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隣の先輩  作者: 沢村茜
第四章 変わっていく関係
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好きな人

 五月も下旬となると、暖かいはずの日差しが次第に暑くなっていく。長袖の制服もいつしか半そでとなるが肌寒さも感じなくなる。


 クラス内の大部分の名前と顔も一致し、親しい友人なども固定化されていく。女の子で話をするのは専ら愛理と咲。男の子だと森谷君だ。


 いつものように一人での登校をすませ、上靴に履き替えようと靴箱に手を伸ばしたとき、背後から声をかけられた。


 振り返ると、髪の毛を短く刈った同じクラスの市井洋平が立っていた。勉強はできるとはいいがたいが、何より運動が得意で、クラス内でも目立つ。人見知りもしないのか、多くのクラスメイトと言葉を交わしているのを見る。


「おはよう」


 挨拶をすると、靴を履き替える。だが、彼は自分の靴箱に手を伸ばし、上履きを地面に置くが、何かを言いたそうにわたしを見つめていた。その視線はここ最近、覚えのあるものだった。

 教室に歩きかけた足を止め、彼を見ると、彼は何度か言葉を飲み込んだ後、わたしに問いかける。


「前原さんって彼氏いるの?」

「いないと思うよ」


 先ほどのわたしの予感は当たっていた。今までに顔見知りを含め、何人もの人にそうしたことを聞かれたからだ。


 第一印象で可愛いと思った咲は、異性からもそれなりに人気があり、彼女の好みのタイプとか、彼氏の有無をわたしに聞いてくる人がやけに多かった。愛理に聞かないのは、彼女は本人に聞けと一蹴してしまうからだ。かといって、本人は先輩や森谷君を除き、男とはほとんど話をしようとしないので、聞くと避けられそうな気がしたのか、消去法でわたしが残ったんだろう。


「前、つきあってた人とかは?」

「いないよ」


 それは本人から聞いたことだ。やけに聞かれるので、今までは「いないと思う」で通していたが、念のために本人に確認したらそう答えていた。彼女は彼氏どころか告白されたことまずもなく、誰かを好きになったこともないらしい。自分はもてないし、可愛くないと本気で思っているらしく、彼女に影で恋焦がれている存在がいるなど考えたこともないようだった。その辺りに無頓着なのが咲らしいといえば咲らしいとは思う。


 彼の表情が明るくなる。わたしにお礼を言うと、心なしか軽い足取りで教室に向かっているようだった。聞いてくる男子はいても、咲に告白しようとするかは別問題のようだ。


 まだ高校に入って二ヶ月しか経っていないと思うが、もう付き合っているという話をちらほらと耳にすることもあった。そんな話を聞くと、どこか遠い世界の話を延々と聞かされるような気分になってくる。


 わたしが教室に行こうと靴箱の傍を離れたとき、背丈の高い男性と鉢合わせをする。


「おはようございます」


 戸惑いながらも反射的に挨拶をする。


「おはよ」


 先輩はそう言うと、欠伸をかみ殺す。その瞳には涙が浮かんでいた。

 先輩が靴を履き替えるのを待ち、教室に向かうことにした。

 階段を上がっていると先輩が肩をすくめる。


「しかし、お前も大変だな。あんなことよくあるのか?」

「まあ、たまに」


 今までで合計五人。多いとは思うが、クラスメイトのほとんどが咲のことを知らないからといえばそう言えないこともない。


「前原って友達?」

「先輩、入学式の日に会いましたよね。前原咲さんですよ」

「ああ、あの可愛い子か」


 顔だけは覚えていたのか、すんなりとそんな言葉が出てきた。だが、先輩はそんなに興味がなさそうな顔をしていた。


 わたしにとっては付き合うどころか、好きな人さえ未知の世界だった。だが、先輩にとってはそうかはわからない。今はあの綺麗な人と一緒にいる以外は女の影を見ることはないが、彼女とかもいるのかもしれない。


 わたしは先輩のそうしたことを何も知らなかった。

 階段を半分ほど上がったとき、彼が肩越しに振り返る。


「でも、本人に聞けばいいのに。そっちのほうが手っ取り早いけど」

「好きな相手だから聞けないんじゃないんですか? すごく緊張してしまうと思うし」

「そんなものかな」

「先輩には分からないんですか? そういう気持ち」

「今のお前の気持ちなら分かるんだけどな。友達にそういう奴がいて、しょっちゅう聞かれていた。でも、聞くだけで本人には全く話しかけないんだよな」


 依田先輩のことか、他の誰かのことかは分からなかったが、彼の言葉に相槌を打つ。


「そんなもんですよ。好きな相手には好きと思っていても、話もできない気がします」


 わたしの妄想に満ちた言葉を、先輩は眉をひそめて聞いていた。


「お前はいるわけ? そういう相手」


 その言葉にドキッとして先輩を見た。彼は真剣な瞳でわたしを見ている。瞬きすることのない強い瞳にわたしの姿が映っていて、ただ何も言い返すことができなかった。時間の経過とともに、胸が高鳴り、喉の奥がざらついている。


「あの、わたしは」


 先輩は人差し指だけを残して、手を握ると、その人差し指でわたしの額を軽く押す。

 わたしは突然のことに驚き、額を両手で隠すと、変な声を出していた。


「あ、やっぱりお前相手じゃダメだよなあ。全然緊張しない」

「当たり前です。好きな人なんだから」


 そう大きな声を思わず出していた。まだ誰もいない時間帯なので、声だけが辺りに響き渡っていた。

 わたしは顔が赤くなるのを感じながら、頬を膨らませると、階段を先に上る。


「先輩って最初は優しかったのにすごく意地悪なんですね」

「意地悪って小学生じゃないんだから。それにあれは優しいってより、他人行儀なだけ。そっちのほうがいいなら、そうするけど」


 それはそれで嫌かもしれない。あのとき感じた疎外感に似た気持ちを味わいたくなかった。だから「しなくていい」と言っておく。

 先輩に遊ばれすぎて、反発心を覚え問い返していた。


「じゃあ、先輩はいるんですか? 好きな人」


 まともな答えが聞けることは期待していなかった。「いるわけない」とか、「教える必要はない」とか言われると思っていたからだ。

 だが、彼は眉をひそめ、顔を背けていた。


「いるような、いないような」


 わたしは彼の反応に戸惑いながらも聞き返す。


「同じクラスの人?」


 思わず唇を軽く噛む。宮脇先輩と一緒にいたときの先輩の表情を思い出し、胸が心臓の鼓動とは違う動きを刻んでいた。


 だが、彼は涼しい顔を崩さずに目を細める。


「さあな。でも、一緒にいて楽しい奴なら答えられるよ」

「依田先輩?」

「女の話じゃなくて?」

「あ、そうですね」


 慌てて訂正した。彼女の名前が出てくるんだろうなと覚悟を決めたとき、


「一人はお前かな」


 先輩の言葉が聞こえ、口をぽかんと開け、彼を見つめていた。


「本当に?」

「そんな嘘を吐いてどうするんだよ」


 少し考えて、答える。


「わたしの反応を見て、楽しむとか」

「お前の中で俺のイメージって最悪なんだな」


 先輩はそう言うと、また苦笑いを浮かべる。

 彼の言葉を心中で否定しながら、戸惑いながら彼を見つめていた。

 わたしはまだ先輩と知り合って二ヶ月しか経っていないし、気の利いたことをいえないわたしと一緒にいて「楽しい」と思ってくれているなんて考えたこともなかったからだ。


「なんか見ていると楽しいなって思うから。喜怒哀楽がはっきるでるし。でも、哀はみたことないか」

「それって褒めています?」

「最大限にそのつもりだけど」


 先輩の言葉はわたしを単純だといっている気がしたが、好意的にうけとめておくことにした。

 わたしは教室の前で先輩と別れる。教室に入ると、クラスメイトが何人かいて、挨拶をすると自分の席に座る。


 先輩はクラスでどんな一日を過ごしているんだろう。

 彼の言っていた好きな人って誰のことなんだろう。

 鞄を置き、席に座ると、何気なく窓の外を眺めていた。


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