに制御魔法「大地の解放」を唱えた。
「我、乙女の守護神バリスの子ソフィエ!精霊たちに告ぐ!大地を解放せしめよ!」
制御魔法「大地の解放」は大地に潜む全ての精霊を解放する魔法だった。
校庭の土に含まれるマナから、光の球となって精霊が飛び出し、空に拡散していく。
だがソフィエの精霊魔法持ってしても暴走した魔法陣からゴレムが出てくるのを食い止めるのがやっとだった。
このままソフィエが魔法を続ければ、ゴレムはいずれ押さえられたかもしれない。
しかし時間がなかった。
ソフィエが春風に目をやると、衰弱した春風の息が弱くなっていくのが見てとれた。
早く魔法を解除しないと死んでしまうかもしれない。
制御魔法以外の魔法で対応するしかないと覚悟した矢先、騒ぎに気づいた教師が一人校庭へ飛び出してきた。
ヨランダンだった。
「大地の精霊デュードよ!精霊王ノードラの盟友ヨランダン・デュマの名において命ず!光と水となれ!精霊変換!」
校庭の端に立って両手を広げて叫んだヨランダンの外巻きの栗毛が逆立ち、雷に打たれたかのように光った。
いつもの温和な顔と全く違う怒りの顔つきになったヨランダンはまるで両手をオーケストラを指揮をするかのように動かした。
その動きに呼応するかのうように校庭から光が溢れ出し、校庭の上空に集まった光は雲になっていった。
校庭の光と雲、そしてゴレムの収縮を窓から見たソフィエは、騒それがヨランダンの魔法だと知った。
魔法陣は徐々に萎んでいき、ゴーレムは校庭の土の中へ沈んでいった。
すぐに春風の治療にかかろうとソフィエが振り返るとゲンスイとトトが駆け込んできた。
春風を見るなり、
「こりゃいかん!」
と叫んだゲンスイは、医務室の棚にあった青色の小瓶を持ってきて瓶を封しているコルク蓋に刻まれた目盛りを目一杯解放に回して春風の口に当てた。
瓶の中身は精霊の混合体で呪体に対する解毒用に調合されたものだった。
主成分の光の精霊のマナが発光しながら液体とも気体ともつかない流動体が春風の口から入ると、体内に残っていた黒い煙が一気に体外へ排出されていった。
「ずいぶんマナが抜けとる!トト!」
トトは神聖魔法の「躍動する生命」を唱えた。
春風の体を神聖魔法の光が包んだ。
トトは一人前の魔術師だったが、春風から抜け出たマナを補充するには不十分だった。
春風の消耗は止まず、黒い煙が抜けてなおほとんど息をしていなかった。
ゴレムの消失を見届けたソフィエが澄んだ声で神聖魔法を詠唱した。
「乙女の守護神バリスよ。汝の子ソフィエ・ヒストリアに汝の力を授け、彷徨える命を救い給え!躍動する生命!」
部屋中を包み込むほどの大きな光が発生した。
ソフィエが唱えた魔法はトトが唱えた魔法と同じだったが、信仰の程度が違った。
トトの神への信仰が弱いわけではなく、ソフィエのそれがずば抜けていた。
光が春風に集約し全身を包むと顔に血の気が戻り、春風は鳥の巣に続きここでもまた命を拾った。




