卒業式と嬉しい知らせ
冷たい風に紛れ込むように、時折あたたかい春を思わせる日差しが降り注ぐ。
名前を呼ばれ振り返ると、学校の制服を着た愛理と咲の姿があった。
彼女たちの背後にはもうすぐ通って一年になる校舎がある。今いるのは前に先輩と二人でご飯を食べた場所だった。
本当は休みのはずの三月一日に学校に来ていた。
先輩とは会う約束もして、本当は来る気がなかったのに足を運んだのは昨夜に愛理から電話がかかってきて、先輩の制服が見納めになる事を聞かされたからだった。
愛理の携帯が鳴る。少し呆れたような表情に兄からかかってきたのだと気づく。
彼女は携帯を手に校舎に目くばせする。
「しばらくここで待っていようか」
卒業式は少し前に終わり、各クラスでホームルームをしている時間だ。廊下からざわめきが聞こえてくる。
その時、愛理の携帯が鳴る。彼女は口角をあげて微笑んだ。
「お兄ちゃんたちの教室に行こうか。もう誰もいないんだって」
まだ見知らぬ室内に戸惑っていると、愛理の言葉が背中を押す。
「一度見てみたいでしょう? 西原先輩が一年間過ごした教室」
彼女はわたしのツボをしっかりとついてくる。 校舎の中は休みの日のように驚くほど閑散としていた。三年生らしい人の姿を見ることはあったが、知っている人もいれば知らない人もいた。階段をあがるとより静けさが増す。
いつも通っている学校とはどこか違っていて、本当にこの中に先輩がいるんだってことが嘘みたいに、しんと静まり返っている。四階まで行くと明かりが漏れている。それは先輩のいる教室だった。
愛理は教室の前に行くと扉を開ける。わたしはその背後から教室を覗き込んだ。教室内には依田先輩、西原先輩、宮脇先輩の姿があり、三人とも扉を凝視している。
机の上に誰かのか分からないが花束が置いてあった。
「やっと来たか」
そう言ったのは依田先輩で、いつものように笑顔を浮かべている。
西原先輩はちょっと疲れたような顔をしていた。
同じフロアにあるとは思えないほど特別に感じる教室の中に入る。三年の教室というだけで特別な感じがしてきてしまう。
「わたしの席はあそこで、稜と依田君の席はここだよ」
宮脇先輩が笑顔で先輩の席は窓際から一列挟んだ列の二番目で依田先輩の席はその前だった。今、二人が座っている席だ。
宮脇先輩と愛理が目を合わせる。宮脇先輩はさっと机まで行くと置いていた花や鞄を手に取る。
「わたしたちは一足早く帰るね」
「愛理」
驚いた依田先輩もわたしたちにじゃ、と声をかけると咲を見た。 咲のところに行くと何かを話しかける。
「写真、撮ってあげるよ。高校の思い出にね。寄って」
彼女は笑うと、鞄からデジカメを取り出した。
「先輩は写真が嫌いだから」
わたしの声を打ち消すように大きな手がわたしの肩をつかんだ。何が起こったか理解できないでいるとシャッター音が響く。そして、先輩の手が離れた。
「プリントしたらあげるね」
四人はわたしたちに挨拶をすると教室を出ていってしまった。
「俺達も帰るか」
先輩はそう言うと、いつも通りの顔で鞄を手にした。わたしと同じ緊張を彼が感じていないのが少し寂しい。それでも、高鳴る心臓の音を抑えながら歩いていく先輩を呼び止める。
先輩はゆっくりと振り返った。
「卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
先輩は一瞬目を見開くが、笑顔になる。
教室を出ると人気はなく、わたしたち二人だけが取り残されたように静かだった。
あの雪の日のような寂しさはなかった。
昇降口を出るとちらほら人影を見つける。女の子が少し背の高い男の人に話しかけている姿を見つけた。頬を染めた女の子と、困ったような笑みを浮かべている男の人を見て、告白しているんだ、とすぐに分かる。
だが、先輩はお構いなしに歩を進める。わたしは慌てて彼の後を追った。
「先輩は好きな人に告白しないの?」
「しないよ」
勇気を込めた問いかけをあっさり打ち消す。
「どうして?」
「別にいいって思えたから」
先輩は目を細めて、すごく優しい表情を浮べていた。その相手がずっと宮脇先輩だと思っていた。誰が先輩をそんなに優しい表情にさせるんだろう。その誰かが羨ましかった。
「その人の恋人になりたくないの?」
「なれるならなりたいけど。お前も俺のことばっかり気にしないで、自分のことでも考えていろよ。どうせ告白さえできてないんだろう」
「先輩だってしていないじゃないですか」
「俺はいいんだよ」
先輩の携帯が鳴り、彼はそっと視線を落とす。小さく息を漏らした。
「どうかしました?」
先輩の手がわたしの頭に触れる。
「お前も難儀だなって思ってさ」
「何が?」
「帰ろうか」
先輩は歩き出す。わたしはそんな先輩の後姿を眺めていた。
今までのように二人とも制服を着て歩くというのも最後になるんだ。
そう思うと、やっぱり不思議な気分になってくる。
わたしの家の前で、先輩は足を止める。
「受験さえ終わればいつでもいいから、買い物につきあってやるよ」
わたしはその言葉にうなずいていた。
先輩はノブ手を触れ、鞄から鍵を取り出して鍵穴に差し込む。
「またな」
先輩は家の中に入っていく。
わたしはその先輩の後姿をただ見守っていた。
それからしばらくして、先輩への合格の連絡が届いた。宮脇先輩も合格したと先輩と愛理から聞いた。




