91.望み通りの逃避先
あらかた話し終えた俺......メリノ・ジャンヴィールは、ちらりとアナリーの方へ視線をずらした。大丈夫とは言っていたけど、薬か頭に血がのぼった影響か、体調はまだ万全じゃないみたいで、ぼんやりとした目で頭を揺らしていた。
人を殺したから、自分も殺してくれと頼んだアナリー。遠くから見ていたから詳しくは分からないけど、そう願って暴れたくなるほどの衝動に駆られた原因はきっとトリエミア家の子息と、近くにいたもう一人の青年だ。弟だとか言っていたっけ。あまり似ていなかった気がするけど、弟の姿を見たときに身構えていたから。
俺がアナリーの傍に残ると言った時、気弱なD班リーダー・サムスにはかなり必死に止められた。俺が昔『俺はまだ死ぬ価値がないから吸血鬼にして生かしてくれ』とユーリスに言ったとき、俺の身体や精神状態について何度も話をしてくれた中にアイツはいたから。あの時の俺と、今のアナリーを重ねているのかもしれない。現に今だって、この部屋のドア前に気配感じるもん。いるよね、そこに。明らかに。
俺が吸血鬼になることを望んだ理由は、『今死ぬに値する器じゃないから』ただそれだけだ。集落『スファラ』において堕落した人間は俺が初めてだったようで、初めは随分不気味で異質な存在だと思われた。俺を受け入れてくれたB班の三人には感謝しかない。いつか死ぬために今日を生きると、訳の分からないことを言った俺を、嫌悪せずに受け入れてくれたのだから。
「......なぁ、アナリー。」
彼女は、ちらりと俺の方を見た。艶やかなローズレッドの長髪は乱れ、エメラルドの虹彩にも光は宿っていなかった。その髪をそっと耳に掛けてやり、形の良い耳で光るピアスを指で揺らした。
「俺は、いつか死ぬ日を夢に見ていつも眠る。同じように死を願っているからこそ、アナリーが持ってる、死にたいという思いをすべて否定することは、俺にはできない。……でも、死ぬことを罰だと、罪からの救いだと思うことは、俺にはどうしても難しい。」
何を言っているのかと、気のない瞳で見つめ返される。でも俺は、続けた。
「もし、アナリーが本心では逃げることを……本心から「死」そのものとは異なるものを望んでいるなら、話を聞くことくらいはできるよ。」
もし、彼女の望みが死ぬことではなく、今の心から逃げることだと言うのなら。それならきっと、死を逃避先にしても意味がないと思うから。
「大したことできないと思うけど、逃げ場くらいにはなれるはずだから。もし弱ったら、俺に声掛けてよ。」
アナリーは、しばらく何も言わなかった。ただ黙って、下を向いていた。
剣豪に上り詰めた剣技、柔らかに映えるその美貌、凛々しさがありつつ時折愛らしい本質。それら全てを惜しいと言ったら、きっと彼女は傷つくだろう。だからこそ、その思いは隠して。
死にたいと思う一方で、目の前の人に生きていてほしいと思う痛みも、俺は十分知っているから。
不意に、服を掴まれた。予想していなかった動きに、肩を震わせてしまう。
「……私に触られただけで飛び跳ねるほど初心なくせに、言葉は気障なのね。」
横を見ると、アナリーが笑っていた。涙で目を潤ませて、目蓋を赤く腫らして、それでも開花した一輪の薔薇のように。
「ありがとう、メリノ。」
呼ばれたその名前を聞いて、俺はそっと、彼女へと笑みを返した。




