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隣の先輩  作者: 沢村茜
第八章 ほろ苦い夏
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先輩のぬくもり

 花火の後片付けは依田先輩たちがしてくれるそうだ。


 この時期はどうしても汗をかいてしまうため、私たちは愛理の家でシャワーだけ借りることになった。


「わたしは布団を出しておくよ。どこで眠る? わたしの部屋でもいいけど、狭いよね。三人でもいけなくもないとは思うけど」


 眉間にしわを寄せた愛理の足元に二つの影が届く。

 依田先輩だと西原先輩だ。

 花火の後片付けを終え、戻ってきたのだろう。


「二階の客間を使えば? 新しいタオルケットもあったし、母さんはそこに泊まると思っていたみたいだよ。稜が泊まるなら俺の部屋に連れて行くから」

「それがいいかもね」


 どうやらそこで眠ることになったようだ。

 わたしたちは愛理と一緒に客間に行ってから、シャワーを浴びることになった。

 咲が先にシャワーを浴び、案内するために愛理も一緒に出ていく。

 わたしはクーラーの効いた客間で座る。

 咲と普通に話せそうだったので、ほっと胸をなでおろす。


 少しして愛理と咲が戻ってきた。

 愛理の手にはドライヤーが握られており、それを使っていいと言ってくれた。

 わたしは愛理と一緒に洗面所まで行く。

 彼女は洗面所までわたしを案内すると笑みを浮かべる。


「少しして様子を見に来るね。リビングにいるから」

「ありがとう」


 わたしはお礼を言うと、シャワーを浴びることにした。


 シャワーを浴び終わり、浴室の外に出るが、愛理の姿はどこにもない。

 わたしはすぐ近くにあるリビングまで行くことにした。


 リビングには依田先輩も愛理もおらず、西原先輩がソファに座り込んでいた。

 このまま出ていくべきなのか、声をかけるべきか迷っていると、愛理が裏口から入ってきた。


「ごめんね。ゴミを捨てていたの」

「うんん」

「先輩、寝ちゃったみたい。さっきまでお兄ちゃんと勉強をしていたんだけどね」


 愛理がわたしが見ていたのに気付いたのか、大げさに肩をすくめる。

 背後に人の気配を感じ、振り向くとタオルケットを手にした依田先輩の姿がある。


 わたしが道を開けると、依田先輩はお礼を言い、先輩のところまで行くとタオルケットを体にかける。

 わたしも何気なく依田先輩の後をついていく。


 机の上には物理のノートが広げてある。


「先輩、絶対起きないよね。家に電話したほうがよくない?」

「おじさんもおばさんもおばさんの実家にいるから大丈夫だとは思うけど、おばさんの携帯に連絡を入れておくよ」


 依田先輩は机の上に置いていた携帯を手に電話をかけていた。

 すぐに電話がつながり、だれかと親しげに言葉を交わす。

 西原先輩が眠ってしまったことと、家に泊めることを告げると電話を切っていた。


「おばさん、笑っていたよ。愛理も風呂に入ってきたら?」

「真由を部屋に送ってから入るよ」

「わたし、戻れるから大丈夫」

「わかった。じゃ、入ってくるね」


 愛理は深く追求せずに、リビングを出ていく。すぐに階段を上がる音が聞こえた。


「少しして戻ってくるから。稜はそのままにしておいて大丈夫だよ。何度も来ているから、どこに何があるかはわかるだろうししね」


 依田先輩の言葉に、わたしは頷く。

 依田先輩は目を細めると、部屋を出ていく。

 わたしと先輩だけがリビングに残され、先輩の寝息が部屋に響く。

 そのときソファに体を預けている先輩の体がわずかに動き、髪の毛がさらっと揺れる。


 わたしは手を伸ばすと、先輩の頭に触れた。先輩の髪は思った通りにすごく柔らかくさらさらとしている。


 先輩の瞳は本当は誰を見ているんだろう。

 それがわたしだなんて都合いいことはあるわけないって分かっている。

 知りたいけど、知りたくない。そんな気持ちだった。


 廊下で足音が聞こえ、スパッツにシャツ姿の愛理が顔を覗かせる。

 もうシャワーを浴びたあとのようで、長い時間ここで呆けていたことになる。


「お兄ちゃんは?」

「二階に行ったみたい」

「真由はどうする? まだここにいるならいてもいいよ」

「わたしも戻るね」


 先輩に心の中でおやすみを告げると、愛理と一緒に客間に戻る。

 そして、髪の毛を乾かし、水色のモノトーンのパジャマに着替えた咲と目が合う。


 わたしも寝間着に着替え、髪を乾かしながら、愛理たちと他愛ない話をいていた。

 咲はいつも通りだった。時折、先輩との会話を思い出し、心の中にぽっかりと穴が開いてしまったような気がしてならなかったのだ。

 それからしばらくして眠ることになった。


 扇風機が回る物音でわたしは体を震わせる。身を起こすと、もう辺りは闇に落ちていた。

 枕元に置いていた携帯に手を伸ばすと時刻は三時を過ぎていた。四時間ほど眠ってたことになる。

 もう一眠りしようとしたとき、先輩のことが心に引っかかる。

 愛理からトイレや飲み物などは自由にしていいと言われていたこともあり、忍び足で部屋から出ていくことにしいた。


 一階に着くと緊張で高鳴る胸を拳で叩き、何度も深呼吸をする。

 銀色のノブを握ると顔を覗かせた。

 薄いレースのカーテンだけが閉められたリビングにほんのりと黄色い月明かりが差し込んでいた。

 いつの間にか横になっている先輩のところまで忍び足で行くと、小さく名前を呼んでみた。

 だが、彼は身動き一つしない。


 わたしは先輩の頬に触れる。一瞬ためらい、手をひっこめるが、いいようのない距離感からくる彼に直接触れたいという衝動を抑えることをできなかったのだ。


 わたしにとって先輩といる時間はものすごく大事なものだった。だが、先輩にとって、わたしといる時間はどれくらいの割合なんだろう。それはわたしが考えるよりもずっと少なく他愛ないものだとわかっている。先輩がわたしの想像以上に宮脇先輩と親しいとわかっても、隠しごとをしていると知っていてもどこかで期待してしまっていた。

 そのとき頬に温かいものが触れる。澄んだ瞳でわたしを見ている先輩と目があった。

 わたしは先輩に触れている手をひっこめ、身を仰け反らせた。


「ごめんなさい。そんなつもりじゃ」


 だが、左腕を先輩に捕まれる。

 先輩は右腕をソファの背もたれにかけると、体を起こす。


「今日、元気がなかったみたいだけど何かあった?」


 思い出したのが、咲と先輩との会話だった。だが、わたしは首を横に振ることしかできなかった。

 先輩の手がわたしの頬に触れる。心臓が跳ねつつも、できるだけ平静を装い彼を見る。


「嘘」

「嘘じゃない」

「顔に書いてある。たぶん、他の子も気づいていて心配しているとは思うよ」

「そんなこと」

「俺も心配だから。球技大会の後もそうだった」


 わたしはその言葉で先輩との賭けの話を思い出していた。


「心配してくれていたの?」

「そうじゃないとわざわざそんなこと聞かないよ。そんなに俺は優しくないから」


 先輩の本心は相変わらず見えないままだと思いながらもたった一言が嬉しかったのは本当で、さっきまで笑う気分にならなかったのに、少しだけ顔の表情を緩めていた。先輩の存在を今までで一番近くで感じた気がしたのだ。


「もう大丈夫です」


 わたしの体から先輩の手が離れる。

 わたしはできるだけ笑うようにした。


「本当に大丈夫?」


 わたしは彼の言葉に頷く。


「おやすみなさい。もう一眠りしますね」


 わたしは彼に声をかけると、リビングを出ていく。扉をしめて、足を止める。

 咲が悪気があって、わたしに黙っているわけでもない気がした。愛理や先輩が躊躇してしまう理由があるんだろう。だから、もう忘れようと決めた。


 無理に聞いて、相手を傷つけることはしたくなかったし、そのときの反応を考えたらそんなことをする度胸もなかった。


 まだ残る先輩のぬくもりに手を当て、短く息を吐いた。


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