07 魔力メルトダウン
「まさか三ヶ月かからないとはねぇ」
私の修行は、実に二週間で終わりを迎えた。
というより、終わらざるを得なかった。
「いやー、魔力の限界がこんなに早く来るとはねぇ」
「うむ。半年どころかほぼ二年分の寿命を使うとは、思いもよらなかった」
寝る間も惜しんで魔法を使った結果、加速度的に魔力は増えていった。
使った分だけ魔力が増えるのだから、翌日には倍近くなっている。
すなわち三日で四倍、四日で八倍。
すべてを使い切るわけではないから、完全に倍々とはいかない。
だが、いまや私の魔力は世界を覆わんばかりである。
というより、まだ生きている方が不思議だ。
もはや神経が麻痺しているのか、痛みも感じない。
「でも、それじゃあガナイさんの寿命って……」
「あと一週間あるかないかじゃない?」
とてもひどい他人事を聞いた。
それは仕方のない出来事ではあるが、責任のせの字も見えない。
まったくもって非道ではないか。
元より、死霊王などという外道を極めたお人に言うものでもないが。
「それよりアトリー女史。竜の居場所次第では合う前に死んでしまうが」
「それは大丈夫。呼べば来るから」
そういって彼女は、ピィと指笛を吹いた。
「友人――いや、人ではないが、友達か。竜と?」
「まあね。殺し殺されて、っていうか一方的に殺されたんだけど、それ以来の付き合いよ」
「ふうむ。奇特というか、危篤というか」
殺した方はともかく、殺されたほうが仲良くできるというのは、なかなか難しいものだ。
彼女たちは、なぜか走って、この場から離れ始めた。
疑問に思った直後、遠くから爆発めいた轟音が聞こえてくる。
聞こえてくると思った瞬間、衝撃が走った。
目の前に、巨体が落ちてきていた。
遅れて、烈風と鼓膜を破りかねない轟音が広がる。
「呼んだか、アトリー」
小山ほどもある巨体が、鉄錆めいたがさがさとした音を発した。
それは、私たちの使う言語の形を取っていた。
「おはよー、プァンカムナギハ。悪いね、こんな時間に」
「いいとも。これだけの魔力を感じれば用事は分かる」
見上げて、その小山の如き巨体が、鱗を持っていることを知る。
それは爬虫類めいた顔つきをして、地鳴りのような音で会話をした。
「お前が、我を求めたものか」
「……そうだとも。竜よ、お前の血肉を貰いたい」
「ほう。やぶさかではないが」
「ただで貰おうなどとは思わぬ。そのための準備はした」
「これだけの魔力量ならば、そうだろうな」
言葉が早いか、行動が早いか。
竜は収まっていた爪を剥き出しにした。
猫のように出し入れできるらしい。
見えたそれは、一つ一つが馬を真っ二つにするだろう巨大な刃だ。
喉を鳴らして、私は緊張を飲み込む。
「竜よ。私たちが叩けば、アトリー女史の畑は無惨にもなろう」
「その覚悟はしているだろうよ。我を呼んだのだ」
「してないよ。っていうか別の場所でやってよ」
「離れないとあたしたち、死んじゃいませんか? アトリーさんは死んでも生き返れますけど、あたしは無理ですよ」
「そこで、だ。なるべくならこの農場への被害をなくしたい」
「ゼロにしろよ。場所を変えろっつってんだろ」
私の言葉に、小山の如き竜は笑った。
嘲ったとでも言うべきか。その表情は明らかに蔑んでいる。
「怖気づいたか、人間」
「決着は一瞬でつくと言っている。爬虫類」
空気のひび割れる音が、耳に響いた。
「ほう。面白いことを言うな。我からすればアリの如き者よ」
「貴様の最大の攻撃を放ってみろ。アリの如き小さき心の持ち主よ」
「おい、聞いてんのか。せっかく耕した畑だぞ」
「アトリーさん逃げないんですか? あたしは逃げますよー?」
殺意の塊を浴びせられて、私の心臓が縮み上がった。
「……灰すら残さんぞ」
「塵一つ、届かんだろうな」
空気が、ひどく薄くなる。
竜の胸部が膨れ上がり、口中に光が生まれるのが見えた。
白い炎だ。太陽そのものの熱を感じて、目が乾いた。
ぴきりと唇がひび割れて、血が垂れ落ちる。
「万象、閉じよ」
宙を走る私の指は、宙に極限密度の魔法陣を描いていく。
その線に歪みは一切なく、あらゆる模様は写し取ったように正確だ。
生まれて初めて、本気で使う魔法である。
世界一つ分の魔力をつぎ込んで、術式は完了した。
「燃え尽きろ、人間」
「隔り、開け。『星の断層』」
太陽が落ちた。
あらゆるものが乾き、燃え、瞬間にして灰になって燃えていく。
土、野菜、死体、骨。
白い光にすべて塗りつぶされて、目を開けている意味がない。
稲妻のように弾けて、弾けて、弾けて、星が焦げた。
永遠に続いた灼熱が終わる頃、すり鉢状に溶けた足下はぐつぐつと煮だっていた。
その中に佇む小山の如き竜の口から、舌に似た赤い炎がちらりと見える。
竜のしたあらゆることは、私の魔法の中へは一つも影響を及ぼさなかった。
「……ふん。気に入らんな、人間」
「心象は知らぬが、決着は着いたさ」
地鳴りの如き声で笑って、竜は鋭い爪で己が胸を抉った。
だばりだばりと垂れ落ちる血の一滴が地面に落ち、大地が蘇っていく。
黒く焦げた地面から草が生え、花が咲き、命が芽吹いている。
抉り出された心臓は脈打ち、生命力の強さを感じさせた。
「貴様の勝ちだ」
ぶしゃりと心臓が握り潰され、血の雨が私に降り注ぐ。
生臭さは一切なく、青々とした深い森のようだ。
血の一滴一滴が命に変わって、私の中に染み込んでいく。
死んだようだった体が蘇り、ここ十数年感じたことのない爽やかな風が吹き抜けた。
「……おお。これが健康というものか」
「ふん。それはどうだろうな」
心臓を無くしたというのに、竜はなんともなく音を発した。
たかが臓器の一つぐらいは竜にとって、失おうとなんともないのか。
「どういう意味だ」
「世界二つ分の魔力など、通常生物が持てる範囲を超えているということだ」
「それを耐えられる体を貰おうというのが、竜の血であろう」
「そうだとも。それだけの魔力を保有できてしまうから問題なのだ」
人の限界を超えているというのはわかる。
通常ならば、世界一つでも死んでいなければおかしいのだろう。
それがこの体質のさせること……ではない?
「なにを言っている。私がどうなるという」
「拡散するべき魔力を凝縮して保有すれば、崩壊を起こす」
「崩壊……?」
「少なくとも、人間としての貴様は消滅する」
「それでは、私が竜の血を浴びたのは無駄であったというのか」
「意識はあるだろうさ。肉体という器は知らぬ」
つまり私は、ただ寿命を削って死に急いだだけだというのか。
そんなことはひどすぎる。
この仕打ちか。竜の心臓をもらって、これで終わりというのか。
「明日が私の寿命というのなら……」
「いや、いまだ」
「――なに?」
「我の血だ。失った魔力ぐらいは、即座に回復してみせる」
直後、心臓が内側から爆発した。
体中を駆け巡る魔力が神経と血管とを焼け焦がし、それでも行き場を無くして呻いている。
もはや私は私ではなく、私という形をした魔力に成り果てていた。
だというのに、意識が残っている。
純粋な魔力と化した私が、その場に居て形作っていた。
「運がいいな。意識の内に収まったか」
私という意識が彼を見た。
小山ほども大きかったそれを、いつしか見下ろしていた。
彼はばちばちと手と手を衝突させた。
余波で周囲に突風が巻き起こり、草花が舞う。
「もっとも新しき魔王よ。その存在を祝おう」
「なにがめでたいものか……」
ヴァンパイアと呼ばれていた私はもう居ない。
あの時、吸血鬼になっていればよかったと後悔した。