1-1.あなたとは結婚出来ません
新しく連載させていただきます。
よろしくお願いいたします!
私は拳を握りしめて、ベッドの上にだらしなく寝そべっている男を見下ろした。『悪魔辺境伯』と呼ばれるこの屈強な男性は、私の渾身の一撃によりこの場に倒れたのだ。
彼を見下ろしながらも、私の心の中は意外にもすっきりしていた。積もり積もった怒りを、この男へ向けて全て解放したからだ。
彼は目覚めると、私を追放するだろう。だけどもう、それでいい。私はこんな男に媚びへつらわず、自由に生きさせていただきます!
どうしてこんなことになったのかというと、ことの発端は数日前まで遡る。
◆◆◆◆◆
ここはヤヌース伯爵邸。私は訳あって、ここに呼び出されていた。
私の目の前には、たいして私に関心の無さそうなお父様、お義母様、そして私を見て意地悪そうに笑う妹のラファエラが立っている。
そして私はたった今、お父様から信じられない事実を告げられたのだ。
「メリッサ。現在我が家は、ハンスベルク辺境伯との縁談を受けている。
我が領地の発展と安全のためにも、私はハンスベルク辺境伯との縁談を受け入れることにした」
ハンスベルク辺境伯。その名は聞いたことがあるが、社交界に出たこともない私は深くは知らない。ただ、妹のラファエラがすごく意地悪そうに笑っているのを見ると、ラファエラはこの縁談を受けたくないのだろう。
お父様は相変わらず私には感心がないようで、その事実を事務的に述べる。
「ハンスベルク辺境伯は、別名『悪魔辺境伯』と呼ばれている。極めて残忍で情け容赦のない性格のようだ。
そんなところに可愛いラファエラを嫁がせるわけにはいかないだろう? 」
だから私に行けと言うことなのだ。
「良かったね、お姉様。悪魔辺境伯に嫁ぐことが出来て。
私はお姉様が結婚なんて出来ると思ってもいなかったからね」
ラファエラは面白そうに笑い、隣にいるお義母様も扇で口元を隠して笑う。
「ハンスベルク辺境伯領からは、明後日迎えが来る。私からは以上だ」
「お姉様、せいぜい頑張ってね
私はあんなド田舎で、悪魔辺境伯にこき使われたくないわ」
私はラファエラを無視してお父様に一礼し、屋敷を出ようとする。すると、お義母様が冷たい声で私に告げた。
「メリッサ、どうせいなくなるのだから、家の掃除をしておいてちょうだい。
床磨きと、庭の落ち葉拾いを明後日までにね」
「承知しました」
私は感情の無い声で告げ、屋敷を出る。そして、『いつもの場所』へと向かった。怒りを発散したい時、私はいつもそこへ行くのだ。
『いつもの場所』それは私の住むボロ小屋の裏にある、小さな空き地だ。四方を建物に囲まれているため、ここで何かをしても周りの人に見られない。私は一人になりたい時にはここに来て、一人でぼーっとしたり、時にはストレス発散をしたりしている。
そして今日も私は、サンドバッグ代わりに置いてある土嚢袋を投げ飛ばしていた。狭い空き地に、土嚢袋が地面に叩きつけられる乾いた音が響き渡る。こうやって無心になって怒りを発散させれば、明日からはまた頑張れる気がした。
「おー、やってるねー」
叩きつけられる土嚢袋の音を聞き、近所に住むヒューゴがやってくる。ヒューゴは平民ながらも騎士団に入っており、時々私と手合わせしてくれるのだ。そして、私の悩みを聞いてくれる、気を許せる唯一の友人でもある。
「ねー、ヒューゴ。私はさ、今までずっと我慢してきたんだよ。
一応伯爵家の娘なのに、侍女同然の扱いを受けてさあ!」
「うんうん、メリッサが苦労してるのは分かる。
それで今日は何があったんだ? またお嬢に水でもぶっかけられた? 」
ヒューゴは面白そうに、だが半ば心配そうに私に聞く。
「メリッサが何もしないと思ってるから、あの人たちも馬鹿にするんだよ。
またお嬢を投げ飛ばしてやったら? 」
「ははっ、そうだね。でも、手を出したら負けだと思ってるから」
私は笑顔で答えた。
手を出したら負け、確かにそうだ。だが私は、一度だけラファエラに手を出したことがある。それは、ヒューゴからもらったブローチを、ラファエラが粉々に割ったからだ。そのブローチは、ヒューゴが騎士団の給料を貯めて買ってくれた、私にはもったいないほど高価なものだったのだ。
おまけに彼女はこう言った。
「お姉様は地味だからブローチなんていらないわよ。そもそも、このブローチセンス悪いから、ゴミ同然よ」
それで私はブチ切れた。ラファエラに歩み寄り、柔道の技『内股』をかけたのだ。ラファエラは空を飛んだ後床に叩きつけられて、大泣きしたのは言うまでもない。その後腕を怪我したなど仮病を使い、私はヤヌース伯爵邸を追い出されたのだ。
ヤヌース伯爵邸を追い出されたことは、むしろ喜ばしく思っている。あの家にいても私はこき使われるだけのため、未練などない。だが、怒りに任せてラファエラを投げ飛ばしてしまった自分を恨んだ。
……そう、前世の記憶がある私は、ずっと弱い者には手を出さないで生きてきた。
私は前世、日本という国で生きていた。家族は格闘技一家で、私も幼い頃から様々な格闘技を習ってきた。その中でも特に、小中学生時代は空手を、高校時代は柔道を嗜んでいた。
格闘技一家に生まれただけあって、私には天性の武術の才能が備わっていた。高校卒業後は実業団に入り、柔道にてオリンピックを目指す日々。だが、全日本選手権の決勝戦で、私はきっと死んだ。もちろん相手に殺意はなく、当たりどころが悪かったのだ。
空手や柔道の先生からは、武術は人を殺める可能性があること、そして容易に武術を他人にかけないことを口煩く指導されていた。そして奇しくも、それを自分の身をもって体験することになった。
こうして私は、いくら相手が憎くても、実力行使をすることはなかった。もちろん私が本気になれば、ラファエラだけでなくお父様でさえ武力で操れる自信があるが。……能ある鷹は爪を隠す、そう念じてひたすら我慢してきたのだ。
読んでくださって、ありがとうございます。