気持ちの変化
わたしはブーツを履き、外に出る。何気なく先輩の家を見る。今日は休日なので、先輩に今から会うということはない。
息を吐くと、白い塊が口の周りをさまよい、すぐに消えていく。今日はいつもより冷える。もう季節は冬の足音が耳に届くようになっていた。
エレベータまで行くとちょうど止まっていたので乗り込む。ドアを閉めると、一階のボタンを押した。
あれから何かが変わったことはなかった。先輩と宮脇先輩が一緒にいるのはよく目にし、心が痛むことはあった。だが、同時に西原先輩と一緒にいて笑顔を浮かべている宮脇先輩を見ていると、どこかほっとしていた。あの日から一度も頭から離れない宮脇先輩の悲しい顔を打ち消したような気分になれるからだ。どこかで二人がお似合いだということも認めていたんだろうか。
もし、今は西原先輩が宮脇先輩のことが好きで、昔のことがあって、二の足を踏んでいるだけだったら、それでもいいって思えた。それは咲が言っていた気持ちとほんの少し似ている気がした。
エレベーターが止まり外に出る。一つだけライトのともったエントランスの外に出る。待ち構えていたように駆け抜けていく突風に思わず身を怯ませた。
今日は愛理の家に行く予定だったのだ。愛理の誕生日と咲の誕生日を祝うためだ。
愛理の誕生日はもう既に終わっているが、彼女が自分だけを祝うのには抵抗があったのか、誕生会がしたいと言ったわたしに咲と一緒なら誕生日を祝ってもいいと言ってくれたのだ。咲のプレゼントは一足早く買い愛理に保管してもらっている。
もう来月には先輩の誕生日になり、その次の月にはわたしの誕生日がある。だが、冬といえばもう一つ興味津々なことがあった。
背後から足音が聞こえ顔を上げる。そこには黒のブルゾンにジーンズ姿の先輩があったのだ。
「髪の毛」
彼はそう声を漏らすと、わたしの傍まで歩いてきて、髪の毛を整える。
少し胸を痛めながら、彼の手が離れるのを待つ。
風がまた流れる。だが、さらさらの先輩の髪は同じ風でも大きく乱れることはなかった。
「おでかけですか?」
「母親が風邪気味で代わりに買い物に行こうかな、と」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ」
彼は一度わたしをじっと見る。
「今日だっけ? 前原さんの誕生日会って」
「そうですよ。一応、愛理のもでもあるんですけどね」
先輩がそう言ったのは愛理が先輩に咲の誕生日会をすると話をしてしまったからだ。
咲の誕生日は十一月の末で、二学期を締める期末試験が二週間後に迫っていた。
愛理や咲はテストが終わってからと言っていたが、わたしができるだけ誕生日に近い日がいいと今日を希望したのだ。
「そっか。おめでとうと言っておいて」
わたしは彼の言葉を笑顔で受け止める。
わたしたちは途中まで一緒ということで、一緒に行くことになった。
「今年は雪、降るかなあ」
わたしは白くなった寒空を見ながら、言葉を漏らす。
「雪、好きなんだ」
「大好きです。一度、ゆきだるまを作ってみたいの。前住んでいたところは全く降らなかったんです」
わたしにとっては雪は生活の邪魔になるものではなく、幻想的なクリスマスのイルミネーションに似た特別なものだったのだ。
その言葉に先輩は笑っていた。
「お前らしくていいと思うよ」
「わたしらしいって?」
「そのままの意味」
そう言うと、先輩は歩き出す。
わたしは首をかしげながらも先輩の後を追う。
春には遠かったこの並んで歩くということがいつの間にかわたしにとっては見慣れたものとなっていた。その一つに最近、一緒に学校に行くことが多くなっていたこともあるんだろう。残り少ない日数、先輩と一緒に学校に行きたかったから時間を合わせていた。先輩は毎日会うわたしに変な顔をせずに、一緒に学校まで行ってくれていた。
先輩が誰かから告白されたという話は何度か聞いた。でも、今でも先輩に彼女はいなかった。先輩は誰から告白されても断り続けているようで、そのことに今までとは違う理由で安心していたのだ。
先輩と途中で別れ、愛理の家まで行く。以前行ったときは咲に連れて行ってもらったが、近くまで先輩と一緒だったこともありそんなに迷うことはなかった。チャイムを鳴らすと、すぐに愛理の声が届く。
名前を名乗ると彼女はすぐにドアを開けて中に通してくれた。
彼女は胸元に軽いフリルのついた服にジーンズを履いていた。どんな格好をしていようと、彼女はかっこよく見える。
ドアを開け、わたしをリビングに招く。だが、そこには人気がない。
「咲はさっき来たよ」
「咲は?」
「部屋」
そのとき、ドアが開き、咲がもどってきた。彼女が着ていたのはモヘアのワンピースだ。細かな繊維が静かに光り、彼女の体のラインに沿うように曲線を描いている。髪の毛はいつものように垂らしていた。彼女は会釈を浮かべるとソファに座る。
愛理がわたしたちの傍から離れ、白のビニール袋を手に戻ってきた。それを咲に渡す。
「誕生日プレゼント」
彼女はお礼をいいそれを受け取る。彼女は袋から取り出して、驚いたように目を見張る。
「こんなのもらっていいの?」
「いいよ。ね?」
愛理の言葉にわたしは頷いた。
彼女は戸惑いながらもジャケットを手に取る。わたしたちが買ったのは黒の綿素材のジャケットだ。
彼女にほしいものを聞いても決められないのか、学校で使えるノートやペンでいいと言い出したのだ。それに真っ先に反応したのが愛理で、わたしと愛理で勝手に誕生日プレゼントを決めることにしたのだ。
「でも、やっぱり返す」
咲はそれを丁寧に袋に戻すと、愛理に渡す。だが、愛理が受け取るわけもない。
「今更返品なんて無理。受け取ってくれないと、無駄になっちゃうよ」
「でも、高かったんじゃないの?」
「わたしの誕生日プレゼントもそこそこしたんでしょう。それに三人で払ったからそんなにしなかったよ」
その言葉に咲は眉をひそめていた。
「まさか」
「うん。お兄ちゃんに聞いたら出してくれるんだって。だから意外と割安だったんだ」
咲は一歩引いた表情で洋服を見つめていた。
「先輩にまで迷惑をかけて、悪くないかな」
「別にお返しはいらないって言っていたよ。好意は受け取っておけばいいの」
愛理に肩をたたかれ、困ったような表情を浮かべていた。
正確な経緯は少し違っていた。あらかじめ予算は決めておいたのだが、どうしても咲にこっちのほうが似合いそうだということで、二人で相談し、それを買うことに決めたのだ。友達の誕生日プレゼントを金額で選ぶつもりはなく、金額的にも許容範囲だったのでそれで納得していた。
だが、あとから愛理が先輩に相談したらしく、三等分することになったのだ。先輩に声をかけたのは必要以上に咲に悪いと思わせたくなかったからかもしれない。




